世界が失われているところで、言葉は世界たりうるのか――青春期に抱えこんだいくつもの解決不能の問題を、気がつけばいまだに自分がそのまま引きずって生きていることに、しばし愕然とすることがある。このテーゼも私にとって、そうした問題群のひとつだったことに、今回あらためて気づかされることになった。
文学表現のもたらす価値は、ひとつにその自由さそのものに固有の意味が宿っている。そして、そうした表現(行為)の自由さは、実生活上におけるさまざまな不自由さの表現内部における解放というテーマ性へと、いやおうなく継ぎ木されていく性質のものである。
むろんテーマそのものの切迫性や強度などは、作者個々人によっておのずと異なるし、またおなじ作者においても経過した年月によっては変化もする。ただ、自身の出発を不可避的に規定していたその切迫的経験の強度は、その後の環境変化をまってもかんぜんに消滅してしまうことは多分ない。
文学作品をその作者の名前において読む、言い換えれば、作者の固有性によってアイデンティファイされながら享受するという行為の、これは前提的な了解事項でもあり、また作品評価のもっとも重要なベースの部分でもある。
大道寺将司の全句集『棺一基』(太田出版/2012年)をここで取り上げることは、私にとって、文学におけるこうした根本的な問題群に対し、ひとつの明快な回答を提供するに違いないと信じさせる何かがあるからなのだ。
棺(かん)一基(いっき)四顧(しこ)茫々と霞みけり
これは句集タイトルにもなった2007年の作品だ。彼岸と此岸とのあわいで、周囲は霞がかかって何も見えないなか、ただひとつ強烈な磁場をはなつ「棺」のイメージだけが鮮明である。これは誰の「棺」なのか。おそらく、これは何よりも、鏡に映しだした自分自身の言語表現上の暗喩なのに違いない。その作風は峻厳で、あたかも緑の山塊をつき破り万年雪をその頭頂に抱きつづける孤高の自立峰さえ思わせる。だが、なぜこの作品の場合、遺骸や遺骨ではなく、その容れ物である「棺」こそが最終の自己表象たりうるのか。いわばこのささやかな疑問に引かれるようにして、私は本句集の頁を繰っていたと言っていい。
春雷に若きゲリラの死を悼む
過激派と呼ばるる今も青嵐(あおあらし)
革命歌小声で歌ふ梅雨晴間(はれま)
反骨に徹し自適の枯葎(むぐら)
君が代を齧(かじ)り尽(つく)せよ夜盗虫(よとうむし)
革命をなほ夢想する水の秋
作者の大道寺氏は、よく知られているように、確定死刑囚である。彼は1974年の連続企業爆破事件をひき起こした東アジア反日武装戦線の元メンバーであり、1987年にはその刑が確定している。そして、2015年現在も東京拘置所内で拘留が続いている。
ここに引いた作品は、そうした彼の矜持をなおも現在へと伝える、いわば筋金の入った意志を露わにしたものだ。だが、こうした作品がある一方で、拘置所生活のなかから否が応もなく絞りださざるを得なかったような、苦悩をありありと垣間みさせる系統の作品も数多い。
凍蝶(いててふ)や監獄の壁越えられず
極月(ごくづき)の囚(とら)はれの身の独りなり
蜻蛉(とんぼう)やあすの命は不明なり
麦秋(ばくしゆう)や倚(よ)るべき椅子の見当たらず
大道寺将司の句集『棺一基』に特徴的なのは、一見したところ何の変わったところもないようなその編年形式である。1996年から2012年まで17年間の俳句作品1,094句がここには収められている。だが、全体の構成ともいえる程のものは、その編年形式いがいには何もない。網羅的であることが要求される全句集とはいえ、この姿は私にはいささか殺風景で奇異なものに映る。
というのも私は詩であれ短歌・俳句であれ、作品に内在する時間性が外的な時間の流れから隔離され、非在化されることで虚構の現実性にいたるプロセスを、文学が歴史的現実と交錯しうる唯一の機制だと考えてきたからである。そのことはこの句集においてもなんら変わらないはずだった。だが今回は、なぜかそうした実感がとても希薄に思えたのだった。
