七七ブログ

タダの詩人「七七」による人心体実験の記録 

2010年10月10日~11日 雲取山山行記録 2日目

2010-11-03 02:02:05 | 雑文

真夜中に
寒くて目が覚めた。防寒対策が足りなかった模様。時間を確認したかったが時計を忘れていた。時計はNさんがつけていたが確認できず。そして次に目が覚めた時にはすでに周囲は明るくなっていました。慌ててNさんを起こすも時間はすでに5時半。速攻雲取山に向けて出発するがすぐに樹間から朝日が差し込んできた。朝日に照らされて全てが赤く染められた東側の巻道をはやる気持ちを抑えながら早足で行く。強い風が淀みを吹き飛ばして、快晴の青空は気持ち良く澄み渡っていました

石尾根からは
富士山がよく見えるが上部にまだ雪は見えない。雲取山荘からの早立ち(って程でもないけど)とおぼしき若者のパーティー数組とすれ違う。小雲取山を過ぎて雲取山の頂が見えてくるが、やはり近所の裏山のような低地の森にも通じる親しみ深い山容でした。程なく山頂に到着。空気が澄んでいるため周囲の山々から都心のビル群までくっきり見える。都心の向こうの東京湾、房総半島、そして太平洋まで。名実ともに東京の巨大な裏山、それが雲取山ですね。近代以前は低地に至るまで日本中がこのような森に覆われていたはずだが、現代の我々にはそれを想像することしかできないのが残念なり。時間を超えてその姿を見る事ができたら…。日本列島は形そのものが自然の造作であり、そのシルエットがきらきらと光り輝くビジョンを垣間見たような気がしました。名残惜しい山頂を後にして下山を開始。強い風のなかを降りて行くが、ある標高以下になると風はほとんど吹いていなかった。

雲取山
日本列島

予定時間を
押しているので手早く朝食を準備する。小振りのフランスパン一本とウィンナー2袋を完食し、ドリップパックに仕込んでおいたNさんこだわりのコーヒーを淹れて飲む。贅沢な時間が流れるが直射日光に晒されているテント内は急速に暑くなってきて急かされるように撤収にはいる。荷物をまとめてから水場を往復し準備完了。広々として気持ちの良い幕営場でした。初めての山岳幕営だったが、周囲の木々が風に揺れる音に抱かれて過ごす時間が至福であることを知り、また風に煽られるフライシートの頼りない音が己の命のはかなさを思い出させる、そんな素敵な体験だった。またいつか家族を連れて戻って来よう、と心に決めて出発したのは予定時間を一時間過ぎた9時でした。

ドリップパック

2日目の
今日は鷹ノ巣山まで縦走して水根沢谷を下る予定。まず七ッ石山まで下降、登攀し、七ッ石神社(小さな祠だが鳥居もある)をすぎたら往路と別れてみちのみち(未知の道)に入る。初めての道を行く喜び。道は広く開かれて歩きやすくまた親しみ深い。…と思ったら尾根道を外れて巻道に入ってしまい高丸山を巻いてしまった。標識が分かりにくい、とNさんと愚痴り合って尾根道に戻り高丸山を振り返るとかなりの急登かつ高低差。巻いて正解でした。次の日影名栗峰も急峻で石尾根はなかなかタフな縦走路ですね(巻けばいいのだが)。直射日光は今日も鋭く、日向を歩いていると暑くて汗が出てくる。日陰名栗峰から(またも)急降下して鷹ノ巣山避難小屋のある巳ノ戸の大クビレに11時半着。

高丸山
日陰名栗峰
鷹ノ巣山避難小屋

鷹ノ巣山避難小屋付近では
大勢の登山者が休憩していました。今日は天気が良いので鷹ノ巣山日帰りの人が多い模様。ここから今行程最後の登り(これがまた険しい)が始まったが、急に体が思うように動かなくなった。ここに来て荷物の重さがこたえてきたのか、最低速ペースでのろのろと進む。何とか休まずに登りきり鷹ノ巣山の山頂に12時10分に着きました。広くて眺めの良い山頂で昼食にしたかったのですが木陰が無いため躊躇していると、頭上に雲が流れて来て日差しを遮りちょうど良い塩梅に。今山行は気持ち悪いぐらい天気に恵まれていました。富士山を見ながらカップラーメンの昼食。その間にも登山者が続々と到着するが、皆さん開けた眺望に喜んで思わず歓声を上げる人もいました。おしゃれなカップルも結構いましたが、山では最低三割り増しだからデートにはもってこいかもしれませんね。それにしても山スカートはスパッツ前提のためかやたら短くて何かエ(以下略)。

