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事例研究でマーケティングスキルのUPを!

夏のガリガリ君!君がスターだ!夏といえばチューブ・・・・・

2014年08月30日 | Weblog
■ 夏のガリガリ君!君がスターだ!
夏といえばチューブ、稲川淳二?

夏。
いろいろな夏の人が登場する。
例えばチューブ、典型的な夏のバンド。
例えば怪談師・稲川淳二、夏の怖い話の定番タレント。
そして、ガリガリ君?
もともとアイスは夏に似合うものだが、
特に氷菓・カキ氷の雰囲気をぷんぷん漂わすガリガリ君は、
よく似合う

ガリガリ君。
何が奇跡か?単体で年間5億本近くの売れ行き、
赤木乳業・400億円弱の4割を占める。
30年以上ものロングセラー
子供に大人気だが、おとなもよく食べる。
なぜ、こんなに売れるのだろうか?

セブンアイの店頭のカテゴリー横断的な売上ランキングをみると、
そのベスト10にアイスが2つ入っている。
しかも、ハーゲンダッツを抑えてガリハリ君が上位に来ている。
セブンの中でトップである。

アイスは冷たくておいしい独自のカテゴリーである。
レストランで食事をすると定番デザートとしてふるまわれる。
安くて、甘くて、まろやかで、いろいろな味があり、
お菓子的なエンタメ感があり、こんな表情豊かなスイーツはない。

それでは、
ここから、ガリガリ君の秘密を紹介していく。
まず、アイスカテゴリーのマーケティングモデルは
どのような特性をもつのか?
次いで、ガリガリ君のようなユニークなアイスは、
アイスカテゴリーの中でどのような存在感を放ち、
30年もの間、なぜ小さな子供たちに愛されてきたのか?
を考察する。

はじめに:


アイスカテゴリーのビジネス特性とは?

アイス売場をみると、ヒット商品、ロングセラーブランドが10ヶぐらいある。
ピノ、ジャンボモナカ、ジャイアントコーン、ハーゲンダッツ、雪見だいふく、
スーパーカップエッセル、クーリッシュ、パーム、ガリガリ君、爽、
ドールフルーツマルチパック、バニラバーマルチパック・・・・・
これ以外にも準ロングセラー商品が続く。
これらで売場の半分を占める。
後の半分は新しい商品、リバイバル商品・・・・が占める。
新商品が雨後のたけのこのようにうまれては消えてゆく。
激戦区の食品カテゴリーである。

アイスの事業は、もともと、
ブレークイーブンポイントが高い商品で、
あまり利益がとれないカテゴリーといわれている。
しかしこの数年は普通のお菓子類と異なり、
猛暑の追い風を受けて、売り上げが上がり
損益分岐点が下がり、気をはいている分野といわれているが、
それでも苦しい分野である。
(因みに今夏は異常気象もあり対昨年同月で激減という)

アイスカテゴリーは、生産性が悪い?
その中で、各社はどのように収益を確保しているのか?
大手のビジネスモデルは、
・まず基本ロングセラー主力アイテムを抱え安定的な収益を確保し、
・ついで、毎年のラインエクステンションでそのロングセラーを守り、拡大し、
・それ以外に毎年のアドホック的な単発商品を出し売り場を確保し、
という組み合わせで出来ている。

つまり運動神経の良い、もぐらたたき的なビジネス感覚が求められる。
ある年にヒットしても、それが次の年にヒットするとは限られない。
単年ごとの一回毎感覚のマーケティングになる、
しんどい、つらいカテゴリーともいえる。
なぜか?

次の年には各社がこれぞという新商品を出し勝負にでてくるので、
その勢いに飲まれてしまうことがよくある。
競合からの攻勢で前年のヒット商品といえども油断は出来ないのである。

単年毎のアドホック商品が売れなければ、
アイス事業の収益はますます苦しくなり赤字になり、
ロングセラーの収益をくってしまうので、
各社は必死なのである。

また、最大の原因は、冬休みにはいって、
カテゴリーが冬眠状態になり、
その夏にたまたまヒットしたといっても、
強制的にサステナブルなマーケティングができない状態となり、
次年度は仕切り直しになってしまうからである。

但し、夏冬間の落差についていえば、
今は暖房の聞いた快適な住宅が多いので、
以前ほどはないといわれている。
またアイスが冷菓ではなく、スイール的な色彩を強めているので、
冬でも食べたいスイーツというニーズが生じてきていることも落差を少なくしているようだ。

前述したように、
アイスのロングセラーは以前とほとんど変らない。
逆に言えば、
新しいロングセラーがなかなか育たない特殊なカテゴリーということも出来る。

そんな中でガリガリ君は異常に?頑張っている!
ロングセラーなのにヒット商品である。
半端無く伸びているのである。
その秘密は???


A.ガリガリ君の、3つのマーケティング特性

1.環境特性:

・このところの毎年の猛暑でガリガリ君には
大フォローの風が吹いている。
気温が高いと、
同じアイスクリームでもいわゆるアイスクリーム的なべたべたしたものより、
氷菓的なさっぱりしたものはよく売れる。

・このところのデフレ的な経済下で安いものは良く売れた。
ガリガリ君のお得感はおおいに受けた。

2.商品特性:

ガリガリ君には、極めてユニークな商品特性がある。
アイスカテゴリーの中で異彩を放ち、食品全体の中でも際立った存在感を示している。
ランダムにあげると以下のようになる。

■氷菓(カキ氷)商品:

ガリガリ君の原点は氷菓である。
もともとは片手で食べられるカキ氷というコンセプトで出発している。
バー型以外にカップ型の氷菓、氷菓ブロックもあるが、ガリガリ君の独壇場である。

■市場内商品ポジション:

ニッチボリュームという稀な商品ポジションである。
アイスというカテゴリーでは、
ガリガリ君の遊び感覚は発売当初から明らかにニッチであった。
今や、何百億円という凄みのあるボリュームになってしまった。
いわばニッチボリュームというポジションをつくってしまったのである。
もはや、日影のニッチとはいえない状況である。

今後は、ニッチという匂いをいかに巧みに残し、大ボリュームブランドという大手感覚を隠してゆくか?が問われる。
単純なマス大型商品にしてしまうと、
そのブランドテーストの存在感を急速に失うことになる。

そのために商品開発、販促・広告開発においては、
ニッチの匂いを常に漂わせておかないといけない。
大手と同じことをやっていたのでは勝てない、
という社長談話の感覚は的を得ている。

■NO1商品:

氷菓サブカテゴリー、B級カテゴリーでは常にNO1の地位を維持している。
このポジションは死守しなければならない。
NO1は何よりの凄みのあるブランド価値である。
具体的な価値をすべて内包する形而上的な価値といってよい。
NO1はすべての生活者のニーズを保証するBIGWORDということである。

■安心、ノスタルジー商品:

昔懐かしいバータイプの氷菓アイス
バータイプといえば、昔その棒から当りが出るような思い出が蘇る。
何かほっとする、子供時代を思い出すような安心感がる。

■子供・童心商品:

ガリガリ君は、
きもかわいいキャラクターで子供の人気をわしずかみにした。
発売後30年たった今、
昔5歳の子供が、既に30歳を超え子供をもうけている。

2世代商品の誕生である。
2世代で消費が発生するという強いニ重構造になっている。

ガリガリ君は、
実年齢の子供商品という側面ばかりではなく、
童心にかえって子供感覚で食べられる商品
という現役のおとな商品の側面ももっている。
「童心商品」の誕生をも意味する。

ガリガリ君は複数世代に消費される商品である。

■キャラクター商品:

ガリガリ君は、キャラクター商品である。
今や国民的な「きもかわキャラクター」である。
きもかわは、今はやりのテーストである。

お菓子の世界でここまでキャラが立った商品はない。
ガリガリ君ブランドの連想アンカーポイントは、
間違いなくガリガリ君キャラであり、
ガリガリから連想する淡いブルーの氷菓
の2つである。

ブランドの連想アンカーポイントは、
ブランドの個性の強さを示すものであるが、
ガリガリ君ブランドのそれは強烈である。

■国民的商品:

ガリガリ君は皆に親しまれている。
日本サッカー協会ともコラボして、TBCMもうつなど超NBとなっている。

今や、ガリガリ君は企業の商品の域を超えて、
文化財となっている。
ガリガリ君が、
今後も健康的でヤンチャな子として
すくすくと育つことを願うばかりである。
このような思いを抱かせることが
そもそも普通の商品ではない域に到達している証ともいえる。

3.マーケティングマネジメント特性

ガリガリ君は、
以下のような大きな視点、細かい視点のマネジメントを巧みに行っている。

■コネタプロモーション戦略:

・二毛作でプロモーションを展開する。
夏を6-7月、8-9月の二回にわけプロモーションする。
他社は、夏の後半は、秋以降のアイスのプロモーション準備、
次年度の商品・販売開発の準備に入るところだが、
ガリガリ君は違う。
貪欲である。
・継続的な、地道なゲリラSP
バータイプなのに、
スプーンを置くなど面白いプロモーションを行う。

(詳細は最後の追記で)

■ブルーオーシャン戦略:

・発売当初、強い商品は皆スーパーで売場を確保することに重点を置いていた。
ガリガリ君は、激戦のスーパーを避けて、コンビニでの売場確保で存在感をつくった。
・アイスなのにスープ味をだしてしまった!
等々

大手とは違うことをやる!
がガリガリ君のマーケティングミッションである。
ガリガリ君には、自分の中身とおなじ色をしている戦略オプションの
『ブルーオーシャン色』が良く似合う。
ガリガリ君は、
親のいうことをきかないわんぱくぼうずだ。
勝手にブルーオーシャンに出てしまうそんな感じのキャラクターである。

■PLCマネジメント戦略&プロジェクション戦略:

具体的に言えば、ロングセラーマネジメントの展開である。
ガリガリ君は、
長期に戦略的に需要を喚起してブランド価値を高めていく、
ことを運命づけられている。

ロングセラーは結果としてなるものという側面があるが、
自ら仕掛けてそのようにもっていくという側面もある。
ガリガリ君は両者の側面をもった優れものである。
(次章参照)


B.ガリガリ君・超ロングセラーマーケティングのセオリー:

ロングセラーになるには、以下の3つの鉄則が必要とされる。

鉄則1:定期的なマーケティングスティミュラント(マーケ刺激策の展開)
鉄則2:市場背景の変化にともなうブランドコンセプトのシフト
鉄則3:社会・時代に応じたラインエクステンション、商品開発と投入

鉄則1:

前述のような二毛作、
ゲリラSPなどがある。
冬のイベント展開、全国サンプリングなど
ガリガリ君のすごいのは、それを社員一丸となり継続することである。

鉄則2:

キャラクターは一度中学生から、小学生へと大きくイメチェンさせている。
また、成熟化に応じ、マンネリを防ぐために、
大きく飛躍するマーケスティミュラントを実現すべくスープ味をつくりあげた。
これはマスコミと口コミの取り上げ方が半端ではなく、
変な広告を打つよりはるかに大きなコミュニケーション効果をもたらした。
このラインエクステンション展開で、
ガリガリ君はここに有りという存在感を社会へ大きく示せた。

鉄則3:

今年は20種類以上の商品を投入している。
昨年はリッチコーンポタージュで話題をさらった。
普通では考えられないフレーバーである。
実際においしく出来、よく売れた。
鉄則3はメーカー(製造業)のDNAであり究極のミッションでもある。
つくってなんぼというメーカーの世界観を、
ガリガリ君は忠実に体現している。

ガリガリ君は30年以上の超ロングセラーを続けている。
テクニカルなマーケティングノウハウをしっかり実践してきた結果であるが、
ファンにささえられて、一緒に遊びながら育ってきたという感じがする。
キャラの人格が、そこには宿っているのではないかと思わせる。

赤城乳業社長のつよ強い意志もロングセラーマネジメントの裏側で働いている。
一種の執念で育て上げたキャラ&商品である。

インナーの人々のWILLは、ロングセラー育成で必須のものである。


C.ガリガリ君の原点価値、そのインサイト?!


最後にガリガリ君の本質を示すマーケティングインサイトとは何か?
について触れる。

インサイト1:B級商品というDNA

ガリガリ君の最初のインサイト、それは、
『B級食品』
ということである。

B級という、
ガリガリ君最大の特性はアイスカテゴリーの中で存在感を大いに放っている。

B級とはなにか?
身近で、値段が安く、気軽に構えず食べられる・・・
どこにでもあるような雰囲気を感じさせる、
だれもが自分向きと感覚を持ち、好きになれる食品のことである。
最近では、B級グルメで各地の食品が紹介され、イベントで競われ人気を博している。ものによっては地域活性化のツールにもなっている。
宇都宮の餃子、山梨の持つ煮込み・・・・・・等など
ださくて、品がなく、毒々しい味・・・・・的なはずれの食品の手前で踏みとどまり、
大衆的なファンの信頼と親しみを得る食品である。
それは家庭的な、プロとは趣を異にする雰囲気を醸し出す食品である。

ガリガリ君は、
B級アイスであるが故に、
マーケティング活動の自由度が高く、制約がなく、
いろいろなトライが出来て活性化してきたといえる。

今までのアイスはどちらかというとかっこよく出来ていて、
お高くとまっているものが多かった。
プレミアムアイスであるハーゲンダッツはその代表である。

インサイト2:ガリガリ君は食品である。

食品の原点は何か?
最後にものを言うのは味である。

・食品としての原点価値とは:

おいしい、その味、食感が脳裏にのこる。
ガリガリ君の味はグルメ的、リッチ的、クオリティ的ではない。
さりげないソーダ味である。
なんでもないどこにでもある、癖のない味である。
しかし妙に記憶にのこる味である。
アイス売場の前にゆくと、ほのかに思い出す味、
時間がたつとまた食べたくなる味である。

これだけ長く食べ続けているとその味に慣れてくる。
他ブランドへいっても、また同じガリガリ君の中の他の味へいっても、
また、あのソーダ味と食感を思い出して戻ってくる、
そのような味覚の仕立てになっているのである。
ガリガリ君はロングセラーとなることで、
益々上記のような好循環の恩恵を受けている。

・商品としての原点価値とは:

商品としては価格がなにより大切である。

価格の価値判断は3つある。

価格と性能の見合いでコストパフォーマンス(ユニットプライス)が高いか、
絶対価格(ポケットプライス)が低いか?
その価格が人に誇らしく見えるか(スノッブプライス)?自分がそのような気分に浸れるか?
の3つである。

では、ガリガリ君はどのように評価されているのだろうか?
ガリガリ君は量も多く独特のガリガリ味で、価格もその割には安い。

またB級商品なので、
これを買って食べるとなにか話題になり話の中心にいられる?!
自分が一緒に遊べた気分になれる!?
という精神的な効用も大きい。
つまり、
ガリガリ君は多様な観点で何かお得感のある仕立てになっている。
ガリガリ君は極めて優れもののアイスである。

インサイト3:キャラクター価値へのインサイト

ガリガリ君はキャラクター商品である。
キャラクターとして育てられなければならない。

赤城乳業ではガリガリ君プロダクションをつくり、
キャラクター展開の道筋をつける、その権利関係を調整する等
の動きも見せている。

ガリガリ君アイスは、
「ガリガリ君」というキャラクターを前面にだした
キャラクターグッズでもある。

キャラクターグッズの持つもともとの個性は、
守らなければならない。
ガリガリ君コンセプトを逸脱しないような
デザイン、コピー、メディア対応が不可欠である。
同時に進化もさせなければならない。
進化がなければあきられてしまう。

また、イメージ量をコントロールして、
広がり過ぎてマンネリになったり、飽きられたりということも避けねばならない。
実際のグッズとしては、
トイレタリー、玩具ジャンルでの商品・イベント展開が進んでいる。


D.ガリガリ君マーケティングのBIGWORDとは?

ガリガリ君が、
B級食品であることを、最後に再度確認をする。

ガリガリ君が凄いことはよくわかる?!
では、ガリガリ君マーケティングを一言で言うとすると何か?、
ズバリ、
『B級食品』
ということに尽きる。

B級であるが故に、
他の完成度の高いイメージで勝負しているA級的なアイスとは異なる。

ガリガリ君は、
B級ならではのマーケティングマネジメントの『8P』が
実践できたものと思われる。

キャラ的に言えば、
わんぱくぼうずのように暴れまわることができたともいえる。

8Pとは、

プロダクト、
プライス、
プレイス、
プロモーション、
ペルソナ(ターゲット、商品に隠されたキャラ性)、
ポジショニング(対競合への差別性)、
PLC(プロダクトライフサイクル、ロングセラーマネジメント)、
プロジェクション(需要予測)
である。

結果論ではあるが、
ガリガリ君は、
見事にマーケティングの8Pに対応して、
すべきことはキチントしたということが分かる。

いまやアイスカテゴリーは、
特Aのハーゲン、特Bのガリガリ君で維持できているといっても過言ではない。

この稿おわり


追記1:

改めてガリガリ君の凄さ
2013年度は4億8千万本(約5億本)
まず、年間一億本達成には約20年近くかかっている。
その後2億本(07年に達成)までには7年、
3億本までに3年4億本は2年でクリアした。
加速度的に伸びてきた。
赤城乳業は3年から13年には380億円と倍増になる。

指数関数的とまではいわないまでも加速度的なものは、
必ずどこかで急停車的な波乱要因をはらんでいると考えるのが
数学的なチャート分析の基本である。
どこかでそろそろ鈍化するのでは?
不連続なクライシスが起こるのでは?
とそのリスク要因を注視して、それをどう回避するかを考えておくのが、
最大のマーケティング戦略といっても過言ではない。

追記2:

氷菓といえば、赤城しぐれが有名である。

あのなんでもない味、硬くて食べずらい食感、
どこがいいのだろうと思わせる商品だったが、
振り返って見れば、
何となく定期的に食べていた商品であった。
今はめったに見ない商品であるが、
ノスタルジーを感じさせる商品であり、
リバイバル作戦がうまく機能すれば、
面白いブランドとして、復活するのではないだろうか?

とにかく懐かしいブランドである。
この懐かしさだけでも十分にブランドの連想点にふさわしい。

追記3:

意外とガリガリ君はアイデア勝負の話題性商品とのイメージが強いが、
実際はセブンアイとのミルクたっぷりとろりんシュー味や
ファミリーマートとのカフェフラッペなど
かなりの技術力で受注している側面もある。

提携先への厳しさで有名な両CVSが、
太鼓判を押した技術力でPB化を成功させている。

追記4:

ガリガリ君のコネタ。
この地道なSPがガリガリ君を支えている。
縁の下の力もちである。

生活導線上の細かい、ユニークな、
面白い(話題を取りそうな)プロモーションを、
リアルな街、売場、SNS上でどんどん仕掛けて、話題をつくり、
口コミを誘発した。
一年間で見ると、100件をこえるコネタが展開されるという。

冬の札幌のサンプリング、バータイプアイスなのにスプーンを売場に置く?
子供たちへガリガリ君の品揃えの多さ、面白さをつたえるレインボー売り場つくり、
着ぐるみ、ゲーム、
ガリガリ部という会員づくり、
秩父鉄道のSL切符・・・・・・・
等実に多彩である。

これらのコネタの効果をどう考えるか。
一年間をそのコネタをサステナブルに続けることで、
いつも何かしている、動いている会社、ガリガリ君!
というイメージインフラができるように見える。

そのコネタに触れた人の心には、
ガリガリ君のイメージがすこしずつ堆積し、売場でガリガリ君を見れば、
つい買いたい、買ってしまうという行動連鎖をつくった。

また、買わなくとも、売り場でガリガリ君を見れば、
必ずガリガリ君が再認され、次の購入機会への布石をうつことに繋がる、
という価値連鎖も確保できたということになる。

これは対外的な効果だけではなく、
社員のガリガリ君へのこだわり感を醸成し、
やる気のエネルギーを益々高めているともといえる。

社員のやる気が高まれば、流通もその意気を感じ、
取り扱いの意欲を高めてくれるという価値連鎖をもたらすことになる。

社員のやる気をあらゆるステークホルダーが敏感に感じ取るという
精神的効果がもたらされることも間違いない。
スイーツではないスープ味を出す
などは商品開発に名を借りたプロモーションであり、
冬にアイスを食べてもらうという伏線でもある。

とにかく何かをやらかすガリガリ君というイメージをつくる。
ガリガリ君のキャラクターはわんぱくぼうずである。
何か、いたずらチックなことをしょっちゅうしでかしている方が
「ガリガ君らしい」のである。

ガリガリ君は、
様々な次元のコネタ、中ネタでマーケットを刺激していった。

このコネタは、
ガリガリ君という強烈なキャラ発で行うので、
そのイメージ資産は全部ガリガリ君と言う商品に蓄積され、
奇跡的な効果を生み出してくる。

普通の商品だと、
一般的に売場以外のプロモーションをおこなった時に、
どの商品のプロモーションだったのか記憶の中でまぎれてしまい、
トップ商品だけを利するという現象がおこる。
ガリガリ君の場合はそのようなことは無かったと推察される。

追記5:

次にコネタのヒンジ効果について触れておく
ニューヨーク。
以前は汚い、犯罪の街という評価が一般的だった。

ジュリアーノ市長時代に、
ニューヨークは安全で魅力的な都市に生まれ変わったといわれた。

まず、地下鉄の窓に落書きがあればそれを消す、また落書きされる、
また消すというようないたちごっこをつづけた。

ビルの窓ガラスがわられた、また入れ替える、また割られる、またいれかえるという作業もおこなった。

ヒンジとは蝶つがいのことである。
開いてもまたすぐ綴じる。また開く、また綴じる・・・・
それを繰り返すうちに、
ヒンジは綴じることなくあいたままになる。

ニューヨークの地下鉄の窓から、
時間の経過とともに、窓を綺麗にするという市民のエネルギーが増えてゆく、
いつしかまどの落書きは無くなっていったというお話である。

最後はニューヨークの町がきれいになり、犯罪の件数も減ったといわれる。
教訓として、小さな積み重ねがある臨界点をこえると、
半端ではない効果をもたらすという話である。

ガリガリ君もお金をかけた派手なSP,キャンペーンは張らないが、
地道なコネタの連続で、ガリガリ君のエネルギー・マグマを蓄積し、
ついには、マスと同じような、効果をもたらす結果となった。

ガリガリ君のコネタSPは、
地道な活動成果が閾値を越えた瞬間に
売り上げに大きく影響した。
前述の指数関数的な成長という効果である。


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■インサイトとは、インサイトマーケティングとは?それは人の幸せのためにある!

2014年07月02日 | Weblog
■インサイトとは、インサイトマーケティングとは?それは人の幸せのためにある!



インサイトとは何か?
インサイトとは生活者の本音のことである。
それが分かればマーケティングはすべてうまくいく??

