ただなんとなくなにごともなく

いろんなところへ行って来て いろんな夢を見ておいで
そして最後に きみのそばで会おう

re-study

2006-07-31 12:43:59 | Weblog
本日のワタクシ。

ホントに免停になりました。

ただいま運転免許センターでお勉強してます。真面目に。結構真面目に。シュミレータで安全運転訓練とか。道路交通法とか。

生活の中の法律って実はけっこう面白いんだよねー。立法思想とかさ。
今日ここの免停の受付が警察で講習費用の証紙を売るのが交通安全協会で講習の講師が安全運転講習所の警察を退官したような方達で、それを受けて試験で合格すると免許返してくれるのとか、みんなそれぞれ法根拠がある。

まあ楽しくはないけど、試験受かんなくちゃね。夕方まで頑張りますよ。

やっとお昼です今。

遠花火

2006-07-30 20:59:41 | Weblog
縁と縁、視界の右と左に、それぞれ花火が上がるのが見える。右は山の中の川沿い、左はおそらく港。この時期は近い場所で花火大会の日程が被ることがよくある。今日は車からそれを眺めていた。
それでも花火は近くから見上げるのがいいのだと思う。重低音と動く視線で、体感するのがいい。

だって、音のない遠い花火はまるで暗闇に色をつけるただの幕。
もしくは拡がる帆。

MB&CKB

2006-07-30 17:22:24 | Weblog
不思議と音楽を聴くときは、自分の中でモードがあって、ひとつはただのリスナーとしてのそれと、もうひとつはまあ擬似的かつ生意気ではあるんだけど歌う側としてのものと。
で、歌う側としてのモードで聴いてるときは実際はすごく疲れちゃう。

「スーパーアメリカンフェスティバル」は中心にミュージシャンであるIKURAさんがあるという関係で、ライブイベントは非常に多彩にそして魅力的。IKURAさんのご自身のユニット「IKURA & THE FUNKY STYLE」ももちろん出演。すげカッコいいのっす。ほんとにFUNKYでゴキゲンなスィートソウルミュージック。
そしてクレイジーケンバンドがトリを務めました。今年ツアー日程合わなくてライブは行けないから嬉しかったです。時間短かったのは残念だったけど、ライブはやっぱりライブだよ!楽しいよ!
特にIKURAさんとかCKBみたいにベテランで、どうやったら客をノセられるか知っている、それが出来るパフォーマンスはホントに。

途中雨が降り出して、剣さんは濡れたことによってマイクにちょっと感電したみたい。それでもマイクを取り落とさなかったプロ。
曲は「BRAND NEW HONDA」「逆輸入ツイスト」「シャリマール」「京浜狂走曲」「37℃」「ベレット1600GT」「GT」「魂拳 Soul Punch」、最後が「流星ドライヴ」。順番はいちばん最後だけ合ってると思うけど、あとは全然憶えてない。他に横山自動車とかアメ車と夜と本牧ととか、やった気もするけどやってない気もするし。ごめんなさい曖昧です。


今日は歌う側モードで観てた。観ながら喉の動きを真似しようとしたりするのですよね。ギターとかベースは指の動きを見たり。ドラムは打点の高さと出てくる音を比較してる。単純に音に集中できないから疲れちゃうのかも。とは言えすぐにまんま再現できるわけではないんですけどねもちろん。以前からのクセですよね。


実は私の携帯のプライバシーフィルターは、クアトロライブで買った真心のツアーグッズで、クリアなところに透かし彫り「MB」って入ってて、一応ファンとしてこれとセットだったストラップと一緒につけてるわけなんですけど、今日連れて行った友人がそれに気づいて、
「ねえ、それなんでメガバイトって入ってるの?」
と。

いやこれは真心ブラザーズっていうバンドがあってねえ、って、説明するのもめんどくさくなって、ああそうだねえなんでメガバイトなんだろうねえ、なんて一緒に笑ってしまいました。力なく肩を落としてね。へへへ。










It's American Graffiti

2006-07-30 16:16:04 | Weblog
ピッカピカのアメ車で迎えに来てね、って、そんな風に言いたくなる。

富士スピードウェイで行われている「スーパーアメリカンフェスティバル2006」に来ています。アメ車3000台とハーレー1000台が終結しているそうで。関連ショップとライブ、ハーレーパレードなんかあったりするイベント。
レースコースを気持ち良さそうに走るハーレーの集団は、ちょっと羨ましかったな。