個々の句を成り立たせている作者の凝縮された生命時間は、むしろ言葉の隅々に充溢しているのに、それらがほんらい指し示すはずの世界内でのポジションが言葉の背後にどうにも見えてこないのである。ある意味、この印象はこれら一連の俳句作品を読みすすむうえで、決定的なものだった。何故、私はそのように感じたのだろうか。
それは大道寺氏が確定死刑囚として、つまり未来時間を国家によって奪われた存在としてこの世にあらねばならぬという、その極限的に矛盾した自らへの統覚に根差すもののように思えてならない。
ということは、その句集において1997年、1998年、1999年、2000年……2012年という年号の列挙的な括りは、彼が拘留されている無機的な物理時間をそのまま指し示す符牒いがいではないということではないのか。拘置所内の独房という幽閉空間のなかでしか、作者もその俳句作品もみずからの生命時間を維持するすべがないという現実の、これは構成面における必然的な反映だったのだと思う。つまりこれらの年号は、じつは透明な檻としての〝時間の棺〟でもあったのだ。
私はたんなる情報として確定死刑囚としての作者の背景を知ってはいたが、それ以上に、大道寺氏との人間的な関わりといったものはない。あくまで、本句集一巻を通して彼とその作品を知るのみの人間である。
ただ、その一方で、私は現在の死刑制度への関心から、文献等で一度ならず確定死刑囚の拘置所内での日常というものに想像力をめぐらせる機会があった。そのさい特に私が強く焼きつけられたのは、確定死刑囚となった人間が等しく抱くという処刑の〝恐怖”についてだった。
いったん死刑が確定した者にとって、いつ自分の刑が執行されるかは極めて重大な意味をもつ。刑の執行は本人へ事前に予告されることはなく、ある日、突然にやってくる。しかも、執行時間は深夜から明け方などが多く、そうしたイレギュラーな時間に当直看守が独房へ自分を呼び出しにくるようなことがあると、それはいよいよ刑が執行されることのサインである場合が多く、そのとき受刑者は大きな絶望と底知れぬ恐怖をいだくという。
確定死刑囚のこうした境遇とは、娑婆での暮らしの可能性をほぼ完全に奪われると同時に、未来にむけてのいかなる生涯ビジョンをも描くことを禁止された、いわば個人の自由な生活感覚が丸ごと剥奪された特異環境なのだといえる。つまり彼には、生存世界そのものがあらかじめ失われてしまっているのだ。
夏深し魂消(たまぎ)る声の残りけり
死はいつも不意打ちなりし十二月
明日知らぬ身とな歌ひそ青葉木菟(あおばづく)
寒の朝まず確かむる生死かな
縊られて世はこともなし実南天(みなんてん)
刑死者のゐぬ歳晩(さいばん)の夕日かな
私はこれまで詩のなかでも、特に短詩型文学の短歌や俳句において、その一定の音節からなる形式(フォルム)を背後から統べているところの非記述構造たる型式(フォーマット)の実在性について言及してきた。
例えば、おなじ確定死刑囚の坂口弘氏の短歌作品においても、強制された環境である〝拘置所〟という背景野の存在が、彼の作品のリアリティをまちがいなく支えている姿を検分しえたと思っている。
だが、その一方で、大道寺氏の俳句作品には、坂口氏の短歌作品ほど顕著にその非記述構造たる〝拘置所〟の影が前面に露出してはいないものの、逆にそれは一歩背景に退いたうえで、表現の質を背後から全的に制約しているような印象を受ける。
おそらく、そこには俳句という表現スタイルに特有の構造が、陰に陽に作用しているのだと考えられよう。短歌に比べても、より圧縮された音節数によって全円的な言語宇宙を創出しなければならない俳句は、手法そのものの内に一層高い抽象度と直覚的な冴えとがまちがいなく要求されてくるように思われるからである。
