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わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第137回 -平川綾真智- 黒崎立体

2014-12-09 18:03:33 | 詩客

 たくさんの詩人がいます。なぜ詩を書くのか、詩人の数だけ答えがあります。異なる価値観に出会って戸惑うことも多くあります。詩を書いていくのなら、ひとつでいいから信じられるものを見つけて抱きしめていた方がいいのです。

 私はそのようにして平川綾真智さんの詩を読んできました。

 好きな詩人を紹介するのなら、とにかくその詩を読んでもらうことが一番です。ゆえにこのエッセイではインターネットで読める詩について書くことにしました。PDF詩誌『骨おりダンスっ』第7号に掲載されている「葦北みっさ」という詩を紹介します。

 *

 葦北みっさ   平川綾真智

眉をしかめた溝にむらがる昨日は過熱し燃え尽きる
低くなる陽は電柱に座り帽子の余る目庇を焼いた
鼻の下が煎ってもらってから来る
お豆の、とっても中挽きな
黒いに近いへ燃されると、すぐ
二つのしこりを塊を奇妙な形のままに下げる。
道の真ん中を歩いて帰った
未遂の卵と 暮らした日々は、おしまいだ。さあ 
すっかりと 。
パッケージがレジ袋を圧する 指輪といっしょにくい込んでっくる
缶は出してみてタブは開けてみて虎縞ガードレールにめがけ
これまでの唾は吐くんだ、ぜんぶラックス
・コーヒーをすすってみれば 、
おくちににがい
にがくない


背すじが小規模に笑うんだ。かかった時間は大人の身体で
整う仕方のないことだ
電線が耳の穴を掘ってくる 、いちじくの葉っぱを貼る場所が
、ある
沸かしすぎは味が落ちるよ火を止めて
移そう適温に下げよう。
低くわだかまる茂みの茎根が触手が虎の白色を残さず隠せば
みっさなんだ、すぐ
瓶牛乳をだ巻き込み、ロゴでっだ 
まんべんっなく
皆伐の端へと転がしたのだ 

今朝から 。 毛深い夜でしかない 。
くぼむ水溜まりに街景が降ったら舗道タイルを擦過してやる
まったく春宵な豪剛毛だ。
たくしあげた部屋着の裾から
小さな膝小僧がのぞく 逃れた腿に殴打の痕が 、
紫にくすみまだ散っている。核果をひっつけた褐色の肌を
焙煎するのだ脱ぎあいみるのだ
フィルターで抽出していく血まみれの乳幼児を掬いあい
紡いだ名前が口をふさぐ。
銀指輪の漏れる砂糖へ みっさへ、私が混ざる隙間へ
熱する液状化が垂れた
両方のまぶたが目にかぶさった
厚く 、
ひろげてゆっくり間を置く淹れる淡さに照らされる
。恋
は女子のキンタマです 。



きりひらかれた柔らかい斜面が湿気になだれかかる土質をひろげつなぐ足裏に
吸いついてくる脂指の股へ舌を入れてくる 。
割れた一本道は長い
古砕アスファルトの合間に下生えが抱えた有機肥料の屑が臭くて
スチール缶は 濡れそぼる。夜は卓越する香気を、
肯定し合って、みっさと二人だ 。
絶滅するだけの個人という種が胸元をくつろげて祝福になる
黄ばむ滑らかな歯並びをたどって達して肌に育み続けて 、
去って行った 、悲しい息づかいを
いちもつ が救いあげていく 。正座した陽光は電信柱の頭から
、落ちてもつれて
臓物を吐き群生に合板に蔓に血流を塗る。内側の
吐瀉物を尾根までつないで谷あいの向こうに夕沁みをつくる。
ひどく懐かしくてたどり着けなく
みっさの旬の一瞬の
いとなみはなすすべもなく吸い飲み続け、やがて我にかえるんだろうね 。
醜悪な、えっちの片隅に人生を置く
ためらいだらけの身体にしがまれ、その時みっさは遂にっようやく、
一緒に居ちゃった その事実、が
。最大の自傷だったと気付く
樹木の感覚が広くなり、去年からの殻下生えが苔に滑り 振り回したコンビニ袋の
こよりが、ゆで卵の殻を剥く 。窓から
性器を出した、みっさは渋皮を裂き琥珀色に煮えこぼれているよ
着いたら つば帽子の身体滓から白牛乳を
噴射するんだ 。果芯のぬたくり返しに蹴り上げられて叫んで腫らすよ っ
ぶら下がる交じる溶けている渇きは出来あがりなんだ 。
混じり合うだろう、肉液カフェ・オ
・レ・コンバーナ が 、
あの部屋にせまい
せまくない

 *

 「煎られたコーヒー豆」と「身体的に傷つけられた人」を重ねている、と読みました。コーヒーを飲むためには豆を焙煎する(傷つける)必要がある、それと同様に私が「みっさ」を知るためには「みっさ」が傷つく必要があった、のかもしれない。
 ここで注目したいのは、傷ついた人の姿からコーヒー豆の焙煎を連想するというある種の「冷たさ」です。自分の目の前にいる人間をおそろしくしずかに見つめている。
 このしずかな、怖いくらいのまなざしが平川氏の特質のひとつです。

   眉をしかめた溝にむらがる昨日は過熱し燃え尽きる
   低くなる陽は電柱に座り帽子の余る目庇を焼いた

   いちもつ が救いあげていく 。正座した陽光は電信柱の頭から
   、落ちてもつれて
   臓物を吐き群生に合板に蔓に血流を塗る。内側の
   吐瀉物を尾根までつないで谷あいの向こうに夕沁みをつくる。
 
 暴力的に展開していく風景描写は不穏の反映でしょうか。この擬人的な風景描写も、平川氏の特質のひとつです。

   性器を出した、みっさは渋皮を裂き琥珀色に煮えこぼれているよ
   着いたら つば帽子の身体滓から白牛乳を
   噴射するんだ 。果芯のぬたくり返しに蹴り上げられて叫んで腫らすよ っ
   ぶら下がる交じる溶けている渇きは出来あがりなんだ 。
   混じり合うだろう、肉液カフェ・オ
   ・レ・コンバーナ が 、
   あの部屋にせまい
   せまくない

 性行為とカフェオレを重ね合わせ、さらに「肉液」という語を選択するような「過剰さ」、これも平川氏の魅力のひとつでしょう。
 また、いわゆる「パンチライン」も多いのです。「葦北みっさ」にも、一度読んだら忘れられなくなる二行が存在します。
 
   。恋
   は女子のキンタマです 。
 
 つまりこの「葦北みっさ」という詩には、平川氏の良さが多くつまっているのです。みなさまぜひ、ゆっくり読んでみてくださいね。

 今回、第一詩集から近作まで読み返してみてあらためて、平川綾真智さんはとても声の強い詩人だと思いました。おそらくは、自分をあざむかずに書いているからそのような声を持ち続けていられるのでしょう。
 その声は、私には聞こえるけれどあなたに聞こえるかどうかは分からない、
 整然と語りつくせない何かがあるから詩なのだろう、と今は考えています。

 あやまちさんの詩から聞こえる声が私は大好きです。


『骨おりダンスっ』第7号
 


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