俳句時評を書けと言われ、その任を全うする能力と資格を備えてないゆえ断ったところ、エッセイでも可と返されたので、今手近にあった個人の選句集や全句集数冊をペラペラめくりながら書いてみる。
小澤實に、
春闌けぬ深き谷より女連れ
といった句があって、しかもまた、
春闌けぬ厠出でざるあやかしも
のような句もあるので楽しいのだが、その楽しさとは何だろうか。《厠》といえば安井浩司の絶唱、
麦秋の厠ひらけばみなおみな
がまず思い浮かぶが、ここにきて《女》、《厠》、《おみな》という連絡を楽しいといおう。それは《~より》、《出》、《ひらけ》といった境界を示しそうな言葉からそれぞれ導かれているわけだから、その連絡を不思議がる必要もないはずだが、連想というものは止まらない。俳句が「いいおおせない」ものということになるだろう。
さて、《麦秋》からは攝津幸彦の、
色恋の歯刷子曲がる麦の秋
が浮上してくるのでその方向に走りたいが、ここではこらえる。それよりも次のような句等を思い浮かべよう。
虻酔うて南瓜の花を出でにけり
蛇穴を出でたる平家繪巻かな
前者は小澤、後者は田中裕明の句になる。ここまで来てしまうとやや華美が過ぎるようにも思う。或いは、
籠の目に鰻詰まりて夜の長き
という岸本尚毅の句なども同じ系列に並べたい。華美というのではなく、境界を巧みに摂取しているという意味で。
こんな感じでいくと私は《波》へと流れ込んでいきたくなる。例えば単純に、
乳母車祭をぬけて波の音
などは《ぬけ》から連絡されよう。田中の句。《波》に着目するが、すぐあとで《母》と連絡もされるだろうから、俳句の思わせぶりは大したものだと思う。さて、
鰻焼く春一番の白波に
さざ波のあるとき尖る桜かな
霙ふる京をとほくに浪のいろ
冬の波冬の波止場に来て返す
初めの二句が岸本、三つ目が中田剛、最後が言わずと知れた加藤郁乎。おもしろい。ということで《来て返す》としよう、《母》へ。
秋海や母伏すところが酒の波
安井の句である。もちろん《母伏すところ》から連絡されるのは《母港》だろう。つまり、
小頭の母ひるがへる軍港や
から、
火傷の足裏ひるがえるとき皺の母港
へと一足飛びに《母港》は見えてくる。攝津幸彦から安井浩司へ。そしてその安井浩司とくれば、
日陰に手足が同穴している沖の母艦
という淫靡な句もあり得る。淫靡なのだから、
疲れ勃つ傘屋の奥の波止場かな
といった攝津の句へ戻ってもいいわけだ。もしくは仁平勝の、
臨終なる父の口から波の音
を帯同してもよろしい。さてそろそろ沖に出てみよう。
餅はこぶ虜囚船いま沖に糞す
これは安井。次は坪内稔典。
船燃えるスペインに着く水蜜桃
あ、これはまさに高柳重信の、
船焼き捨てし
船長は
泳ぐかな
に行くことになるではないか。
ここで一つ。この高柳の句、《船》や《船長》がいったい何を意味しているのか、象徴しているのか、という詮索ほどくだらないものはない。そんなものを寄せ付けないところにこの句が絶唱である所以があると思う。
戻る。で、ここで一転火の海へと進んでいく。
鰯ずるし燃えつきて精舎の春
安井の句。《燃え》たのは《船》だけではなかった。とならば《燃え》るのが何だっていいいし、むしろ何が《燃え》たかよくわからなくてもいい。同じく安井。
墓地にでる兎のワギナ夢の火事
それとも、次の坪内の句のごとくピンポイントで指摘してやってもいい。
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
やがて出火の気配の野菊あちこちに
とはいってもどの《あたり》が火事かはどうでもいい感じだし、それは《気配》でもいい。《船》にもう一度火をつけよう。坪内の句。
あやめ咲き船火事の船近づきぬ
ついでだから《あやめ》をみておく。
指窓にあやめ咲くとはしほらしや
駅長にあやめと問へばあやめ咲く
安井と攝津の句だ。何とも艶だねえ。ということで面倒くさくなってきたので艶っぽい句を垂れ流す。
実は赧き日のびおろんの傾城や 加藤郁乎
摺り渋る夜伽が硯あらひけり
相対の小便するや近松忌
糸やなぎ封切本や昼遊び
口吸ふも相三味線や水を打つ
春立つと大津絵ぶしのひねり文
えげれすに草仮名ありす秋の暮
