ただなんとなくなにごともなく

いろんなところへ行って来て いろんな夢を見ておいで
そして最後に きみのそばで会おう

おりなす、あやなす

2007-07-29 16:24:30 | Weblog
この芝居のポスターはシーフォートビルの入口脇、モノレール駅へのエスカレータのところにも貼ってあるんだけど、隣が次に上演予定の「ベニスの商人」(市村正親主演)で、「立見券販売中」。で、このポスターの下には「当日券あります」。
こんないい芝居なのに、チケット売れてないなんてもったいないねえ、と、観ながら思っていたのでした。

天王洲銀河劇場「錦繍~KINSHU~」観てきました。
ひょっとして久々のストプレか?しかしケアード演出。



男と女は、まるで偶然に、観光地のゴンドラの中で再会する。男の顔は、女に記憶を怪しませるぐらい変わっていた。会わない間の10年間、男はなにを感じてなにを見てきたのか、気になる女。彼女もまた、体の不自由な子供を連れる身になっていた。帰宅してのち、女はずっと会っていなかった男の居場所を探し出し手紙を出す。
彼女は知りたくなっていた。かつて男が巻き込まれた無理心中事件。
愛人であった女が死に、男は一命を取り留めたが、それですべてが変わった。
男は当時、彼女の夫だったのだ。何も聞かずに強引に離婚になった過去を、女はもう一度問い直そうとしていた――。

主演・鹿賀丈史/余貴美子 出演 馬渕英理何、西川博幸、西牟田恵、野沢由香里、植田真介、神保共子、清水幹生、高橋長英
原作・宮本輝、脚本/演出・ジョン・ケアード、共同脚本/演出・藤井清美


往復書簡を中心に構成される舞台は、シンプルな美術、セットの中に圧倒的な台詞劇の様相を呈して、アンサンブルたちもまた主人公たちの手紙の中の1枚となっていき、時に多面を持つ心象のひとつずつになったりする。意表をついているのかどうか、原作をざっと立ち読みした限りではこんなのどうすんだろ、と思った――書簡であることを中心に捕らえるとあまりにそれが膨大で詰まらなくなりそうだし、普通の芝居にしてしまえば原作がつぶれてしまうし、と――部分を、静寂を保った中に人物の使い方で変化を入れて観せている。音楽は藤原道山が生尺八で、あとはモーツァルトの音楽のみ。
半円形に象った舞台の奥には、出演者ひとりひとりの椅子が用意され、出番の無い中では役者がそこで待機するのだが、どうもペットボトルの水などを合間に飲んでいたりメイクを直していたりするのがちょっと自由だなと思った。結構なテンションを保ったままの3時間なので、ちょっと気を抜くと逆に寝てしまうかも。

不幸にして終わらせてしまった結婚関係、その中で不完全燃焼に終わった互いの存在を、辿り直すことから始める手紙のやり取り。忘れ去ろうとしていた過去を思い出としてそれを昇華させる再生の物語。私が思うにですねえ、恋愛って、成就してもしなくても、不完全燃焼で終わると絶対引きずるんですよ。相当棘になる。その痛々しさが見えるからなんだか最初から泣けて泣けて。いや、レミゼモードに入ってるってのもあるんですけどね。でも、もう一度2人がやり直すことも無いだろうと思えたらまた泣けて、それで最後にお互いがお互いの現状でそれぞれなんとかやっていこうとするところでまた泣ける。ドラマティックな物語が手紙と言う形で冷静に語られ密やかに舞台上で表現されるから余計泣けるのかも知んない。



鹿賀さんは役としての人物設定からはちょっと大人すぎるけど(物語を観ていると男女双方とも同級生で現在30代後半くらいなので)かと言って鹿賀さん以外の人で誰、と言われるとちょっと思いつかないわ。主演をやるカリスマ性、風格みたいなものがあるし、実年齢同じくらいの役者さんを持ってくるとかえって軽くなるかも。
出来ればこの芝居は評価されて欲しいなあ。そして再演されて欲しい。御大じゃなくても誰かやってくれないかなあ。誰かいないかしら。



帰りは選挙行って戻ってきました。投票所で選挙公報を熱心に読むワタクシ。完璧無党派。