鷹ノ巣山
山スカート

一時半に
鷹ノ巣山を出発。ここから下山がはじまるが幅広い防火帯はまだまだ続く。二年前にここを下った時には幅広い道が落ち葉で覆い尽くされ、綺麗なものを拾って帰ろうと選んでいるうちに下山が遅れてヒヤヒヤしたことがあった。今回はまだ紅葉には早いがお土産に数枚の真っ赤な落ち葉を拾った。水根山から石尾根を離れ、榧の木尾根分岐から樹林帯に入りさらに六ッ石山分岐を水根谷沢に入るころから杉林になる。薄暗い森の中を黙々と降りてゆく下りの道のりは時間以上に長く感じられます。足の置き場を瞬時に判断しながらおりて行かなければならないので、疲れもあいまって下山することだけしか考えられない下山マシーンと化す。やがて道は水根沢谷にぶつかり沢沿いを下るようになる。

水根沢谷

沢沿いを
降りてゆくと沢登り姿の親子に追い付いた。振り返らず黙々と下るお父さんに必死について行く息子。髭面で強面なお父さんのメットには「士魂」の文字がペイントされています。山ではあまり見ないタイプの人ですが、その昔登山全盛期に髑髏の旗を掲げた荒くれ山岳会があったという話を思い出しました。荒くれ者が山を目指す時代、それは中々面白い時代のように私には思われる。やがてわさび田が現れ下界が近いことを実感。登山道の脇に生えていた馬鹿でかいキノコに見送られ(?)水根の集落に3時40分着。そこから水根バス停まで15分、さらに隣の奥多摩湖駐車場まで15分程。途中の「水と緑のふれあい館」でドクターペッパーを買い無事の下山を祝ってNさんと乾杯しました。


水根

奥多摩湖駐車場を4時40分に出発。奥多摩駅前のもえぎの湯で汗を流し、「きむらや」で美味しい蕎麦を食べて帰宅の途につきました。初めての幕営山行はこうしてつつがなく終了いたしました。雲取山山行記録これにておしまい。


五十人平(奥多摩小屋) 9:00

七ツ石山 9:40

日陰名栗峰 10:38

巳ノ戸の大クビレ 11:30

鷹ノ巣山 12:10
昼食 13:10

六ツ石山分岐 14:00

水根 15:55


2010年10月10日~11日 雲取山山行記録 1日目

2010-10-17 19:39:49 | 雑文
去る10月10日、
私は友人のNさんとともに奥多摩の雲取山に登頂した。10日から2日間、妻と幼い息子は自宅で私の帰りを待っていた。急激に忙しくなった仕事と、産後の妻に代わりこなさなければならない家事とで疲れ果てていた私を見かねた妻が大好きな登山を勧めてくれました。ただしそれには条件があった。それは幕営山行である事。子供を山小屋に泊まらせるのは困難であろうということで、テント泊の練習をしておいて欲しいという意味である。妻も山好きなのでなるべく早く子供を連れて山に行きたいのです。そんな有難い申し出をうけて速攻アライテントのエアライズ3とオスプレーのアトモス65を購入し、友人のNさんを誘ってこの山行が成立する運びとなった次第でございます。

エアライズ3
アトモス65

Nさんが
車で我が家まで迎えに来てくれました。Nさんは予定の約20分遅れで我が家に到着。しかし下山場所の奥多摩湖駐車場に着いたのは予定通り8時半。天気予報が雨だったせいか道がすいていました。ここに車を置き登山口の鴨沢までバスで移動しましたが、降りてびっくり晴れている。天気予報では前から雨だったのに…。何という幸運。他の登山者のみなさんも嬉しそうに準備しています。我々は9時20分に出発しました。

鴨沢

集落の中を
少し歩くと登山口がある。登山道の傾斜はきつくなく幅も広くて歩きやすい。近所の裏山が巨大化したような親しみ深い趣があり、懐かしいような暖かさがありました。重い荷物が心配だったけどガイドブックのペースを上回る快調ぶり。ブランクも問題なし。運動不足の体が歓喜しています。ガスが出ているが雨の気配はありません。堂所前の水場はショボくてあまりうまくないので500mlだけ補給して七ツ石小屋まで一気に登る。12時10分着で昼食に。おにぎりとカップスープを食す。

