仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 3月14日 (80年:しらびそ小屋)

2011-03-14 00:38:14 | 昔の手帳から
【1980年】(浪人)

新開~稻子湯~しらびそ小屋
カレー

松原湖驛(7:15發)
新開の手前(8:35-8:45)
稻子湯(9:50-10:55)
しらびそ小屋(14:10着)



山へ向ふ夜行列車では、いつもあまり眠れない。
この日はそれに輪をかけて眠れなかつた。
ぼくとHはどうなるのだらう・・・

中央線の下り最終列車は、甲府、韮崎と馴染みの驛に止まり、小淵澤へ。
當時の時刻表がないので確認出來ないのだが、4時前には着いてゐたやうに思ふ。
ここで2時間あまり假眠をとつて、6時頃の小海線の始發に乘り換へ、松原湖まで。

松原湖驛から歩き始める。
空はどんよりとしてゐて、いまも雪になりさうな氣配だつた。
ところが、稻子湯の手前あたりからなんと雨が降り出した。
3月半ばにこの邊で雨が降るなんて・・・
稻子湯からしらびそ小屋までの登りは2時間もあれば十分だと思つてゐたのだが、冷い雨で消耗し、3時間以上もかかつてしまつた。

しらびそ小屋に着いたら、小屋は閉ざされてゐて、「出かけてゐます」といふ貼り紙。
寒くてたまらず、鍵のかかつてゐない扉を搜して不法侵入。
薪ストーブに火をつけようとしてゐたら、小屋のオヤヂさんが歸つて來て「何してんだ、おめえたち!」。
思ひきり叱られてしまつた。
でも、その後は酒を飮ましてくれたり、自分の夕食のおかずを分けてくれたり。
いいオヤヂさんだつた。
いまもお元氣だとよいのだが。

夕食のカレーを食ひ、オヤジさんの酒を飮み、オヤヂさんと話をしてゐるうちに氣持ちよくなつて來た。
私は既に早稻田に入つたつもりで、クサカと一緒に「都の西北」を歌つてゐた。
外はいつの間にか雨から雪に變つてゐた。


<關連記事>

2005年3月22日: 春の雨
2005年5月14日: 「北八ヶ岳 花守記―しらびそ小屋主人の半生」 工藤隆雄




【1981年】(1囘生)

麻雀(エノサワ、ミサワ、ヨシヤマ)。-69。殘敗


エノサワ、ミサワ、ヨシヤマ、みんなC高の同窓生。
3年の時同じクラスだつたのはエノサワだけで、あとは1年の時の同級生。
千葉に歸つてまで麻雀するなよ!
しかも負けるか?
まあ、勝負事は時の運といふけどね。




【1983年】(3囘生)

ヤマムラ ¥10,000貸


この頃は塾で月に10萬ほど稼いでゐたので、金錢的には餘裕があつた。
同じ學生アパートの住人のなかではブルジョワだつたと云へるかもしれない。
なので、金を貸してくれといはれることも多かつた。
友達同士の間で金の貸し借りはするなといふのが世間でいふ鐵則。
私は、ええ格好しいな云ひ方をすれば、貸した金は返つてこなくても仕方ないといふ覺悟で貸してゐた。
もちろん、みんなちやんと返してくれたけれど。
ヤマムラは學生アパートの住人のなかでも、一番仲が良かつた男。
新幹線が止まつて私の附合つてゐた彼女が歸れなくなつてしまつた時、彼は京都驛まで來てくれて、明石のはうまでクルマに乘せていつてくれた。
いま思ひ出しても、彼には感謝の氣持ちで一杯になる。





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