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葦守八幡宮 兄媛えひめ・黒媛   2016.01.08 「255」

2020-12-24 17:34:39 | 歴史

葦守八幡宮 兄媛えひめ・黒媛

 

   

   

 1.神武 7.孝霊 10.崇神 12.景行 15.応神 16.仁徳 21.雄略 33.推古
7    孝霊      温羅伝説
 

12  景行天皇 × 稲日大郎姫いなびおおいらつめ 日岡陵古墳   加古川  播磨稲日大郎姫

15 応神   ×兄媛えひめ          葦守の宮    足守

16 仁徳  × 黒媛             葦守の宮    足守

21 雄略天皇 × 稚媛                         両宮山古墳   山陽町

日本書紀の卷第十・譽田天皇紀の五.追隨妃兄媛歸省之吉備行幸に「庚寅、亦移居於葉田葦守宮時御友別參赴之」とある。

これによれば、応神天皇が帰省した妃の吉備兄媛を追って応神天皇22年9月に行幸し、葉田葦守宮で兄媛とその兄・御友別命に饗応を受けたとされる。

御友別命はこの行幸地に天皇の死後、天皇の遺徳を偲んで祭祀し葉田葦守宮を設けた。これが葦守八幡宮の始めであるとされている。

応神王朝では、初代の応神、二代目の仁徳の二代にわたって、吉備からやって来た妃が国へ帰るのを追って天皇が吉備にまで出掛けている。

 ①日本書紀によると、応神天皇は、その二十二年、大隅宮の高殿に登った時、側にいた妃の吉備の兄媛(えひめ)が嘆息したので訳を訊ねると、久しく故郷に帰っていないためだと云う。

天皇はその心をいとしみ、兄媛を故郷の吉備に送り返す。

しかし、天皇は兄媛に会いたくなり、狩りと称して淡路に出掛け、淡路から小豆島を経て吉備に至り、葦守宮(あしもりのみや)に滞在して、

兄媛の兄の御友別(みともわけ)らの饗応を受ける。

天皇は吉備を分割して御友別の兄弟や子供たちに分け与える

 

  

  

    

 
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