七ツ石小屋
おにぎり

七ツ石小屋を
出て少し登ると石尾根に出た。ここからが本番。縦走路を歩くのは登山の美味しい所ですね。石尾根は山火事が広がるのを防ぐため幅広く切り開かれていて開放感が気持ち良い。標高1500メートルを超えたあたりから植生が変わり、私の大好きなマルバダケブキが生えています。マルバダケブキはキク科の植物ですが葉っぱの形や実の部分が蓮を連想させる。その形のせいか辺りの景色が急に天上的な神秘さを帯びて見えてくる。それが枯れると真っ黒になり、繊細なブロンズ彫刻のようでその妖しさにいつもシビれてしまう。かと思うとシダ植物の群生が半分枯れてガスと日射しが交錯する中で斜めから照らされてもう何が何だか分からないぐらいサイケデリックでくらくらきちゃう。ハアハア喘ぎながら写真を撮る。「これだから山はやめられねえんだ、ぐへへへ…」みたいな感じで。

写真1
写真2

枯れたマルバダケブキ

七ツ石山の
山頂につく頃には完全に晴れた。雨上がりの澄んだ空気の中照りつける日射しには刺すような鋭さがありました。晴れると思わなかったので防寒用の帽子しかなく、仕方なく頭にタオルを巻きつけた。七ツ石山の山頂では短パン、スパッツ、ダブルストックの(…何故か描写。手が勝手に書いた)「山ガール」と遭遇。雲取山荘泊の単独行だそうな。山で見る女子は何故かわいく見えるのか。妻によれば山で見る男は三割り増しでかっこよく見えるそうなので、女子に限った話ではないようだが、Nさんによると女子は三割り増しどころか数倍になり、男なぞとは比較にならないとのことである。急降下してまた登り返して行くとヘリポートが見えてきた。今日の幕営場の五十人平に2時半着。

七ツ石山
山ガール
五十人平

奥多摩小屋
のぶっきらぼうな青年に幕営料を支払い早速テントの設営に入った。エアライズ3の設営は簡単だが作りがしっかりしていて安心感があります。すでに単独行のテントが一つ、後でもう一人単独の男性がテントを張って今日の幕営数は三張りでした。奥多摩小屋には数組のパーティーがいた模様。しばらくのんびりしていましたが、晩飯前に空身で雲取山へのピストンをすべく出発。小雲取山に向けていきなり険しい急登だがこの道は急で当然、なぜなら崖崩れの跡だから。本来ならば道じゃない所を歩く喜びを言葉でうまく表現出来ないけれど、一言で言えば「記号からの解放」の喜びと言うべきものでしょうか。空身だがテントを張ってやや気が抜けたせいか小雲取山までで心が折れた(巻道を行けばよかったのだが)。ご飯も作らなければならないし、幕営は忙しいね。

小雲取山

晩飯は
飯盒で炊くご飯にレトルトカレー。雨が降ってきたのでフライシート内の前室で準備。山の天気は「本当に」変わりやすい。山行に飯盒を持って行く人はあまりいないと思うが、準備の時間が少なく確実な方法として飯盒炊爨を選んだ。中蓋を入れたまま炊いてしまうというミスを侵したがなぜかまあまあに炊けていました。私は中村屋のインドカレー、Nさんが無印のイエローカレー。無印の食品が意外といい線いっているのが不気味だ(褒めてます)。食事が終わるころには真っ暗になっていたが雨は上がり、外に出てみると星が出始めていました。完全に日が沈みきってしまうと雲もなくなりプラネタリウムなみの星空が。実は今日は新月だったのです。かつてないほど天の河がくっきり見えて、もはや星空と言うより宇宙空間が見えていると言ったほうが適切なり。山の上、そこには一体何があるのか?そう、宇宙がある。ここに来れた幸せとお世話になっている全ての人への感謝が湧き上がりそれを噛み締めました。明日は4時起きで朝食前に雲取山頂で日の出を見る予定。8時には寝袋にはいりNさんと下らない話(内緒)をしているうちにすぐに就寝しました。(2日目に続く)

飯盒炊爨
宇宙空間

9:20 鴨沢

11:13 堂所

12:10 七ツ石小屋
昼食
13:00

13:25 七ツ石山

14:15 五十人平(奥多摩小屋)