はじめに:

弊社のサイトを10年振りにリニューアルした。

きっかけは?!
弊社も社業30周年となり、単純な調査会社ではなくなってきていた。
弊社はリサーチ&数理解析を得意分野としているが、
今は、商品開発、ブランド開発のコンサルが主業務になり、
その有効・有力な手段としてリサーチを位置づけている。

今、会社の中でブームになっているのが、インサイトである。
特殊なマーケティング言語である。

生活者、消費者、利用者・・・の本音・・・・といった意味になる。
業界の中でも、最近の様々なマーケティング・リサーチ技法は、
この観点を視野にいれたものが多くなっている。
(例えば、ニューロマーケティング、MROC、・・・)

では、生活者のインサイト(本音)が分かればマーケティングはうまくいくのだろうか?

本当のところは分からない。
でも、分からないより分かった方がよい。
一歩前進である。

そのインサイトに潜んでいる生活者の感情には、
あらゆるマーケティング行動のヒントが凝縮されている。

端的にいえば、
マーケティングのつかみのヒントが、含まれている。

つかみとは?!
商品デザイン、商品スペック、広告、販促、WEB等々が醸し出す
「らしさ感・雰囲気」によって、
その受け取り側の生活者が、最初に感じる心象のことである。

生活者が初めて商品や広告やらに出会ったとき、
どのような気持ちを抱くか、インパクトを受けるか?
の基本のマーケティング要素である。
企業のマーケティングアクションと相手・生活者との、
出会い後の絆づくりのトリガーとなるものである。

マーケティングがうまくいくかどうかはその出会いにかかっている。
要はインサイトが勝負の要なのである。

生活者のこころを掴むために、
そのインサイト(本音)を知ることからマーケティングは始まる。
果たして、インサイトをどこまで掴むことができるのか?

費用、時間、手間をかければそれなりの迫り方はできる。
しかし、マーケティングという実務は、
時間、お金など経営資源との戦いである。
ある理想のゴールを目指しつつも、
一定の効果が見込めるところで妥協しながら進むものである。

また、お金を掛ければインサイトに迫れるかといえば、そうでもない。
人のこころの奥底は本人にも分からないものがある。
なかなか難解なものである。

また時間の経過とともにインサイト(本音)もずれてくる、
空間が変わればインサイト(本音)も変わる。

本稿では、このやっかいなインサイト(本音)について論を進めていく。

インサイトの詳細は、

弊社のサイトにあるのでご参照を。

URL:http://www.md-sgp.co.jp/

A.インサイトとは何か?:

インサイトとは心の中の奥深く潜む思い!と定義しておく。
すこし意味深な文学的な表現になる。

インサイトには、いろいろな態様がある。

・本人が気付いていること・・・気付いていないこと
・思い当たる節のあること・・・全く考えもしなかったこと
・ポジティブなこと・・・ネガティブなこと
・現実離れしていること・・・現実的な、生活的なこと
・人との関係の中で生じること・・・自分のこころの中で醸成されること
等々

また、もうひとつ、インサイトをややこしくしているものがある。
個人のインサイトと集団のインサイトの両方の存在である。

要するに、インサイトには、
「インサイトはよくわからない」、ということがわかった?
という哲学的な禅問答のようなところがある?

B.インサイトの効用:

インサイト。
そんなに難しいことを、
エネルギーを使って理解しようとしても仕方がないのでは?
という話もある。

でも、分からないより分かった方がよい。
マーケティングの成功確率がたかまる、と考えるのが普通である。

広告を考える、商品コンセプトを考える、WEBのランデングページを考える・・・

あらゆる局面で、そこへ関与する人・コアターゲットはなにを考えているのだろう
という問題は避けて通れないという現実がある。
即ちインサイトは、必須ということである。

インサイトが少しでもわかれば、そこを基点として議論が進んでゆく。
あっちこっちへと話がぶれることは少なくなる。

議論が集中化する、集約化しやすい。
もし、議論が変な方向に進みそうだとしても、
もともとのインサイトという基点・ガイドがあってのことなので、迷走状態にはならい。

インサイトが分かれば、
あるマーケティング課題をとくための方程式がたちやすくなり、
インサイトという初期条件があるので、解・ゴールがスムーズに導けることになる。
何もなしに暗中模索ということになれば、なかなかゴールにはたどり着かない。

インサイトには確かに何らかの効用がありそうである。

C.インサイトの導き出し方:

1.インサイト抽出のアプローチ:

以下のようにいろいろなアプローチがある。

・定性データを深く読む
・多変量解析により深層心理へせまる
・デベート型ブレスト(パワーブレスト)で感情をむき出しにして議論する
・大量OAからのダイヤモンド的な名回答を導き出す
・自己経験ジャーニーから自己インサイトを導き出しそれを援用する
・最後、インサイトが分からなければあきらめるという手もある。

最後の考え方は、
行動マーケティングという分野のものである。
ある刺激をすれば、どんな行動が起こるか?
ということが経験的にわかれば、
そこにどのような心理(理由)が発生したかは問わず、
効果効率の良いマーケティング手段を講じられる、
というわりきった考え方である。
実務的には傾聴すべきアプローチである。

しかし、それでもインサイトは分からないよりより分かった方が良い、
分かれば、より適切なマーケティング手段を講じられるのであれば、
インサイトへ迫る努力は怠ることなく進めていくべきである。

ここでひとつ大切な情報を。
インサイトの抽出において、看過されてはならない重要なポイントがある。
それは「ラブマーク」という概念である。

物事の評価感情には3つの領域がある。

トレードマーク(特許がとれる理知的なもの/品質、性能など)
ハートマーク(人の気持ちをつかむ感情的なもの/好意など)
ラブマーク(心が揺さぶられる本能的なもの/ぴんとくる、インパクトがあるなど)
である。

この3つ目のラブマークという領域にインサイトは宿る。

インサイト・人の本音はラブマークという感覚の表現で示されることが多い。
感情言語がたくさんでるような商品デザイン、スペック、広告・・・は
ラブマーク的ということができる。

感情言語とは、
例えば、凄い、感動!、なにこれ!、やばい、えっおしゃれ!・・・・・・
というようなニュアンスの言葉である。

本能が揺さぶられるような、
ラブマーク的な対象(商品、デザイン、広告、WEBデザイン・・・・)
が目の前に来たときに、
生活者のインサイトは鮮明に現れてくる。

2.インサイト抽出の課題:

個人にはいろいろな人がたくさんいて、
個人ベースでは、インサイトはとても扱えない、
また、統計的な方向性もみえない、
という話はよく聞く。

これをクリアする方法として、集団化というテクがある。
いわゆるクラスター抽出によるアプローチである。

インサイトのクラスター抽出・分析には、以下のような利点がある。

・集団を扱えばひとりの個人のブレも吸収できる。
集団を扱うことで、個人のインサイトではぶれたり、個性が強く異常値的に見えるものが、緩和されて統計的にまとまってくるので、インサイトの鮮明度が逆に高まり分かりやすくなる。

・集団を扱うことでインサイトの類型化が出来る
個人の人数分のインサイトが多数、多様に存在するという混乱が避けられる。

・インサイトの新しい分類分析が可能となる。
他の設問とのクロス集計でインサイトの周辺の性格付けができ、
リッチなインサイトワールドを作ることができる。

・集団で統計処理することであらゆる数理解析が応用でき、
ユニーク、斬新な分析結果を得ることが出来る。

但しクラスター分析に当たっては一工夫がいる。
単純なクラスター分析ではなく、以下のような工夫が必要である。

・ミクロクラスター方式:
各クラスターの鮮明度をUPするために、クラスターの分類数を10-20に区分する。この場合は調査のN値が数千単位で必要になる。

・クラスター++方式:
クラスター以外の生活者分類の軸を、
1つ-2つ持ち複合的に組み合わせて実行する。

インサイトはもともと個人に帰するものであり、集団化による手法は、
個性の薄まりというリスクを伴う。
それを回避するために上記のような工夫が必要となる。

一方、インサイトには、以下のような課題もある。

インサイトは個人の本質である。
したがって、時間経緯とは無縁のようでいて、社会現象に流されるという側面ももつ。
この流行というややこしいものをどのように扱うか?
もクリアしなければならない大きな課題である。

流行。
流行は、早くその流れ・馬車に乗りたい人(バンドワゴン効果を求める人)によってつくられる。
いわゆるマニア、イノベータ、オピニオンといわれる人が主役となる。

したがって、クラスター処理の中で、
社会の先端を行きたい人を抽出し、ひとつの分類とすることで、
流行に対するインサイトを追うことが必要となる。

先行性クラスターの抽出にあたっては、
プロダクトライフサイクル上の相転移分析、
マーケティング意識行動先行性分析
で対応することになる。

先行性を数量化することで、時間差のインサイト変化を透視することができる。

C.インサイトの応用事例

インサイトが一番威力を発揮する分野はターゲッティングである。
インサイトは、今はやりのペルソナをつくる上で極めて有効なツールとなる。

今、マーケットは成熟しているといわれる。
あるマーケットを想定して誰を攻めてゆくかという議論になった時、
リ・セグメンテーションという方法がクローズアップされている。

ここに3つのLSというキーワードが登場してくる。

LSとは以下の3つである。

・ライススタイル
(個人の価値観/生活観、仕事観等についての考え方、動き方)

・ライフステージ
(家族、帰属集団の構成関係/日本では家族類型は20ヶに分類される)

・ライフスキル
(生活の術の巧みさにより分類される/生活の知恵・行動があればよりハッピーになれるという概念、上記ライフスタイル、ライフステージは、
簡単には変えられるものではないが、
スキルは個人の頑張りで向上することができ、即QOLを改善できるという重宝な道具となっている。今のマニュアル時代の象徴的な現象でもある)

これ以外にも、
いろいろな属性を駆使してマーケットを新しく、リ・セグメントし、
新しい時代性のあるコアターゲットを抽出しようという試みが出てきている。

ペルソナは、
そのようにして生まれた「新しいコアターゲット」に息吹を与えるものである。

ターゲット像をあいまいにせず、
そのターゲットのインサイトを鮮明につかみ、
個人の名前までつけて、その人の生活振り・5W1Hをビビッドに表現し、
あたかも生きたキャラクターのように企業内、マーケット内で共有化し、
マーケティング戦略を組んでゆく方法である。

ペルソナはその手がかりとなるものである。

そのペルソナつくりに、インサイトという視点は欠かせないツールとなっている。

ペルソナの効用は以下の通り。

ターゲットに関して、社内議論、代理店へのオリエンがぶれない。
基本が明確、鮮明なので、多少の情報負荷があってもびくともしない。
即ち、その基本ペルソナをもとに、
マーケティング担当者やデザイナー等、作業当事者の経験を自由に加味することができる。
加味してリッチなターゲット像、
生活シーン像を奔放にリッチに描くことが出来る。
それがマーケティング活動の活力深さ、幅を生むことになる。

D.インサイトマーケティングは何のために?

最後に一言。

インサイトを基点としたマーケティングについて述べる。

そもそもマーケティングは何のためにあるか?

マーケティングに限らず、
あらゆる人間の活動が、人間の幸せのために行われている。
例えば、
ビジネスの目的が、仮にお金儲けだとしても社会に認められなければ、
富が蓄積されることはない。
目的はお金だったとしても、
社会への役立ちがあるからこそ結果としてお金が入るわけである。
要は、社会に役立つということは、何事においても必須である。
それは学問、経済、ボランタリー・・・・・・どのような分野においても同様である。
マーケティングも同様である。

改めて、インサイトは生活者の本音である。

マーケティングの本質はインサイト(本音)をつかむことにある。

インサイトを別の言葉に言い換えると、多少乱暴ではあるが、
人の欲求(本音の欲求)のことである。

インサイト(本音の欲求)を掴んで、その欲求に答えることで、
人に生きていることを実感してもらい、
幸せを感じてもらうことが、
インサイトマーケティングの究極の目的である。

それでは、
人が生きている実感を得、幸せと感じる欲求とは何か?
マズローの五段階欲求仮説がわかりやすく教えてくれる。

・生理欲求・生きる、
・安全欲求・安全安心に、
・帰属欲求・仲間が欲しい、
・自己尊厳欲求・仲間から尊敬されたい、
・自己表現欲求・自己を高め表現したい

この素朴な欲求が満足されると、人は生きていることを強く実感する、
そしてハッピーと感じるのである。

例えば、
おいしものが食べられればいきいきとしてくる
(生理欲求の中のひとつ、食欲が満たされるから)
恋愛をするとうきうきする
(生理欲求の中のひとつ、性欲が満たされ子孫を残せると感じるから)
仲間から認められると嬉しい
(群れの中で自分の価値が認められ、居心地がよくなるから/人はもともと群れをつくりその中でうまく関係性を保つ工夫を凝らし進化してきたという経緯がある)
等々、

改めて、
インサイトマーケティングは、
インサイト(本音の欲求)を掴み、欲求達成を実現するマーケティングのことである。
生きている実感を呼び起こし、皆を幸せにするためにある。

この稿おわり

追記:

インサイトは永遠のテーマである。

人は何を考えているのだろうか。
仕事関係、恋愛関係、家族関係・・・あるいはバーチャルな関係においても、
その人のこころが読み取れれば、何かと面白い、うまくやっていける、
ということになる・・・・・・。

だからインサイトを考えることに一回でもはまると、
やめられなくなる??

心理学に染まると本当にそうなりますよ!!


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■ 製品開発・経営のブレークスルー、ダイソンのデザインマネジメントとは?!

2014年05月26日 | Weblog
■ 製品開発・経営のブレークスルー、ダイソンのデザインマネジメントとは?!



はじめに:

テレビ東京、村上龍のカンブリア宮殿でダイソンが取り上げられた。
あのサイクロン方式の掃除機、羽無し扇風機のメーカーである。

この番組の中で、非常に示唆的な話があった。
企業の、とりわけ製造業に関する示唆である。

あなたの会社は機能的で美しく経営されてますか、
とう問いかけをしている!
と筆者には思えた???

その意味は以下。

A.ダイソンの創業者とは?:

ジェームズダイソン、1947年イギリス生まれ。
英国王立美術大学というエリート校を卒業。

自分はいつも開発の部門の最高責任者、チーフエンジニアであり、
社長という経営者ではないという。
開発の前面にたって技術オリエンテットなところで製品の機能革新にこだわっている。

今でもバイク、F1で頑張った本田宗一郎、トランジスタ、ウォークマンの盛田昭夫は、
直接あってはいないが、自分の人生の師だという。
社会を変えた革新的な技術・機能志向の創業者として尊敬しているという。

ダイソンは理念が明確である。ダイソンカラーそのものである。
・製造業とは何か、
・市場ニーズをどう捕らえるか、
の原点を考えさせるものがある。

通常の企業では、
マネジメントのテクノクラートがトップになり、マネジメントを巧みにこなしてゆく。
ダイソンはこのような一般的な大企業のトップとはおよそ異なる企業体質を保っている。
ベンチャーといってしまえばそれまでだが、
それだけではない独自の経営哲学がある。

それは経営哲学というかっこいい話ではなく、ダイソン氏のDNAといっていいものである。
スティーブジョブズのあのDNAと同じである。
ずばり、デザインへのパラノイア的な執着である。
ダイソンは機能オリエンテット、
アップルのジョブズは使い勝手オリエンテットという違いはあるが、
デザインを追求・探求するプロセスへのこだわりは全く同じである。
良い意味で異常値感覚の凄さである。
常人にはないものである。

社内のダイソン氏の評価は?
ダイソン氏はどんな人?ときかれると、
根気のある人、辛抱強い人、失敗は悪いことではないと考える人
という回答が返ってくる。

B.ダイソンの製品開発の歴史とその理念:

ダイソン社では、技術・機能志向のユニークな製品をつくり世の中に送り出している。

例えば、
・シートラック
平な船底のジープを乗せて時速60KMで水上を走るボートで、
接岸がどこでも出来ていつでも使えるので様々な業種に年間200台も売れたという。
・ボールバローン
手押車・台車
一輪のタイヤを大きなボールに代えて、
土に埋もれないように安定性が増すようにつくった製品。
・お馴染みのサイクロン方式の紙パックレス掃除機
・羽子無し扇風機
・エアブレード
洗面台で手洗いした手を、床にぽたぽたしずくを落としながら、
温風乾燥機の前までゆき、乾燥させるという方式が洗面所の一般的な姿である。
しずくで床が汚れ、乾燥も不十分な状態に怒りを覚えつくられた。
手を洗った後にその場で時速600KMの風が吹き出して、
自動車のワイパーのように水を掻き落とすとという。
手の皮膚にある水分まで乾燥させてしまう従来の温風乾燥機とは違う、
という。
品川プリンスホテルで採用される。
いままでにない使い心地で、
ホテルのサービスの上質感を出すのに良いと評価されたという。

どれも生活、仕事の不便さ、未充足点に焦点を当てた製品である。

ダイソンの開発の原点は、「怒り」である。
生活の中にあふれるたくさんの製品の未充足さ、不便さに、
目をつぶっておれないという気持である。
特に、その製品カテゴリーのスペックが常識化していて誰も疑うことがない、
でも心の奥底では何か不満をもっているような製品カテゴリーに目をつけて一石を投じ、
わかりやすく革新することがダイソンのDNAである。
紙パック無しの掃除機、羽のない扇風機、
皆そうである。

わかりやすいメリットと意外性が大衆の心を捉えて離さない。
逆にユニークすぎて、視点がマニアック過ぎて、失敗したものも多い
といわれるぐらいである。

今でも、ダイソン氏の本社の机には、
世の中を変えた世界中の革新的な製品サンプルがたくさんおいてある。
例えば、
・垂直方向に離着陸できる飛行機(滑走路を必要としない)
・防水機能のソニーウォークマン、水や砂を気にせずビーチで安心して楽しめる、音楽の幅を大きく変えた
・シトロエン、60年代に機械制御から油圧制御を導入した車。
これでいかに車の制御が機能的になり、運転が楽にスムーズになったか
等々である。

また、本社には、
ダイソンが考える理想的な製品(自転車、ボールペン、ベビーカー・・・等の理想形)のデザインプロトタイプが飾ってある。

これを見ただけでダイソン氏、ダイソン社が何をしたいのか、何がDNAかがわかる。
世の中に出回っている製品で、
常識となっているが、皆が何となく妥協して使っているもの、何となく不便・不満に思っていることに対して、それでいいんですか?
との投げかけををしているのである。

ダイソンは、
ひとつの業種に特化することなく、生活を革新することならなんでもする企業である。
技術屋魂を奮い立たせる、
機能を根本からか変えて生活現場に革新をもたらすテーマ
であれば何にでもチャレンジする、
生活革新企業といってよい。


C.サイクロン方式掃除機のブランド力:

ここでサイクロン方式の掃除機について見てゆく。

TV番組の冒頭で日本でのユーザーの声の紹介があった。
掃除が楽しくなったという。

ゴミの吸引の様子が透明の素材でよく見えるので、
ゴミがとれているという実感がわく、
ゴミの質も細かい砂のようなものが良く取れていることがわかり、
掃除のやりがいがあるという。

自分の掃除という家事の成果が見える化されたことが、
主婦のモラルをUPしたということになる。
もちろん透明の紙パックがないことで、ゴミの後始末がスムーズで汚れないという、
機能面も掃除機のイメージを一変させた。

デザインの勝利である。
サイクロンという画期的な技術がいろいろな使用未充足点、使用不満点を満たし、
その機能を透明容器というデザインで処理した。
ダイソンの掃除機は、生活者の立場で言えば、
ゴミの吸引が見える化されたデザインの勝利である。

これにより、
サイクロン方式はダイソンという確固たるブランドイメージを確立した。
今、家電量販店の掃除機の売り場の6割はサイクロン方式が占めるが、
その中でダイソンは4割のシェアだという。
しかも、ダイソンの売れ筋は8万円台、他のメーカーのさいくろん方式は3万円台という。
ダイソンブランドの強さを如実に示している。

サイクロン方式といえば、斬新で先端を行くもの、それはダイソンの愛称・代名詞となっている。
そして、ダイソンのサイクロン方式といえばあのモーターをカタチどった本体の透明デザインという価値連鎖が生じている。
いわゆる強固な「ブランド連想点」が生じている。

D.サイクロン方式掃除機、その開発秘話:

開発へのモティーフとは?

ダイソン氏は、
ある日、普通の掃除機で掃除をしていて、うまく吸引しなくなったという。
代わりの紙パックもないので、仕方なく紙パックを取り出しナイフで穴を開け、
中の吸引ゴミを捨てガムテープでその穴を塞ぎ、掃除機の中にリセットし、
再度掃除機を掛けたという。
ところが、全くゴミを吸引しないので、
紙パックのメッシュに細かいゴミが吸着していて吸引機能が消滅していることに気づいたという。
そのとき怒りにも似た気持ちが生じたという。

そこから紙パックレスの掃除機の開発がはじまった。

ダイソンサイクロン方式の掃除機は、
「時間がたっても吸引力が落ちない掃除機」というキャッチフレーズである。

試作品は5627回にも及んだ。

最初のものは1978年、ガムテープで部品を組み立てたものである。
3146番目の試作品のときに、
エジソンの言葉、失敗とは成功するまでやり遂げられなかったときの言葉である、
という名言に勇気付けられたという。

そして5627番目が完成品という。
ガレージで初めてから5年が経っていたという。
まさにベンチャーのガレージビジネスを地で行く話しである。
ものづくりの試行錯誤はITのガレージとはスパンが違う、長いと感じる。
途中で何回も挫折しそうになり、
銀行からの借金もどんどん増えていったという。

そして、一難去ってまた一難。
試作品が完成してからが、新たな苦闘のはじまりとなった。
サイクロン技術をライセンス供与するべく世界をまわったが、
どこも関心を示さなかったという。
理由は、既に成熟した掃除機という家電分野に投資をしようという経営者は
いなかったということに尽きる。

紆余曲折があって、1990年の日本での国際産業見本市で受賞し、
1991年に、日本のシルバー精工からのライセンス料を得ることが出来たという。

これで何とか破産せずに事業が続けられたという。
このライセンス料を元手にダイソン社を設立した。
日本には感謝しているという。
ダイソンはいよいよ自分で掃除機をつくることになった。

E.企業理念の変貌という現実:

ダイソンの掃除機。

あまりに売れ過ぎて、ダイソンは掃除機専業のようなイメージになってしまったが
本質は前述のような企業である。

今やダイソンは機能オリエンテットな理念で機能をただ追及する企業では済まなくなり、
アッセンブリーメーカーとしての様々な問題を処理してゆかなければならない企業
になったということも示している。
いまの羽無し扇風機のリコール問題への対応はそのひとつである。

ダイソンは、今や1800億円という売り上げの企業である。
社会的な責任を負い、
市場の細かいニーズである、製品、事業の改善テーマを
追ってゆかなくてはならない企業となった。
マレーシアにある掃除機の耐久性に関する施設などその手は着々と打っている。

掃除機の将来はどのようになるのだろうか。
・掃除機本体の革新は?
掃除簡易性、低コスト化、コードレス化、電池時間の充実、もっと小型化・・・・?
・対象物である、ほこり、ゴミへの対応は?
アレルギー問題は、害虫対策は、
・システムとしての革新は?
家全体を掃除システム化してホースレスにするとか?

