プラス・マイナスエネルギー研究所ブログ

お問合せ:TEL&FAX098-930-6945 仲本 兼勇

ふりそそぐプラスエネルギー

戦争はなぜ起きるのか

2016年07月31日 | 日記
私たちの人間社会では、いつの時代でも人間対人間の戦いや争いは起きています。

心の自由の勘違いは、権力の争いへと繋がっていくのです。

個人対個人の争いならともかく、国対国の戦争に発展しますと、大勢の人間が大切な命を失うことになります。

直接命を奪われた戦死者以外に、戦争により心に傷を負う人たちは、直接戦死者の何十倍、何百倍にも達します。

その様な人たちの悪想念が邪気エネルギーとして、戦争責任者へと送られるのです。

戦争責任者たちの魂は大変な邪気エネルギーの曇りで覆われる事になり、四次元世界へ行きますと、永遠の苦しみが続く事となるのです。

権力者たちが自らの権力の保持の為に、他人の修行のチャンスを奪うと云う事は、それなりの覚悟が必要だという事です。

戦争が起きると云う事は、権力者たちの自由な心の中から起こる事ではないでしょうか。

これは自由な心の勘違いから起こる事です。











心の自由の勘違い

2016年07月31日 | 日記
神は、私たち人間に自由と云う心を与え、人間性を試しているのです。

人間の自由には、色々な自由があります。

言論の自由、行動の自由、権力の自由等々、沢山の自由があります。

しかし、他人に迷惑になる事は、自由であっても許される事ではありません。

なぜなら、全ての人は皆平等なのです。

心の自由を勘違いして、だから何をしても勝手じゃないか、何を言っても勝手じゃないかと自由気ままに言動や行動をしている人間が多い事も、また、事実です。

例えば、力関係で強い人と弱い人がいます。

男性と女性では、どうしても女性は力関係では劣ります。

あるいは、仕事上での上下関係、又は、学問の道でも政治の道でも上下関係はあります。

上の人間が下の人間に力で圧力を掛けたり、暴言を吐いたり、心を傷つける事は、神の法では許される事ではありません。

この様な事をしますと、心の中に邪気波動を造り魂全体を邪気の波動で覆うことになります。

もし、その様な事になりますと、人間の肉体はいつか必ず消滅をし、魂だけの世界へと行く事になります。

その時に、魂に邪気波動が少しでもありますと、邪気波動は邪気波動同士が同調しますので、邪気界へと行き、真っ暗闇の世界での修行となるのです。

正気の明るく気持ちの良い天国の世界へ行くのが良いのか、地獄の真っ暗闇での修行が良いのか、これもまた自由と云う事です。










親が子を殺したら、子が親を殺したら

2016年07月31日 | 日記
最近我が国日本では、親が我が子を虐待して殺す、逆に子供が親を殺すと云う事件が多発しております。

これ、全て親の責任です。

どんな事情があるにせよ、親が子供を殺す場合は、親の我儘であると思います。

親自身が、人間として本当の人生の生き方、修行の仕方が知らなすぎるからではないでしょうか。

人間が何の為にこの世に産まれてきたか、そして、何のために生きているか、親もまた、その親から教わっていないからではないでしょうか。

世の中があまりに便利になりすぎて、何でも金さえ出せば手に入る時代です。

昔の人たちは、我が子の幸せの為に、一生懸命に子育てに必死でした。

それこそ余計な事を考える余裕さえもなかったのです。

今も昔も我が子を思う親の心は変わらないと思います。

しかし、今の親たちは心の余裕がないのではないかと思います。

もし、人生に切羽詰まって我が子を殺したり、虐待をしたり、子供に恨まれる様になりますと、死んだ後は大変なことになる事を覚悟せねばなりません。

この世の法律では、刑務所で長くて十~二十年刑に服すれば済む事かもしれません。

しかし、死後の世界ではそうはいきません。

永遠に地獄の世界で苦しみが待っているのです。

他人の修行の機会を奪う事ですから、神の法では大変に重罪です。

永久に地獄の世界へと、自らの心で裁くのです。

決して神が裁くのではありません。

一時の迷いとはいえ絶対にあってはならない事です。

また、子供が親を殺すことも同じ事と言えるでしょう。

親が心から愛情をもって子育てをするならば、絶対に家庭内での殺人事件は起きないはずです。

親が我が子に対して期待を持ち過ぎたり、親の見栄でプレッシャーを掛け過ぎたり、この様な事は本当の愛情ではない様な気がします。

子供も一人の人間です。

平等に生きて、修行をする権利があります。

親の持ち物ではないと云う事です。

子供が親を殺すことは、その子供の心を育てたのは親です。

親は子供が自分自身で、心をコントロール出来る顕在意識を育てる事が、大切ではないでしょうか。

子供の人生の幸せの為に、顕在意識を確立する大切な躾の教育を、手抜きしないで、立派に行う必要があるのです。










プラスエネルギー界での修行

2016年07月30日 | 日記
私たちの魂は、まずはプラスエネルギー界である天国へ行く事が先決です。

天国の世界へと行きますと、楽しい世界での修行が永遠に続いていくのです。

しかし、天国という世界は永遠に楽しい世界での修行でありますが、魂のレベルアップには大変に長い時が要するのです。
(四次元世界では時間はありませんので、あえて、時と表現させていただきます。)