最後に銘記しておかなくてならないのは、本句集の誤った性格づけといったものに私たちは最後まで手を染めるべきではないということだ。本句集にはたしかに作者自身に固有の拘禁環境が一定程度いじょうの陰翳をなげかけてはいる。だが、だからといって、これらの作品を特殊な境遇にいる人間の、特異なサンプリングのように読むという愚を犯してはならないのではないか。なぜなら、逆にそうした特性こそが、彼の俳句作品のレベルを文学としての普遍性へ届くところまで押し上げてもいるからである。
ここまできて、私はようやくあの最初の問いに戻ることを許されるような気がする。世界が失われているところで、言葉は世界たりうるか――3・11を経験した私たちにとって、日常生活つまり〝世界〟が失われるということはまぎれもない現実であって、詩的な比喩では完全になくなった。誰もが、その現実に拮抗しうる言葉をもとめ、もがき、そしてなお癒えぬ傷跡をかかえて逡巡し続けているように見える。
世界がそうやって失われているからこそ、逆にそこで実在性を増していくもの。それは死んでいった者たちの濃厚な不在性である以上に、詩の表現の回復過程としてなによりも私たちの言葉のなかに希求されてきた何かであるように思う。言葉が世界たりうるとは、仮に世界のほうが消え失せてしまったあとでも、消え去らずに厳然と残りつづける〝表出行為〟の痕跡いがいの一体何だというのか。
身のうちの虚空(こくう)に懸(か)かる旱星(ひでりぼし)
生きるに値する世界の没落後においても、私たちがなお生きるに値する何者かとして存在できるかどうかは、この一句が指し示す「旱星(ひでりぼし)」のように、なにも寄りすがるものがない無限の空虚のなかでも自ら光を発しつづける言葉、その欠片を手にできるかどうかにかかっているのである。
※引用中の丸括弧はルビです。
文学表現のもたらす価値は、ひとつにその自由さそのものに固有の意味が宿っている。そして、そうした表現(行為)の自由さは、実生活上におけるさまざまな不自由さの表現内部における解放というテーマ性へと、いやおうなく継ぎ木されていく性質のものである。
むろんテーマそのものの切迫性や強度などは、作者個々人によっておのずと異なるし、またおなじ作者においても経過した年月によっては変化もする。ただ、自身の出発を不可避的に規定していたその切迫的経験の強度は、その後の環境変化をまってもかんぜんに消滅してしまうことは多分ない。
文学作品をその作者の名前において読む、言い換えれば、作者の固有性によってアイデンティファイされながら享受するという行為の、これは前提的な了解事項でもあり、また作品評価のもっとも重要なベースの部分でもある。
大道寺将司の全句集『棺一基』(太田出版/2012年)をここで取り上げることは、私にとって、文学におけるこうした根本的な問題群に対し、ひとつの明快な回答を提供するに違いないと信じさせる何かがあるからなのだ。
棺(かん)一基(いっき)四顧(しこ)茫々と霞みけり
(2007年)
これは句集タイトルにもなった2007年の作品だ。彼岸と此岸とのあわいで、周囲は霞がかかって何も見えないなか、ただひとつ強烈な磁場をはなつ「棺」のイメージだけが鮮明である。これは誰の「棺」なのか。おそらく、これは何よりも、鏡に映しだした自分自身の言語表現上の暗喩なのに違いない。その作風は峻厳で、あたかも緑の山塊をつき破り万年雪をその頭頂に抱きつづける孤高の自立峰さえ思わせる。だが、なぜこの作品の場合、遺骸や遺骨ではなく、その容れ物である「棺」こそが最終の自己表象たりうるのか。いわばこのささやかな疑問に引かれるようにして、私は本句集の頁を繰っていたと言っていい。
春雷に若きゲリラの死を悼む