もっと小型化ということであれば、デジタルモーターの開発がある。
これは10年以上掛けて開発したものという。
TVで見た感じでは、普通のモーターの半分の大きさにみえる。
体積にして7-8分の一ぐらいになろうか。
この技術は要素技術ともいうべきもので、
サイクロン以上に世の中をかえる可能性のある技術である。

この小型モーターは、
先ほどの手洗い乾燥用のジェットエアーにも使われている。
小型化で手洗いの蛇口で、手洗いのあとそのままジェットエアーで乾燥ができるようになった。
ダイソンらしい革新性はまだまだたくさんある。

ダイソンは、
次から次へと技術革新をしてゆく会社という市場の期待にこたえなければならない。

リアルな既存事業では、
いつもいつも画期的な技術、機能の革新のネタが出てくるとはかぎらない。
ここがダイソンのネックとなる可能性がある。
画期的なことが生まれなければダイソンらしさがないと
市場からのおしかりのメッセージを受けることになる。
ダイソンも当たり前の企業になったな!
という評価になる状況が生じている。

TV番組でダイソンは、村上龍の質問に答えている。

なぜ、一般企業はダイソンのような革新的な技術・機能の革新ができないのでしょうか?

ダイソン氏答えていわく、
普通の企業では、
マーケティング担当者は市場の細かいニーズに細かくこたえてゆかねばならない。
そうすると、小さい小技的な改善で終始するカルチャーになってゆく。
思い切った本質的機能革新の視点が見えなくなるか、
見えていてもその決断ができない企業カルチャーになるという指摘である。
その通りと思う。

しかし、ダイソンもこれだけ掃除機が売れてしまうと、
どうしても、ダイソン氏が避けたいと願っている小技的な改善をせざるをえなくなる。
それは保守的で守りにはいったというより、
大きな市場ニーズにたいするきめ細かい責任の処し方であり、仕方の無いものである。
この改善と大きな異次元的な革新とのバランスを、両にらみをしなければならない
という状況がダイソンには生じている
という自覚が求められている。

F.最後に/デザイン経営の基本哲学:

デザインエンジニアという考え方はユニークだ。

企業理念はきわめてシンプルだ。

デザイナーはいない。

エンジニアが機能を追及する中で、デザインの勉強をするという。
普通の製造業であれば、エンジニアとデザイナーの両職務が存在し、
その職務が分離している。
互いの情報交換はするが、互いの職務の中に立ち入ることはない。
工業技術は複雑になり分業化が進んで、
立ち入ることが不可能になっているという側面は見逃せないが、
不文律としてデザインと技術は別物との不可侵的で保守的なきまりみたいなものがある。

ダイソンはデザインエンジニアという職種を標榜し、その垣根を取っ払ってしまった。
デザインエンジはダイソン独自の言語である。

デザイナーがいないのだから、
必然的にエンジニアのこだわりの機能を表現するデザインに落ち着いてゆく。
ひとつのデザインの体現の仕方である。
それは良し悪しを問うものではなく哲学の問題である。

ダイソンには2000人弱の,
技術にこだわりのあるエンジニアがいるという。
そしてデザイナーはいない。
この構成がダイソンのDNAを保つことに役立っていると考えられる。

例えば、車会社に入社する人が入社時から退職時まで車が大好き、こだわるということになるだろうか?、
開発、販売、経理、購買・・・どんな職務につこうと、車に飽きずに熱心か、こだわっているか?といえば、
けっしてそうではない。
ベンチャーのオーナーとは違う。

一般の社員はある程度は仕方が無いが、
問題なのは大企業のトップになる人である。

マネジメントの能力は優れていて、
また、主力商品のことを勉強していることはわかるが、
心底その商品に惚れて好きで好きでたまらない、こだわりまくっている!という感覚はもてているだろうか?

経営のプロと、その主力カテゴリーのプロ(=商品が大好きな人、こだわっている人)とは異なる、
ということが大切なポイントである。
経営者は、後者であるべきという示唆をダイソンは示している。

車の会社を見てみよう。
本田宗一郎はバイク、車が大好きであった。
豊田喜一郎は車に使命感をもって取り組んだ。
今のトヨタ自動車のトップの豊田章男氏は車でレースをするという。
カルロスゴーン氏もサーキットを走るのが好きだという。

皆、車にこだわりまくっている、大好きである。
このあたりは示唆的である。

日本のくるまは、グローバルで大きく復活している。
トップの姿勢のありかたが大きくあずかっているといえる。
アメリカのGMのトップはどうだろうか?
優秀なMBAかもしれないが、車のこだわり者ではないのかもしれない。

愛社精神がある、マネジメントのテクに長けているは、
トップの資質としては二の次である。
一番大切なのは、その商品が大好きか、こだわっているかどうかである。

TV番組内の村上龍の指摘はいいところをついている。

あなたの会社は機能的で美しく経営されてますか、
こだわって経営されていますか?!

この稿終わり

追記1:

最近の車のIT化は凄い。
IT技術者は毎年たくさん大学、専門学校から排出されるが、
かなりのヒトが車業界に入る。
日本で一番IT技術者の採用が多いのはトヨタ自動車
という「うわさ」は前からある。
今の車はIT制御の塊である。
IT無しでは動かなくなっている。
機械工学の出る分野は少なくなっている。

製品は斯くも進化している。
最近大評判で売れている富士重工・スバルの安全対策使用はITの塊である。
走行性能がすぐれている、に加えて、
安全性も制御するということでアメリカで認定された凄技の技術である。
これもIT無しには考えられない。

車の進化には、ダイソン的な機能の革新的進化がどんどん起こっている。
だから車という産業は色あせない。
人を感動させる。

追記2:

BIGDATAとデザイン経営?
この2つは、あまり縁がない組み合わせに見える。

BIGDATAは、
多様な大量なデータを扱うものの代名詞になっている。
どのような目的で、どのようなデータを集めて、どのような分析をするか、
それをどのように経営テーマに落とし込んで、常に改善、革新してゆくか、
という行為を示す言葉でもある。

BIGDATAは、マネジメントデザインそのものである。
一覧感のあるマップに並べられたデータからある仮設を導き、ある仮説を検証する。
その時に貢献するデータの捕らえ方は、見せ方はどのようなデザインが最適か?
ということである。
デザイン経営はマネジメントの領域にも入り込んでいる。
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■ 消費税の3%UP、そのマーケティング的な意味とは?!

2014年04月02日 | Weblog
■ 消費税の3%UP、そのマーケティング的な意味とは?!



はじめに:

今回は、4月1日午前0時というタイミングで実施された一般消費税UPの話である。

消費者マーケティングでビジネスしている我々にとって、
消費税UPをどのように捕らえるべきか?
そのマーケティング的な意味について考察してみる。

この2-3月はいろいろなことがおこった。

国家予算が史上最速、最高額で成立、
集団的自衛権問題、
STAP細胞問題、
タモリの国民的な番組「笑っていいとも」が、32年間、8054回で終わりを迎える、
等々、
話題満載で、エイプリルフールの話がほとんど出ない状況だった???

どれも社会の根幹に関わるもので、重要なことを示唆している。
社会の節目、潮目(メガトレンド)の変化を感じさせる。
実は、今回の消費税UPはそれらに劣らず、重要な問題である。

ここ数日、マスコミは、東京の満開の桜と、
消費税率UPの話でもちきりだった。
税金にまつわる話は否が応でも盛り上がる。
議会の歴史を紐解くと、
大昔、イギリスで議会が出来たとき、
その役割は国王の歳入、支出に関する管理(見張り)のためだったとされる。

今回の消費税UPで感じたことがある。
消費税UPの社会的な空気を読むと、
前回の1997年の消費税UPとはかなり様相が違うように感じる。
前回のときのような悲壮感は無く、
何となく他人事感覚、ゲーム感覚といってもいい緩い雰囲気を感じる?!
大騒ぎして、喧々諤々の議論をするという感じではないのである。

なぜか?
・消費税UPについて、かなり前からPRされ国民の側にこころの準備ができていた。
・住宅、車などの高額商品の先駆け購入が予定通りに進み、気持ちの準備ができていた。
・UPする税率は、3%なので、家計防衛をすれば何とかなるという気持ちがある
・国の財政がやばい(先進国最大の国債発行高)ことが理解され、「UPも仕方なし」という気持ちがある。
・ 世界の先進国ではどこも2桁の消費税が当たり前で、おおきく騒ぐほどのことではないという感覚がある。
・ 資産家を中心に、アベノミクス効果による資産価値増加で気持ちが鷹揚になっている。3%UPぐらいはいいか!という気分がある。

等々いろいろな理由があって、
今回は比較的冷静に、かつゲーム感覚で消費税UPを受け入れている風情がある。

A.消費税UPの経緯、課題:

1.経緯:

堅い話を少しばかり。

0-3-5-8%、そして来年秋には10%、更に15-20%と、消費税がUPしてゆくことは必定である。
そうしないと国の財政はもたない。
皆、そう思っている。
このまま放置すれば明らかに国債の暴落になる。
日本発の世界的な恐慌が起きないとも限らない。
国債を持っているのはほとんど国民(からの貯蓄)である、外国からの借金ではない、
という議論はあまりにも日本人の節度に期待した話である。
なんらかのきっかけで、ある日突然国債が暴落するということは十分ありえる。
そのぐらい財政の国債依存度が高い。

生活者から見ると、消費税UPは仕方ないのかな?!
不承不承で受け入れた、ということになる。
今回の消費税UPで国民負担はひとり平均5万円、合計8兆円ともいわれている。
年収500万円の人では、7万円の増になる。

課題1:
単純に考えれば、消費税の3%増税分は、個人から国庫にはいる計算になる。
個人は支出増で苦しくなっても、
国庫にはいった消費税が、福祉、弱者救済等々で、国民へ廻ってくるので、
また赤字国債の返済にまわれば、それが銀行等金融機関からの住宅投資、企業の設備投資に廻るので、
国民経済的にはバランスされる。
マクロ経済的には問題はない。

但し、出したお金が廻りまわって同額が自分に戻ってくる訳ではない。
一次的に減収の人、いろいろな政府からの還元で増収の人に分かれ、
その不公平に対して不満が生じていると考えられる。
これは国民の富をどのように配分するかという奥が深い話になる。

課題2:
消費税UPの大きい不満、心配、不安なのは、以下のことに尽きる。
消費する国民の側からしてみれば、消費が同じだとすれば間違いなく3%UP分の支出増になる。
これに耐えられるか?
ぎりぎりの生活をしている人、将来に備えて貯蓄をしている人にとっては、
どこかで消費の節約を、貯蓄の減額をしなくてはならない。
短期的には生活レベルを落とす、将来へのたくわえを取り崩すということになる。
それは後になって景気が良くなっても取り戻せないのでは、
という疑問も感じている。

短期的には、
その増税分の実質的な収入減が、どこかで補填されないと生活は苦しくなる。
これをどうしのぐのかという切迫した状況をつきつけられている人も多くいる。

実態経済として、
雇用の促進で未収入者に所得が生じる、
給与所得者のベースアップ、夏冬のボーナスの支給増がはかられないと、
消費者の安定的な生活と消費は生まれてこない、ということになる。
消費者発のお金が、
世の中に廻ってゆく好循環を作り出すことが必要である。
ここに労働分配率の増という視点がクローズアップされてくる。
失われた20-30年の慣例となってしまった「賃上げは基本的に無し」という経営姿勢の変更が
求められている所以である。

課題3:
いずれにせよ、
消費税UPによって、消費全体は冷え込むという理屈になる。
エコノミストの予測によると、3月までの駆け込み購入もあり、
4月1日からの消費の萎縮もありで
4,5,6月は流石に消費は落ち込むらしい。

そして7月以降は+に転じるという。
消費税UP分の負の影響が軽微になるのは、
アベノミクスの資産向上効果、円高による輸出企業の手取り増などの効果が
下支えしているからという。
前回の消費税UPのときのような景気の後退はないということらしい。

予測は7月から+に転じるという。
しかし、予測は当たらないのが常である。
予期せぬネガティブな環境変化が起こらないとも限らない。

GDPの約半分をしめる個人消費がどのようになってゆくかは、
経済成長に大きく影響する。
皆が財布の紐を緩めることがマクロ経済的に求められている???

課題4:
国に入った消費税UP部分が、
有効な使われ方をして、国民経済は活性化の方向へ向かうのだろうか?
という疑問もある。
今回の増税では、
歳入増となったお金の行く先は社会福祉系と決まっていて、
経済を活性化するための技術革新、生活革新へ傾斜配分することは予定されていない。

従って、アベノミクスの第三の矢による実体経済の活性化、
経済への直接的な刺激になる基本的な制度・法整備、財政のあり方が問われている。
と同時に、
株、債権、不動産、金等々の価値が上がり、
富裕層を中心に財布のひもが緩み、支出を増大させ、
景気を下支えするような資産価値アップ効果も期待されている。

課題5:
最後の課題。
消費税UPによって、社会・経済が刺激されて、
皆が感動する、驚くような「新しい地平線」を開くようなことが起こってくるか、
が最大のポイントになる。
民間の企業、消費者が出来ることは何か?も問われている。
政府だけにいろいろと疑問、注文を出していても仕方がないということでもある。
この「新たらしい地平線」が見えてこないと、
今回の消費税UPは、
単なる財政収支均衡のための辻褄あわせになってしまう恐れがある。

B. 消費税UPに伴う.企業、消費者の振舞い:

まず、個人では。
消費税がUPする前に、駆け込みで得をしようとの動きがでてくる。
これは消費者行動的には、極めて合理的な動きである。

明らかに高くなると決まっているものを高く買う必要はない。
駆け込み需要は当然のごとくおきてくる。
その対象となるのは、
家庭内在庫が出来るコモディティ(お米、トイレットペーパー・・・・)
高額品(住宅、車、ジュエリー・・・)
購入予定品(5月のかぶと、買い替え家電、夏のエアコン・・・・)
等々である。

昨年秋の住宅の販売の伸びは凄かった。
百貨店のこの3月の売り上げは対昨年同月比で2-3割も増加した。
同じく新車も20%近く伸びた。
家電量販店では 昨年同月比較で倍近くうれているカテゴリーがある。
説明員が足らず、お客様に待ってもらうケースも多かったという。
5月のこどもの日のかぶとの売り上げも凄いという。

この駆け込み、先駆け消費は重要で、
後の反動があるないかは別として、増税をひとつのきっかけとして、
消費が活性化したことは間違いない。
冷静に考えると、
勢いがある社会現象には必ずバブリーなものが織り込まれる。
増税というきっかけがなく、普通に通念どおりに消費がされて、
後からどちらが消費量が大きいかをみると、
増税があると知って、
消費が前倒しされた方が高くなると考えられる。

また、普通より高額品が買われるという現象も起きる。
消費税で持ってゆかれるのであれば、少し高いものを買った方が得という心理も働く。
消費税UPが、実は消費全体を牽引することになってくる。

小売りの現場では、
駆け込み、先駆け消費を狙って様々な手が打たれてきた。
また、ここにきて小売は
4月以降の消費者離れを防ぐためいろいろな手を打ち始めている。

ドンキホーテでは、引き続き格安セールが行われる。
大手流通、IYグループでは衣料、食品1800品目で価格は据え置きとなる。
イオンでは、PBのTOPVALUEを中心とした価格据え置きが行われる。
PB強化の流れは、消費税UPをきっかけとしてますます強まりそうだ。
牛丼のすき家も価格は据え置きである。
マクドナルドは120円バーガーを100円に値下げする。

消費税UP分を消費者がかぶる形での根付けは、
消費者に取ってみれば値上げそのものである。
小売・サービスの現場では、
消費税UPは実質的な値上げであり、間違いなく消費者の来店行動をにぶらせる
という判断・危惧がある。
これは現場特有の勘である。

つまり、4月以降でも同品質低価格という動きは止まらず、
価格をいじくって来客数を維持する策に出たい、
とするのは小売の本能である。
価格を下げる動きはまだまだ止まらない。

C. 消費税UPに伴う企業の備え:

消費税がUPすると、消費者だけではなく、企業もばたばたする。

消費税UPの徴収の仕組みを変更するための設備投資が必須となる。
自販機、JRの切符、小売のレジシステム等々での変更のための設備投資がおこる。
当該企業にとっては負担増にはなるが、それを支援する企業はうるおう。
これは景気をいい方に引っ張る。

4月1日の午前0時からの消費税UPへの対応は、
企業によってかなり異る。
値引き、特売のような価格的な対応、
キャンペーン、イベントのような販促的な対応、
商品で勝負する品質・機能的な対応(嗜好品や高級品ジャンルでは)
等々消費者へのアピールは様々である。

企業、特に小売業はたくましい。
消費税UPは消費には間違いなく逆風になる。
消費者に直接接しているだけにもろに買物行動の減退の影響を受ける。
そうならば、それを逆手にとって、
自社の商品を有利なポジションに置き、シェアを高めようとする、よう邁進する。
泣き言をいっても始まらないというたくましさがある。

今回の消費税UPが、
企業の商品開発、販促・売場開発、PR開発の原動力なり、
マーケティング革新につながれば、
消費税UPはひとつの『マーケティング刺激策』といえる。
ここに消費税UPによる企業サイドへの「+の影響」をみることができる。

D. 消費税UPによる消費者への+の影響:

消費者心理の奥深さについて。
消費税UPによって、
消費者はどのような動きをするのだろうか?
節約だけではない、先駆け購入だけではない、
別の側面について見てみる。

ある百貨店の宝飾売り場に、普通の主婦がおとずれ、20万円のネックレスを購入したという。
何かの記念で夫の許可をもらって買いに来たという。
それはもともと欲しいと思ってはいたが、
消費税UPというきっかけがあり、それなら買っておこうと思いたったという。
消費税のUPが無ければ、恐らく買わなかった、という。
消費税UPという言葉が、
潜在化にあった消費心理、あるいは少し顕在化していた消費心理に火をつけた訳だ。

世の中全体に、
何となく景気がよくなってきたという気分があふれてくれば、
支出を増やす、財布の紐をゆるくする
という消費行動が起こってくるという、
良い事例である。

消費税UPという国民的・国家的な大イベントによって、
社会が刺激を受け「景気の気」がざわつき、
気分が高揚し、結果として物が動く、
ということが起こってくる。
これこそが、
この消費税UPの最大の効用といえる。

因みに、
花見の席で今年は通常のビールやプレミアムビールを飲んだ人が多かったという。
(昨年は発泡酒だったという)

E. 消費税UPがもたらす、本質的で未来的な消費スタイル:

実際に、消費税UPという制度改革?は、
どのような最終果実を社会にもたらすのであろうか?

消費税UPは、消費者の成熟をより一層うながし、
「かしこい、洗練された消費スタイル」を促進させる。

例えば、
・ いいもの、本物は価値あるものとみて、しっかりと消費する
(例:自分に意味のあるものは多少高くてもしっかり選んで長く大切につかう)、
・ コモディティは価格をしっかりみて買う
(例:同じ品質なら安いものを買い節約をする、少し品質が劣っても安さを由として我慢して使う)
・ ワンストッピングという手間の少なさを選ぶ
(多少高いものでもひとつのお店で一度に買えば手間なく時間も節約できる/心理的なコストの節約)
・ 時間という貴重な資源を買う
(例:時間が無い時や、体が不調な時は手間の掛かる手作りは避け、中食・弁当を利用)
・ 無駄のない食品、商品の選択
(例:CVSのお弁当、惣菜、カット野菜等々の利用/割高だが、無駄がない、手間がかからない、エコ感覚もある)

等々の『大人的な消費スタイル』が定着してくる。
即ち『成熟した個人志向の消費スタイル』が根付くようになる。

成熟社会では、個人々々が自分にとって最適な消費スタイルを実現する、そのフィールドが用意される。
これは成熟社会の最もハッピーな側面である。

このようなパラダイム変化が起こるとき、ところには、
大きな市場機会が生まれてくる。
このメガトレンド的な変化を、
消費税UPを契機として前向きに捕らえるのが、
未来志向のマーケティングということになる。

これから、消費税が10%を超え、欧米並みの20%へ近づくと、
ますますかしこい、おもしろい、高質の消費スタイルが登場してくる。

前述したように、消費者は、
ゲーム感覚で8%消費税を受け入れる、楽しめるようになっている。
これは成熟社会のひとつの証である。

いよいよ日本でも本格的な成熟社会における「新しいライフスタイル」を実現するための
社会制度の設計(=マーケティング制度・仕組みの設計)が求められてきたようだ。
消費財マーケティングはますます面白くなってくる。

この稿おわり

追記1:
消費税の今後。
来年の秋、10月からの10%へのUPについては要注意である。
ついに2桁になる、というインパクト、
何かを買えば1割も消費税がかかる、という金額の大きさはかなりの迫力である。
消費者にとっては未踏の領域に突入するという感覚になる。
1桁の消費税は、「なんとかなる!?」という誤差的な範囲にあるが、
2桁になるとリアルな圧迫感が生じてくる。
また、一度2桁にのると、
どんどん15、20%という欧米レベルに近づいてゆく、歯止めがきかない、
という未踏の領域に突入する恐ろしさもある。
来年秋、10月の10%導入は、
いろいろな意味で今回の8%とは異なるストレスが生じてくることになるだろう。

追記2:
家事の外注が減る。
・クリーニングが減り自宅で洗濯をするようになるという。
(あるトイレタリーメーカーが「内家事」傾向をみこして家で洗濯をしましょうキャンペーンを展開している)
・外食、中食の利用をやめて生鮮三品で手料理をしましょう的な動きが目立ってきている。
オフィスではお弁当で、と言う動きもあるという。
キーワードは「内」である。

追記3:
要注意は、PBである。
PB。
もともとは、ナショナルブランドに対して同じ品質なら、また少し低品質でも
価格が格段に安いということで登場してきたローエンドの小売ブランドである。
今ではナショナルブランドより高いものができたり、個性的な差別性を持ったり、
とかなり進化したものになっている。
更に、メガ流通ではその大量発注でコストを大幅に下げて、
かなりいいものを安く、あるいは同価格で出してくるという状況が出てきている。
欧米と比べて、
PB比率が低い現状をみると、
この消費税UPを契機にますますPBが伸びることが予想される。
商品価格が消費税に関係なく安くなり、しかも品質がいいとなれば、
PBは消費者、小売、PB委託先メーカーの3社がWIN・WIN・WINの関係になれる優れたツール、
ということになる。

追記4:
4月以降、
必ずしも価格が消費税UP分だけ高くなるとは限らないと考えた方がよい。
物価の変動は、神のみぞ知るである。
実は、4月1日以降の方が安くなる可能性もある!?