雲取山地図





絶対無名

2008-10-30 00:28:57 | 雑文
 世界で一番高い山はエベレストと呼ばれる。
ヒマラヤを測量した人物にちなんでつけられたという。
しかしヒマラヤ測量以前からこの山はあった。
チベットではチョモランマと呼ばれ
ネパールではサガルマーターと呼ばれていた。
ほかにも様々な民族が様々な名前で呼び、
さらには人がこの山に名前をつける前からも存在していた。
この山は一体何と言う名前で呼べばよいのか。

一時期ヨーロッパ諸国による世界植民地化政策への反省から
現地(チベット)語のチョモランマが多く使われる時期があった。
しかしそれでは「サガルマーター」はどうなるのか。
チョモランマと呼ぶことは解決にならなかった。
今はまたエベレストと呼ばれる機会が多くなったような気がする。
この山を何と呼ぶべきかという明確な指針は未だ無い。
それでは新しい名前をつけたらどうか。
それを地球人全員が採用するならば問題は解決するだろうか。
それは絶対的な名前だろうか。

地球外生命体のような未知なるものが訪れて
別の名前をつけてしまわないとは言い切れない。
ものに名前をつけるような知性体が
人の未だ知らない次元に存在しないとも限らない。
便宜的に相対的な名前をつけることはできても
絶対的な名前はつけられない。
それは一般名詞にも言えることである。
あれは山なのかマウンテン(mountain)なのか、
それとも別の何かなのか。

万物は絶対的な名前を持つことができない。
万物には本当の名前がない。
万物には絶対的に名前がない。

つまり万物は

絶対無名

である。





伝統

2007-03-31 23:19:47 | 雑文
昨年教育基本法が改正され「伝統・文化の尊重」という教育方針が打ち出されたという。
文化には歴史があり、長年受け継がれて来たものを伝統と呼ぶのだろう。
しかし長年受け継がれてきたものは全て尊重に値するものだろうか。
例えば最近談合事件に対する取り締まりや処罰は厳しいものがあるが、
談合は日本の建設業界の伝統に他ならないのではないか。
悪しき伝統を排することは正しいことだという共通認識があるようだ。
すると「伝統の尊重」とは「良い伝統の尊重」という意味だと解釈できる。
「良い伝統を尊重して悪い伝統を排する」ということであれば、
良いことと悪いことの判断基準は伝統であるか否かには左右されないことになる。
「良い伝統を尊重して悪い伝統を排する」を方程式と考えれば、
「伝統分の一(1/伝統)」をかける、あるいは「伝統」で割ることによって、
その方程式は「良いを尊重して悪いを排する」と書き換えられる。
「良いを尊重して悪いを排する」ためには良いことと悪いことを区別しなければならない。
それは伝統によらないのだから今現在生きる我々が考えて決断しなければならない。
つまり我々がなすべきこととは価値判断を誰にも頼らず自分自身で行わなければならないということだ。
その判断が新しい伝統となり受け継がれて行くだろう。
その責任を回避しようとすることこそが伝統に反することであると言える。
我々は伝統の継承者であり破壊者であり、新しい伝統の創造者でもあるのだ。

そう考えていくと新しい教育基本法における「伝統・文化の尊重」という一節は
「価値判断の自主性、創造性」と書き換えられるべきである。
未来を担う若者に回りくどい言い方は教育上よろしくない。
単刀直入に言うべきである。

神問題

2007-02-22 23:26:45 | 雑文
 
 GOD=神
 
 一般的にこのような等式がまかり通っているがこの式は間違っている。
「神」(かみ)とは多神教文化の東アジア地域における一般名詞であるのに対して、
「GOD」は一神教であるキリスト教の唯一神の名前である、つまり固有名詞である
からだ。キリスト教の信者であれば神はGODしかいないのでこの式も間違いとは
言えないが、他の神を想定する必要もないので一般名詞は必要ない。
一般名詞が必要なのは差し示される対象の種類が複数ある場合であり、
多神教文化に特有の単語であるといえる。

 中国における聖書の翻訳の際に、「GOD」を「上帝」とする案もあったようだが
これもまた正しくない。「上帝」もまた一般名詞であるからだ。そもそも
固有名詞を一般名詞に置き換えることそのものが不可能である。
後の時代にイスラム教やユダヤ教が知られるようになり、それら一神教の神は
それぞれ「アッラー」「エホバ」というように固有名詞として訳されたのだから、
「GOD」は「ゴッド」と訳される以外にない。