過激派と呼ばるる今も青嵐(あおあらし)
(以上、1997年)
革命歌小声で歌ふ梅雨晴間(はれま)
反骨に徹し自適の枯葎(むぐら)
(以上、1998年)
君が代を齧(かじ)り尽(つく)せよ夜盗虫(よとうむし)
革命をなほ夢想する水の秋
(以上、1999年)
作者の大道寺氏は、よく知られているように、確定死刑囚である。彼は1974年の連続企業爆破事件をひき起こした東アジア反日武装戦線の元メンバーであり、1987年にはその刑が確定している。そして、2015年現在も東京拘置所内で拘留が続いている。
ここに引いた作品は、そうした彼の矜持をなおも現在へと伝える、いわば筋金の入った意志を露わにしたものだ。だが、こうした作品がある一方で、拘置所生活のなかから否が応もなく絞りださざるを得なかったような、苦悩をありありと垣間みさせる系統の作品も数多い。
凍蝶(いててふ)や監獄の壁越えられず
(1998年)
極月(ごくづき)の囚(とら)はれの身の独りなり
(1999年
)蜻蛉(とんぼう)やあすの命は不明なり
(2000年)
麦秋(ばくしゆう)や倚(よ)るべき椅子の見当たらず
(2007年)
大道寺将司の句集『棺一基』に特徴的なのは、一見したところ何の変わったところもないようなその編年形式である。1996年から2012年まで17年間の俳句作品1,094句がここには収められている。だが、全体の構成ともいえる程のものは、その編年形式いがいには何もない。網羅的であることが要求される全句集とはいえ、この姿は私にはいささか殺風景で奇異なものに映る。
というのも私は詩であれ短歌・俳句であれ、作品に内在する時間性が外的な時間の流れから隔離され、非在化されることで虚構の現実性にいたるプロセスを、文学が歴史的現実と交錯しうる唯一の機制だと考えてきたからである。そのことはこの句集においてもなんら変わらないはずだった。だが今回は、なぜかそうした実感がとても希薄に思えたのだった。
個々の句を成り立たせている作者の凝縮された生命時間は、むしろ言葉の隅々に充溢しているのに、それらがほんらい指し示すはずの世界内でのポジションが言葉の背後にどうにも見えてこないのである。ある意味、この印象はこれら一連の俳句作品を読みすすむうえで、決定的なものだった。何故、私はそのように感じたのだろうか。
それは大道寺氏が確定死刑囚として、つまり未来時間を国家によって奪われた存在としてこの世にあらねばならぬという、その極限的に矛盾した自らへの統覚に根差すもののように思えてならない。
ということは、その句集において1997年、1998年、1999年、2000年……2012年という年号の列挙的な括りは、彼が拘留されている無機的な物理時間をそのまま指し示す符牒いがいではないということではないのか。拘置所内の独房という幽閉空間のなかでしか、作者もその俳句作品もみずからの生命時間を維持するすべがないという現実の、これは構成面における必然的な反映だったのだと思う。つまりこれらの年号は、じつは透明な檻としての〝時間の棺〟でもあったのだ。
私はたんなる情報として確定死刑囚としての作者の背景を知ってはいたが、それ以上に、大道寺氏との人間的な関わりといったものはない。あくまで、本句集一巻を通して彼とその作品を知るのみの人間である。
ただ、その一方で、私は現在の死刑制度への関心から、文献等で一度ならず確定死刑囚の拘置所内での日常というものに想像力をめぐらせる機会があった。そのさい特に私が強く焼きつけられたのは、確定死刑囚となった人間が等しく抱くという処刑の〝恐怖”についてだった。
いったん死刑が確定した者にとって、いつ自分の刑が執行されるかは極めて重大な意味をもつ。刑の執行は本人へ事前に予告されることはなく、ある日、突然にやってくる。しかも、執行時間は深夜から明け方などが多く、そうしたイレギュラーな時間に当直看守が独房へ自分を呼び出しにくるようなことがあると、それはいよいよ刑が執行されることのサインである場合が多く、そのとき受刑者は大きな絶望と底知れぬ恐怖をいだくという。