例えば、
マンション、一流物件はあまり下がらないだろう。
しかし売れ残りが生じるような物件では、
不動産業者が資金の回収にはいるため、ダンピングして損切り販売してくる可能性も出てくる。

人気のない車?もしかりである。
人気のない車は値引きが常道である。
また雑貨のように必需でないものは、
店の在庫整理で値引き幅が大きくなる可能性がある。
(いわゆるセールである)

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■ AKBの新・女性応援歌、「恋するフォーチュンクッキー」のマーケティングとは!?

2013年09月19日 | Weblog
■ AKBの新・女性応援歌、「恋するフォーチュンクッキー」のマーケティングとは!?

A.プロローグ: 

AKBの新曲、「恋するフォーチュンクッキー」がでた。
これは新しい女性の応援歌だ!という評価も出始めている。

以下の3つのポイントについて、この曲とその背景について、
マーケティング的な視点からみてゆく。

視点1:「恋するフォーチュンクッキー」とはどんな曲?
視点2:センターポジションを勤めるAKBの指原莉乃、彼女はあだ花か?美しき花か?
視点3:AKBの今後を占う!今回のヒットの背景とは?

AKBの新曲、「恋するフォーチュンクッキー」が発売された。
8月21日である。

その日までに、
TVCMで使われたり、様々なPR活動で使われたりで、
よい印象をつくりつつ発売日を迎えた。
そして
発売日、21日に一気にブレークした。
いきなり100万枚突破である。

これで、AKBは13回連続で、シングル100万枚突破という記録をつくった。
Bzの記録と並んだ。
なぜこのような結果になったのか?
逆に、ここまで凄いと、AKBは今後、どのようになってゆくのか?
ということも頭をよぎる?!

この曲には話題が満載である。

音楽としての商品情報以外に、様々な、面白い周辺情報がついてまわっている。

この曲の成功要因を語るには、
ただの曲の良さだけを語っても意味はない。
大きなエネルギーを秘めた総合的なマーケティングが展開されたことが忘れられてはならない。

この曲の成功の要因はいろいろある。

・ ミュージック要因(音楽そのものの評価/テーマの取り方、楽曲の良さ・・・)
・ ダンス要因(そのシンプルさ、楽しさ・面白さ・・・)
・ SP要因(ティーザー広告的なもの/周囲の巻き込み・・・)
・ 歌い手要因/指原莉乃という女の子のキャラ要因

まず、指原莉乃という女の子の話から。

AKBでは総選挙というのをやっている。
ファンによるメンバーへの人気投票である。
今までは、
いかにも優等生的な前田敦子、大島優子、今後は渡辺麻友か?
という感じで、毎回ファンを沸き立たせてきた。
このAKBの総選挙で、指原莉乃という異質の女の子が一位となり、
関係者を大いにあわてさせた?
ともあれ、一位をとり、始めてAKBの新曲でセンターポジションを張ることになってしまった。
その曲が、「恋するフォーチュンクッキー」である。

指原莉乃。

この子に果たして大役を演じられるのだろうか?
従来のアイドルではない指原では、何か場違いがないだろうか?
何か失敗しないだろうか?
と不安を感じさせながら、
いざやってみたら大成功である。

指原莉乃、決して美人ではない、メチャかわいい系でもない、普通の女の子である。
今までの動きを見ていると、いわゆる『へたれキャラ』で売ってきた。
わたしってダメ、一番じゃない・・・・・・トップを狙う感じもない、・・・・・・という、
妙な感じのコケテッシュな?女の子である。

親しみやすい、明るい、反感を買いにくい、
掴みどころの無い、不思議な・・・・・、
そして、いじくりやすいキャラの
女の子である。

この曲は、
普通の女の子が恋をしつつ自分の人生を一所懸命に頑張るという応援歌である。

普通の女の子の普通の心情を歌う内容である。
そういう意味では、指原莉乃にぴったりの歌といえる。
もちろん最初から彼女を意図してつくられた訳ではない。

それでは、次章以降本題に入る。

B.恋のフォーチュンクッキーの成功要因

1.プロダクト要因分析: 音楽的な要因

曲全体を通していえるのは、シンプルと言うことである。
新しい女の子応援歌というような評価も出てきている。

出だしのシンプルな導入、古典的なさびの使い方、
歌うのにやさしい曲。
テンポがのんびりした曲で安心感がある、
一方でリズミカルで、心を弾ませる曲でもある。

一説。
心臓の鼓動よりゆったりした話の仕方は、
こころに染み入る、皆の耳をひきつけるといわれている。
この曲は、
のりの良い長調のバラードでゆっくりとしたリズミカルなメリハリのある曲である。
懐かしさを感じさせるオーソドックスなコード進行で
こころになじんでくる。

松田聖子的な路線に似ている、
古典的な曲の乗りがある。
歌の題名も名詞2つの間を「する」で結んだ古典的な名称で、
古いが安心感がある、
かっこをつけていない感じが親しみを誘う。

フォーチュンクッキーは昔かある食事後に出されるおみくじだが、
「占い」は女子が大好きなポイントである。
神社で受けるおみくじではなく、カナダではやったクッキーに入るおみくじである。
これを食べると・・・・・・

次に詩である。

こころの中に染み入る、妙に説得力がある歌詞となっている。

女の子の切ない恋の物語である。
いつも振られることを不安に思う娘の心情が出ている。
「振られることの予行演習」というフレーズによく表われている。
10代の女性にとっては現在進行形であり、
恋の中で揺れ動く自分の立ち位置を不安げに探っている気持ちをついている。

20代の女性に取っては苦くて切ない思い出の詩となっている。

更に
恋の歌と言うことではない人生のあり方まで踏み込んだ内容になっている。
恋は若い女性にとって最も大切なものである。
その恋は人生そのものである。
その恋に掛け合わせるように若い女性の人生の心理を微妙につく歌である。

秋元さんはおんなごころを察する天才的な作詞家である。
この曲は女性の未来への応援歌となった。

2.ダンス要因分析:

この曲、実はダンス曲である。
素人、スタッフ、男性、ブランド・サマンサタバサのスタッフ・・・・・、
いろいろな人々がこの曲に合わせて踊っている。
U-TUBEでかなりの露出となっている。

皆を軽いのりで巻き込む感覚のダンスである。
自分も出来る感がある。
皆が簡単に覚えて、まねができるところがよい。
ゆっくり、のんびりしているので子供でものれる。

わたしの孫も一生懸命見入って真似をしようとしている。
振り付け担当は、パパイヤ鈴木さんである。

みなが参画してこの曲を楽しんでいる感じが、
不思議な絆感を醸成していい感じらしい。

3.SP要因分析:

SPでティーザーを使っている

TVCMでも半端ではない露出で「さび」の部分を流している。
AKBのメンバーがカジュアルな服で楽しそうに体でリズムをとりながら、
歩きながら歌う姿には親近感がもてる。

アーティストの個性を際立たせるために、
いわゆるかっこをつけたつくりのプロモーションビデオとは一線を画したコンテンツである。
何かこころに残る感覚がある。

何回も流れると、
ああ・・・?あの曲だ!
というような感覚で、記憶として定着し、若い人中心に潜在需要を掘り起こした。

ひかりTV「AKB48コント/何もそこまで…」のCMソング、
「AKB48公式カラオケJOYSOUND f1」のCMソング、
として何回も放映された。

4.歌い手要因分析:

本要因を語るには2つの視点が必須となる。

まず、今回のこの曲を語るに、
指原という新センターポジションの存在を抜きにしては語れない。

ついで、マーケティングのステージをマネジメントする、
PLC(プロダクトライフサイクル)管理についても触れなくてはならない。
AKBもついに、
コンセプトシフトというマーケティングマネジメントの必要な団塊へ突入した、
ということである。

まず、マーケティングマネジメント・PLC管理から触れる。

AKBもデビューから8年経ち、
当時あどけなかったアイドルが皆大人の女性になってきた。
どんどん20歳を超えてきている。

アイドルという感覚では通じなくなってきた。
また当時からのファンもそれなりに加齢してくる。
10代の頃の1歳、2歳という加齢は極めて大きい。

いままでのAKBスタイルではいられなくなる。

かってモーニング娘が、旬を過ぎあきられた時に、
人を入れ替え、若返らせ、どんどん新陳代謝をしてみたが、
結局、往時のブームを取り戻すことは出来ずに低迷してしまった。

今はフォーメーションダンスなる武器を持って、
久々の良い楽曲に恵まれヒットチャートを飛ばしている。
これはモ-ニング娘の完全なるコンセプトシフト(要は大イメチェン)が
うまくいったことを示している?
というよりは、
全く新しいグループが誕生し、新しいファンを獲得したという方が正しい。

AKBも、
そのような時期が近づいてきている。
前田、板野、小嶋、大島といわれる、初期メンバーがどんどん女性になり、
いつしか引退することになるが、その時に
AKBは終焉を迎えると考えた方がよい。

逆にいえば、もし生き残るとすれば、
大きくイメチェンをして、従来のAKBではない武器をどれだけもてるか、
がマーケティングとして問われている、
といえる。
例えば指原という新しい異質のキャラは、
そのような新しい武器となる可能性を秘めている、
のかも知れない。

次いで、指原というキャラについて次章にてまとめて語る。

D-1:指原研究①:指原への突然の脚光、その背景とは!

指原の声質については、注意する必要がある。
いわゆるアイドル声なのである。
意外とセクシーといわれる。

気性も、ものにこだわらない雰囲気を醸し出している。
ダークホースでもない、本命でもない、面白い脇役キャラの女の子が、
突然躍り出てしまった。
「一位が指原!なんで?」という感想と同時に
「仕方ない一回くらは、しゃれでよいか!」
という微妙な雰囲気の女の子なのである。

以前付き合っていた彼氏との恋愛がばれてしまった。

AKBは恋愛禁止の中で、
それが秋元氏の怒り?を買い、博多のHKBへ左遷となった。
しかし持ち前の元気印で、
現地でも頑張り博多っ子のこころをつかんだという。
仲間にもよく溶け込んで心をつかんだという。
「何かがある!娘だ」ということが証明された。

彼氏とのつきあいがバレて、博多へ飛ばされて、
それでも不思議とよみがえって来る生命力の強さ、
指原の面目躍如たるものがある。

何かの番組で、どんな男性がタイプか?どんな恋愛をしたいか?
という質問に、
AKBのメンバーはそれなりに優等生的な答えをする中で、
指原だけは、何と「口の堅いヒト」という答えであった。
恋愛してもそのことをばらさないヒトという意味である。
なんと正直でかつ面白い天然的な答弁が出来る子だろうと感じた。
それが自然にでてしまい、場の雰囲気もそれを許してしまうという、
そのようなキャラの女の子である。

他のアイドル的な女の子がそんなことをいったら、
翌日のスポーツ・芸能新聞を大いに沸かせることになるだろう。
ここに指原という女の子の個性と可能性がみえている。

そのような女の子をかかえている、
AKBの懐の深さはたいしたものである。
時代がそれを許してくれるというフォローの風もふいているように思える。

AKBのサステナブルなアーティストとしての可能性を、
そこに見ることが出来る。
一種のゆるさを許容する、フレキシブルな、
外的環境へ適応できる力をAKBは示している。

D-2.指原研究②:指原キャラがもてる時代!

新しいアイドルの誕生である。

アイドル、指原の個性!
意外なセクシーボイスで一番生命力がありそうで、
皆からいじられやすい、気軽にいじってあげたくなる、
そんな皆から愛されるアイドルである。

へたにいじくると壊れてしまいそうな薄幸感あふれる、
凛とした秘めた迫力がある、
きれいで犯しがたい品格がある、
といういわゆる典型的なアイドルとは違う。
NO1を、
無理してでも保ち続けなければならない、
孤高のアイドル像からは遠い女の子である。
それが指原莉乃の持ち味である。

総選挙で下位に落ちても、
普通にバックで楽しそうに踊っているという感覚の女の子なのである。
どうも従来のアイドルとは質が異なる。

以前、総選挙で一位になりその話題を背負って、
トンネルズの番組に出たときに、
大島優子、渡辺麻友は何かおかしがたく大切に扱われている中で、
指原だけは太ももをたたかれたりして、
いじくられて扱かわれる。

実におもしろいキャラを演じて、
番組を面白く盛り上げていた記憶がある。

若手のもてもて俳優、タレントより、
吉本の芸人が人気を集めるようになって久しいが、
面白い人の方が今は世間ではもてはやされる時代なのであろうか?

女の子のかわいい系グループも同様の状況になっても、
おかしくないのである。
AKBはもともとクラスで10番目にかわいい、
普通の女の子を集めてできたグループという触れ込みである。

そのコンセプトからいえば、
面白い系の指原がセンターを張っても何ら問題は無いし、
実はファンも潜在的にはそれを望んでいたのかもしれない。
自分のひいきのメンバーも、
もしかしてセンターをはれるのでは?
との淡い期待を抱かせる雰囲気を抱かせるような波及効果ももたらしている。

D-3.指原研究③: 国民的なバックを背景とした「ゆるキャラ」か?

今、社会現象として「ゆるキャラ」がはやっている。

クマモン、ふなっしー等々である。

指原が、今回のAKB人気投票(通称・:総選挙)で、
しゃれにならない感じでNO1になってしまった。

この社会的な背景には「ゆるキャラ」ブームがあるかもしれない。

本格的なキャラではないゆるいキャラ、
気を抜ける、不完全な、人間味あふれる、すぐ近くにいるようなキャラが、
今、旬である。

普通のアイドルグループであれば、
バラエティのトークで面白い、ユニークな存在感を示していた脇役の指原を、
指名してセンターにすえるという選択肢はありえない。

たまたま、総選挙で指原が一位になってしまったので、
華のセンターを張るということになってしまった。
選挙はやってみなければわからない、というが、
本当の国政選挙どおりの不測の事態が起こってしまった。

芸能界の身内の意見ではなく、
ファンという、国民的な目線からいえば、
TOP当選は指原という「ゆるキャラ」だったということになる。

そうなればなったで、それを活用しよう、
また約束どおりに指原センターの曲を出そうとするAKBの、秋元さんの包容力は凄い。
それだけAKBの人気は既に浮動のものという自信の表れでもあろう。

多少の遊び、異端児的なことをしても、
逆にAKBをマンネリにしない方策となるぐらいで、
AKBのもともとの価値が揺らぐことは無い、
ということである。

本音で言うと、
指原がセンターでも本当は何も変わらないのである。

指原の歌唱力が大いに試され、
それがAKBグループの評価にもろに直結する、
ということは無い。
はっきりいえばリスクはない。
若い女の子特有の、黄色いAKB声とダンスがあれば問題ないのである。
AKBは正にグループとしてのテーストで保たれている集団である。

逆に、指原の醸し出すものめずらしさから不思議な高揚感が生じてくる、
そのような利点の方が大きいのである。
指原関連の話題性の効果の方が大きいということである。

ファンからしてみれば、
自分のお気に入りのメンバーはセンターではないが、
間違いなくステージのどこかで歌って踊っているわけである。
今までと何ら変わりは無い。
そればかりか、自分のひいきのメンバーが一位になれなかったという逆境感から、
ますますそのひいきのメンバーを応援したくなり、
それがAKB全体のマーケティングエネルギーの増加に繋がってゆく
という善循環が生まれている。

指原は、総選挙で一位という結果が信じられなくて、
秋元さんに、聞いたという。
「私(自分・指原)を意図的にしゃれとして、話題つくりでTOPにしたんですか?」と!
秋元さん曰く、「意図的にするならお前なんかTOPにはしないよ!」
といったとかいわないとか。

指原は不可抗力で生まれた、
新しいバラエティアイドルである。
総選挙があって初めて潜在需要が顕在化したということになる。

前田敦子、大島優子、渡辺麻友といかにもアイドルっぽい3人とは異なる、
新しいバラエティ感覚のアイドルというフロンティアを開いた。
これでますますAKBの幅が広がり日本に浸透してゆく可能性が出てきた。

AKBは、国民的なアイドルグルーへと、
イメチェンしつつあるということになる。

指原がTOPの報告にゆくと、秋元さんは不機嫌な顔をしていたという。
いかにもアイドルのTOPとそれに狙う二番手の戦い!というのが普通だが、
ダークホースでもない指原がTOPになってしまい、
意外でもあり、今後どうするかで大いに迷っているという風情だったとか?

革新は、
意外なところからその萌芽が始まる。

この稿おわり

追記1:
今、AKBのじゃんけん大会(9月18日、武道館)が大盛況であった。
フジテレビで生中継された。
34枚目のシングルを歌う選抜メンバーを決める大会である。
83人のメンバーによるじゃんけんの勝ち負けに、ファンは一喜一憂した。
たわいのないイベントだが、
単純なゆえに、ファンが意外と興奮し、イベントに参画してゆく姿、気持ちが、
TV画面から、臨場感たっぷりに伝わってきた。
松井珠理奈が勝った。
これで、AKBの34枚目の新曲は、彼女がセンターを勤めることになる。

追記2:
10月末に発売される33枚目のシングル(ハート・エレキ)では、
お色気の、天然の小嶋陽菜がセンターを勤めるという。
第一期生、AKB8年目メンバーへ先祖がえりであるが、
この意外性が受けているという。

指原から、はじまった、
良い意味でのAKBメルトダウン現象が続いている。
AKBのイメチェンの過渡期かはわからないが、
新たらしいAKBへの脱皮、胎動が着実にはじまっている
といえる。

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■世界文化遺産登録、富士山の失敗と復活、今の富士山にマーケティングの縮図をみる?!

2013年07月30日 | Weblog
■世界文化遺産登録、富士山の失敗と復活、今の富士山にマーケティングの縮図をみる?!

はじめに:冨士とは何!?

♪♪冨~士~は、日~本一の山♪♪
という唱歌がある。
筆者は山梨(父方)、長野(母方)出身なので、
この度の富士山の世界遺産登録(信仰の対象と芸術の源泉)には感慨深いものがある。

ところで、富士山ってどんな山?
筆者の思いをランダムに述べると・・・・・・?!

・孤高の霊峰/周辺に高い山は無く、海抜0メートルから一気に立ち上がっている
・ゆるやかに聳え立った日本一の高い山
・美しい独特のなだらかな山塊、大きさ
・ご来光
・四季折々の変化に富んだ自然
・富士五湖に写る逆さ冨士の美しさ、
・生きた活火山(今は休火山と言う言葉はない)
・精進湖のクニマス(絶滅種の魚、再発見)
・樹海
・忍野八海
・天然水
・広重の東海道五十三次図の冨士の景色
・北斎の富岳三十六景
・富士山に雁が飛ぶ日本画の味わいのある構図
・横山大観の描く霊気漂う神々しい冨士
・石原裕次郎の映画、富士山頂物語、
・東京大学の夏の臨時診療所開設(高山病で運び込まれる)
・富士急ハイランド

といろいろなことが浮かんでくる。
多様な価値観を持った山である。

各地に富士見という感じの地名がたくさん残っている。
富士山を仰ぎ見て日々暮らしていた様子がうかがえる。
「OO冨士」という冨士の名前を冠した山もたくさんある。

富士山は日本人の心の中にある。
多様で豊穣な思いを育んできた。

海外では、
日本といえば「ふじやま」、「芸者」・・・・・といわれた古き良き時代があった。
フランスの後期印象派の画家たちは、
浮世絵を好み、キャンバスの背景に北斎を描き込んだりもした。

過去には噴火の生々しい記録が残っている。
古くは続日本紀や、在原業平の伊勢物語にも噴火の記述がある。
江戸時代には宝永大地震(南海トラフが動いた)の後の宝永大噴火が有名である。
冨士は美しいが、
怒ると怖い山である。
浅間神社はその冨士の怒りを静めるためにつくられたという。

冨士は、
良くも悪くも日本人のこころに刻まれた山である。
日本の象徴である。

A.富士山、世界遺産登録の遅れに見る日本の縮図:

富士山の世界遺産登録は日本では17番目。

前回の自然遺産登録では、国内の推薦段階で見送られた。
今回は、20年以上経っての県土従来であった。

今回はなぜ文化遺産(信仰の対象と芸術の源泉)なのか?
また、なぜ登録が遅れてしまったのだろうか。

以前、自然遺産でエントリーしようとした時は、
自然遺産としてはふさわしくない・・・・・?!
とされた。

ごみの汚さ、人の手による自然の破壊(ゴルフ場、スキー場、リゾート開発・・・)が
進んでいるからであった。

確かに白神山地、小笠原諸島、知床、屋久島の自然遺産と比べたら
はるかに人の手が入ってしまっている。

大都市東京から車で飛ばせば一時間強で到着する距離である。
しかも日本一の山で、もともと観光資源の宝庫である。
開発が進むのも当然である。
だから人の手が入って、
手付かずの自然ではないという理由は仕方が無いと思った。

しかし、ごみがひどいから、というのは恥ずべきことである。
日本人の高潔さはどうなっているのだろうか?
とも騒がれた。

しかし、日本人の高潔さをあまり美化しない方がよい。

かなり以前になるが、
高度成長時代の日本の環境は、半端なくひどい状態であった。
主要な工業地帯の汚染はひどかった。

民法で無過失責任などという賠償システムが登場して、
公害の被災者を救済する動きも出てきた。
また、国の公害認定も遅々として進まなかった。
日本人は、実はそんなに高潔な民族ではない???

日本には恥の文化があるし、日本人は高潔な魂をもっているという側面もあるが、
一方で、環境汚染のような負の近代産業史をつくってしまったという側面もある。

高潔な冨士山、一方でごみで汚れた富士山、
これは日本人の縮図と捉えて戒めることが重要である。

20年前は、冨士山を厳しく診断して世界遺産登録を辞退した。
まだまだ日本人の矜持、美意識が残されていたといえる。

日本の象徴である富士山が、
自然遺産では落選したが、それは結果としてよかったのかも知れない。
富士山は単なる大きな『自然』という対象ではないからである。

今回、広い意味での『文化遺産』ということで世界遺産登録に成功したが、
結果としてはよかったと思う。
富士山はこころの山である。
ハードな物理的な山、自然物ではない。

問題は今後である。

いろいろな制約が課せられる。

それはわずらわしいものであるが、
逆に冨士という世界資産を保ち育てるエンジンでもある。

日本人皆でその制約を守るということではなく、
その制約を逆手にとって、
そこから世界遺産、冨士の価値をより高めるメソッドを考えて、
遵守、活用していくという前向きの姿勢が求められる。

富士山をいつまでも世界に誇る遺産とするための試行錯誤が始まる。
国民の我慢の量が、遺産の価値に転化され、
富士山はますます世界に誇れるものとして成長してゆく。

B.富士の世界遺産登録とマーケティング:

冨士の世界遺産登録のマーケティングとは?
そこから学べることは?