私たちが生活している地球上では、一日は二四時間、一年は三百六十五日と云う時間があります。

三次元世界である地球上で肉体を持っての修行は、寿命が尽きるまでですが、魂だけの四次元世界では、寿命がなく、時間の必要がありません。

ですから、四次元世界で一生懸命修行をしても、この地球上で肉体を持っての修行の何百倍、あるいは何千倍、何万倍の長い時が必要になります。

ですから、この地球上に降りて肉体を持っての修行となるのです。

なぜなら、人間として肉体を持つと、命の保証もなく、肉体を維持して行く為には大変な苦しみの中での修行になるからです。

この様な苦しみの中での修行は、大変に魂のレベルアップにもなるわけです。

私たちの人生は、一寸先は闇です。

何年生きられると云う保証は誰にもありません。

厳しい修行であるからこそ、神に近づき、神界レベルに達するまでの修行を、この地球上では僅か百年足らずで、達成可能なのです。

プラスエネルギー界での修行は、死ぬという事もなく、肉体を維持する必要もありません。

もちろん肉体がないから寝る必要も、食べ物を食べる必要もありません。

ですが、天国の世界でもみんな一生懸命に修行に励んでいるようです。

天国界での魂の修行とは、地獄界で一生懸命に修行に励んでいる魂達を見渡して、救える魂達を一魂でも救い上げる事が、彼らの修行であるかと思われます。

私たち人間は、肉眼で相手の肉体は見えますが、肉体のない魂だけの世界では、心の目で相手の魂の光の具合を見て、反省をしているか確認をして、救い上げるのです。

それが天国での魂のレベルアップにつながる修行だと思われます。

一生懸命に修行をして、少しでも神に近づけるように努力をするのです。











昇天への道

2016年07月30日 | 日記
天国と言われている世界、つまり、プラスエネルギー界へ行ける魂達は、人生において素晴らしい行為行動を貫いて、生きて来られた方たちです。

それ以外の人たちは、プラスエネルギー界は遠い道ではないかと思います。

なぜなら、人間には自由という心があります。

その自由という心を持つと、勘違いする人間が多いという事です。

例えば、人間の心には限りない欲望や見栄やプライド、他人に対する差別心が生まれます。

この様な心は、全て魂にマイナスエネルギーを呼び込む心なのです。

私たち人間は肉体があるから、この様な心を持つのです。

この様な心は、執着心と云い魂全体を曇らす心でもあります。

死を迎える時には、全ての執着を、この世に捨てる事が必要です。

執着を捨てるには、人生を反省する以外に方法はありません。

人間、肉体を持っている以上、遅いという事はありません。

全てを反省し、私たちの魂は、神の子であることを強く認識することにより、魂を覆うマイナスエネルギーは少しずつ晴れて来る事でしょう。

全てのマイナスエネルギーが晴れたときには、心の中にプラスエネルギーが充満して、魂全体が光に包まれたときに、プラスエネルギー界へと自ら昇天していくのです。

また、それ以外の人たちは、残念ながらマイナスエネルギー界で反省するまで、暗闇の中での修行となるのです。
人間は心の持ち方で、全てが決まってくるのです。

みんなが素晴らしい心を持つ事で、地球の平和が保たれ、後世に素晴らしい地球を残すことが、人間としての責務でもあるのです。

魂の親である神が、一番望む事です。









家畜動物の場合

2016年07月29日 | 日記
人間がこの世を生きて行くためには、昔から動物の肉を食べて、現在まで生命を維持して生き延びて来られたのです。

動物の肉はおいしくて、栄養も豊富で、良質なタンパク源でもあるのです。

人間が寿命を全うするには、栄養のバランスを考えて、摂取する事が必要です。

その為には、動物の肉も大変重要で、動物たちは人間に対して、非常に貢献してくれています。

家畜動物たちも、この世に産まれてきた以上、寿命を全うして、修行をする事が目的のはずですが、人間の為に食されて、人間の血となり肉となり骨となる事も、彼等なりの修行でもあるのです。