 英語には多神教における神を表すDEITYという単語があり、我々が「神」という
時にはGODではなくDEITYを表している。「GOD」を「神」と訳したのはつまり
誤訳であり、一神教と多神教の混同である。先に「GOD」は神の名前であると
書いたが正確にはそうともいえない。多神教において神は複数いるので識別する
ためには名前が必要だが、一神教においては神(絶対者)は一人(ひとつ)なので
名前という概念が成立しない、と同時に一般名詞で表される「神」という概念も
存在しないはずだ。

 「GOD」≠「神」
 それはつまり
 「一神教」≠「多神教」
 と書き換えられるかもしれない。
「GOD」を真に理解するにはキリスト教の信者になるしかないだろう。  



2007-01-08 16:46:03 | 雑文
 1.
 夢という言葉は英訳するとdreamである。しかし「夢」と「dream」は同じものを
指し示しているのだろうか。
「夢」は古代から使われている古い言葉である。「ゆめ」という発音は漢字を当てる前
からあったと思われる。明治時代に「dream」に「夢」という訳語を当てはめたのは、
半分は正解だが半分は不正解だろう。「dream」には睡眠中に見る幻覚という現象として
の意味*1と、実現させたい願望という思いとしての意味*2の2種類がある。この二つの
意味は全く別のものであり、「dream」は二つの意味を持つ単語である。それに対して
「夢」という単語には初めの方の意味しかなかったと思われる。つまり「夢」と「dream」は
全く同じものとはいえない。

*以後、「睡眠中に見る幻覚」という意味を*1、「実現させたい願望」という意味を*2で記述する。

2.
 以上のことは私の推測です。詳細なデータを確認してみたわけではありません。私の
知る限りでは江戸時代までのもので、「夢」が*2のような使われ方をしている文献や作品は
見たことがありませんが、私の見聞などたかが知れているので、もしかしたらあるのかも
しれません。そうなるとこの文章は成り立たなくなりますが、そのために研究者になる
わけにもいかないので仮にそうだとして話を進めます。これから自分自身でもその証拠
集めを始めていきますが、もしこの事柄に関する正しい知識をお持ちの方がいましたら
教えて下さい。よろしくお願い致します。

 *ちなみに家にあった「ユリイカ」1979年12月号の「夢」特集号においては、*1として
の意味の夢という指定がないにも関わらず(企画自体にはあった可能性もある)、*2の意味で
「夢」という言葉を使っている人はいませんでした。

3.
 証拠がないにもかかわらずこのような推測に至ったのには理由があります。私自身は
「夢」という言葉を使う時に、*1の意味でしか使うことがないのです(冗談を言ってる
とき以外は)。私の知人にも*2の使い方をする人は思い当たりません。思い出せないだけで
そういう使い方をされた場面があったのかもしれませんが、それにしてもごく稀であった
ことは確かです。メディアにおいて「夢を持とう」などというフレーズを耳にするたびに
私は違和感を感じます。頭では分かっていても体が受け入れてくれないように思われました。
その違和感に気づいてその原因を探し求めた結果、このような推測に至りました。

4.
 「夢(ゆめ)」という言葉に*1の意味しかなかったとしたら、*2の意味に「夢」という
言葉を当てるのは間違いであり、誤訳といえる。「dream」は「夢」の他に、「願い」や
「望み」といったもうひとつの意味がある、というように記述されるべきである。*2の意味に
ぴったり当てはまる言葉は日本語に無かったのであり、その意味で輸入された概念といえる
から、新しい言葉を作って当てる方が理にかなっている。誤訳の結果「夢」という言葉は
輸入された概念を背負わされてしまい、しかも表面的にそれが分からなかった。そのうちに
英文の情報が大量に日本に押し寄せ、*1と*2の混同が甚だしくなってしまったのだろう。

5.
 最近「夢」が*2の意味で使われることが多いように思われます。私はそのように使われる「夢」に
現実味を感じることができません。そして発言者自身もその現実感に確信を持っているように
見受けられない時があります(そうでない人もいますが)。*2が輸入された概念であると
ともに、古来からある言葉に誤って当てられたため混乱に拍車をかけているように思われます。
その混乱を避けようにも*2の意味を指し示す別の言葉が日本語にないため使わざるを得ない。
それを使えば使う程現実感がなくなっていく。「願い」や「望み」ではだめなのは、それも
また*2にちょうどいい訳語ではなかったためでしょう。何か言葉を作らない限り、真に日本人が
「*2」を持ったり、叶えたりすることはできないのです。しかし*2のような考え方は有用
でもあると思うので、*2に相当する言葉を早急に作り、それを持ったり叶えようとして努力
したりする人に便宜をはかるべきではないでしょうか。
 
皆さんはどう思われますか?