確定死刑囚のこうした境遇とは、娑婆での暮らしの可能性をほぼ完全に奪われると同時に、未来にむけてのいかなる生涯ビジョンをも描くことを禁止された、いわば個人の自由な生活感覚が丸ごと剥奪された特異環境なのだといえる。つまり彼には、生存世界そのものがあらかじめ失われてしまっているのだ。
夏深し魂消(たまぎ)る声の残りけり
(1997年)
死はいつも不意打ちなりし十二月
(2002年)
明日知らぬ身とな歌ひそ青葉木菟(あおばづく)
(2007年)
寒の朝まず確かむる生死かな
(2008年)
縊られて世はこともなし実南天(みなんてん)
刑死者のゐぬ歳晩(さいばん)の夕日かな
(以上、2009年)
私はこれまで詩のなかでも、特に短詩型文学の短歌や俳句において、その一定の音節からなる形式(フォルム)を背後から統べているところの非記述構造たる型式(フォーマット)の実在性について言及してきた。
例えば、おなじ確定死刑囚の坂口弘氏の短歌作品においても、強制された環境である〝拘置所〟という背景野の存在が、彼の作品のリアリティをまちがいなく支えている姿を検分しえたと思っている。
だが、その一方で、大道寺氏の俳句作品には、坂口氏の短歌作品ほど顕著にその非記述構造たる〝拘置所〟の影が前面に露出してはいないものの、逆にそれは一歩背景に退いたうえで、表現の質を背後から全的に制約しているような印象を受ける。
おそらく、そこには俳句という表現スタイルに特有の構造が、陰に陽に作用しているのだと考えられよう。短歌に比べても、より圧縮された音節数によって全円的な言語宇宙を創出しなければならない俳句は、手法そのものの内に一層高い抽象度と直覚的な冴えとがまちがいなく要求されてくるように思われるからである。
最後に銘記しておかなくてならないのは、本句集の誤った性格づけといったものに私たちは最後まで手を染めるべきではないということだ。本句集にはたしかに作者自身に固有の拘禁環境が一定程度いじょうの陰翳をなげかけてはいる。だが、だからといって、これらの作品を特殊な境遇にいる人間の、特異なサンプリングのように読むという愚を犯してはならないのではないか。なぜなら、逆にそうした特性こそが、彼の俳句作品のレベルを文学としての普遍性へ届くところまで押し上げてもいるからである。
ここまできて、私はようやくあの最初の問いに戻ることを許されるような気がする。世界が失われているところで、言葉は世界たりうるか――3・11を経験した私たちにとって、日常生活つまり〝世界〟が失われるということはまぎれもない現実であって、詩的な比喩では完全になくなった。誰もが、その現実に拮抗しうる言葉をもとめ、もがき、そしてなお癒えぬ傷跡をかかえて逡巡し続けているように見える。
世界がそうやって失われているからこそ、逆にそこで実在性を増していくもの。それは死んでいった者たちの濃厚な不在性である以上に、詩の表現の回復過程としてなによりも私たちの言葉のなかに希求されてきた何かであるように思う。言葉が世界たりうるとは、仮に世界のほうが消え失せてしまったあとでも、消え去らずに厳然と残りつづける〝表出行為〟の痕跡いがいの一体何だというのか。
身のうちの虚空(こくう)に懸(か)かる旱星(ひでりぼし)
(1998年)
生きるに値する世界の没落後においても、私たちがなお生きるに値する何者かとして存在できるかどうかは、この一句が指し示す「旱星(ひでりぼし)」のように、なにも寄りすがるものがない無限の空虚のなかでも自ら光を発しつづける言葉、その欠片を手にできるかどうかにかかっているのである。
※引用中の丸括弧はルビです。