ですから、人間は彼ら家畜動物に対し、心から感謝する事を忘れてはいけません。

人間が彼ら家畜動物に対し、感謝する事は、人間自身の心にプラスエネルギーを呼び込む事でもあります。

人間が彼ら家畜動物に対し、感謝する事は、彼等もまた、人間に食される事が本望なので、人間に食されても、人間を恨む事はありません。









人間の心を癒すペットたち

2016年07月29日 | 日記
人間がこの世を生きて行く為には、ストレスとの戦いだと言っても過言ではないでしょう。

人間が肉体を持って生きて行く為には、普通は仕事をして、お金を稼がないと生活が成り立ちません。

その為にいろいろな悩みが生じて来ます。

職場での人間関係や家庭内での悩み、学校での友達関係、男女の恋愛関係、勉強での悩みや将来の悩み、全ての人間が、大なり小なり、この世を生きる為に悩みを抱えているのが人間なのです。

これが現代人の姿であり、つまり、人間は皆な、我儘なのです。

ですから、そのストレスを段々と心に溜めていき、そのストレスをペットに癒してもらうのです。

しかし、ペット側からすれば、大変迷惑な事かもしれません。

人間の肉体的精神的ストレスを、一言も文句を言わずに癒すわけですから。

彼らは元々、野生の動物ですが、人間に食べ物を与えられて、野生の厳しさを知らずに生きて行くことが出来るので、一言も文句を言わずに、ご主人様に尽くしているのです。

それでもペットたちの魂は、余計な欲望も無く純粋で、マイナスエネルギーは一切ありません。

全てプラスエネルギーですから、人間のストレスのマイナスエネルギーを、癒すことができるのです。

しかし、彼らも元々は野性の習性を持っています。

小さな狭い場所での生活は、彼らもストレスが溜まるはずです。

その証拠に、人間並みの病気で苦しむペットたちもいます。

しかし、ペットたち動物にはマイナスエネルギーがありませんので、肉体の死を迎えた時には、プラス界へと昇天して行くのです。

彼らに感謝を忘れずに。










人間に害を及ぼす動物たち

2016年07月28日 | 日記
動物の中には、人間の生活において、害を及ぼし、嫌われている動物もいます。

しかし、この事は動物が悪いのではなく、すべて、人間が悪いのです。

例えば、観光地の猿とかは、人間のエゴで、餌を与えるからではないでしょうか。

猿も、この世に修行の為に、産まれて来ているのです。

山で、厳しい生活をしてこそ、本当の動物としての修行であるのです。

その厳しさを、親から教わっているはずです。

その生きるという厳しさを、人間が餌付けをして、楽に餌にあり付ける様にしたのです。

動物も楽な生き方が身に付くと、厳しい生き方を忘れてしまい、人間が持っている食べ物を襲ってでも取る事を覚えさせたのは、人間です。

今更止めさせようとしても、彼らには通用しません。

この事は、人間が彼らの修行を奪った事にもなるのです。

害鳥と言われているカラスも、人間が彼らの餌となる生ゴミを置くから、山の厳しさを忘れて人間に害を及ぼし、嫌われるようになっているのではないでしょうか。

また、人里に出没して、人間が丹精を込めて作った野菜や作物を食い荒らす熊たちも、本当はかわいそうな動物たちではないでしょうか。

なぜなら、人間のエゴで彼らが住む山林を開拓して、山に彼らが生きて行くだけの餌がないばかりに、人里に出没して人間に嫌われ、命まで落とす熊やほかの動物たちもいるのです。

