びわ湖・勝手気ままな日々!

温故知新!大切ですね、次代に生きる方々の知恵と活力となります。令和時代を健康で楽しみましょう。

高校生と共に成長した私!鞭打ってくれた人々-4

2019年05月03日 | 1歩前へ踏み出す!

=よみがえる青春=
先ず1から順番かリクエストの項目か?全18テーマある為、気長にお付き合い下さい。

2校目の京都府立東宇治高校(新設2年目)~10年間私の教員生活の大黒柱になりました。嬉しい、驚きの成果は山のように存在します。既に数々とblog-upさせて貰ってます。私よりも主役生徒達の主体的な取り組みが中心と父兄及び地域の皆様の支援で見る見る良い雰囲気の学校と成長出来ました。そして、当時の1期生がこの春60才と定年退職と言う節目の現在です。1期生のコメントがもらえましたらblog-upさせて頂きます。

3 登山家で数学教師だった土森 譲氏
 登山隊は1997年8月20日、カラコルムのスキルブルム峰(7360m)広島三郎隊長とする16人の隊は、8人の登頂者を出して、いよいよ下山と言う途中に雪崩に襲われた。ベースキャンプの約800m上部が崩壊し、落下するときに巻き起こる爆風でテントが吹き飛ばされたのである。、京都市伏見区の土森譲さん、当時(60)ら、広島三朗、原田達也、中込清次郎、永澤茂、菊田佳子の隊員6人が死亡した。日本のヒマラヤ登山、カラコルム研究をリードしてきた人々だった。                                        
【共同通信】
 この訃報から日にちが何日経過しただろう。伏見の自宅での告別式に参列のため、私は無謀な行動を取ってしまった。それというのは、大津市膳所の自宅から瀬田川沿いに走り東宇治高校のマラソンコースを抜けて(二尾→炭山→東宇治高校→大亀谷→伏見)行く予定で出発はしたものの、彼に対するお弔いの気持ち大きく深くあれども、炭山を過ぎた辺りから、全身に力入らず、東宇治高校に脚を引きづり辿り着くのがやっとの状態であったのです。咄嗟に職員室の彼の座席にお参りさせて頂くことで許して貰おうと学校に飛び込みました。確か休日であったと、記憶をたどると、職員室に2、3人の先生がおられたのを思い出します。彼は退職した後も講師として勤めていたのでした。彼の席には、いつもの愛用ジャンバーが椅子に掛けてあり、その場所で安らかに休んでくださいと手をあわせたのでした。
 さて、何故土森氏ともう一度会ってみたいのかと言う、その訳とは、読者の皆さんに巧く理解していただけるかが心配ですが、理由は明快!それは、ある重要な職員会議の席で彼が、次のように発言したからです。「数学の時間数を減らして、東宇治高校で実践している保健体育の時間数を増やしてください。」と、理由は、高校生の時代には何をおいても掛け替えのない心と肉体の鍛錬による陶冶がその後の人生に取って値千金であります。各教科の時間数の取り合いで、大人の駆け引きが続く中の、彼の発言で決まったのでした。近隣はもとより京都府内でもあり得ない保健体育の授業数の多いカリキュラムが決まったのです。土森氏、数学科の英断で決まってしまったのです。彼は数学科の代表として、膠着して、見苦しい各教科のエゴとも言える発言や考えに辟易として日頃からの思いを、勇気持って言ったまでなのです。学校や大人の役割を明確に真実として述べたのです。立派で頼もしい人材の輩出が何よりの願望だったのです。
 私はまだまだ若僧でバランスに欠け、視野の狭い指導しか出来ていなかったと思っていた矢先の、土森氏の意見で東宇治高校は、強烈な個性を持つ公立高校と変貌していったのです。保健体育科の代表としての立場はますます重要なポストへと膨れあがるのでした。教育はロマンです。結果を強く見届けられる昨今、出口進路でも確実に見える結果が伴ってロマンは本当のロマンに近づくのです。ただやらねばならない思いと強く厳しい決意も一緒に覚悟することとなったのです。今は亡き登山家の土森のロマンでもありました。氏は純真で素朴な人柄が印象としてあります。私が主宰するマラソンに挑戦する仲間にも喜んで加わって楽しい走りをされていたのも記憶に新しいし、人なつこく年齢や性別をはるかに通り越えた大きさを感じる人であった。安らかに眠ってください。  合掌

 


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1 コメント

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不易流行とは何ぞや? (soji yoshida)
2020-01-06 09:43:42
今の流れに乗れていない人達が何と多くいるのか?
京都の高校スポーツ界(体育関係者)をリードしてきた当時新設府立高校・東宇治高校のあり方、進み方に関わる根幹に関わる精神を、土森氏は敏感に受け止めて思わず、心から、叫んだのである。そして、人材育成の進むべき道を修正しようとしたのでした。多くの卒業生諸君・関係者の皆様からの何故が反応ない。出来ない高齢化か?誠に残念です。個人の思いを超越して、また時代を超えての真実の叫びに当時の私は身も心も震え、間違いない道を進む為に自分を役立てて欲しい!と心新たにしたのを忘れられないのです。一貫して、その後の指針として勤めてきました。 I T 時代
を避けて生きたい気持ち理解できます。私も危なっかしい人です。でも、当時の京都の1高校で何があったのかが、拡散しないと、今の国状の衰退は必至です。
==愚痴・上を向いて唾を吐く・ごまめの歯ぎしり==にしてはならない。私は憂う!

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