わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第167回―井上靖―  広田 修

2016-01-31 16:59:15 | 詩客

ああ、遠いあの日のように烈しい夏がほしい。少くともあの日だけは夏だったのだ。雑草の生い茂っている崖っぷちの小道を、私は駈けていた。谷側の斜面には血のように赤い彼岸花が咲き、山側には雨のように蝉の声が降っている。そんなところを、私は駈けていたのだ。烈しい午下がりの陽は真上から照りつけ、生きているのは私と、私の行手に先回りして群がっている蜻蛉だけだった。村の人という村の人は、それぞれの家で、思い思いの恰好で死に倒れていたので、私は谷川の、羊歯と岩で囲まれた小さいインキ壺のような淵に、身を投ずるために急いでいたのだ。

 井上靖は小説家として有名だが、詩もたくさん書いている。新潮社から全詩集が出ているので、是非ご一読をお勧めする。
 井上靖の魅力は、何よりもその清潔さと紳士性である。文体の背後に透けて見える彼のたたずまいがとても端正なのだ。彼はエロスともタナトスとも無縁、もちろん消尽やら血なまぐさいものとも無縁、またユーモアや虚栄心、競争心とも無縁である。確かにそれらの要素は彼の内部に渦巻いていたのかもしれないが、それをきれいに統御する理性が強固だったと言える。
 井上靖の詩は、ある意味小説であり、ある意味エッセイでもあり、ある意味批評でもある。彼の詩を読んでいると、世の中に流布しているジャンルの区分けなどそもそも幻想にすぎなかったのだということがよくわかる。彼はストーリーを語るし、実体験を語るし、鋭い認識を提示する。虚構の言語の戯れを詩として提出することはなかった。
 彼の詩はあくまで彼の人生に根差しており、はっきりした参照点を持ち、はっきりした物語の起伏を持ち、丁寧に描写を行い、明確に批評を加える。それでありながら、なぜ彼の詩は詩であるのだろうか。それは彼が、「叙事的叙情」とでも呼ぶべきもの、また「批評的叙情」とでも呼ぶべきものを最大限活用しているからである。
 私たちは、小説を読むとき、その筋の展開に戦慄したり、その描写の巧みさに感銘を抱いたりする。これを私は「叙事的叙情」と呼びたい。井上はこの叙事的叙情を彼の詩の中に凝縮して表現するのである。また私たちは、批評を読むとき、その認識のアクロバットに戦慄したりする。これを私は「批評的叙情」と呼びたい。井上はこの批評的叙情も上手に凝縮するのである。
 そもそも叙情は詩に固有のものではない。小説には小説の叙情があり、批評には批評の叙情があり、それらの叙情は複数であるようでありながら本質的には一つなのではないだろうか。詩にも小説にも批評にも一つの叙情の流れが通底していて、井上は詩によくみられる類の叙情にこだわらなかった。むしろ、小説や批評によくみられる類の叙情を積極的に用い、それが実は詩によくみられる叙情と根が一つであることを熟知していた。だから彼の詩は、いかに小説や批評に似ていても飽くまで詩なのである。


私の好きな詩人 第166回―田村隆一― 危機と悲惨とのびやかな木 颯木 あやこ

2016-01-11 16:14:36 | 詩客

危機はわたしの属性である

 「十月の詩」の最初の一行に、傍線が引いてある。書き込みをした当時の事情はよく憶えていないが、内から自分が崩壊していくような不安のさなかで、この詩句に出会い強く肯ったことはたしかだ。人間は、創造し何かを産み出す存在であるとすると、危機を伴うのは宿命である。しかし、私=危機そのものである、と言い切るに等しい表現は衝撃であった。同時に、見透かされたような思いがした。

わたしのなめらかな皮膚の下には
はげしい感情の暴風雨があり 十月の
淋しい海岸にうちあげられる
あたらしい屍体がある

 不安定極まりない情緒、計り知れない寂寥、入れ代わり立ち代わり現れる死の想念。危機であるところの内実をひとつの情景として、しかと見つめ、さらに、

ぼくは悲惨をめざして労働するのだ
根深い心の悲惨が大地に根をおろし
淋しい裏庭の
あのケヤキの巨木に育つまで
                                (「保谷」より)

 積極的に、‘悲惨’に近づき、‘悲惨’を根づかせ、そのために日々の労苦を重ねる。これが詩人の姿だ。幸福を追求して然るべき人間の在り方とは矛盾しているようだが、

一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない 
                                (「四千の日と夜」より)