はすかいに蓮みて心中の刃こぼれ 仁平勝
あかずの間むほん無きよの菊いじり
さくら心中絞められてゐてうつとりす 筑紫磐井
ところで少し巻き戻すが、《ぽぽのぽぽのあたり》とかいうのももっと複雑な遊び方をすればできるわけで、例えば、
姉にアネモネ一行一句の毛は成りぬ 攝津幸彦
昼顔の見えるひるすぎぽるとがる 加藤郁乎
六月の瑕瑾とひらく落下傘
とりめがぶうめらんこりい子供屋のコリドン
けんぽー二十一条を吹く野の花のぽー
字母の房事に墨かすむ玉の井のギボン
句じるまみだらのマリアと写樂り
牡丹ていっくに蕪村ずること二三片
冥途いん長火鉢のそれ者でギリシャる
などは艶でくだらないだけの句だ。くだらなさ、というものをもっと戦略的に推し進めると、次の攝津句にならざるを得ない。
幾千代も散るは美し明日は三越
国家よりワタクシ大事さくらんぼ
その反響の一つとして、
母国より告ぐ英霊は結露せよ
仁平句があるが、今ひとつくだらなくないような気もする。
くだらない今この時のわたしの連想を垂れ流してきたが、少しくらいはまじめなことを書いておく。
洛中に出て歩き出す杜鵑(ほとゝぎす)
深(ふか)養父(やぶ)が考へてゐるほととぎす
前が攝津、後が筑紫。むろん《ほととぎす》は、
わがやどの池の藤波咲きにけり山ほととぎすいつか来鳴かなむ 古今集
といったように夏、その一声を待ち遠しく思う、みたいな本意を実装した歌ことばである。その待ち遠しく思っている《ほととぎす》が、やっと洛中にやってきたと思ったら、のろのろと歩き出すのだ。むろんそれは古今歌人清原深養父の庶幾している歌ことば《ほととぎす》の姿ではない。さっと飛んできて鳴けよ、と《深養父》は一晩中眠れずに夜を明かすことになる。
伝統的な歌ことばの本意を踏まえてのずらしと、和歌の下句のカットや歌仙からもぎとられた発句という出生に由来する「いいおおせなさ」が俳句的なものの一つの指針になるのはまちがいない。もちろんそのような句は、意味とかリアリティといった暴力からは遠いし、解釈を許さない。
設問一 次の安井の句を解釈せよ。
趺坐(あぐら)して御空ふかく鱒跳ねて
蟇鳴くと父は落款押し震う
小澤實に、
春闌けぬ深き谷より女連れ
といった句があって、しかもまた、
春闌けぬ厠出でざるあやかしも
のような句もあるので楽しいのだが、その楽しさとは何だろうか。《厠》といえば安井浩司の絶唱、
麦秋の厠ひらけばみなおみな
がまず思い浮かぶが、ここにきて《女》、《厠》、《おみな》という連絡を楽しいといおう。それは《~より》、《出》、《ひらけ》といった境界を示しそうな言葉からそれぞれ導かれているわけだから、その連絡を不思議がる必要もないはずだが、連想というものは止まらない。俳句が「いいおおせない」ものということになるだろう。
さて、《麦秋》からは攝津幸彦の、
色恋の歯刷子曲がる麦の秋
が浮上してくるのでその方向に走りたいが、ここではこらえる。それよりも次のような句等を思い浮かべよう。
虻酔うて南瓜の花を出でにけり
蛇穴を出でたる平家繪巻かな
前者は小澤、後者は田中裕明の句になる。ここまで来てしまうとやや華美が過ぎるようにも思う。或いは、
籠の目に鰻詰まりて夜の長き
という岸本尚毅の句なども同じ系列に並べたい。華美というのではなく、境界を巧みに摂取しているという意味で。
こんな感じでいくと私は《波》へと流れ込んでいきたくなる。例えば単純に、
乳母車祭をぬけて波の音
などは《ぬけ》から連絡されよう。田中の句。《波》に着目するが、すぐあとで《母》と連絡もされるだろうから、俳句の思わせぶりは大したものだと思う。さて、
鰻焼く春一番の白波に
さざ波のあるとき尖る桜かな
霙ふる京をとほくに浪のいろ
冬の波冬の波止場に来て返す
初めの二句が岸本、三つ目が中田剛、最後が言わずと知れた加藤郁乎。おもしろい。ということで《来て返す》としよう、《母》へ。
秋海や母伏すところが酒の波
安井の句である。もちろん《母伏すところ》から連絡されるのは《母港》だろう。つまり、
小頭の母ひるがへる軍港や
から、
火傷の足裏ひるがえるとき皺の母港
へと一足飛びに《母港》は見えてくる。攝津幸彦から安井浩司へ。そしてその安井浩司とくれば、