私が古いキャデラックが好きなのは、たぶん子供の頃に見た鈴木英人のイラストのアメリカ、そのもののように思えるからだろう。
50'sのアメリカ。グラフティな。ポニーテールにペチコートを履いた、キャンディポップなワンピースの女の子。
他には例えばキャンベルのスープ。





夏休みの宿題

2006-07-28 23:23:28 | Weblog
喉から手が出るほど欲しい手伝いだったのは何より私がよくわかっていた。
彼女たちの仕事をこれ以上増やす気には立場上もとてもなれない。
かと言って自分としてもお気軽にお引き受け出来るようなシロモノでもなく、要するにその沈黙の中で宙ぶらりんをしばらく黙って耐えるしかなかった。

で、単純なことに私は沈黙に弱い。

沈黙を20秒も与えられたら思わず何かうっかりとんでもないことを喋り出してしまいそうなほど。

そうして私はまた半泣きでミシンを持ち出す羽目に陥った。
学期末の話だ。


秋に行われる子供の幼稚園のバザーは、名前こそ園と共同しているが、実際はほぼPTAの主催のようなものだ。もちろん当日の働き手の主力ははお母様方で、希望を取って3部門に分かれて頂く。
バザーでいちばん主力になるのはやはり物販で、家庭の中で未使用のもの、手作りのもの、と別々に数点ご提供願い、それを販売する。このバザー部分は、それだけで催しの売り上げの9割を占める、全体の基幹だ。何しろ商品は各家庭からの無償提供だから、基本的に仕入れはゼロでモノがあればあるほど売り上げが上がる。
そして中でも意外と人気なのが手作り品、らしい。だからこそ必要不可欠かつ充分な量が必要なのだ。で、PTAでは昨年から手芸係による中央集中製作方式を取ることになり、当日バザー担当のお母様方にも振り分けてその補完をお願いすることにしている。さらにほかの家庭からは手作り品2品以上の提出があって、これで全体の商品を揃えるのだ。

手芸係による製作はもう1学期の半ばを過ぎたころから徐々に始まっていて、バザー部門の担当役員はこの関係ですでに管理体制を整えて長い。ほかの部門がまだ企画段階でウロウロしているのを見ると全く格段の違いで、迅速にかつ丁寧に仕事をしている。まあ毎年バザーはほぼ形が変わらないからそれに則ることも出来るのだが、仕事は細やかにこのほかにも様々あり、その実務のいちばん大きな最初の波は当日の部門お手伝いのお母様方へ製作品を振り分けていく時に来る。
彼女たちはそのために事前に作り方のメモを製作したり、布を切っておいたり、要するにお母様方に気軽に製作して頂けるためのキット作りをしてくれていた。
全体では結構な数に上り、お手伝いのお母様方にはその中から好きなものを持っていって頂く。

実はこれが、余った。


担当役員で夏休みに作りましょうか、とも彼女たちは話していたのだが、それにしても本人たち自身もノルマ2点以上という条件の中にいるし、かと言ってせっかく作ったキットは何より商品にしなければいけないし、他の役員の中で、たとえばおばあちゃまがお裁縫得意だとか、そういう方をお願いしてみてはいたのだがまだそれでも余るし。

「会長、会長も2点お願いしますから。これいちばん簡単ですから、これ作ってみたら」

目の前にあるのはランチョンマットのキットだった。

「それで出せばいいですから」

そして振り出しに戻るのである。


異種格闘技戦3時間の末、売れるかどうかわからないシロモノが目の前に出現した。アラがあるから近くでは見たくないようなそんな感じの。作成した人間の名前は決して出さないで下さいというような祈りの籠る。

横で見ていた子供が言った。
おかあさん、それ、買いに行くからね。取っといてね。

いやいや先に自分が買いに行くから。責任取りに行くよ、と思いつつ、親孝行を嬉しく縋りたい気持ちになる。

――ほんと有難いねえ涙が出そうだ自分の子供ってやつは。









HAPPY BIRTHDAY

2006-07-27 22:14:49 | Weblog
ねえ折角の誕生日なのに子供がいないから、だったら逆に子供お断りみたいなところへ行きましょうね、って、帰宅した夫と2人で食事に出掛けた。直前まで曖昧に覚えていたが、今日は我が家の世帯主の誕生日だ。
ケーキはろうそくを立てて、皆が揃っているうちの朝にムードなくもう家族で食べてしまった。

四捨五入して50の年齢で、もう今さら祝うなどということは無いのだが、これは口実というものである。外食のための体のいい言い訳。それに少しの豪華さを持たせるための言い訳。
目の前で鉄板焼きのスタイルのステーキ店なんて何年ぶりだろう。