 この大いなる矛盾を宣言した田村が当然引き受ける日常の姿なのだろう。そうして育つ、木、すなわち詩。木と言えば、別の詩篇ではこんな賛歌がささげられている。

木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか

見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない
(中略)

ぼくはきみのことが大好きだ
                                  (「木」)

 「四千の日と夜」や「立棺」の、建築物や交響曲のような優れた構造と音楽性、詩の真実に肉薄する迫力、厳しいほどの決意表明。目指すべき詩というものがあるとするなら、そのような田村詩の在りようをこそ指すのではなかろうか。そう思ったのが私が田村隆一に惹かれた最初である。だが、詩人として生まれついたがゆえの人間性の危うさや苦悩の吐露(詩が成立する過程でその苦悩は乗り越えられているが)、素直にすがすがしく歌い上げたこのような詩篇も胸を打つ。危機や悲惨の中で養った目で、木のほんとうの姿(それは限りなく詩そのものに近い)を捉えた詩人の、無上の悦びにふれるからである。


私の好きな詩人 第165回―稲川 方人― 新詩集『形式は反動の階級に属している』について 渡辺 めぐみ

2016-01-05 13:17:56 | 詩客

 私達が生きることはどのような意味を持つのか、考える必要がないと思う者もいるかもしれない。また、答えを求めるとしたら、答えは無数に存在し、一つではないはずだ。しかし、体験したり見聞したりしたものを取捨する段階で、光の当たるところに目がゆく者と影になるところに目がゆく者では、答えは全く違ったものになってゆくことだけは確かである。どちらがいいということではないが、稲川方人氏は、後者の詩人だ。『稲川方人全詩集』(2002年・思潮社)に「未刊詩集」として収録されていた18篇に未収録詩篇を加えた最新詩集『形式は反動の階級に属している』(2015年・書肆子午線)を読み、そのことを思った。
 「生のため 死のために 私たちは列をつくって/大きな皿にささやかなスープを入れた/生き延びよう/灯をつけよう」(「約束の人を待ちながら」部分)。何事かの抑圧の中で生きようともがく者達のけなげな叫びを、強く支持する詩人の立ち位置が出ている。そのことだけでも十分心打たれるが、よく考えてみると、私がこの詩行に惹かれる理由は「生のため 死のために」という相反する副詞句の並置にあるのだと気づかされた。「しみのついた七〇四ページの古本を開いて/生のため 死のために ばらばらにパラグラフを読んでいた」(「約束の人を待ちながら」部分)も同様である。生のためなのか死のためなのか。恐らくどちらか一方のためなのではなく、生のためであり死のためでもあり、実はそのどちらのためでもないのではないか。修辞という美学ではない。詩人は限定を避け、より生の真実に接近すべく答えを逃がしているのである。
 「帝国叙説Ⅱ」には次のような詩行がある。「目に見えるものはどれもみなやましいから、/君は緑地に立つ神の舌に誓って、/二度と希望の腕を開かないことにした」。これは明らかに逆説であり、視覚と行動を抑圧されるほどの厳しい現状に対し、詩人は改変という希望を失うまいと対峙しているのだ。けれども語られるとき、それは、真逆の、痛みの受容という形で呈示される。詩人の一歩下がったところで発信される意志と、作中の主体の担う心の負荷との、この距離感。それもまた生きる意味を問う詩人の声を逃がしている。
 詩とは何かこの頃よく考える。自戒も込めて決して主張であってはならないと。稲川方人は抵抗の詩人だが、生の拘泥の過程を語るとき、そこに溢れるポエジーには悲しみがつきまとう。「ぼくのたたかう母はどこだ/ぼくの右手の貧しい砂を分けるから/ぼくのたたかう母はどこだ/たたかう地上はどこだ」(「花火の子供」部分)。メシアによって救われることのなかった今生にあって、虐げられた者達、あるいは被災した者達の労苦と惨状を、大地的な慈母の蘇生力によって贖おうとする詩人の希求は、悲痛だ。そして、それは永遠の問いであり、解決策は示されない。私達は、詩人のこの悲痛の果てに光射さない世界の淵を覗くのだ。私達自身の世界観、歴史観、価値観をもって稲川方人の詩のどの層で触れ合い、明日をまなざすかを探らなければならない。生きえない場所に未来を見ようとする行為にこそ詩があることを、本詩集を読み思い出させられた。