「個々の生物は決まった寿命があり、次の世代に繋ぐ遺伝子を複製して次の代へと持続するための乗り物に過ぎない。」と誰かが言っていた。
個々には寿命あり、死が確実にある。
いま2013年 私は 64歳だ。 1949年生まれた時はまる裸だつた。
孫の生まれた時の写真を撮って観てもそう思った。
生まれた時はまる裸ということはどういうことだろうか?
当たり前の理由を幾つ言ってもしょうがない.何かそこに大きな謎がありそうだ。
何かそこに答えがありそうだ。裸で生まれ、裸で死ぬそして灰になり自然に帰る。
その間、生きるとはどういうことなのか?死ぬとはどういうことなのか? 2022.6.1
戦前の日本人はいつも死を意識してい生きていたと思う。生き恥をさらすなと…
戦後、全く価値観が変わった。如何に裕福に楽しく生きるかその為には金銭が重要になってくる。
あまりにも日本が平和呆けして死を直面しなくなつた。
また、覚悟をもって、死を直面した生き方ができなくなった。2022.6.3
今の日本人の教育はいい消費者になるための消費者教育だ。
現代人は社会にでていい地位つき、いいサラリーをもらい。
人よりいいものをもち、裕福になることそれが大半現代人の夢である。
その夢の終着駅が孤独な独居老人だ。2022.6.5
孤独死その老人の家族はどこにいったのであろうか?
何か日本の家族社会がおかしくなっている。
この日本列島で日本人たる文化をもつ家族が崩壊しょうとしている。
人類はアフリカから20万年前誕生して、この地球上にあっという間生息した。
日本列島に3万8千年前に狩猟採集の縄文人が生活していたのは確かである。
それは何故か…
人類は社会の最小単位の家族の助け合いで生活して子孫を増やしていったからだ。
その最小単位が崩壊しつつある。
たぶん私も死ぬまで生きるとおもう。
これからはの子孫はどうなるだろうか?
私はこれからはいかに死ぬかが問題だ死ぬことは生まれことより難しい。
死に方は自分の意志を示せるからだ 。
生まれることは自分の意志以外で決定ずけられていると思う。
ある脳科学者の言葉ではないが新たなものにでくわすためには、
ひとつのことを繰り返し繰り返し試みることが必要だ、
その繰り返し辛抱強く努力していくと、god神がおでましになる。
新しい心境、発見、悟りが見えてくる。
つまらないことでも繰り返し繰り返し試みることが必要だ。
この世の仕組みがイメージできると思う。
自分が正しいと思うことは覚悟をきめて一途に求めていくと、新しい境地に出逢えると思う。
先人が通った道をまた通って自分の脳細胞で新たな発見と創造できる楽しみもある。
そのためにも自分がもってたものを徐々に捨てる必要がある。
また自然になくなるものもある。
なるべく軽く軽く。
いつでも飛んでいけるように....捨てることが必要になる。
この世はまんざら悪くもない。
自分が幸せになり隣人の幸せの連鎖を創ろう。
負の連鎖をなくそう。
小乗から大乗へ
死は生の一部
生きることはときを刻むこと
諦める知恵を持とう
自然『神』は何をこの世に残そうとしてるのか?
「死は生の一部」感じ入ります。
失礼致しました。今宵はこれにて。