全て、人間のエゴから発生した事ではないでしょうか。

動物たちも、この世に産まれてきた以上、人間同様に生きる権利があります。

今からでも、動物たちとの共存を、真剣に考えて行くべきではないでしょうか。








野生動物の世界

2016年07月28日 | 日記
野生動物の世界は、人間社会と違って、弱肉強食の世界です。

力の強い動物が、力の弱い動物を殺して食する事は、当たり前の世界です。

しかし、どんなに力の強い動物でも、お腹が満腹の時は、目の前を獲物(力の弱い動物)が歩いても、やたらと殺して、食べたりはしません。

なぜなら、動物たちの魂には、生きるための食欲本能と、種保存の本能しか、与えられていないからです。

彼ら動物たちの魂には、余計な欲望がないから、魂には、マイナスエネルギーが無く、汚れていません。

動物たちの世界では、仲間同士のいじめや、差別をすることが無く、人間界の様な、自殺すると言う様な、自由な心も無く、綺麗で純粋な魂を持っています。

動物たちは、この世に産まれたなら、寿命が尽きるまで生き抜くだけです。

彼らの世界は、非常に厳しい世界でもあり、その事を産まれながらに親から教わって育ちます。

動物たちの魂は、死後、彼らの天国であるプラスエネルギー界へと行くのです。

しかし、例外の動物もいます。

それは、人間のわがままで、虐待死させられたりして死んだ動物たちの魂は、人間に対し、非常に恨みの念を持つ様になります。

恨みの念は、非常に強い邪気であり、彼らの魂にマイナスエネルギーを呼び込み、地獄といわれる彼らのマイナスエネルギー界へ行く動物たちもおります。

動物を虐待した人間は、彼らからマイナス波動を受けますので、そのままでは、将来マイナス波動界へと落ちて行きます。

ですから、絶対に動物を虐待してはいけません。

また、交通事故の犠牲となり即死した動物たちは、人間同様に肉体の死を魂が認識することが出来なく、事故現場に残ることがあります。

すると、動物の魂も、時が経つにつれて、いろいろな動物霊に化けて、人間に憑依したり、また、呪縛霊となり、この地球上で迷って、彼らのプラスエネルギー界、つまり、天国界へは行けない魂たちもいるのです。

動物の魂は、この世で修行を積んでも、彼らの魂は、人間の魂にはなれません。









幸せに生きるには

2016年07月28日 | 日記
私たち人間が肉体を持つと、幸せの基準は様々で、幸せに対する考え方は、みんな違います。

お金や物を基準で考える人や、心を基準で考える人もいるでしょう。

その価値観は、みんな違って当たり前です。

なぜなら、人間の心は自由だからです。

私が思うには、本当の幸せは、心が基準でなければいけないと思います。

お金や物が基準だと、これは人間が持つ欲望にしかすぎません。

金銭欲や物欲には、限度がありません。

この様な欲望は、本当の幸せではなく、一時的な幸せに過ぎません。

なぜなら、お金や物に対する幸せは、人間がこの世に生きている期間だけに過ぎません。

お金や物は、いつかは無くなるものですが、私たちの魂は、寿命の期限がなく、永遠です。

この地球上の物は、何一つ、四次元の世界へは持っていく事が出来ません。

お金や物は生きている時は大切な物ですし、なければ生きて行く事は出来ません。

生きていなければ、修行は出来ませんが、お金や物が多くあり過ぎると、心の中に執着が起こります。

心に執着を持ったまま四次元世界へ行きますと、執着は邪気エネルギーですので、邪気界のエネルギーと同調して、地獄界へ
自ら行き、そこでの修行となるのです。

これが、本当の幸せと言えるでしょうか。

本当の幸せとは、心の幸せではないでしょうか。

また、心の幸せも、人間みんな考え方が違いますし、幸せには定義がないのです。

しかし、心の幸せは、四次元の世界へ持って行く事が出来ます。

私たち人間の寿命は、約百年ぐらいです。

地球時間の百年は、有限です。

有限の幸せより、無限の幸せの方が私個人としては、遥かに良い事だと思います。

どちらを選ぶかは個人の自由です。

みんなで無限大の幸せの世界へ行けるように、努力しましょう。









地獄へ落ちた身内や大切な人の魂を救う

2016年07月27日 | 日記
私たちの魂は、元々四次元の正気エネルギー界である天国と言われる世界から、五次元の神界へと魂のレベルアップを図るために、この地上へ肉体を持って、降臨してきます。

なぜなら、地球上の三次元世界のほうが、四次元の世界より遥かに短い期間で、効率的に修行する事が可能だからです。

人間、不便な肉体を持つと、この世を生きて行くために苦しみや悲しみの中に楽しさもあり、色々な事を実感しながら生きて、修行をする事が、この地球上で魂の進化レベルアップを図る価値があるのです。

しかし、人間は自由な心を持つと、この世に生まれて来た目的も知らず、自分勝手な生き方や、他人に迷惑行為をしても反省する心もなく、自由な心で間違った生き方をする人間があまりにも多すぎます。

その様な生き方をすると、魂の中の心に邪気を呼び込むことになり、暗闇の世界の地獄界へと行くのです。

もし、私たちの先祖や身内の人間が、地獄界で苦しんでいるとしたら、助けてあげたいと思うのが、残された身内の心情でしょう。

その様な先祖や身内を救って天国へ昇天させるのも、残された人間の立派な陰徳を積む事にもなるのです。

供養の仕方について、この地球上の物であるとか、お経をあげても、所詮地球上の物は地球上でしか通用しないという事です。

肉体のなくなった魂達には、意味がないのです。

地獄というマイナス波動の世界にいる魂を浄化するには、プラス波動のエネルギーで説得するしかないのです。

肉体のない魂は、プラスエネルギーに対して非常に素直に反応します。

魂の意識が素直に理解して、説得に応じて、天国界へと昇天していきます。

プラスの波動は、四次元世界では距離や時間に関係なく、瞬時に相手に届きます。