日陰に手足が同穴している沖の母艦
という淫靡な句もあり得る。淫靡なのだから、
疲れ勃つ傘屋の奥の波止場かな
といった攝津の句へ戻ってもいいわけだ。もしくは仁平勝の、
臨終なる父の口から波の音
を帯同してもよろしい。さてそろそろ沖に出てみよう。
餅はこぶ虜囚船いま沖に糞す
これは安井。次は坪内稔典。
船燃えるスペインに着く水蜜桃
あ、これはまさに高柳重信の、
船焼き捨てし
船長は
泳ぐかな
に行くことになるではないか。
ここで一つ。この高柳の句、《船》や《船長》がいったい何を意味しているのか、象徴しているのか、という詮索ほどくだらないものはない。そんなものを寄せ付けないところにこの句が絶唱である所以があると思う。
戻る。で、ここで一転火の海へと進んでいく。
鰯ずるし燃えつきて精舎の春
安井の句。《燃え》たのは《船》だけではなかった。とならば《燃え》るのが何だっていいいし、むしろ何が《燃え》たかよくわからなくてもいい。同じく安井。
墓地にでる兎のワギナ夢の火事
それとも、次の坪内の句のごとくピンポイントで指摘してやってもいい。
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
やがて出火の気配の野菊あちこちに
とはいってもどの《あたり》が火事かはどうでもいい感じだし、それは《気配》でもいい。《船》にもう一度火をつけよう。坪内の句。
あやめ咲き船火事の船近づきぬ
ついでだから《あやめ》をみておく。
指窓にあやめ咲くとはしほらしや
駅長にあやめと問へばあやめ咲く
安井と攝津の句だ。何とも艶だねえ。ということで面倒くさくなってきたので艶っぽい句を垂れ流す。
実は赧き日のびおろんの傾城や 加藤郁乎
摺り渋る夜伽が硯あらひけり
相対の小便するや近松忌
糸やなぎ封切本や昼遊び
口吸ふも相三味線や水を打つ
春立つと大津絵ぶしのひねり文
えげれすに草仮名ありす秋の暮
はすかいに蓮みて心中の刃こぼれ 仁平勝
あかずの間むほん無きよの菊いじり
さくら心中絞められてゐてうつとりす 筑紫磐井
ところで少し巻き戻すが、《ぽぽのぽぽのあたり》とかいうのももっと複雑な遊び方をすればできるわけで、例えば、
姉にアネモネ一行一句の毛は成りぬ 攝津幸彦
昼顔の見えるひるすぎぽるとがる 加藤郁乎
六月の瑕瑾とひらく落下傘
とりめがぶうめらんこりい子供屋のコリドン
けんぽー二十一条を吹く野の花のぽー
字母の房事に墨かすむ玉の井のギボン
句じるまみだらのマリアと写樂り
牡丹ていっくに蕪村ずること二三片
冥途いん長火鉢のそれ者でギリシャる
などは艶でくだらないだけの句だ。くだらなさ、というものをもっと戦略的に推し進めると、次の攝津句にならざるを得ない。
幾千代も散るは美し明日は三越
国家よりワタクシ大事さくらんぼ
その反響の一つとして、
母国より告ぐ英霊は結露せよ
仁平句があるが、今ひとつくだらなくないような気もする。
くだらない今この時のわたしの連想を垂れ流してきたが、少しくらいはまじめなことを書いておく。
洛中に出て歩き出す杜鵑(ほとゝぎす)
深(ふか)養父(やぶ)が考へてゐるほととぎす
前が攝津、後が筑紫。むろん《ほととぎす》は、
わがやどの池の藤波咲きにけり山ほととぎすいつか来鳴かなむ 古今集
といったように夏、その一声を待ち遠しく思う、みたいな本意を実装した歌ことばである。その待ち遠しく思っている《ほととぎす》が、やっと洛中にやってきたと思ったら、のろのろと歩き出すのだ。むろんそれは古今歌人清原深養父の庶幾している歌ことば《ほととぎす》の姿ではない。さっと飛んできて鳴けよ、と《深養父》は一晩中眠れずに夜を明かすことになる。
伝統的な歌ことばの本意を踏まえてのずらしと、和歌の下句のカットや歌仙からもぎとられた発句という出生に由来する「いいおおせなさ」が俳句的なものの一つの指針になるのはまちがいない。もちろんそのような句は、意味とかリアリティといった暴力からは遠いし、解釈を許さない。
設問一 次の安井の句を解釈せよ。
趺坐(あぐら)して御空ふかく鱒跳ねて
蟇鳴くと父は落款押し震う
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