1.NO1マーケティングからの示唆:

富士山はNO1である。

マーケティングで、
NO1という価値は最も重要な価値といってよい。
NO1とは・・・・・?!
機能、品質、デザイン、使い勝手のよさ、アフターサービス・・・
そしてコスト・コストパフォーマンス、
あらゆるものが総合的に勘案、評価されて、
そのポジションが獲得されるわけである。

ただし留意しなくてはならないことがある。
NO1になるためには、大衆の志向を大きく取り入れることが必要である。
従って、平凡さ・無難さがあり、面白くない商品・サービスであることが多い
しかし、裏側から見ると「間違いのない消費ができる」という保証を、
生活者へ与えているということでもある。

革新性、エンタメ性、こだわりという尖がった価値からは遠くなる。
そのようなハイエンドのものを扱うときは、
通常は、別ブランドを立ち上げたり、チャネルを分けたりという工夫することになる。
また、ある商品領域を決めて、
その領域の中でNO1になる、という集中的な戦略を取ったりする。

NO1という価値は、
マーケティングマネジメントが長い月日の中で精緻に運用され、
消費者のグッドウィルを獲得してゆく中で、結果として生じてくる価値である。
逆にマーケティングがマンネリになったり、
もともとのマーケティングミッションが忘れられて義務的、形式的になったりすると・・・・・・、
必ず「事故」(ミス、人災・・・)が起き、
NO1のポジションは毀損される事態になってゆく。
マンネリは、仕事に魂が入らない状態でありそれがミスに繋がる。

最近では、トヨタの例が記憶に新しい。
世界車生産量NO1達成直後の、
アメリカトヨタのつまずき(セクハラ問題とリコール問題)とその後の数年間の低迷である。
ある年月の経過の中で、ある確率で、
必ずといっていいぐらい、大きさはともかく事故は起きる。
NO1価値は、
そのような前提でマネジメントしなくてはならない価値である。

NO1の富士。
東京近郊にあり、交通が便利で、リゾートとして早くから開発されてきた。
日本の高速道路は「名神」が一番早かった。
次いで、中央高速道路で甲府へゆくのではなく大月から冨士吉田方面に向かうルートが
できた。

荒井由美(旧姓)が当時「中央フリーウェイ」をリリースし、
若者は中央高速をドライブしながら口ずさんだのもこの頃の話である。
自然破壊ではないが、
ゴルフ場ができ、
ごみは樹海の中へ廃棄され、
自衛隊の演習場があり・・・、
と、冨士はいわゆるいじくられた状態にどんどんなっていった。
もちろん戦前からの旧国立公園であり、
それなりの制約はあったのだが、
その魅力に惹かれる人たちのレジャー享受の便益を考慮して、
どんどん開発が進んでいった。

NO1の価値を食い尽くす時代が続いたのである。

これが、20年前の世界遺産登録の落選(辞退)という思わぬ事態で、
日本全体が目覚めた、
というわけだ。

富士山は今も昔も変わらない。
今回はコンセプトを変えて文化遺産ということで県土従来を期した。
同じ素材でもコンセプトを変えれば全く異なる商品になる、
製品は同じでも商品は全く異なるというマーケティングをそのまま実践した。
もともとのNO1の素材を、趣向を変えて違う見方をしたら、
全く別の冨士の姿が見えてきた。

冨士山。
文化遺産(信仰の対象と芸術の源泉)を大切にしてゆくことはもちろんであるが、
やはり、冨士のすべてのおおもとである自然についても
毀損された部分は修復し、復興する、
今残された自然の遺産(資源)はそのまま丁寧に保存されてゆくことが
求められる。

2.エンタメマーケティングからの示唆:

富士山はエンタメである。

今回、文化遺産(信仰の対象と芸術の源泉)として登録された富士山は、
マーケティング的に言えば、
自然に畏敬の念を抱く人、敬虔な宗教心をもった人、スポーツ・レジャーを楽しむ人、
芸術を楽しむ人・・・
等、精神的な価値を尊ぶ人へ向けた『商品』ということになる。
いわゆる広義のエンタメマーケティングの対象となる商品である。

富士山のような商品(精神財)、即ち人の心に深く関係した価値を持つ商品では、
全く別のマーケティングが求められる。
目に見えない無形の価値の商品は、
その周辺から醸し出される雰囲気、
即ちバーチュアルな情報発信がすべてといってよい。

世界文化遺産の富士山の精神性をどのように伝えてゆくか?

冨士山を見ることで何が起こる?
エンタメである以上、
冨士山と接した人が、
癒し、リフレッシュ、リラックス、安心感、抱擁感、非日常感、幸福感、・・・・・・
を感じ精神的なカタルシスを得られるような資産として、
皆から愛されることが求められている。

単純な機能価値、情緒価値だけではない第三の価値、「結果価値」、
即ち富士山から最終的に何かを感じてどのような状況になりたいのか?
が重要である。

次ぎにテーマとなるのは、富士山との接触の仕方である。
文化遺産である以上、ただ富士の自然に振れるだけではなく、
その富士を取り巻く芸術、信仰などの情報を常に発信する情報環境の整備が不可欠である。
リアルな富士山に抱かれる、富士で信仰、芸術の現場に振れる、
というだけでなく、ITを活用した枠組みが外せない。

例えばスマホを活用した文化情報の提供が、
どこにいてもITでいろいろな富士の文化を感じる手法が不可欠である。
今後、どんな富士の文化アプリが登場するのであろうか。
楽しみである。

3.ブランドマーケティングからの示唆:

富士山は、
日本が世界に誇れるNO1ブランドである。

ただの日本で一番有名な、日本一高い山
という価値だけに矮小化してはならない。

富士山を世界遺産としてNO1に恥じないように維持し、発展させてゆくには、
ブランドマーケティングで言うところの「ロングセラーマーケティング」のセオリーを
運用することが求められる。

一般論として、
ロングセラーとなるためのノウハウはいろいろとある。
商品には、それをロングセラーにさせまいとする様々な力が働く。
ロングセラーマーケティングとは、
そのネガティブポイントをひとつひとつ丁寧に摘んでゆくことでもある。

ネガティブポイントとは、例えば以下のようなことである。

強い競合の存在(差別性のある競合の登場でそれにシェアを奪われる)

新制度・法律等々の環境変化、

新技術の台頭(既存技術の陳腐化、無意味化)

ユーザーのマンネリ・飽き
(長い間、使っていると、またコミュニケーションをされていると
 その商品が当たり前化する、心理的な飽きが生じてくる)

ユーザーニーズの変化
(興味の所在が別のカテゴリーに移ってしまい、商品の価値が無意味化する)

インナー(社内)の飽き
 (担当商品への感度が鈍くなり、社内でのポジションがなくなる
  /予算が付かなくなる)
等々である。

富士山も同様である。

富士山もひとつの商品と考えれば、

・競合/観光資源としての周辺の競合はたくさんある。
観光資源だけではなく、
個人のレジャーの多様性で別の時間の使い方が最競合ということが起きてくる。

・環境変化/これは世界遺産としての制約が大きい。但しこれは制約ではなく世界遺産富士を守るエンジンでもある。
例えば、五合目までの車通行制限、冨士入山料徴収等々便利性を阻害する法的規制は
富士観光にとって不利なようで実は長期的には有利にもなる。

・新技術の台頭/ITによる超リアルな映像化等々。
直接富士山へこなくても、行った気になれる。しかしこれもネガな側面だけではない。
ITとリアルな融合で、より一層富士へ行きたいという気持ちを高めることが出来る。

・ユーザーの飽き/今は登録で騒がれているが、人のうわさも75日、
 やがて関心は別のところに移る。
従って、ユーザーに富士の文化的な、芸術的な、又、大元である自然的な価値を
絶えず訴えてゆくことが求められる。
時間、手間、お金をしっかり投じて価値を高めてゆく努力が不可欠である。
お金は費用ではなく投資と考えて中長期的に価値向上に努めなければならない。

・インナーの飽き/富士を取り巻くステークホルダーの、また富士を愛して尋ねる人の
富士に対する慣れが生じてくる。
富士山をもっと応援しよう、その資産価値を高めてゆこう、
という日本人の心を持ち続けることが大切である。

富士山を真のロングセラーにするためには、
日本人のこころの持ち方と時間・金銭コストの、物心両面の関与が不可欠である。

NO1の商品が、ブランディングという技を怠るとどのようなことになるか?

歴史やことわざには戒めのことばもある。
・実る程に頭をたれる稲穂かな、
・おごる平家久しからず、
・勝って兜との緒をしめよ、

NO1の価値は、NO1と認識されてからが大変となる。

そのメンテをさぼるとあっという間に減耗する。
NO1の称号をいつまでも維持し誇れるようにするには、
弛まぬ努力が必要である。

4.最後に/観光マーケティングからの示唆:

富士山は観光の対象である。

観光とは、
自然、歴史、文化等の観光資源の価値を、自分の五官で感動体験することである。
そしてその体験を人に口コミして情報を拡散してもらうことでもある。

観光資源は自然であったり、生活・文化、風習・祭り、建物だったりといろいろある。

ここで忘れてはならないのは、そのエリアのヒト・コミュニティが作り上げてきた
観光資源の背景にある精神的・情緒的な雰囲気である。
例えばそこに数日、数週間滞在したときに感じられる何かである。

表面的とはいっても典型的な観光資源をしっかり堪能できたかは、もちろん重要である。

祭りが人ごみが凄くて全然見えなかった。
雨模様で自然が見えなかった、散策もできなかった、
ということでは、その観光資源の伝達価値は半減である。

しかし、観光の本質は、ヒト・コミュニティである。

観光もサービス業である以上、
エリアで受けるヒト・コミュニティが醸し出すオーラが何より大切である。
富士の文化遺産という価値は、正にヒト・コミュニティのオーラの価値でもある。

C.遅れてきた真打ち:

いいもの、本物は遅れてやってくる。
今回の冨士山もそれに当てはまる。

富士山の持つ価値は多様で深い。

ただ自然の凄さという価値だけではない。
日本人こころの拠り所になっている。
日本人のDNAにビルトインされている。
国民が崇拝してきた対象、芸術家が描き続けてきた対象、写真家が撮り続けてきた対象、
という象徴性を考えれば、
自然遺産と言うより、日本人のこころの文化遺産といった方が冨士にはよく似合う。

今回はその文化遺産としてエントリーし、見事に登録に漕ぎ着けた。
苦節20年ということも出来るが、
真に価値のあるものはゆっくりと堂々と登場するということである。
『遅れてきた真打ち』という感じである。

20年前へ遡る。
もし仮に、日本といえば「冨士山、
という単純な、また当然な理由で簡単に世界遺産登録があれていたら、
今回のような有り難みは無かったかもしれない。

今回の登録のプロセスで、
冨士の、日本の精神性を改めて確認できたというのは、
本当に良かったと思いたい。

三保の松原を含めるかどうか、最後までもめたという。
日本の世界遺産登録審査へのロビー活動が功を奏して、
冨士山から45KM離れているにもかかわらず、
「含まれる」という決定になった。

三保の松原からの富士の姿は昔から尊ばれた。
絵にも数多く描かれた。
冨士山を文化遺産と考えれば含まれて当然だ思う。

この稿終わり

■追記1:
フジテレビに『ほことたて』という番組がある。
ライバル対決番組である。
「何にでも穴を開けるドリル」と「外部の力を受け付けない硬い金属」の対決・・・
といろいろな対決が用意されている。
私鉄の知識を競うような知恵比べ対決もある。

先週、富士山対決第二回目が放映された。
山梨、静岡どちらから見る冨士山がいいか?!という対決である。
全部で八つのテーマが設定され、
それにふさわしい写真を競うというものである。
一年がかりで時間、季節を追う壮大なテーマである。
テレビ東京にしては大掛かりな設定である。

両県が用意した写真は秀逸なものばかりであった。
感動した。
結局僅差で静岡に軍配が上がった。
第一回目は山梨が勝ったのでこれで痛み訳となった。

戦国時代の逸話。
武田信玄が、甲斐、駿河、相模の三国同盟を目論んで、
駿府(今の静岡市)で、今川義元、北条氏康と会談を行った。
武田は北方の謙信と戦い、北条は関東を狙い、今川は上洛を目指す、
この状況の中で三者の利害が一致し、
三国の戦いを休戦にしようという会談である。
このときに、信玄は、裾野まで見えてしまう富士を見て、情緒が無いといい、
義元は上半分しか見えない富士山とは何とさびしいものか?
と言ったとか言わないとか?
要は戦国時代から冨士を巡って甲斐(山梨)と駿河(静岡)は
張り合っていたというわけだ。

■追記2:
冨士は見る角度、高さ、遠さ、
そして季節、時間帯(光に具合が全く違う)、天候によって異なる姿を示す。
七変化の山である。
それは冨士特有のものである。
ある程度の大きさが必要で、
(これは見栄えの良さ、距離があっても存在感のあるサイズが必要)で、
よい景色となるには、周囲に邪魔なものがあってはならない。
また、遠見の姿がよく、前景が映える必要がある。
いろいろな条件が、冨士には備わっているからこそ、
鑑賞に耐えうる、七変化の山になることが出来たのである。

■追記3:
富士山は噴火のデパートと言われている。
過去、様々なタイプの噴火を繰り返してきた。
今、冨士山には宝永大噴火以来の300年間のマグマがたまっている。
東海大地震が起きると、
マグマを押さえつけている岩盤に隙間ができて、
マグマはその中を伝わって噴き出してくるという。
どのような大地震が起こると噴火に繋がるか、はまだ不明という。
宝永大噴火では120万人が被害を蒙った。
もし、新たに大噴火が起きれば、それ以上の大災害になるという。

■追記4:
最新のニュース。
富士山頂でやせ細った犬が発見された。
飼い主と一緒に登り、はぐれたのか、捨てられたのか?
かわいそうなことである。

冨士にはいろいろなことが起きる。
NO1は、話題に事欠かない、とはよく言ったものである。
(いいこともよくないことも)
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■ ananのマーケティング、丁寧さの積み上げでブレーク!AKB・こじはるの威力とは!

2013年06月26日 | Weblog
■ ananのマーケティング、丁寧さの積み上げでブレーク!!
こじはる(AKB小島陽菜)の表紙で65万部達成、その裏側は?

はじめに:ananの編集方針について

「新週間フジテレビ批評」(フジテレビ/土曜の朝、5:00の番組)
という番組がある。
フジテレビの放送済み番組をレヴューしながら、
社会トレンドに迫るという趣旨の番組である。

この番組にanan編集長・熊井昌広氏が出演し、
若い女性の感性について触れながら、
ananの女性読者を獲得するノウハウ、考え方について語っていた。

その話、
今のマーケティングパラダイムの変化を、
よく示す話だったので、本稿で紹介することとした。
(後段で紹介)

anan編集長の熊井氏は、雑誌のヒットメーカーである。
番組紹介欄では、熊井氏は以下のように紹介されていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『女性の心をつかむ情報発信術:
創刊から43年、雑誌界をリードする「anan」編集長が語る、
女性読者をひきつける企画術とは』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ananの成功は、
ズバリ「丁寧な作りこみ」に尽きるという。

A.丁寧さの秘訣/その1:特集のタイトルづくり、

特集はその号の売れ行きを左右する。
特にタイトルのつけ方はもろに影響する。
ananの特集タイトルでは、「女性を少しだけ手助けする」感覚を
さり気なく入れることに気配りするという。

■ 例えば、昨年の10月号
・タイトルは、
『自分史上最高の脚とお尻になる』
である。
超ハイなピンヒールの「脚のパーツ」だけのビジュアルが、
いやみなく処理されている。
・特集タイトルの上に、ハート型の吹き出しがある。
そのハートマークの中にさりげなく
「下半身デブ卒業します」、
という小さな文字がはいっている。
・表紙の上部には、「10日で脚とお尻を美しく!」と、
ゴール感、目標達成可能感を漂わす。
・表紙の右横には「美脚NO1、石原さとみ」という文字も入っており、
人気タレントの理想の実例の紹介も忘れない。

■ 長澤まさみの号
・タイトルは、
『美脚、美尻、パーフェクトガイド』
彼女のネームバリューで、
素の表情で、腰まで足を出している表紙は、
かなり女性の本気感に火をつけたようだ。
小さな文字で、「O脚やX脚、たれ尻は直せます!
という少しの脅かしビックリコピーがうまく配置されている。
「美脚と美尻を手に入れる、奇跡のメソッドと下着!」
というソリューションへの予兆感も入っている

■ こじはる(AKB小島陽菜)の号
タイトルは
「感じあう、SEX」
である。
女性が本音で知りたいことをさり気なく、
しかしはっきりと言い切る姿勢が受けたようだ。
表紙の上部には、
「高まる気持ち、深まる関係・・・最高のSEXとは?」
と言い切ったコピーも入っている。
こじはるの紹介で
「小嶋陽菜/無意識のエロティシズム」
という小さな文字も入っている。
AKBのこじはるは大人の女性になっている。
化粧品の広告にもでてAKBの中でも異色の存在である。
彼女を起用しての特集であり、話題を呼んだ。

■ 男性問題を取り上げるときは、
女性誌では珍しく男性のタレント、俳優、アーティストをとりあげる。
福山雅治、長谷部誠、三浦春馬、綾野剛・・・・・・
イケメン、美形をそろえる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
anan のバックナンバーの特集タイトルは以下の通り。
下記のURLからアクセスできる。
http://magazineworld.jp/anan/back/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
No.1856 仕事ができるひと♥  草なぎ剛
No.1855 癒しものカタログ  三浦春馬
No.1854 自分史上最高の脚とお尻になる 
No.1853 手相のすべて  桜井翔
No.1852 漫画と映画と小説 ステキな恋だけ集めました 深田恭子
No.1851 未体験ソウル  CNBLUE
No.1850 新しい私へ!イメージチェンジ大作戦  山下智久
No.1849 こうすれば、ひとり暮らしはもっと楽しくなる!  二宮和也
No.1848 SEXYボディは即、できる!  奈々緒
No.1847 誌上カウンセリング  ローラ
No.1846 緊急!!アンチエイジング  長瀬智也
No.1845 どっちが幸せ??女の選択  ONE DIRECTION
No.1844 女の重大危機  綾野剛
No.1843 “真のモテ期”に気づいてますか?  玉森裕太
No.1842 女の色気  柏木由紀
No.1840 大人の片思い  相葉雅紀
No.1839 集中ダイエット!  優香
No.1838 あなたの運命、恋、転機
No.1837 復活愛のススメ 綾瀬はるか
No.1836 いい映画名鑑 生田斗真
No.1835 おそうじ&片付け
No.1834 私を救ってくれたのはこのコスメ!
No.1833 男のホンネ 斎藤工
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらのタイトルと中身をみると、
ananは女性のプチ悩みを、
逃げずに正面から、しかしさり気なくとりあげ、そのプチソリューションを丁寧に説明する、
それも自分の出来る「範囲感」で説明する、
『現実的な女性の生活、仕事のガイド・ノウハウ誌』である。
「プチ」という何となくのキーワードがあるような気がする。

B.丁寧さの秘訣/その2:特集に潜む、女性のこころをグリップする仕掛け

番組の中で事例として紹介された、昨年の10月号の表紙・タイトル。
『自分史上最高の脚とお尻になる』
『下半身デブ卒業します』
には2つのメッセージがこもっている。

理想のタレント、モデルをのせ、
これが理想の脚、お尻だ!
という感覚は非現実的で自分向きのものではない。
自分が出来る範囲で最高の脚、お尻を獲得しようという等身大の支援に徹している
のがananである。

「下半身デブ卒業します」という台詞は、
さり気ない小さな文字表現だが、キチンと女性の痛いところをついている。
一種のブラフである。
自分が何かをきっかけとして動くには、きついことばではっと!させて欲しい、
というプチニーズを汲んでいる。

しかし奥歯をぐりぐりさせるまでの重さにはしない。
この当たりの微妙な差配が重要らしい。

ananを雑誌の売場から取りレジへ行っても、この人は下半身デブだからこの雑誌を買うんだという
ことがばれないように配慮している。

実際には、
レジの人はレジ打ちを淡々とこなしているので、
購入者の心の中、この人はこんなことをしたいんだ!
などと考えてはいないのだが?!

買う女性にしてみれば、
そのようなことを考えていることを人に悟られたくない、恥ずかしい?
と思い込んでいる?との配慮で、文字を小さくしているのである。

・そのような配慮をしてくれる雑誌ってわたしの味方!
と女性読者は考えてくれるのでは?
というところがみそである。

・そのような配慮ができる雑誌は中のつくり込みもきっと丁寧だ、
という感じを抱いてくれると考えているらしい。

実際にananの購入者はそんな小難しいことは考えていないようだ。

しかし、そのようなことを考えていなくても、
何か気配りのゆきとどいたやさしい配慮のある雑誌だ!
という匂いをかいでいるらしいのだ。
女性の独特の感性で、
そのような女性の味方である雑誌に何となく惹かれているようだ。

ここで本音の話がある。(ここが重要なポイント!)
実はananを読んで、ダイエットでも、恋愛でも・・・・・
ノウハウをいろいろ試してみてうまくいくことが、
本当はさほど重要ではない、ということである。
実際は読んだだけ、読んで少しチャレンジしてやめた、失敗した・・・・・・
ような女性がたくさんいてもよいのである。

問題は、友人の間で話題になればよい、
ちょっと試して体感できれば何となく十分!?
という余韻が残ればいいのである。

ananを読んで、
いろいろと考えることが出来た、お試し体験が出来た、
結果として雑誌が相談にのってくれたという感覚がもてれば十分らしいのだ。
実行してキチンと結果がでなければだめ!!
というような雰囲気が出てしまっては、とてもこのような販売部数にはならないと思う。

結果が出ないのは、
自分の努力が足りなかったからと、気軽に考える、
責任は誰にある訳ではない、
一瞬でも自分のプチ悩みのことをしっかり考えられた、
ということが重要なのである。
そのような「罪の無い読後感」がいい感じなのである。

そうなるのは、ananが、
表現、コンテンツともに、丁寧なつくりで女性の琴線に触れているからである。
女性としては、「十分にわたしの気持ちに近づいてきてくれたわ!」
と思ってくれる丁寧さがあるからである。

やってみてうまくいかないから怒る、クレームをつけるという感情になっては、
編集者も読者もしんどくなる。
そうならないような何となくの、さり気なオーラがこの雑誌にはある、
ということが重要である

ananは、実はターゲットを選んでいる。
本気で何かを遂げようと考えている切迫感のある、
コアの人だけがターゲットではだめで、
成功するも、失敗するも、軽い気持ちでそれを迎え入れてくれる人がターゲットでなくてはいけない。
自分のプチ悩み、プチ願望に触れてくれた、
それも丁寧に触れてくれたという感覚がきわめて大切なのである。

女性は雑誌にソリューションを求めているわけではなく、
相談にのって、いやもっと軽く触れてもらいたいのである、

これは普段でも何か悩みはあれば、話を聞いて欲しいのであって、
なにか解決策を言って欲しいのではないという女性の特有の心理があるが、
その当たりの機微をananはうまく突いたといえる。

特に男は、女性からの相談を、
勘違いして、論理的に解決しようと策を述べ始めるが、
それは大きな勘違い!と言うことが往々にしてある。

従って、ananの特集に対する
『解決のコンテンツ(記事・文章・イラスト・・)』は、
「ライト、カジュアルだが、しかし何となくさり気に相談にのっている感の微妙なバランスが重要」
ということになる。

C.丁寧さの秘訣/その3:撮影の妙

話は飛ぶ。

ananでは
カット写真に影をいれるという。
その題材が目に入る本来の置かれた状態(光と影がある状態)にもどす。
但し、相当手間のかかる撮影になる。
平たくペシャッ!とおいて影をカットしてとると、
どんどん撮影でき、生産性があがる、時間が節約できる。

しかし、それでは自然に見えないし写真の中身も映えない。
倍も三倍も時間をかけてリアルに丁寧に撮影する。
このようなつくりこみの丁寧さが、女性には何となく分かるらしい。
ananは何かが違う?と分かるらしい。

このような丁寧さがあるからこそ、
プチ悩みを解決する記事の実質的な中身より、
記事の雰囲気としてのいい感じ(相談感のあるイメージ)が大切よ!
という気持ちで収まってくれる。

実行して見て、実際に目標の、
例えばウエスト55CM(例えばダイエット成功術という特集があったとして・・・)に
到達したかどうかということより、
そのようなダイエット気分にさせてくれてありがとう!
という落としどころが重要というわけだ。
記事がわたしに近づいてきてくれて、それで十分よ!
という気分が重要ということである。

いろいろな要因が重なり合って、
女性は何と無くananを手にとってレジへ向かう!
ことになる。

D.anan のターゲッティング:ananは誰に読んで欲しいのか?

ananのターゲットは20代30代の女性・OLという、
何となく漠然としたデモグラフィックターゲットである。

しかし,よく聞いてみると、
20、30代の『女子』だという。
女子感覚をもった女性、
主婦とか、OLとか、キャリアとかいうことではない。

かわいいものがすき、恋をし、占いが大好きで、
洋服が大好き、トレンディドラマに興味があり、
井戸端会議でキャピキャピしながら話を楽しみ、どんどん脈絡無く?話が展開してゆく、
気がつけば何時間もその店にいて、声も笑い声も大きくなって、
店の人から注意されている感じ?

