昨日は、日本国憲法の施行から77年となる憲法記念日だった。多くのメディアなどが日本国憲法に関する世論調査の結果を発表し、論評した。
NHKも同調査結果を発表した。
NHK NEWS WEB2024.5.3「NHK世論調査 憲法改正 「必要」は36% 「必要ない」は19%」
この中で、「憲法9条の改正」に関する質問に対して、「必要ある」は31%、「必要ない」は29%、「どちらともいえない」は35%だった。
ここで気づいたことを2点だけ、以下に述べる。
第1点。「必要ある」の割合は、2022年調査からほとんど変わらないが、2020年(26%)と2021年(28%)に比べると増えている。
第2点。ここには2つの事柄が含まれる。
その1。今年(2024年)の調査についてしか分からないが〔*調べれば分かるはず〕、「必要ある」の理由として、そのうちの8%が「軍事力の放棄 明確に」と回答している。要するに、「憲法9条の改正に賛成」の中には「軍事力保持」に関して正反対の考えの人が混在している、ということだ。
その2。「必要ない」の理由として、13%が「解釈の変更で対応できる」と回答している。要するに、2014年以降の「憲法骨抜き」の手法を採り続ければよい、ということではないか。ここでも、上記「その1」の場合と同様に、「軍事力保持」に関して正反対の考えの人が混在している。
戦後一貫して「集団的自衛権〔*自国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも拘わらず、実力をもって阻止する権利〕の行使はできない」と政府解釈してきたにも拘わらず、安倍晋三政権は憲法を改正することなく、2014年にそれを「一部容認」する閣議決定を行ない、翌年にはそれに基づく安保関連法(安保法制)を強行に成立させた〔*ただし、「一部容認」部分は、本来は「ありえない」ケース。当ブログ2024.4.27「立憲民主主義を無視した日米安保一筋」参照〕。「解釈の変更で対応できる」との考えは、同様の手法への賛同だろう。
以上の諸点を考えれば、この「必要ある」「必要ない」の割合(%)だけを見ていても、人々の安全保障観や立憲主義観は見えてこない、と思うのだ。
私が以前から述べているように〔*多くの憲法研究者らの「受け売り」の部分も多いが〕、第一にあるべき論点は「立憲か非立憲(壊憲)か」であり、第二の論点として「護憲か改憲か」があるべきなのだ。以下参照。
当ブログ2016.4.30「樋口陽一&小林節『「憲法改正」の真実』から学ぶ」
同2016.5.4「「立憲か非立憲か」こそが最初の論点では?」
同2017.6.6「壊憲(かいけん)を正さずして改憲を論じる愚」
上記「2017.6.6」でも述べたが、私は立憲派ではあるが、究極的には「護憲派」ではない。本来は、国民の間で〔*国会での議論を含む〕論点を出し合って熟議し、その上で憲法の規定に従って改憲するというなら、反対する理由はない。
だが現実は、「本来」とは正反対の道、ゴマカシの「非立憲・壊憲の道」を突き進んでいる、と言わざるを得ない。これは「必要は法など知らず」〔*法より必要性を重視する〕の道だが、都合よく「必要だ」と主張しているに過ぎない。
もし「必要だ」と考えるなら、改憲によってそれを実現する道を採るべきではないか。「切迫した安全保障環境下で、それでは間に合わない」との主張には、説得力がない。2014年以前の政府解釈でも、現在の解釈でも、「個別的自衛権の行使」は認められているのだから。問題なのは、「集団的自衛権の行使」のほうだ。
以上を総合して考えた場合、現状での改憲には、やはり賛成できない。非立憲状態〔*特に9条を屁理屈で真逆に〝解釈〟〕の下で9条を中心に改憲すれば、さらなるゴマカシの(恣意的な)拡大解釈が為されるのは目に見えている。
「憲法を守って国が滅んだら、どうするんだ?」との主張もよく聞くが、「憲法を蔑ろにして国が滅んだら、どうするんだ?」となぜ考えないのか。長年の試行錯誤の末に築かれた立憲主義を粗末に扱ってはならない、と思うのだ。
