goo blog サービス終了のお知らせ 

山猫の黄金のどんぐり

日々の生活の中で見つけた、黄金のどんぐり拾っています

日曜美術館「ドガ光と影のエトワール」

2010年10月21日 | 芸術

おはようございます。

今日は、久しぶりの雨です。午後から回復し、明日はまたいいお天気になりそうです。


先日の日曜、「日曜美術館」でドガのことをしていました。

ドガは、バレリーナの絵で有名ですね。下からの照明で浮かび上がるバレリーナの表情が印象的なあの絵は、誰でも見たことがあるでしょう。

ドガは1834年、裕福な家に生まれました。最初は、法律の勉強をしていたそうです。でも、才能のある絵の方に転進します。

最初は、天才として画壇に迎えられたドガ。でも、彼の右目は次第に光を失います。そのため、同時代の画家達がしたように、光溢れる郊外に行き、そこで美しい風景や働く農民の姿を描けなくなりなす。

しばらくしてドガが姿を現したのが、夜のオペラ座。夜だと、彼の目を痛めることがなかったからです。

そこで膨大な数の、バレリーナの姿を描写した絵を描くようになりました。使用した画材は、パステル。それだと女性の肌の美しさと柔らかさを、よりうまく表現できます。

それと、もうひとつ。パステルだと、油絵の具のように乾くのを待つ必要がありません。動きの激しいバレリーナを描くには、うってつけの画材だったのでしょう。

このことを指摘したのは、今回の日曜美術館ではありません。何年か前の、日曜美術館でした。日曜美術館で何回も取り上げられるということは、日本でも根強いファンが多いに違いありません。

今回の番組でも言ってましたが、バレエの衣装であるチュチュのスカート端部分の描写の繊細なこと!とてもパステルで描いたとは思えません。やっぱり天才だったんだなあ、という思いを強くします。

後年、彫刻の製作も始めたドガ。モチーフは、やはりバレリーナ。布の服と、本物の髪の毛を埋め込んだ15歳の少女のバレリーナの彫像を出品します。その時、「この彫像は美術館の展覧会ではなく、自然博物館に展示されるべきだ。」というような大きな批判にさらされ、出品を取りやめざるを得ない状況に追い込まれます。

ルノワールはドガと同時代の人です。裸婦を描き、人生を謳歌した、前向きの人です。ドガの死は、その彼をして「どちらにしても、あんな形で生きているのよりましだ。」と言わしめました。かなり悲惨な晩年だったということを、窺わせる言葉です。

彼の死後、彼のアトリエに入った関係者は驚愕します。そこには、膨大な数のバレリーナの彫像があったからです。当時のバレリーナと言えば、日本で言う芸者みたいなもの。貧しく、パトロンを持つのが普通のことだった、と言います。

でも、舞台の上では光り輝く存在。ドガは、その一瞬に放たれる光彩を描くことで、彼自身の生きる糧というか、エネルギーにしていたのでしょう。

彼自身、裕福な家に生まれたものの、事業の失敗などで叔父と弟を失います。恐らく、晩年は経済的に苦しい状況にあったのではないでしょうか?これは、私の推測の域を出ませんが。

この点でも、ドガはバレリーナに共感していたのかも知れません。

それにしても、有名な画家は膨大な数の作品を残しますね。数をこなすことで、質もあげてゆく。これは、どの天才にも共通していることだと思います。

簡単に言えば「好きこそものの上手なれ」。あのイチロー選手にも言えることではないでしょうか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。