Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

「弱者救済策」でなく「トラスト」を守るために格差拡大を批判する・・・『ゴー宣・暫』より

2007-10-16 | 構造改革
『ゴー宣・暫 第二巻 第五幕第一場 「弱者救済策」でなく「トラスト」を守るために格差拡大を批判する』より、一部引用

単に「弱者救済」のサヨク的な立場ではなく、日本の「エートス・魂」を守りたい立場から、格差拡大がなぜいけないのかを、まず簡略に述べておく。それは共同体崩壊によって、個人のエートス・倫理模範が揺らぎ、安定が損なわれ、日本社会の高密度の「トラスト(信頼)」が消失し、国民の活力が縮小するからだ。(45頁)


 高度成長期の、普通の人であれば誰でも正社員となって、そこそこの給与を貰えるような時代から、サヨクは、「弱者救済」「弱者救済」と唱え続けていました。もちろん、本当の弱者もいたでしょうが、そこそこ働けるのに、「弱者」になり済まして働かずに生活する「なり済まし弱者」というのもその頃は多かったのかも知れません。

 今の弱者は、高度成長期とは異なり、そのほとんどが「本物の弱者」であるにもかかわらず、サヨクが信用を失墜した今、サヨクの言説の全てが否定されるようになり、もう国民の多くは「弱者」と聞いても、「なり済まし弱者」や「競争に勝とうと努力しない怠け者」という風にしか受け取らないようになってきました。

 特に改革を支持する自称保守は、その傾向が強いようです。「負け組は勝手に死になさい」とでも思っているのかも知れません。本当に窮乏している人に対する惻隠の情というものが感じられません。政府自民党に都合の悪い話は全て左翼のプロパガンダとして聞き流すだけです。小泉純一郎に感化されて、大層ご立派な「鈍感力」を身につけられたようです。今や、「弱者救済」というスローガンなど彼らにとっては、「馬の耳に念仏」というしかありません。

 さて、小林よしのり氏は、「格差拡大批判」を今までのサヨク的「弱者救済」でなく「トラスト」を守るためだと説いています。

 社会学者のデュルケームは、「アノミー(社会秩序が乱れ、混乱した状態、無規範)」という言葉を用いて、「社会の規制や規則が緩んだ状態においては、個人が必ずしも自由になるとは限らず、かえって不安定な状況に陥る」と説きましたが、「トラスト」とは、そのような「アノミー」と相反する概念を表したものと私は判断しました。

家族という共同体 地域という共同体 会社という共同体 すべてが自民党の経済政策 特に小泉・竹中によって決定づけられた改革路線によって崩壊に向かっている (47頁)


 戦前の日本には、「地縁による共同体」というものがあり、それが、相互扶助の役割を果たしてきました。戦後、都市化によりこのような「地縁による共同体」が弱体化した後は、会社が疑似的な共同体になりました。

 社会というのもが安定するためには、「共同体」という「相互扶助」の役割を果たす存在というのものが欠かせないわけですが、「利害打算」のみしか語らない「改革論者」たちにとっては、このような存在というものは、遅れた日本の象徴であり打破すべきものにしか見えないのでしょう。

「外国に比べれば飢え死にする者がいない日本には格差などない」(註 馬鹿保守の発言)
馬鹿保守は鈍感保守なのだ。
感性が鈍いから飢えてるか否かでしか、判断できない。
しかも彼らは外国だってちゃんと見てもいないのだ。 (47頁)


外国の下流層は「一神教」を信じていて、人生や生活の価値判断を神との対話で行っている。共同体への帰属、一神教への帰属意識が彼らの「生きがい」を形成しているのだ。
だが日本には「一神教」はない。家族・地域・会社などの共同体への帰属意識が個人の倫理観・エートスを形作ってきた。
エートスなき民は活力を失う。(48頁)


 「一神教」としての「イスラム社会」・「ユダヤ社会」・「キリスト社会」においても、「一神教」以外としてのタイなどの「仏教社会」においても、信仰による一体感や帰属意識があり、相互扶助の仕組みがそこにはあります。

 信仰をともにする「共同体」が根付いている社会というものは、倫理観・エートスを失うこともなく、「アノミー」に陥ることもないのでしょう。

 それに対して、日本には、もはや何もないのです。会社を追い出され収入を得る道が無くなれば、誰も助けてはくれません。「共同体」が崩壊した日本は、まさに、個々の国民が砂粒のように何の繋がりもなく孤立しているのです。

金美齢氏は著書(1)の中で、「ずば抜けたものは持っていなくても、日本には『普通に会社に入って生活する』という道が多くの人に残されているのです。」・・・と言っている
(註(1):「日本ほど格差のない国はありません!」)
能天気な意見です。そんな道が残されている時代は終わった。  (49頁)


 金美齢氏の認識は、10年前、20年前の古き良き日本でしかありません。

馬鹿保守に念を押しておく
日本人の倫理観・模範意識は家族・地域・会社などの「長期的に安定した組織」の中で醸成されてきた。
そこが壊れるということが問題なのだ。(50頁)


 「利害打算」のみの改革論者は、何の躊躇もなく、日本国民相互の信頼感を日々、破壊しています。日本的価値観を軽んじ、アメリカ的価値観しか守ろうとしない改革論者が、保守を自称するのは、他人ごとながら実に恥ずかしいことです。

 「共同体」を壊し、「帰属意識」を消滅させる側に立つ者が「保守」だなどとは笑止です。日本人の「心の拠り所」を破壊するものが、「美しい日本」だとか、「伝統」だとかを云々するのは自己矛盾ですぞ。


 (『ゴー宣・暫』第二巻は大変参考になります。構造改革批判論者・親米保守批判論者にお勧めします。)


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