NHKも同調査結果を発表した。
NHK NEWS WEB2024.5.3「NHK世論調査 憲法改正 「必要」は36% 「必要ない」は19%」
この中で、「憲法9条の改正」に関する質問に対して、「必要ある」は31%、「必要ない」は29%、「どちらともいえない」は35%だった。
ここで気づいたことを2点だけ、以下に述べる。
第1点。「必要ある」の割合は、2022年調査からほとんど変わらないが、2020年(26%)と2021年(28%)に比べると増えている。
第2点。ここには2つの事柄が含まれる。
その1。今年(2024年)の調査についてしか分からないが〔*調べれば分かるはず〕、「必要ある」の理由として、そのうちの8%が「軍事力の放棄 明確に」と回答している。要するに、「憲法9条の改正に賛成」の中には「軍事力保持」に関して正反対の考えの人が混在している、ということだ。
その2。「必要ない」の理由として、13%が「解釈の変更で対応できる」と回答している。要するに、2014年以降の「憲法骨抜き」の手法を採り続ければよい、ということではないか。ここでも、上記「その1」の場合と同様に、「軍事力保持」に関して正反対の考えの人が混在している。
戦後一貫して「集団的自衛権〔*自国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも拘わらず、実力をもって阻止する権利〕の行使はできない」と政府解釈してきたにも拘わらず、安倍晋三政権は憲法を改正することなく、2014年にそれを「一部容認」する閣議決定を行ない、翌年にはそれに基づく安保関連法(安保法制)を強行に成立させた〔*ただし、「一部容認」部分は、本来は「ありえない」ケース。当ブログ2024.4.27「立憲民主主義を無視した日米安保一筋」参照〕。「解釈の変更で対応できる」との考えは、同様の手法への賛同だろう。
以上の諸点を考えれば、この「必要ある」「必要ない」の割合(%)だけを見ていても、人々の安全保障観や立憲主義観は見えてこない、と思うのだ。
私が以前から述べているように〔*多くの憲法研究者らの「受け売り」の部分も多いが〕、第一にあるべき論点は「立憲か非立憲(壊憲)か」であり、第二の論点として「護憲か改憲か」があるべきなのだ。以下参照。
当ブログ2016.4.30「樋口陽一&小林節『「憲法改正」の真実』から学ぶ」
同2016.5.4「「立憲か非立憲か」こそが最初の論点では?」
同2017.6.6「壊憲(かいけん)を正さずして改憲を論じる愚」
上記「2017.6.6」でも述べたが、私は立憲派ではあるが、究極的には「護憲派」ではない。本来は、国民の間で〔*国会での議論を含む〕論点を出し合って熟議し、その上で憲法の規定に従って改憲するというなら、反対する理由はない。
だが現実は、「本来」とは正反対の道、ゴマカシの「非立憲・壊憲の道」を突き進んでいる、と言わざるを得ない。これは「必要は法など知らず」〔*法より必要性を重視する〕の道だが、都合よく「必要だ」と主張しているに過ぎない。
もし「必要だ」と考えるなら、改憲によってそれを実現する道を採るべきではないか。「切迫した安全保障環境下で、それでは間に合わない」との主張には、説得力がない。2014年以前の政府解釈でも、現在の解釈でも、「個別的自衛権の行使」は認められているのだから。問題なのは、「集団的自衛権の行使」のほうだ。
以上を総合して考えた場合、現状での改憲には、やはり賛成できない。非立憲状態〔*特に9条を屁理屈で真逆に〝解釈〟〕の下で9条を中心に改憲すれば、さらなるゴマカシの(恣意的な)拡大解釈が為されるのは目に見えている。
「憲法を守って国が滅んだら、どうするんだ?」との主張もよく聞くが、「憲法を蔑ろにして国が滅んだら、どうするんだ?」となぜ考えないのか。長年の試行錯誤の末に築かれた立憲主義を粗末に扱ってはならない、と思うのだ。