おはようございます。
今日は、久しぶりの雨です。午後から回復し、明日はまたいいお天気になりそうです。
先日の日曜、「日曜美術館」でドガのことをしていました。
ドガは、バレリーナの絵で有名ですね。下からの照明で浮かび上がるバレリーナの表情が印象的なあの絵は、誰でも見たことがあるでしょう。
ドガは1834年、裕福な家に生まれました。最初は、法律の勉強をしていたそうです。でも、才能のある絵の方に転進します。
最初は、天才として画壇に迎えられたドガ。でも、彼の右目は次第に光を失います。そのため、同時代の画家達がしたように、光溢れる郊外に行き、そこで美しい風景や働く農民の姿を描けなくなりなす。
しばらくしてドガが姿を現したのが、夜のオペラ座。夜だと、彼の目を痛めることがなかったからです。
そこで膨大な数の、バレリーナの姿を描写した絵を描くようになりました。使用した画材は、パステル。それだと女性の肌の美しさと柔らかさを、よりうまく表現できます。
それと、もうひとつ。パステルだと、油絵の具のように乾くのを待つ必要がありません。動きの激しいバレリーナを描くには、うってつけの画材だったのでしょう。
このことを指摘したのは、今回の日曜美術館ではありません。何年か前の、日曜美術館でした。日曜美術館で何回も取り上げられるということは、日本でも根強いファンが多いに違いありません。
今回の番組でも言ってましたが、バレエの衣装であるチュチュのスカート端部分の描写の繊細なこと!とてもパステルで描いたとは思えません。やっぱり天才だったんだなあ、という思いを強くします。
後年、彫刻の製作も始めたドガ。モチーフは、やはりバレリーナ。布の服と、本物の髪の毛を埋め込んだ15歳の少女のバレリーナの彫像を出品します。その時、「この彫像は美術館の展覧会ではなく、自然博物館に展示されるべきだ。」というような大きな批判にさらされ、出品を取りやめざるを得ない状況に追い込まれます。
ルノワールはドガと同時代の人です。裸婦を描き、人生を謳歌した、前向きの人です。ドガの死は、その彼をして「どちらにしても、あんな形で生きているのよりましだ。」と言わしめました。かなり悲惨な晩年だったということを、窺わせる言葉です。
彼の死後、彼のアトリエに入った関係者は驚愕します。そこには、膨大な数のバレリーナの彫像があったからです。当時のバレリーナと言えば、日本で言う芸者みたいなもの。貧しく、パトロンを持つのが普通のことだった、と言います。
でも、舞台の上では光り輝く存在。ドガは、その一瞬に放たれる光彩を描くことで、彼自身の生きる糧というか、エネルギーにしていたのでしょう。
彼自身、裕福な家に生まれたものの、事業の失敗などで叔父と弟を失います。恐らく、晩年は経済的に苦しい状況にあったのではないでしょうか?これは、私の推測の域を出ませんが。
この点でも、ドガはバレリーナに共感していたのかも知れません。
それにしても、有名な画家は膨大な数の作品を残しますね。数をこなすことで、質もあげてゆく。これは、どの天才にも共通していることだと思います。
簡単に言えば「好きこそものの上手なれ」。あのイチロー選手にも言えることではないでしょうか?
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