それでも沈黙の続く夫婦は子供がいなければもう間が持たなくなってしまった。
話題なら子供の話ばかりになってしまう。
子供がいなかったときを長く過ごしたはずなのに、それはもうなかったことのように、夫婦というユニットより、家族という単位の方がしっくりくるようになっている。
それがいいのか悪いのかはよくわからない。態を違えてこそ、見つかったものは多数あった。
夫婦、家族、個人という立場の中で、時々のスタンスを取るからこそ、それは見えるもの。

Vanishing Point

2006-07-27 19:04:22 | Weblog
抜き差しならない暑さの中、近所の女子校の寮をお借りして、本日幼稚園は夏休み特別、年長のみのお泊り保育。
保護者と現地集合でお別れをした後、子供たちは自作のペインティングが鮮やかな麦藁帽を被って、虫取り網と虫籠を持つ、古典的なピクニックへ。

留守中の寮の中で、食事係と担当役員で総勢12名の夕食作り。
メニューは定番で大鍋いっぱいのカレー。そして温野菜。分業は手際よく、外の蝉時雨を聞きながらみんなでワイワイと楽しくて、おしゃべりと噂話が弾む。
こういう時サグリアイは年齢の話。うちの幼稚園は正直とても若くてキレイなお母さま方ばかりだが実は実際の年齢層は比較的高い。気がつけばうちの子供の学年では私がいちばん年下だったりする。で、上は――、今回は「介護保険を払っているかどうか」、が焦点だった。

私たちも泊まりたいよね、って、みんなで言い合って、今さらここに1泊する子供たちの「集団生活」になんとなく憧れた。「学校生活」という、管理された集団の生活に。

その中にいる間はどうしようもないくらい鬱陶しくても、失われたものには愛しささえ感じてしまうような、そんな気持ちでね。


本日のBGM;真心ブラザーズ「紺色」













存在の耐えられない暑さ

2006-07-24 21:28:07 | Weblog
夏なので、髪を切りました。欝陶しくて仕方ないくらい暑かったんです。
私は体型の問題もあって、洋服は茶系か黒紺青しか着ないですし、髪型もロングかセミロングしかしません。ショートカットは人生でいちばん体重が軽かった1時期だけでした。顔の輪郭を出したくないんですね。
美容室では最初にその日のスタイリングを鏡の前で相談しますが、どこに行ってもいつもほぼ決まったことしか言いません。とにかく楽なのにしてください。ブローとかめんどくさいんでしません。ムースもワックスもつけないです。お風呂上がりで自然乾燥でも見られる髪型ならいいです。出来れば上品に見えれば有り難いです。あとはおまかせします。
今日のスタイリストさんは私が言いたいだけ言ったあと、何を聞かれてもおまかせします、とか、好きにしてください、とかばかりだったので若干困ってました。どうでもいいとかめんどくさいとかそんなことばかりしか考えてないように思われたのでしょう。いえその通りなので、何も言えないです。幼稚園に行けなくなるようなとんでもない髪型じゃなければなんでもいいんです。逆に似合うスタイルを教えて頂きたいくらい。本当はカットモデルとかさせて頂いたほうがいいのかも知れません。
で、最終的に髪型は、困っていたスタイリストさんにある程度のご意見を申し上げて、こんな感じかなと思った中で決めていただきました。おかげで短くなりました。

美容院に行くときくらいしか手にしない雑誌を隈なく何冊も読みました。その中には素敵ママ雑誌、とでも言うのでしょうか、つまり30代以上オシャレな家庭の主婦だけど私はちゃんと自己実現してるわよ!みたいな感じの。LOHASとは全然別方向にあるような感じでしょうか。で、その雑誌で読んだのが、私たちはお揃いです、という記事。幼稚園ママで、オソロイのデニム、オソロイのバッグを持って、仲良くお出かけしてます、みたいな。
――大人になるのも困ったもんですね。今さらなにか制服でも欲しいんでしょうか。やっと手にした自由は自分だけのものなのに、それによって不安になるんでしょう。
是非はともかく、私はこういうコミュニティにはいられないですね。やってられません。自分は自分だもん。誰とどんなに仲良くなっても、自分の好みは他人には合わせられない。さらにオソロイなんて恥ずかしくて家族ともしないようなこと、絶対出来ないもん。そんな温度の高さは、自分には息苦しい暑さでしかありません。

自分が好きなものをちゃんと探り当てられるように。
好きなものを譲らない人間であるように。
どうでもいいことはそのままにしておける強さを持つように。
下らないものを下らないと言い切れる人間であるように。
それを大問題だと捕らえる人の価値観もちゃんとわかってあげられますように。