『元気で、かわいい「女子」の感性を持ち続けている女性』
がターゲットということである、
「自主性をもった、それでいて、背伸びをしない等身大の元気印女子」
といったところがターゲット像のようだ。

そのようなターゲットの感性に近いテーマを選び、
そのようなターゲットの感性に近いタイトルをつけ、
そのようなターゲットの感性に近いコンテンツ、ビジュアルの品質感を大切に、
雑誌をつくっているという。

ananは、『女子のプチ願望』の手助けをする雑誌である。
理想を掲げて、皆をその方向へ引っ張ってゆくのではなく、
読者の自分の手の届く状況へ、すこしだけ手を差し伸べる、
読者目線の雑誌である。

ananは、450円である。
450円を払ってまで読んでくれる女性は大切なお客様である。
情報はSNSで十分取れる時代に,
450円を払ってくれる女性に対して丁寧に紙面をつくる義務がある、
と編集長は述べている。

ananって、
最近何だかいいよね!
という評価が、
編集者冥利につきるという。

ananは、「丁寧さ」という磁力を発して、女性のグッドウィルを獲得している。

E.マーケティングのパラダイム変化とanan

1.まず、ターゲットのパラダイム変化について述べる。

「3つのLS」という概念がある。

「3つのLS」とは、
ライフステージ、ライフスタイルそしてライフスキルである。
今までは、
ライフスキルはライススタイルの一部として処理をされてきたが、
このところ、これがクローズアップされている。
スキルが巧みだと、
どんなライススタイルであっても、どんなライフステージ(家族構成、家族環境)であっても、
生活がよりハッピーになれるという考え方である。
自分のちょっとした努力で生活の満足があがる、
その方法論を語る領域である。

ananはこのライフスキル視点を、
見事にさり気なくついている。

もともと、
女性誌、化粧品の分野はこのライフスキルというマーケ概念を重視してきた業界である。
しかし、今までは、
西洋に追いつけ追い越せという背伸びした考え方・ノウハウのスキル発信が多かった。

ananのライフスキル発信は、
自分の等身大のスキルが大切で、ちょっと努力して、ちょっと幸せになりましょう、
という感覚ものである。

日本の女性のプチしあわせを応援す、初めての女性誌が登場した、
という感じである。
女性の生活プチ願望をつく本音感が、
ananの受けている理由である。

2.情報の獲得、処理のパラダイム変化:

anan制作での情報収集は、ブログ、ツイッターからのものが多いという。
女性の本音が、かなり垣間見れるという。

女性たちが自分の自由意志で井戸端会議的に本音で語ったものは、
女性のインタレストドメインを探る上でかなり参考になるという。
また各号への評価も、
ストラクチュアなアンケートをするよりもよくわかるという。
かゆいところに手が届く、さり気ない雑誌をつくる、
という意識でアンテナを張っていると、
正に女性のかゆいところに手が届くようなポイントに自然と目が留まり、
有機的な情報として蓄積してくるという。

つまり、
女性のかゆいところを丁寧にサポートする、
という『雑誌づくりのマーケティングミッション』を立てていることになる。
そのミッションが共有された瞬間に、
雑誌制作は、それを基点としてまわり始めることになる。

3.マーケティングミッションの意味:

上記のミッションという概念は昔からある。
ここに来て、マーケティングミッションを戦略的に打ち立てることで、
マーケティングがスムーズに回りはじめるケースが増えているように感じる。
ミッションが明確に立つことで、
商品・サービス開発、上市後のブランディングがぶれずに進み、
皆の賞賛を得ることができるということになる。

現代の女性のひとつの典型は、
素の自分を持ち、その個性を大切にしたい人、
そして、かわいく女子的に行きたい人である。
この女子感覚は、
日本の成熟した社会・時代の中の女性の生き方の典型である。
そのような現代の女性に、
欧米のファッション、ライフスタイルを、これが理想です!と
啓蒙するようなバーズアイ的な視点の雑誌は、もう古くなっている。
女性の生活目線にあったインセクトアイ的な視点の雑誌が
よく似合う、受ける時代である。

ananはそこに居場所を得た。

この稿おわり

追記:

MOOK本、
「恋愛できない女たち」も、月9ドラマと連動させて視聴率もよく売れたという。
香里奈、吉高由里子、大島優子のドラマである。

今、女性にアンケートをとると半数近くが恋人がいないという。

以下サイトの紹介文。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20代~30代の未婚女性において、約半数に恋人がいないというアンケート結果がでる今の時代。
恋愛するにも、簡単には踏み出せない女性が増えています。
でも、女性にとってココロにもカラダにも恋愛は必要なんです! 
月9ドラマ『私たちが恋愛できない理由』に主演で話題の香里奈さん、吉高由里子さん、大島優子さんら旬の女優が恋愛について語るほか、
恋愛が出来ない理由をテストや恋愛傾向テストで導き増し、対処法へと導きます。
Ananで超話題だった恋愛特集をピックアップ。この一冊を読み込めば、恋愛力アップ確実です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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■商店街に置かれた、ただのお米、誰が持ってゆく?

2013年06月08日 | Weblog


■商店街に置かれた、ただのお米、誰が持ってゆく?
生活者の反応にマーケティングの本質を見る!

A.はじめに:

少し前のTBSテレビの番組
『ニンゲン観察バラエティ モニタリングSP』
が面白かった。

どんな内容かと言うと、
商店街に、
「無料です。自由にお持ち帰りください!」と看板を立てて、
通行者がどのような反応を示すかを、
観察しようという番組である。

東京と大阪で実施した。
果たしてどんな差が出るだろうか?

隠しカメラで撮影している。
一種の覗き見的な面白さがある、
どっきりTV的なサプライズも期待できる、
番組である。

B.当番組にみるエンタメの本質:

理屈っぽくいうと、
人間のエンターテイメントに求める本質的な価値を、
この番組は提供している。
面白い。

エンタメに求める価値(=期待、効用)は、以下の6つの感情になる。

・本質感(こころの奥に眠っている、潜んでいるポジ・ネガな感情を呼び起こされたい/素の自分を知りたい)

・セカンドライフ感(別の人生を、架空の人生を疑似体験したい/ヒーロー・ヒロイン体験をしたい)、

・非日常感(現実から離れた遠い世界へゆきたい/現実から自己逃避したい)、

・理想郷感(自分の周囲には無い本当の理想的な状況を味わいたい/至高の幸福感を味わいたい)

・極限状態感(自分では到達できない人間の極限状態を見たい、知りたい/好奇心を満足させたい)

・退行状態感(人は進化して心が発達した、その結果生まれてからずーっと心に背負い、蓄積してきたものは大きい/その重荷をおろしたい)

等の感情を得て、精神浄化を達成したいと願っている。
そこに、人は高い対価を支払う。

表現形態は
ミュージカル、演劇、音楽演奏、スポーツイベント、TVドラマ、小説、旅行・・・・なんでもよい。
人はS席が楽に一万円を超えるような金額を払ってまでも、
エンタメを観にゆく。
なぜか?

人は何かしらの心の高揚感を求めて生きている。
人間はホモサピエンス(=感情をもった知的な存在)だからである。
人はパンのみにて生きるにあらず、である。

この番組を通して、
人の反応(行動)には、
本質的なマーケティングの原理・原則が現れることが、改めて分かった。
とくに『PLC』(プロダクトライフサイクル)や『群集心理』がよくあらわれていたことには驚いた。

また、『エリア』の差もこれほど出るとは思わなかった。
何となく予想はされてはいたものの、筋書き以上になった感じである。

C.通行者の反応の事実確認から:

■ まず、お米から!

8キロのお米がおかれた。
熱帯魚の水槽のような大きな透明の容器にはいっている。
しかしお米をとるマスのようなものはない。
日常に大胆かつ無造作な置き方である。
何となく事件のにおいを感じさせる?演出である!

まず東京の様子から。

大半の人が見ぬ振りをして通り過ぎてゆく。
欲しがる人も、もらうには、手ですくうの?どうしよう?
という感じである。

このような思考・行動がそもそも「東京」のものである。
「大阪」では、そんなことはお構いなしに手でさっさとすくい始める。
自分にとって興味があること、得なことへは、
とにかく行動を起こす!
という素朴さ、率直さ、ガメツサがある。
映像を見ていて清清しささえ感じてしまう、のが大阪の人の反応である。

東京では40分でお米がなくなった。

最初は、皆知らんふりをしたり、ちょっと見て通り過ごしたり、
やや様子をうかがう微妙な感じがあった。
少し時間がたって、やっと最初の持ち帰りの女性がやってきた。
少し年配の女性が男性をつれて、袋をもって引き返してきて、男性にお米を袋につめさせた。

後からインタヴューすると、
近くに会社があり、そこの男性社員を連れてきて、その男性に袋つめさせたとのこと。
自分でやるのは恥ずかしいから、という。

そうこうしているうちに、
だんだん人が集まってきてお米は、無事に?40分でなくなった。
東京らしく、かっこをつけつつ、周囲の様子をうかがいながら、
お米を持ってゆくという感じが、映像からよくわかった。

一方、大阪では様相が異なる。

まず、皆が皆バッグのなかに袋をもっている、のが新鮮に写った。
それは飲食したときに献立が余ると、
その中に入れて持って帰るという、
きわめて実務的な行動をとる習慣があるという。

実は筆者の郷里の長野にも、
そのようなもったいないを実践する習慣があった!ので親しみを感じた。

さて、
大阪では20分で見事にお米がなくなった。
PLC(このイベントのプロダクトライフサイクル)は東京の半分である。

最初は手ですくい、
次は、いったん帰宅して家からマスをもってきて、
最後は洗面器のようなプラ容器でがばがばとすくって持って帰るという状況だ。

大盛況であった。
ただでもらえるなんて!ありがとう!という感じで話す女性もいた。
何の悪びれることなく、堂々と、ごく自然に
「持って帰らしてもらうわ!」という雰囲気である。

■続いて、いすを10脚!もちろん無料でどうぞ!と表示した。

さすがに、大阪でも、

これだけ大きく、運びにくいものはやや敬遠ぎみであった。
遠くに帰る人は持ってゆけず、
持ち帰りの出足はやや鈍い感じであったが、最終的には8脚が持ち帰られた。
東京では、たったの1脚だけであった。

大阪のおばちゃん?曰く、
この歳になれば、
そのまま、がたがたと地面の上を動かして家までもって帰っても
はずかしくもなんともない!

地で、素で勝負している感じが、
いかにも大坂のおばちゃんらしい。

■ 最後は、生きているたこ10匹!もちろん無料でどうぞ!

大阪では、5分で10匹が持ち帰られた。

東京では一時間で0匹である。
東京ではどのように持ち帰るか?その手段が講じられないとか嘆いている。
また、「たこ」を持って行くことが恥ずかしくて、とてもとても?!
羞恥心が行動を阻害している。

大阪では
たこを素手で持ちそのまま立ち去る猛者もいた。

ぐにゃぐにゃした「たこ」なんて気持ち悪くて!
という感覚は東京、大阪の人とももつが、
大阪ではその気持ち悪さを「お得」というインセンティブが凌駕して、
どんどん持ち去った、という感じである。

大阪では写真を撮ったり、触って遊ぶなど、
たこコーナーがイベント化して大騒ぎという雰囲気もあった。
要するにノリがいいのである。
もしかして、大阪にはたこ焼きという食文化があるが、
たこへも思い入れも相当なもの、ということなのか?


D.マーケティング的な意味:

この無料持ち帰り番組での生活者の反応には、
3つ位のマーケティング的な原則、法則が見られる

1.エリアマーケティング的な意味:

東京と大阪では、これだけ反応が違う。
明らかに、無料サンプルをもって帰る意識・行動への反応が違う。

商品そのものへの受容性ではなく、
そのプロモーション、お得という「コト」への受容性が大きい。
極端にいえば、
商品は何でもいいのである。
ただで持ち持ち帰れるというイベントが大事だといえる。

東京と大阪では、

・心理的なプロセスが違う
(大阪には、その場を受け入れて、その状況にのってゆく吉本興業的なノリの良さがある)

・金銭感覚が違う
(大阪の人は、金銭感覚に敏感で商売っ気があり、お得なものには素直に反応する)

・行動への本音感が違う
(大阪では、意識(欲しい)と行動(持ち帰る)に矛盾がなく、欲しいと思えば素直に行動をおこす)

とにかくノリの良さが違う。

大阪では、この番組は完全におちゃらけイベントとなってしまった。
関東の筆者からすれば、うらやましいぐらいののりである。

人生を素直にたのしまなければ意味ないじゃないか!という感じに見える。
それが無理して楽しんでいる訳ではなく、
素でやっているので、余計に感心してしまう。

2.PLC(プロダクトライフスタイル)的な意味:

プロダクトライフサイクルとは、ものごとの一生の時間である。

人でも商品でもイベントでも何でも良い。
はじまっておわるまでを数学的に処理すると、
ある曲線が描ける。

横に時間軸(t)、縦に行動結果(この場合は持って帰る累積量)を設定して、
時間経過と行動量をプロットする。

誕生してから消滅するまでのカーブが描ける。
いわゆるロジステック曲線である。

今回の無料持ち帰りイベントでは、
最初は遠慮しながら様子を見ているひとが多く、
立ち上がりの悪い横にはったようなカーブが描かれる。

だんだんと持ち帰る人が増えカーブが急激に上昇しはじめる、
そして最後にカーブは寝てお米(椅子、たこ)がすべてなくなる、
という需要カーブを描く。

東京と大阪の違いは?
まずPLCの時間である。
お米では、それが無くなる時間が20分:40分と倍も違った。

今回の番組では、
最初は何となく周囲の様子をみている。

そうこうする内に、
一部の人は、新らしもの好きで、即飛びつき持ち帰る(イノベータ)

次に、人生に前向きな感じの人が、お得ということで積極的に持ち帰る(オピニオン)

ついで、皆がするなら、私も!とわれもわれもと持ち帰る(アーリーマジョリティ)

という一般的な需要表出構造がそのままTV映像にあらわれていた。

「無料持ち帰りイベント」という「コト」の一生が、
短い時間ではあるが、PLC理論の原則どおりの結果となっている。

一般的に、PLCの中のカーブが急に立つ成長期では、
商品・サービスのニーズが個性化・多様化するが、
この無料の持ち帰りイベントでも、多様な個性的なスタイルが出てくる。

すくう入れ物が、手、そしてます、コップ、洗面器と工夫が凝らされる。

・取る量が多い人少ない人、
・大胆にがばがばと持ってゆく人、申し訳なさそうに少し持ってゆく人、
・180CMの大きな食べ盛りの息子がいるという実務的な理由の人、
・単に得したというシンプルな理由の人、
・女性のためにたこをとってあげる男性が出現したり、
・人を連れてきてその男性にお米を入れさせたり・・・・・

じつに多種多彩である。

個性化・多様化という現象が、数十分の間に見事に起こっている。

持ち帰るときの人の気分!

大阪では当たり前、至極当然のように悪びれずに行動する。
漫才コンビ中川家の弟が演ずる、
いわゆる典型的な「大阪のおばちゃん」の雰囲気がある。

東京はなんとなく恥ずかしそうに、
でも嬉しそうに、人目を避けるようかの雰囲気で持ってゆく。
かっこつけてはいても、本当は嬉しい、という感じがよくでている。

イベントでも、商品でも、もちろん人の一生でもPLCは生じる。
その長さはまちまちである。
そしてその中の状況も悲喜こもごもである。

3.本年と建前のマーケティング

リップサービスという言葉がある。

本音はなかなか出てこない。
あたりさわりのない言葉で、
その場を取り繕う、やり過ごすと言うのは、全国標準の東京の知恵である。

全国から人が集まり、人数も多くいろいろな調整をおこない、
全体解(最小公倍数、最大公約数)をもとめてゆく、
大行政都市ならではの知恵である。

東京では『建前のマーケティング』が重要である。

一方、大阪ではかなり様相が異なる。

本音のマーケティングをどう展開してゆくか?が重要である。
かっこつけても、「何かっこつけてんの?!」の言われるのが落ちである。

大阪は『本音のマーケティング』を求めている街である。

大阪・電通のつくるTVCM。
あの人をおちょくったような本音感、アンチ東京感?は、
独特のテーストのものである。
同じ日本人なのに「何であんなおもろい?ユニークな?」CMができるのだろうか、
と考えてしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

E.エピローグ:

ところで、大阪って、どんな町?!
大阪は、もともと瀬戸内海の再東端にあり古代から交通の要衝であった。

戦国時代には、
蓮如が石山本願寺をつくり、
浄土真宗の総本山として全国の一向宗徒を纏め上げ独特の存在感を示した。

織田信長による石山戦争の後、ときを経て、
秀吉が大阪城をつくり豊臣の居城とした。
関が原の戦い、そして大阪冬・夏の陣での豊臣の滅亡以降は
江戸が名実ともに大政治・消費都市となり発展した。

大阪は、一時は荒廃したが、江戸幕府が天領として直轄統治して再生させ、
大経済都市となり、天下の台所と呼ばれるようになった。

ここで重要なのは、
大阪は、政治都市ではなく、商売を基点とするビジネス都市という点である。
政治の介入から自由となり、おもむくままに商売に精を出し富を蓄積していった。

当然市民文化も熟成し、元禄文化も大阪を中心に大きく花開いた。

全国から人、情報、物資があつまり、
本音でやり取りをして富を産んでゆく都市となった。
本音で商売をする、利益を上げる合理性を身に付けた町となった。

考えてみれば、同じ関西の堺という町は、
東洋のベニスと呼ばれ、自由都市として独立した自治をおこなっていた。
かくのごとき、大阪はもともと、行政の調整利害の調整をもとめる風土とは遠い、
そのまま、おもむくままの自由な文化が醸成される土壌があった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大阪では、
商売の駆け引きとしての建前・本音の使い分けはあるにしても、
自分の自由と利益を守るために基本は本音で動く町である。

利は合理性に連なるといえる。
表現も当然ざっくばらんな直截的ものになってゆく。

私のような関東人が、
大阪の人のことば聴いていると、
なぜかしら、こころを開き、建前の衣を脱ぎさる感覚になるのは、
そのような文化の匂いを嗅ぎとっているからではないかと思う。

話しは変わるが、
昔、堺屋太一さんとご一緒に仕事をさせていただいた時にいわれたことがある。

淀川沿いの堺屋さんの自社ビルで打合せをしていたときに、
ある学者の論文の話になって、
「大阪にきて仕事をしなさい」、
さもないとこのように視野が狭い話しかできなくなるよ!
といわれたことを思い出した。

東京という首都からだけの発想では、
日本は語れないよ!と言われたが、
今改めてその通りだな!
とその言葉の含蓄をかみしめている。

この稿おわり


追記1:ターゲットの特定と個人の関係

無料持ち帰りイベントを見ていると、
人の個性はそれぞれ、
いろいろな人がいると感じる。

人の意識、行動を群でまとめクラスター化(類型化)すると、
そこには統計的なシンボリックな像を描くことが出来る。
「ターゲッティング」というノウハウである。
集団をあたかも個人のように人格化してマーケティング出来るようになった。

これによって全体的・効率的なマーケティング戦略が組めるようになった。

今までのマーケティングパラダイムでは、
そのようなマス・ターゲッティング(マーケティング)が功を奏して、うまく消費がまわってきた。

しかし、この番組を見ていると、
ひとりひとりの生身の人間が、いろいろなことを考えて、
自分のこだわりや周囲を気にして複雑に動く、
ということを改めて痛感させられる。

複雑だから、まとめて平均化してある典型的な像にくくってマーケティングをしてゆく、
これはかなり、「優れもののビジネスツール」であった。

しかし、本当はもっとよいツールがあるのではないか、
という思いを再確認させられた。

追記2:個人と集団のインサイト

コンシューマーインサイトというマーケティング言語が、
今はやっている。
消費者のインサイトをつかむことは、マーケティングの永遠のテーマである。
インサイトには「個人のインサイト」と群集になったときの「集団のインサイト」の両方がある。

商品別、業態別でどちらを重視するかは異なる。
また、マーケティング機能別でも同様である。

・機能別で見ると、例えば営業現場では、
1:1で個人を説得する場合は「個人のインサイト」が、
大衆にマスで売る場合は「集団のインサイト」が重要となる。

大衆に向けて広告、例えばTVCM制作するとなると、
大衆の心理を大きく括って大ナタを振るうような表現で
大衆の心を鷲づかみにすることを考えなくてはいけない。
それはTVが良い良くないに関わらずマス広告だからである。
同じ車でも、

対象者のこだわりを重視する外車のマーケティングは個別対応、
大衆の広いニーズを重視する軽のマーケティングはマス対応である。

・業態別で見ると、
1:1の業態/BtoB,PtoPは,WEBでものを売る健康食品業態では個人の殺し文句が効く。
小売業態でも売り場では、1:1の対比的な文言、ビジュアルの訴求が必要である。
IYの鈴木会長がいうようにマーケティングは心理学である、
が正解となる。
売り場と言う土俵では、
売りたい側と買いたい側(買いたくないものは買いたくない側)
の心理的なやりとりがおこなわれる。(POP,売り場つくり、店内案内、チラシでの誘客等の掲げ方、表現により)

個人ベースの営業では、
例えば訪問販売では、説得相手のインサイトが多わかっていれば、
個人別トーク等表現の対象者への刺さり方は、かなりピンポイント的に鋭くなる。
即ち歩留まりがよくなってくる。(購入・契約の可能性が高ってくる。)

追記3:インサイトの効用

インサイトの本質、個人の本音が分かったからといって、
どのよう良いことがおこるのだろうか。

・わからないよりは、わかったほうがいい、
という素朴な話がある。
・わかれば少なくともずっこけた、はずれのマーケ施策の立案は排除される、
という最低保証・保険的な効用がある。

ポジな味方をすれば、インサイトが分かれば、
相手の立場、状況の一端はわかるので、
マーケティング戦略・戦術仮説づくりでの基点ができ、
その後の手間はかなり軽減される。

その基点をもとに考えれば、
戦略ベクトルが一貫性をもち、思い切り想像力・創造力をはたらかせることができる。
そのベクトルの中でリッチで自由な発想をめぐらすことができる。

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■ コーラルムードたっぷり!ZARAHOMEの微妙な雰囲気、女性の心をつかむ

2013年05月23日 | Weblog
■ コーラルムードたっぷり!ZARAHOMEの微妙な雰囲気、女性の心をつかむ!