 追記
 以上の文章に事実と違うところがあったら、ご指摘頂けると大変ありがたく思います。
この問題に関してはこれから自ら文献などをあたってデータを集めていきます。





 

新曲

2006-12-29 01:19:16 | 雑文
東京トリックスタ

不可能だと言われた そんな時代だ
だがそれは時代のせいにしてはいけない
時代なんて本当は 関係ないからだ


生き物 生まれたての生き物 そこら中を這いずり回る
人間という名前の生き物 寸鉄 東京トリックスタ
存在の不条理故に俺の発言は誰にも止められない
上も下もない宇宙空間 頼れるのは己の直感
兼ね備えてるものが強いんだ お前は光であり闇なんだ
さかのぼれば一つになるさ あれは46億年前
生き別れた兄弟が集う 言葉と音のゲリラ活動
いつか死ぬその瞬間まで 実験室の扉よ開け

仕事中俺は眠ってる 通勤列車の中で夢見る
真夜中には起き出して歌う 昼間の俺が夢見たことを
東京にエマージェンシーコール 地下街から届く臨時ニュース
東京の新しい男 寸鉄からお届けしましょう
競争社会のゴミ捨て場 補償額はまた切り下げられた
金がなくなってうろがきた 過去の栄光名誉白人
自分だけは助かりたいと 登って行けば切れる蜘蛛の糸
弱いやつをたたいて得る安心感 地獄行き最後の審判

こんなもの食えるか 代わりに俺が出してやる 一服盛ってやる
ハーブたっぷり効かせて 両手いっぱいの花に くずおれて眠れ
この世が黄昏れ始めても トリックスターは遊んでる
世界は巨大な知恵の輪さ 解きほぐしてパーツを解き放て
何者でもない ただのもの 何時だか知らないけど 今
理由なく意味なく でもここにある 魂は言葉で描けない
信じて疑え この言葉さえ 「あ」から「ん」まで嘘だらけ
目で見て触れて匂いを嗅げ 感じる時言葉は沈黙


2006-10-23 16:39:39 | 雑文
死というものが絶対的な悪のように扱われる。
はたして死は忌み嫌われるべきものだろうか?
死というものは生命活動の終わりを意味する言葉である。
死という言葉は生命体における現象を表している。
死が現象であるということは、死というものは概念であって実体ではないということだ。
実体でないものはそれ自体単独で悪さをしたりすることはない。
死は他の様々な要素と混じりあっている。
その最大のものが生である。
そもそも誕生することがなければ死ぬことはない。
死ぬためにはまず生まれなければならない。
生命活動という現象を別の角度から見れば生と死になる。
かつて死から逃れた生命体はない。
太陽もいつかは燃え尽きる。星さえも必ず死ぬ運命である。
生と死は常にワンセットであり分離できない。
死を遠ざけようとすれば必然的に生も遠ざかってゆく。
死の実感が希薄なところでは生の実感も希薄であるはずだ。
生を強く実感することができないのは生命体として不幸だといえないだろうか。

個体は生命活動をできるだけ長く維持しようとする本能を持っている。
それは正しいことである。
しかし生命活動は必ず終わるものである。
それを忌み嫌うのは間違いである。
出過ぎた傲慢である。
何よりも生命という恵みに対する侮辱である。
我々には感謝の気持ちが足りなくないだろうか。
余命一年を宣告された人が生の意味に気づき、
人が違ったように生命体としての充実をはかろうとするという話を聞くことがある。
しかし一年後と何十年後と本質的にどこが違うのか。
特に違いはない。我々はもう少し生きたら必ず死ぬのである。

中世ヨーロッパでは「メメント・モリ」(死を思え)という言葉が使われた。
それは死を賛美するのではなく、
より生命を充実させるために使われた言葉だ。
その知恵を受け継いで行きたい。