自分が自分であること。それしか、私の人生の価値はないんです。
何の使命も持たないで産まれてきたなら、私という存在を全うするしか道はないんです。

世界は示唆に満ちていて、今日はこの考えを呼び起こさせるためにあったのかもしれません。いえもちろん、記事のオソロイが悪いというわけではありません。ただ自分には出来ないと思うだけのこと。自分が自分である以上、自分の自由に出来る部分で、敢えてフォーマットに則る理由はないだろうと思うだけです。

それは単純なことで、つまり、それが私だから、というだけに他ならないことです。


子供にも、そんなことを伝えていきたいです。
あなたがあなたであるように。世界はあなたと共にあり、その中であなたが育ち、暮らし、そしてその上の自由において、あなた自身を全うできますように。


悪役

2006-07-23 19:26:40 | Weblog
とうにわかっていたことではあるけれど、良い役者と言うのは表情筋がホントに良く動く。舞台を観ていると全く以て顕著だ。そしてフック船長と海賊一味は相変わらずステキ。悪役がカッコイイ芝居はいいですよね。
幕が完全に下りる寸前の、最後の最後にちょっとだけ素になった禅さんラヴ。
でも来年のこの時期はレミゼに決まっていて、もうフック船長も最後ですね…。
隣り合わせた小学生が帝劇のマリー・アントワネットのチラシで表情が変わった。この娘も禅さんファンかと思う。競争率高し。

演出はちょっと変わってたかも?
客席にキャストを下ろすのが1回減ってた気がするけど、所詮記憶力ナッシング。

それよりパンフレット読んでたらアンサンブルに「BLEACHミュージカル」のおにぎりさんがいて笑いました。今年はあっちに出ないんですね。
こうやっていろんなところに観に行くとあちこちで偶然にいろんなキャストのほかの役を見かけます。それが楽しいし、ヨロコビでもありますね。
「マリー・アントワネット」のチラシに、知らなくて偶然てるくん――照井裕隆の名前を見つけたときも、来年のレミゼのコゼットが菊地美香に決まったときも、こんなに有難いことはないと思いました。
所詮役者は、露出してナンボのところがあります。メディア次第では実力はその次になることだってある。舞台はそれでも、割と実力に正直だと思います。特に大きいものになれば一層。
それはつまり、コンスタントにキャリアと実力との両方を得ていかないと、それによって自分を確立していかないと、生き残れないということを意味しています。
観ている側の人間は、露出がなければ追っていくことすら出来ないわけですから、実力もキャリアも両方得て欲しい。そしてなんとか生き残って、出続けて欲しいのです。それが本人の望む道ならなおさら。

さてうちに帰ってきて早速「ピーター・パン」ごっこの子供はまた観たいと言いやがり言い張り、なんとか2回目を画策中。
なんとかなるかな…?

孝行づくし

2006-07-23 15:10:24 | Weblog
手を繋いで芝から浜松町まで歩き電車を乗り継いで、有楽町まで。

本日の子供孝行、いやそれは方便で、実は一挙両得エンタテインメントは2つめを立て込んで過密スケジュールの「ピーター・パン」。

早いもんだねえ、もうあれから1年経った、と。

孝行

2006-07-23 13:45:40 | Weblog
知識もいらず楽しめる娯楽が本当のエンタテインメントだと思います。子ども向けのものでも作り手が真剣なものは大人が楽しい真の娯楽です。
そんな感じの作品って、形態はなんでも大好きで。
実は自分がいちばん楽しんでいるんです。
子ども孝行のフリをして。

夜の狭間

2006-07-22 22:32:32 | Weblog
だらだら進む人混みに、イラつきよりもお手上げな感じで、それでも急いでファイヤー通りを上がった。

パルコ劇場/パルコ+リコモーションプレゼンツ「開放弦」観てきました。
演出・G2、音楽・渡辺香津美。

んー、最後の最後でなるほどねー、って感じ。そういうイミかー、って。でもちょっとでも弦の楽器の知識がない人には説明が必要かもね。

話自体は、これドラマとか映像向きだろうな。感想もマチネで観たらまた違ったでしょう。観念のワカモノより生活者のオトナ向き。でもちょっと長いかなあ。もうちょっとでいいんで。
もちろん私も似たようなとこに住んでるんで、これがローカルでのんびりした土地の話だってことはなんとなくわかるんだけどね。そういう場所が舞台じゃないと成立しない、中途半端に田舎で古い土地。