人間はなぜ「万物の霊長」と称しているのでしょうか。
そもそも「霊長」とは?
こういう意味です。
「霊というと死者の魂というイメージが強いが、この場合は不思議な力を持っている、優れているという意味。人間や猿を動物の進化の頂点とする考え方に基づいて、動物の首長という意味を込めて「霊長類」と呼んでいる」
人間が他の生物と比べて突出している性質は、客観的に自己を見る能力、つまり「理性」です。
これが強いからこそ、文明を構築することができたのですね。
ですが、この理性がなまじあるからこそ、人間は苦しみます。
なぜなら、理性と相容れない性質もまた強く持っているからです。
それが生物として有する「本能」です。
本能とは、生物が生き残る上で必要な知識を、生まれながら遺伝的に有する力のことです。
人間は、その誕生の時点で圧倒的に「弱い存在」でした。
他の生物に怯えて生活していました。
しかしいつからか、自己を冷静に見る能力を身につけ、自己の弱さを分析して、弱さを補う知恵によって様々な道具を作ったからこそ、強くなりました。
しかしながら、理性が強くなればなるほど、本能もまた強くなります。
相容れないものだから、そうならないために、です。
本能が刺激されて行動として見えるものが、「感情」です。
つまり、感情には理性は通用しません。
同じように、理性には感情は通用しません。
相容れないのです。
これが両方あるから、苦しみます。
普通に考えれば
「1+1=2」
のはずです。
しかし、そうはならない。
それはたとえば、こう反応するからです。
「なぜ、そうなる必要がある?」
はい、相容れませんね。
人間が真に強くなるには、相容れない両者をうまく両立することです。
相容れないものがあるゆえの苦しみから自由になることこそ、「自己解放」です。
なぜ、冷静な事実を認められないか、は何らかのトラウマがあったりします。
では、そのトラウマを解消すればかなり解放されます。
しかし、それだけでは人間らしくない。
荒れ狂う感情を認め、ギリギリのところで生存本能の力を出すこともまた、自己解放です。
このせめぎ合いを、荒れ狂うじゃじゃ馬をどう飼い慣らすか、が秘訣ではないでしょうか。