宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

道(3)

2023-10-31 08:30:51 | 祈り
     (前日からの続き)
えー、先日、道ということでお話しを致し
まして、多少、内容が混み入るものですから、
途中で結論的なことを申し上げて確か終わりに
したんですけれども、何を省いたかと
いいますとね、もっとも私の話は省いている
ようにみえて全部いっているんですが─。

それはともかく、この間、結論の中にすでに
含まれていると思いましたのでいわなかったこと─
それは人間、我々人間の救われ方ということに
ついてであります。

世の中には宗教なんかに頼らなくても十分自分の
気持ちだけでやってゆけるという、いわゆる宗教を
毛嫌いする人たちをはじめとして、沢山のいろいろな
立場で生きている人たちがおります。
で、この中には無神論者と呼ばれる人たちもいる
のであります。
この無神論者の人たちは目に見えるもの、
第一には自己ですね、自分自身を
先ず信じる。
これは何と言ったってね、自分というものが
生きて働いているということは
信じざるを得ないことですからね。

逆にいうと、この人たちは目に見えないものが
信じられないわけね。
しかし、私たちがもし目に見えないものは
徹底的に信じない生活を始めたらどうなるか、
空気、風、これらは見えないものですよね、
けれども、空気や風をこの世にないなんて
思って生きてる人は一人もいないでしょう。
なぜなら空気は私どもが生きてゆくために
是非とも必要なものですし、風だって
その空気の集まりで、時には恐ろしいことも
あるけれども、春風、秋風ね、ほほに心地良い
なんていいますね。
要するにこの二つのもの、何もこの二つに限った
ことではありませんが、この二つのものは我々の
生活の中で見えていなくても、我々の生命を支えて
いる大事なものだということを無神論者と呼ばれる
人たちでさえ感じ、生きているわけです。
そこで、ここまで話してきましてわかったことは、
何も目に見えるものだけを事実、或いは真実
として生きているのが無神論を唱える人たちやまた、
唯物主義者などという人々に限られないという
ことです。
           (つづく)