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歪み

2007-01-29 00:41:45 | Weblog
人とは歪なものであろう。

どんな人間でも大なり小なり歪みを抱えて生きている、と私は思う。それがどのようなものであるかは人それぞれであれ、何らかの形でそれを持っている。

そして人の集まりとは歪な形を補完しあう関係であるのではないか。歪みと歪みがつながることでひとつの新たな形を形成し、本来存在したゆがみを打ち消すために存在する。

ここまで言うと言い過ぎな感も無くは無いが、人の関係とはそういったものではないだろうか。

さて、私のこの発言をどれだけの人が肯定するだろうか。

大概の人は自らを完全な存在ではないと認識しつつも、完全ではないといわれるとそれを認めたくは無いものであろう。ましてや歪であるなどと言われ、それを受け入れることができるものだろうか。

しかしそれを認めることは大切なことであろう。

人は己を知っているようで知っていないものだ。この文を読んでいる誰かは自らのうちにある歪んだ何かを理解しているだろうか。

私は思う。

自らの歪みを知るべきだ。

たとえそれがどのようなものであっても、それを理解し、向き合う必要がある。己を知ることは己を高めるための第一歩である。人として、人という存在としての向上心を失っていないならば歪であることを認め、それと対峙していかなければならない。

他者と共存することで歪みを矯正しても良い。他者の歪みと繋がることで自らの歪みをそうでなくすることは悪いことではない。

ただ己の歪みを誤魔化すことだけはすべきではない。自らの歪み、欠けたるものを理解していくことが己を知ることであり、己を高みへと導く道標であるということを忘れてはならない。