はじめに:

ZARAHOMEが日本へ初上陸した。
大阪と新装横浜ららぽーとへの同時初出店。
以前から人気があり、満を辞しての日本出店となった。

以下、サイトの紹介です。

http://matome.naver.jp/odai/2136697683267701601

2003年に誕生し、ヨーロッパを中心に現在は世界35カ国350店舗以上展開しているブランド。
ファッションのZARAと同様に毎シーズントレンドを取り入れていて、
週に2回新商品が入荷するサイクルで展開。

http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=ZARA+HOME/
http://allabout.co.jp/gm/gc/416495/


A.ZARAHOME・店内の様子:

ZARAとZARAHOMEは、同じ横浜ララポート内でほぼ隣接している。

ZARAの方は、スペイン発のカジュアルアパレルブランドである。
お客様の賑わい具合はごく普通である。
一方、ZARAHOMEの方はかなり様相が違う。

正面のショーウィンドウ。

ベッドリネンが置かれている。
白をベースとして、赤い線形のサンゴがさりげなくあしらわれ、
さわやかに映え、目を惹く。
ひとことで言えばZARAHOMEはコーラルムードたっぷりの店ということになる。
(コーラルとは、ここではサンゴに象徴される南の海のリゾート感覚を意味する)

5月中旬、平日の店内の様子。

30代、40代の女性が多い。
一人の人、
二人の友人連れ、
夫婦で来ている人
と多様である。

会話をしている。
これがいいとか、これが部屋に合うとか、センスがいいとか、
自分の家、部屋をコーディネートする感覚の実務的で真剣な、
でも楽しい雰囲気の会話が多いと感じた。

女性を戸惑わす?スペースとみた。

デザインテーストは、
かわいい、明るい、非日常、リゾートっぽい、少しおとなっぽい・・・と微妙な感じである。

日本のデザインではない。
しかし日本的な落ち着き、かわいいという感覚から、けっして遠くもない。
そのバランスが微妙と感じさせる。

微妙なズレが何か人をひきつける、戸惑わせる?

価格はやや高めである。
少し高いが故に、買うかどうか?
価格だけの価値があるか?
買った後、家、部屋に合うか?
と真剣に考える、
ようだ。
価格付けも微妙なポジションにある。

中の女性の様子。

メモを持って買うものを検討している、
友人とこれ合う?会わない?とか話をしている、
店員さんと寸法のあわせをしている、
夫婦でこれかわいい!
とか言っている。

目線が何となく真剣で
初来店ではなく、一回家に戻って、家に、部屋に、
どうZARAHOMEのアイテムを入れ込み、使いこなすか、
を考えて再び来店している感じだ。

この店は一種独特の雰囲気をつくっている。
女性をリゾート(気分)へといざなう、すこしわくわくさせる、戸惑わせる空間である。

B.ZARAHOMEの情緒価値とは:

ZARA空間は、
リビング、キッチン、寝室、バス・洗面という住の物理空間イメージでゾーニングされている。

全体的にはホームテキスタイル(布モノ)が多い。
寝具系、クッション、マット、タオル、インテリア系ウェア(家着)、エプロン、サンダル・・・。

一方小さな雑貨が随所に散りばめられている。
フォトフレーム、ジュエリーボクス、小物入れ、テーブルウェア、ファッションランタン・・・・。

ZARAHOMEは、
ちょっとした刺激を振り撒く、
自分の部屋の演出ツール(マイルームづくりツール)が満載の店という形容が良く合う。

マイルームづくりが、
マイペースで出来る、そのような価値の店である。

ZARAHOMEテーストで、
飾る、包まれる、居心地良く暮らす、センス良く過ごす、さわやかな気分に浸れる。
そのような「価値」を伝える空間である。

日本の和製洋室へ
・どう合わせていけそうか、
・どう変化も持たせられそうか、
・どう刺激をあたえられそうか、
と思案をめぐらすことが楽しくなる、
そのような雰囲気を醸し出す。

部屋全体をZARA気分にしようか、
パーツで部屋にアクセントをつけようか、
などいろいろな想像・創造をめぐらす情緒価値を醸し出している。

もうひとつ大切な価値がある。

シリーズ的なデザイン感である。
これはコレクションという行動を誘発する。
ZARAHOMEでいろいろなものをコーディネートしよう、集めて楽しもう、
という気持ちにさせる。
ありきたりのテーストではない、
新しい刺激を得たい人にぴったりのインテリア・コレクションラインになっている。

店は狭い。

人がたくさん入ればすぐ一杯になってしまう。

しかし、凝縮された、コーラルムードあふれた濃厚な空間になっている。
それでいて、圧縮陳列のような息苦しさがあるわけではなく、
さわやかな空間になっている。

C.ZARAHOMEの経験マーケティングとは:

店にはほのかな匂いが漂う。
癖のないアロマ効果がある。
アバクロのようなきつめの個性的な香りではなく、
店の特徴を裏から支えるさり気な匂いである。

色。
ベースは白いサンゴ色である。
そこに南のリゾートの、熱帯感覚の色彩がリッチな空間をもたらす。
青、赤、緑、橙、黄、茶、紫、黒・・・・が彩りを添える。

この店は五官に訴えている。

・目に飛び込んでくる(南の海のリゾートタッチのアイテムデザイン/海のリゾートの色彩感)
・薫ってくる(実際の店内のアロマ/実際のリゾート気分の匂いが漂ってくる)
・触れてくる(アイテムの布の感触/海の風の肌へ感触)
・聞こえてくる(アイテムの布の接触の音感/想像されるリゾートの波の音、風の音)
・味あわせてくれる(リゾートの食卓気分が味わえる)

ZARAHOMEは、
店からの直接の感覚に加えて、
店の雰囲気から実際のリゾートを連想させそこから来るリゾート情緒
の2つの感覚で、
生活者の感性に訴える「経験マーケティング」を実践している。

経験マーケティングとは、
官性(SENSE)、情緒(FEEL)、思考(THINK)、行動(ACT)、関係()RELATE
の5つからなる、
人の意識に直接作用しマーケティング行動(経験)を誘発させる手法である。

ZARAHOMEの訴求センスは、
アイテムをこんな風に使うと生活のクオリテイがこうUPしますよ?!
という押し付けがましいものではない。

あなたのリゾート期待感を少し満たすことが出来ます、
リゾート気分を少しだけ演出します、
という、控えめ感がある。

これが店の微妙な、さりげな価値観を醸し出している。


D.思わぬマーケティング効果・副産物:

1.意外と小さな店(100坪)

店へ行ってみて見て想像以上に小ぶりの店だったので驚いた。
しかし、
これが逆に等身大感覚を醸し出し、
自分の家、部屋の演出を自分なりにできそうな感覚にさせてくれる、
ように思えてくる。

大型店は多い。
大量の陳列、品揃えで圧倒しその迫力で、
・多いものへの満足感(品揃えが多く間違いのない選択が出来るCS感)
・大きいものへの信頼感(NO1的なものを選べる信頼感)、
・よらば大樹の影への安心感(バンドワゴン効果/勝ち馬にのれる安心感)で、
財布の紐を開かせるストアモデルが多い中で、
やや特殊な店づくりといえる。

2.外資の効用

外資のデザインセンスの持つ意味は大きい。

FF(ファストファッション)は外資が多い。
フォーエバー21、H&M、GAP・・・・・・など皆独特のテーストである。
この独特のテーストが若い人中心に受けている。
単にかわいいだけではない、やや横にポジションされた外資の異色感が、
若者のこころをつかみマーケットをつくっている。

ZARAHOMEもその文脈の中にある。

外資だから出来るマーケティングという視点は看過されてはならない。

異国情緒に、ある種の異色の価値を見出し、
自分の生活に取り入れて刺激を得たいという素朴な感情は誰にでもある。
それは外資の特権でもある。

これを使わない手はない!
というところをZARAHOMEは、結果として、うまくついた、
といえる。

因みに、ユニクロは日本のテーストである。
佐藤可士和氏が店も含めてブランドデザインのディレクションをしている。
極めて日本的な機能、品質感を重視したデザイン感覚を醸し出している。

横浜ららぽーとの近くには、イケアの大店舗がある。
両方とも外資の個性的な店である。

追記:

ZARAの紹介/サイトからの引用

スペイン発、モードからカジュアルまでトレンドアイテムが手ごろな価格で手に入るブランド!

1975年創業、世界で最も成功しているカジュアルブランドの1つに数えられるスペイン発の「ザラ」。

カジュアルで安価な商品ながらも、GAPやマンゴなどよりも高いファッション性が特徴です。広告費用をかける代わりに、積極的に出店をすることで有名。
すでに全世界で1000店舗以上を構えることで知られます。

トレンドを意識した豊富なラインナップが特徴で、店内の商品は2週間後には全く別のものになっているというスピード力が圧倒的。
選任のデザイナーがデザインするがトレンドを見極めて、企画、店舗に並ぶまでが非常に早いサイクルであることが理由です。
ファストファッションの走りともいえるブランド。
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■ 軽自動車は雑貨なり!軽に見る女性雑貨マーケティングの本質!

2013年05月10日 | Weblog
■ 軽自動車は雑貨なり!軽に見る女性雑貨マーケティングの本質!

はじめに:軽における女性の関与とは?

昔の話?!
高度成長下の20-30年前の話である。
「女」は「男」の運転する車の助手席にすわっているだけでよかった。

男性も、女性の運転は危ないので絶対に運転させない、
というような、
今から思うと、妙な風潮があった。

隔世の感がある。
今は、女性が車を大いに乗り回す。
当然のように、車選びにも大きく関与する。

結婚して、小さい車を、例えば軽を選ぼうとすると、
そこには女性が大きく関与してくる。
お金は男が出すが、
車を決めて、使うのは女よ?!
という感じである。

車については、女性の購入・使用の権限の増加はいちじるしい。
「男」は、いる場所がなくなってしまった感じ???

A.軽のイメージ:

軽。

昔は、収入が少い免許取立ての若者が買う車であった。
車が欲しくてしようがないけど、お金がないので、
仕方なく最初に買う車、であった
また、地方・都市部の郊外の農家が農作業をするために買う、
商店主が配達に便利で買う、
車なんて家の周辺で動いて、ものが運べれば十分という超機能志向の生活者が買う車であった。

しかし、今は違う。

軽は以下のような付加価値を持った優れものになった。

・ 税金も、保険も安いきわめて低コストな車
・ 車庫証明のいらない気軽に使い始められる車
・ 使い勝手の良い使用本位の便利な車
・ 運転しやすい車(自分の体の一部のような感覚で運転できる/見通しのよい車)
・ 安全な車(教習所の講習車より小さく、ストレスと感じずに事故にもなりにくい車)
・ 2台目のチャリンコ代わりに、サッ!と使える車
・ 様々な品ぞろいで選択の幅が広い車
・ デザインが多様で自分の好みに合うものがみつけられる車
(例えば、ペットのようにかわいいマスコット的な車とか!)
・ 無駄がなく環境負荷がすくない、エコな車
等々

軽というサブカテゴリーは車種タイプ、価格帯の幅、デザイン等々が
きわめてリッチで、普通車カテゴリーと同じように、
楽しく、面白く選択できるすぐれた商品カテゴリーになっている。

現在の軽のリッチなマーケットの姿は、
軽が、新車の売り上げ台数の40-50%を占めるメジャー車種であり、
買い手が多ければ当然ニーズも多様化してくることからきている。

マーケットサイズに合わせて、
様々なバリエーションが登場し市場を活性化させている。
メーカーにとっても、台数がさばけるので、
いろいろな工夫をしても十分ペイする。
またそのようにしないと、
軽メーカー間の競争に負けてしまうマーケットになっている。

しかし、これらの軽の特性は以前からあったものである。
ここに来て俄然、軽が注目を集めているのはなぜだろうか。

実は、軽というのは、
普通車カテゴリーとは大きく異なる価値体系を持ったカテゴリーである。
軽の本質をみる、

これが本稿の目的である。

B.軽に関与する主役とは:

軽。

だれがのる車か?!
家にいる女性が一番のっている。

使用者は女性である。

購入者は男性でも、ほとんど女性が使う。
実は女性も働いているので、
また、軽の購入価格を考えると、
お金を出す人は男性という構図もかなり違ってきているのが現実である。
男の、お金を出す人という存在感がどんどん小さくなっている。
男は威張れなくなっている。

何が言いたいかというと、
どんな軽を買うかを決め、かつ乗るのも女性ということである。
それは車の世界では画期的なことで、
車は男の世界のもので、女は口を挟んではいけない時代ではなくなった、
ことを示している。

20年前の1992年の車の売れ筋ランキングをみると、
そのころは既にバブルは崩壊し始めているが、
それでも
カローラ、マークⅡ、クラウン、シビック、サニーというようなセダン型の小さい車から初めて、
だんだん大きなセダン・クラウンへ進むという、
高度成長時代のひとつの単純線形的な上昇志向が見られるランキングになっている。

次いで、10年後の、2002年を見ると、
フィット、カローラ、ムーブ、ワゴンR、マーチというようにいわゆるリッターカー、
超小型全盛の時代である。
軽も大きく伸び始めている。
デフレが定常化し、景気が冴えない時代の生活の知恵がそこに現れている。

そして、更に10年後の、2012年、現在。
アクア、プリウス、NBOX,ワゴンR、ミラと、
ハイブリッドが上位1、2位を占め、それに、エコの軽がつづく。
最新のランキングでは軽のダイハツムーヴがトップになっている。
何と、軽でありながら、自動衝突防止システムがついての人気という。

明らかにエコの時代を反映している。
政府のエコ消費への支援もあり、
エコが本格的に市民権を得て、エコすることが単なる小市民的なファッションではなくなり、
実態感のある消費スタイルになってきたことを示している。

軽が、本格的に売れ始めてから、もう10年以上経っている。

このような軽の繁栄の背景には、軽の「エコ性」という特徴が存在している。
エコという要因は確かに大きい。
しかし、社会・時代を反映する消費という側面から見ると、

エコということではない、もっと異なる、本質的な背景が見えてくる。

車に耐久消費財の王様としての魅力を感じる人が少なくなってきたことが、
何といっても大きい。

大きな車を、スポーツカーをかっこよく乗りまわして、
自分の存在感を高めよう、かっこよく振舞おう、
という気持ちはあまりない。

車の消費を牽引する若者の存在感はなくなっている。
欲求をぎらぎらとたぎらせるような若者も少ない。
身の丈主義の草食男子化が進んでいるともいわれる。

今、若者は車、酒、海外旅行に行きたがらない、
企業のマーケッターはその対策に頭をいためている。
お金がない年収300万円以下の人は全体の3-4割もいるという社会背景もあり、
若者は車から遠のいている。

成熟した社会で、人の楽しみの範囲は本当に多様化している。
自分の感性のおもむくままに、自由にすきなコトを選んで楽しんでいる。
車を成功の、収入の証として持つということに意味を見出すことはない。

また、東京のような都市生活では、
車がなくとも痛痒を感じない。
生活インフラが整っているいという背景が大きい。
実に、東京の世帯のなかの40-50%は単身である(若者―シニアまで含めて)
この大票田・大きなマーケット人が車を必要と感じないのは大きい。
危機的でもある。
無理して見栄で車を買う必要はまったくないし、
車を持っていないからといって、
かっこわるいという気持ちもまったくない。

単純にいえば、
車を本人の求める価値に忠実に選ぶ時代に入ったといえる。

いい車を背伸びして持つ、かっこよく乗り回すという社会共通の価値観があり、
そのパラダイムの中で車を買う時代ではなく、
また必要がなければ買わずにすます、
という極自然なことが極自然に起きているといえる。

今は、自分の車にもとめる価値に忠実に素直に選ぶ時代である。

結論は、
この多様な、個性的な時代・社会の感覚にもっともミートしているのが、
実は軽ということになる。
だから軽はよく売れる。

海外の車から、
軽妙な軽へ乗り換える人も多い、
という意識行動を説明するには、
別の価値観の枠組み(パラダイム)を引っ張り出さないと説明はつかない。
そのような時代になったといえそうだ。

軽は時代の価値観で売れている。
特に、決定権者・女性の価値観は要注意である。

C.女性の、軽に求める価値:

女性から見ると、軽には4つの価値がある。

■ 軽に「のること」の価値:
軽は家の近くで乗り回す、使いつぶす感じで利用することに意味がある。
運転しやすい、事故がおこりにくい、すれ違い・車庫入れが楽・・・
等々の価値である。

■ 軽が「つかえること」の価値:
女性が普段自分の足のように、家事をするように使える、
ということが大切である。
社内の収納性、掃除のしやすさ、衛生感、ドアの開きやすさ、開きの角度の大きさ・・・・・

■ 軽を「もつこと」の価値:
女性にとっては、軽はペットのようにかわいいことが必須である。
いつも自分に寄り添う存在であることが大切である。

■ 軽を「おくこと、みること」の価値:
自分の駐車場、買い物先の駐車場で、かわいいマイカーがそこにいる、
というたたずまい感が大切である。
目立つ、何か存在感がある、かわいくてだきたくなる・・・・
というような情緒的な感情である。

女性にとっての軽の価値を一言でいえば、
カタカナで抽象的だが、
シンプル、コンパクト、キュート、フレンドリー、マイブーム
な「雑貨」ということになるだろうか。

D.軽に求められる車メーカーのセンスとは:

女性にとって、軽は「雑貨」である。
車メーカーは「雑貨」をつくるように軽をつくらなくてはいけない。

■車のメカ・スペックは、
雑貨を扱うような感覚の翻訳がいる。

例えば、燃費がいい!ではダメ。
家計を助けるくるま、スーパーのチラシ感覚の節約感覚での訴求がいる
また、室内が広く使いやすいではダメ。
収納が、
こことここにいくつあり、何が入れられる、
ドアが90度あくので、出し入れがこんなに便利
タントCMで宣伝しているが、
ドアを開いたときのオープン感覚は、
子供か登場してそこから飛び降りてくる映像をみせられることで納得がゆく。

■運転しやすいは、
このように運転出来る、という翻訳がいる。

例えば、幅が狭いから4M道路でのすれ違いが苦にならない。
ガラスが大きいので、見晴らしがよく、開放感がたまらない。

■ デザインがいいは、
ただかわいい的な翻訳では不十分で、感情移入的な、比喩的な翻訳がいる。
ペットのよう、犬の顔のよう、ゴロンゴロンしているという
感覚的な意味に意味がある。
車のいたるところに隠れキャアクターが潜んでいる、
というような見せ方がいる。

そこに自分の軽が、たたずんで待っているような翻訳がいる。
雑貨感覚の置き具合のよさ、生活空間へのなじみ感が求められる。

車の色がブロック化され、ツートンカラーになっている、
外装と内装がコーディネートされている、
というようなファッションの着まわしのような感覚がいる。

メーカーの人は、
本音では、軽では単価が安くてもうからない?と思っているふしもあるらしい。
もちろん、軽もマスプロ工業製品なので儲かる仕組みはいくらでもつくれるものの、
単価の高い、利益率の良い中級・高級車の台数をさばいて儲ける、
というビジネスモデルを追いたいという感傷はいまでも強いと聞く。

しかし雑貨メーカーの人からいわせれば、こんなに高い雑貨はないよ!
100万円もするんだろうと!
高級家具と同じ価格じゃないか!と
言いたいところだろう。
100万円もする雑貨が、
こんなにたくさん売れるなんて贅沢な、凄い話でしょう?
と言いたいかもしれない。

軽で成功する秘訣は「雑貨」というキーワードにある。
つくり方も、宣伝も、広告も女性が高級な雑貨を買う・使う感覚で、
ストーリーが組み立てられなければいけない。

軽は専業メーカーが2社ある。
ダイハツとスズキである。(正確にはほぼ専業)
昔から小さい軽ばかりつくってきた。
軽に命を懸けている。

このようなメーカーがあるから、軽のマーケットは繁栄している。
いわば軽のプロである。
筋金入りである。
ホンダも後発で自動車の世界へ参入して、
Zの時代からはじまって軽にはこだわりがある。

トヨタと日産は、正直言って片手間である。
中途半端な姿勢でつくるほど、
軽のマーケットはあまくはない、
というべきである。

E.最後に、軽のプレゼンのあり方について:

女性の雑貨感覚は、
軽の宣伝・コミュニケーションでもいかされなければならない。

例えば、
販売店でも軽の基本性能を訴えるプレゼンでは女性はピンと来ない。
女性は、生活文脈の中に落とし込まれて、初めてその車(軽)が自分のものに感じて、
その車(軽)の生活価値が腑に落ちる、といわれている。

男の購入プロセスをみると、試乗という過程が重要で、
そこでメカ等を感じれば即決に結びついた。
これがいわゆる「TRAP」というマーケティングモデルである。

女性はどうも違うらしく、
「生活試用」というプロセスが実感できないと納得がいかないようだ。
「生活の中で使っている感」が大切である。
じっくりと時間をかけて生活試用感を得て決断する。

男性のように、
即決でかっこよく、いじいじしないで決めて、悦に入る、
というような心理構造にはない。
最近の軽のTVCMも、
このような女性の生活文脈・生活試用的な視点が多くなっている。

因みに、ダイハツでは全国670店にカフェを導入したという。
軽の売り場は、
フランフラン、MUJI,ロフトのような感覚での作りこみ、
売り場コミュニケーションが不可欠になる。

雑貨は、
家の中でどのように使われるかできめられる。
『雑貨自動車』の「軽」も同様である。

F.エピローグ:軽の進化

1.最近、日経産業新聞に新製品ランキングがのった。(4月10日)

その第一位にダイハツムーブが入った。
衝突回避支援システムを5万円台で搭載できるオプションが評価された。
軽はどんどんよくなっている。
一方で日本独特の過剰品質の落とし穴に陥っているのではという指摘もある
いや、これだけ軽がマーケットの信任を得て売れているのだから、
いろいろなニーズにこたえるのは当然だという意見もある。

もうひとつ日経ビジネスに超低価格の自動車の特集があった。
為替レートにもよるが、1台2-3-万円の車が意外な国から出てきている。
インドはもちろんだが、ルーマニアの超標準車の例もあった。
日本の品質、安全基準はきわめて良心的である。
ある国で5人乗りの車には+して2-3人がのるとしよう。
そうするとその過剰積載レベルで安全性を確保しようと努力する。
当然コストはUPする。

日本のものづくりはほんとうに凄いが、
どうなんだろうか?と考えてしまう事例である。
世界の品質、安全基準への対応はその国民性がでる。
商品に求める国民の要求水準が色濃く反映される。
またマニアックな技術屋魂によりどんどんガラパゴス化する。
これもそこそこでいいグローバル水準?からは遠い感じがある。

軽ももっと超やすいものが出てきてもなんらおかしくはない。
しかし日本人には無理なんだろうと思えてくる。

この稿おわり

追記1:軽自動車という産業の新しい見方について

第二次世界大戦後の経済の歴史は規制緩和と規制強化の歴史である。

例えば、
規制強化の例としては
⇒環境規制が印象にのこる。
昭和40年代、日本は重化学時工業を伸ばし、輸出ドライブを掛け高度成長に導いた。
その過程で公害を発生させ市民を苦しめた歴史は慙愧に耐えない。
政府の環境規制がもう少し早ければ、
市民の苦しみはもっと軽減できたはずである。
今中国が同じ道をたどっている。

⇒大店法は逆に負の規制強化のいい例である。
地元の商店街の権益をまもろうとしたものである。
実際は大規模店が出店すると周辺が反映して共存できた例も多い。

緩和の例としては
⇒GHQによる農地解放、財閥解体などは、
緩和というより社会構造を変える革命であった。

緩和で印象に残るものは、やはり、
⇒携帯電話の電波帯の開放で携帯電話という分野が華開いたことである。
今ではNTTドコモ、ソフトバンクの時価総額はNTT本体を抜いてしまった。
⇒次いで大きいのは、小泉内閣での規制緩和の大きなうねり、
なかでも郵政三事業の民営化である。

⇒実はもっと前に、もっと凄い規制緩和があった。
それは軽自動車という車分野の誕生である。
軽という特殊なサブカテゴリーをつくって、
モータリゼーションを推進したことである。
当初は、軽は正に軽んぜられ、
あくまでも普通車のマイナーな存在でしかなかった。
普通自動車の入門版というような位置づけであった。
しかし、今や、
軽は自動車産業を牽引するメジャーな存在になった。
軽がなければ車産業はアウトだった!といえる。

追記2:

ホンダ、N-BOXの大躍進。
2012年度の軽の販売実勢は、「スズキワゴンR」を抜いて、本田の「N-BOX」がトップになった。
この車、ホンダの伊東社長が主導して開発したものという。
ホンダは大型エンジンの開発をやめて、小型、軽へ資源を傾斜配分することになったという。

このN-BOXの利益額は売れ筋、看板者フィットよりも勝るという。
今後も、軽で5車種を投入するという。
このN-BOXは小型車並みの車内空間の広さを誇る。
実に面白く、便利に使えるかに徹した車である。


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■ 世界最高峰、超伝統のマスターズゴルフの勝者は、実はユニクロ?!

2013年04月23日 | Weblog
■ 世界最高峰、超伝統のマスターズゴルフの勝者は、実はユニクロ?!

今週は、男性がすきなゴルフの話です。
最近は、女性のゴルファーも徐々に増えつつあり、
優雅な、楽しい、健康に良いスポーツとして脚光を浴びています。

はじめに:

アメリカ、オーガスタゴルフコース。
オーガスタは世界で一番美しいコースといわれる。

マスターズ・ゴルフトーナメントは、
オーガスタゴルフコースで毎年4月におこなわれる。

球聖ボビージョーンズが1939年に招待トーナメントとしてはじめた。
今では全米オープン、全米プロ、全英オープンと並んで世界4大トーナメントとなっており、
ゴルファーにとってはあこがれのゴルフトーナメントである。

歴代チャンピョンには、
ジャックニクラウス、アーノルドパーマー、トムワトソン等往年の名プレーヤーから
タイガーウッズまで
そうそうたる名前が連なる。

日本人では、
尾崎、中島、伊沢、片山の4選手がベスト10に何回か入った。
かの青木選手は、残念ながらベスト10には入っていない。

オーガスタには魔物がすむといわれ、グリーンがメチャ難しいといわれている。
またファーストショットを最適なポジションに運ばないと、
パーオンショットはグリーンを捉えることはできないといわれ、
高い技術力をもった選手しか優勝できないといわれている。

他のメジャー大会と由来も、権威も違う。
マスターズは、
オーガスタコースが自ら選手を招待して運営する手作りのゴルフ・トーナメントである。
選ばれた選手だけが参加できるトーナメントである。
賞金は毎年の入場者数等々から算出され、拠出される。
いわゆるスポンサーはつかない、稀有のトーナメントである。

優勝者は名誉のグリーンジャケットを贈呈される。


A.グリーンジャケットで得をしたのは?:

アダムスコット選手が、マスターズで優勝した。
初日10位、2日目7位、3日目3位、最終日で優勝した。

表彰式では、恒例の優勝者だけに与えられるグリーンジャケットを着た。
競技のポロシャツは鮮やかな白。
グリーンと白との鮮やかな対比であった。

白のポロシャツに、
何とユニクロの赤いマークが、さりげなく、でもしっかりと見えた?!

アダムスコット選手とは?
オーストラリア出身、32歳、
2000年プロ転向、トーナメント10勝、世界ランキング3位。
昨年全英オープンは歴史の残る最終日の大逆転での敗退を喫した。
若手の最有望株である。

ユニクロが、アダムスコット選手と契約したのは4月1日。
契約早々のサプライズである。

契約時に約束したことは、
マスターズの初日は赤のポロシャツ(ユニクロの色である)、
2日目、3日目、最終日は白のポロシャツを着ることであった。

彼が優勝するという確信がスタッフ全員にあったという。
最終日の白は、マスターズチャンピョンが着るグリーンジャケットにもっとも映える
ということでその色が決められたという。

スコット選手のユニクロに関するコメントは・・・。
「ユニクロとパートナーシップを 結んで、すぐに結果を 出せたことを 光栄に思う。 
ポロシャツなどのユニクロの服は、コースの上で身に着けていて快適で、楽に感じた」
ユニクロの人が聞いたら泣き出しそうなセリフである。

マスターズ終了後の銀座のユニクロには、
スコット優勝の新聞記事をもってこのポロシャツをください?!
と指名買いをする人もいたという。

今回のマスターズの優勝者は2人であった。
アダムスコット選手とユニクロである。


B.ユニクロがアダムスコット選手と契約した理由:

ユニクロ。
ご存じ通り日本のFF・ファストファッションの雄である。

なぜユニクロがスコット選手に白羽の矢をたてたのか?

理由の1:
スコット選手が若手NO1である。
その勢いとセンスで、
真摯にゲームへ立ち向かう姿勢がよい。人柄もよい。
ユニクロもスコット選手も世界1を目指して頑張っているという価値観も共通である。

理由2:
実は、ユニクロは今年オーストラリアへ出店する。
そこで成功するにはオーストラリアになじみのあるタレントとの絆が欲しいところであったという。
オーストラリア出身のグレグノーマンを彷彿とさせるスコット選手が、
マスターズでいい成績を残す可能性がある、
マスターズで、優勝する可能性も高いということになれば、
その価値は全世界的に通用するBIGなものとなる。
もちろん、出店するオーストラリアでも、
である。

面白い、伝説的な話がある。

オーストラリア出身のグレグノーマン選手が、このマスターズで、
2度も大逆転を喫して優勝できなかったという話である。

最初は1987年。
オーガスタの地元のラリーマイズ選手との熾烈な争いである。
最後にラリーマイズの劇的なチップインバーディでまさかの敗退を喫した。
当時の映像は、
今でもT―TUBEで見ることができる。

2回目は、1996年。

3日目まで2位に6打差をつけての最終日に、英国のニックファルド選手に大逆転された。

グレグノーマン選手は、

そのカリスマ性でホワイトシャークと呼ばれ超人気の選手であった。
通算68勝、世界ランキング1位・通算331週という大記録を持っている。
団塊世代ゴルファーであれば、
皆があこがれた精悍な顔つき、雰囲気を持つカリスマゴルファーであった。

オーストラリア出身のアダムスコット選手が、
もし優勝すれば、
そのグレッグノーマンのあだを討ち、
かつオーストラリア選手としては、初めての優勝という大きな話題がつく。
ただの優勝ではない、相かなりいい落ちがつくのである。
優勝に付加価値がつく。

ユニクロとしては、スコット選手は、
企業のブランド戦略、マーケティング戦略上では、
是非とも契約したい選手であった。
それが4月1日の電撃契約となった。

C.ユニクロのPR効果:

マスターズの最中に、スコット選手が着ていたものは、
実は、ポロシャツだけではなく、
全部で1万円に満たない
低価格のユニクロ商品であった。

しかし、スコット選手の優勝で、
ファストファッションの雄のユニクロは、
安くていいものを大量に売るイメージから進化して、
一流の、コストパフォーマンスの高い、
最高機能・品質のもの提供できるブランドへと歩み出したといえる。

ユニクロは本当についている、
つきも実力のうちという言葉を思い出すような、今回の出来事であった。

あのグリーンジャケットを、アダムスコット選手が着た瞬間に、
ユニクロは世界の一流ブランド仲間入りの第一歩を歩み出した。

アメリカでは、デパートが苦しい戦いを強いられている。
儲からない業態になっている。
ウォルマートはそれに反して利益を上げている。

小売の潮目が変わっていく中で、
同じ低価格を売りにしている、
ユニクロが、マスターズのような世界的なビッグイベントで、
皆の目の前に、表舞台に現れてくるのは時代の流れを象徴している。
画期的なことである。

スコット選手との契約は、
実に「良い買物」であり、「最高のコストパフォーマンス」であった。
タイガーウッズ選手のような超一流選手の評価は高値で止まってしまっている。
また交渉もそう簡単にできる相手ではない。

スコット選手は、
実にグッドタイミングで出会えた、本物の堀り出しものだった、
ということになる。

ユニクロは製造販売という新・業態で伸してきた。
正に合理的な理念で市場の雄となった。

一方、ゴルフ選手は、
クラブ一本で?ゴルフ場を転戦するという典型的な孤独なファイターである。
ゴルフはストイックな個人競技の典型である。
一種の道を究める的な雰囲気のスポーツである。

合理的に冷静にコースで球を追う。
ユニクロも製造販売で超機能、超品質を追う、企業である。
両者には一種独特の分かち合える価値観があったといえそうだ。

D.エピローグ:

以前タイガーウッズ選手が、
同じマスターズで、最終ホールでチップインバーディを決めたときのこと。

パターをうった。
ボールがグリーン上の微妙なアンジュレーションの上を、
その身を任せながらくねりくねりと転がり、
カップイン寸前にピタッ!、
と止まってしまった。

数秒後に時間をゆっくり回すように、
カップに吸い込まれ、
独特のカラーン!!!という音をたてた。

実に思わせぶりなカップインであった。

その数秒の落ちる前、
時間が止まったように静止していたボールに何が印刷されていたか?

印刷されていたのは、ナイキのマーク。
そのボールとともにナイキマークは人の目に焼きついた。

ナイキはその映像でどれだけ世界のゴルファーへアピールできただろうか。
お金には代えられない半端ではない情緒的な効果がもたらされた。

スポーツはドラマである。
そのドラマの中でスポンサードされた道具が、
そのスポンサーの看板を背負った選手の演じるドラマを支える。

その効果は単純な露出効果のような機能的なものではなく、
きわめて情緒的な効果をもたらす。

ドラマに彩られたウェットな情緒的な効果とでもいえるかもしれない。


この稿終わり

追記1:
ユニクロのポロシャツ等ウェアは以下のような機能があり、
スポーツ選手に愛用されている。
以下ユニクロのサイトからの引用である。(一部文章簡易化)

■ノバク・ジョコビッチ選手や、錦織圭選手、国枝慎吾選手がテニスの試合でも着用している抜群の吸汗速乾性の「DRY-EX」を採用した「ドライEXポロシャツ」。
軽くて薄い生地なので通気性もよく、真夏でも水分をすばやく乾燥させる仕立てになっています。
また、襟部分にも同素材を使用することで、熱がこもりがちな首元の快適さも確保。
日差しの強いコースの上でもクールに保ちます。
コース上でスコット選手が着用していたポロシャツには、
汗をすぐ乾かしてサラリと爽やかな肌触りをキープするドライ機能付きで、
特殊加工でにおいの元を中和・分解して消臭。洗濯を繰り返しても持続する消臭機能付きです。

追記2:
ユニクロの柳井会長が世界で一番影響力のアル100人を選出した。
日本人でランクインしたのは柳井氏だけであった。

このところ、ユニクロは既存店の収益が低迷気味で、
また、従業員の居心地、満足度について、
日経ビジネス上でBLACK企業として取り上げあられたりと、
何かと物議を醸し出している。

柳井氏が、
この時点で、タイム誌の「世界で最も影響力の100人」に選ばれたという話は、
超成長企業の光と影の両面を映し出しているようで、
象徴的な出来事であった。

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■ 資生堂の蹉跌、名門企業におこっていること!?ワイドレンズから見た資生堂の将来?

2013年04月12日 | Weblog
■ 資生堂の蹉跌、名門企業におこっていること!?
ワイドレンズから見た資生堂の将来?



1ヶ月ほど前、銀座の資生堂パーラーで軽食をした。
このパーラーは、
銀座の一等地で「セレブな感覚の食事を提供するところ」として有名である。
銀座は資生堂の誕生の地であり、資生堂イメージの発信の地でもある。
資生堂パーラーでの食事の日に下記の記者会見が行われた。
偶然の一致です。

Z.はじめに:資生堂の蹉跌

先々週、BIGNEWSが走った。
消費財マーケティングの雄、資生堂の記者会見である。

資生堂の業績が冴えないという。
消費財マーケティングをやっている者にとっては衝撃的な記者会見であった。
資生堂に何かが起こっている、
ということはよく伝わった。
現社長が退任し前社長が復帰という人事は、
不可解な印象を与えた。

資生堂のつまづきは、たかが一企業の話ではない。
第二次大戦後、高度成長で欧米に追い付け追い越せと、
頑張ってきた日本。
その発展の中で豊かな消費を実現してきた、
その豊かさの象徴が、資生堂の発信する文化であった。

今、社会が成熟して、消費も成熟して、
名実ともにパラダイムがかわる時がきたのでは?
と予感させる記者会見であった。

A.化粧品の意味と資生堂の危機:

化粧品は、車と同様に、
高度成長社会の大衆消費を象徴的に具現化したもので、
消費財の王様である。
その裾野の広さ、女性に与えるインパクトの強さ等、
半端ではない消費財である。
その雄である資生堂が冴えない。


資生堂といえば、
高度成長時代は、
キャリアウーマン風の、
女性が社会を先導するかのようなメリハリのあるキャラクターによる広告で、
一斉を風靡した。
有名な広告ソングの数々も記憶に残っている。

資生堂。
連結売上高で7000億円近くをたたきだし、
海外の売上高も10%以上を占める。
赤字ではなくキチンと利益を上げている優良企業である。
リクルート人気でも上位にある。

しかし、業績を冷静にみると、
リーマンショックから復活しているようで、売上高は伸び悩んでいる。
利益は減少している。

資生堂の蹉跌は今に始まったことではない。
再販制の中、不良在庫を大きくかかえて、
販社、販売・チャネル制度を大改革したのは、それほど前のことではない。
このときに不良在庫を大きく処分したといわれている。
また、利益を重視してブランドを絞り選択と集中をおこなう、
と宣言したのも最近のことである。

いろいろな意味で資生堂のマーケティングに何かが起こっている。
時代・社会のパラダイムの変化に、
巨人・資生堂はついていけなくなっている。

中国事業が尖閣問題で1000億円に達する前に挫折し、
それが業績低迷のかなり影響を与えているのは事実である。
しかし、きっかけはそうであっても、問題の本質はきわめてシンプルといわれている。

資生堂は、なぜ厳しいのか?
それは、マーケティング戦略が時代にそぐわなくなっているから、
といわれている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで素朴な印象はあたる、という話をする・・・・。

急に火星の話。
先ごろ火星で有機物質のもととなる元素が発見された。
昔、火星が発見され、そこには火星人がいると直感し、
見たことのないイカとタコの合いの子のような生物が描かれたりした。
あれから100年―200年経て、
火星に生物がいてもおかしくない証拠が発見された。
昔は水がながれていた痕跡もみつかっている。
現在の火星に、超巨大文明があるとは考えにくいが、
昔はそのような文明がなかったとは言い切れない。
夢は広がる。
当時の人の直感、
火星には地球と異なる生物がいると考えた、想像力は、
ある種の夢でもあり、また地球以外にも生物がいてもおかしくはないと考える、
宇宙への畏怖の念でもある。

では、女性の直感について。
最近、資生堂のCMを見ても
何か感動しない、よそ事にみえるという女性の話を多く聞く。

もっといえば、迫ってこない広告!という話はよく聞く。
若い人がピンとこなくなっている。

女性の直感はよくあたる?
主顧客である女性が冴えないといっている、
広告主体のマスマーケティングを展開している資生堂、
はどこまで続くのだろうか?

女性の素朴な感想を聞けば、資生堂の将来は厳しいという結論になるのだが?

資生堂のマスマーケティングモデル(ビジネスモデル)が混迷している。

B.資生堂が辛い状況にある理由:

リーマンショックで景気が低迷し、消費も低迷する。
化粧品もその影響を受ける。
情緒価値を中心に据え、その価値をマス広告でイメージ訴求しても、
女性の固い財布の紐はなかなか緩くはならない。
(但し、アベノミクスの効果は緩やかに到来し、
化粧品の消費にも一次的に明るい兆しが生じることは予想される)

以下、資生堂がつらい理由を考える。

1. 人口動態の変化:
女性の人口ボリュームゾーンが上にシフトして、
化粧の最盛期の人口ゾーン、即ち若い層の人口が少なくなっている。
資生堂の高度成長を支えた団塊の女性が高齢化している。
団塊の加齢とともに化粧をする意欲、機会がなくなってくる。
特にメイクは少なくなってゆく。

容姿が衰えてゆく、
外出機会が若いときより減ってゆく、
基礎化粧に比重を掛けたい、
等、
意識・行動は変わってゆく。
化粧品の高度成長を牽引した団塊世代の女性が徐々に引退をしてゆく。

2. 女性の可処分所得が減る。

ボリュームゾーンの団塊世代の女性は、夫の定年退職に伴って年金生活に入り、
支出を絞るようになる。
団塊はボリュームゾーンだけに国民経済的にみるとその消費金額の減少は痛い。
当然、化粧品も最低限必要な機能的なものにシフトしてゆく。
化粧品は景気が悪くても、あまり影響を受けることのないカテゴリーといわれてきた。
しかし、さすがにここまで景気が低迷し、
日本全体の収入が減少し消費性向が落ちてくると、
化粧品消費も減少する。

化粧品購入の中心は、なんと言っても10代後半、20代、30代前半の若い人である。
しかし、この人たちの収入も厳しい。
年収300万円以下が多い。
首都圏では若い人のひとり暮らし・単身者が多く、化粧品にかける可処分所得が小さい。
そこでコンビニ化粧品、100円ショップ化粧品がよく売れる。
実際に、コンビニでは肌研(はだらぼ)がよく売れている。
200億円近くを売り上げている。
これはロート製薬の機能性化粧品であり、価格がリーズナブルと言うことだけではなく、
その機能が評価されている化粧品である。
(山下智久、前田敦子の素朴な広告も評判がよい)

3.低価格商品の一般化、高級品の維持のむずかしさ:

デフレの影響が相変わらず大きい。
この先も、化粧品もふくめてコモディディティ商品の低価格化はとまらない。
資生堂の、
消費トレンドとして、
高級品を売る、超プルな戦略的マスモデルは、力を失いつつある。
マス広告中心のイメージ戦略は高コストであり、、
高い価格を設定せざるを得ないと思われる。

インナー、アウターともに高コストの生態系を作り上げてしまっているのが、
今の資生堂のマスビジネスモデルといわれている。
低価格路線はなかなかとりにくい。
何とか頑張って、
少し高級な化粧品事業を維持しなくてはならない、
という状況になっている。

資生堂を「ワイドレンズ」という経営・マーケティング概念で見ると・・・・、
資生堂とそのステークホルダー全体、即ち「資生堂共同村」をひとつの生態系と考え、
広い視野(ワイドレンズ)で資生堂をとらえると、
高コストマーケティングで出来た「生態系」が
時代・社会変化の中で機能しにくくなっている、ともいえる。

資生堂が、例えば今の生態系とは異なるマーケティングモデル、
機能的な商品を出す、
低コストの商品を出す、
チャネルを変えたマーケティングモデルをつくる、
ということを考えたとしても、
対症療法でしか対応できない可能性がある、
というのが実情のようだ。

4.化粧品への憧れ感の減少:

成熟化社会でお化粧に対しても、
いろいろな価値感がでてくる。
機能的、身の丈、安くても自分向け、他人の目線を意識しない傾向が強まっている。
これはどの分野の消費財でも同じである。

少し背伸びしてかっこいいものを付けたいという意識に
訴求する時代は終わっているのかもしれない。
いいものを身に付ける、いい化粧品できれいになることで、
他人に対して自分のセンスのよさ、購買力の高さを競う時代ではないともいわれている。

またスノッブ効果で、高いものを買うことの自己納得感・自己満足感、
自分にとっての価値、ごほうびという観点は、
たしかに捨てきれない消費行動ではあるが、
あくまでもサブの消費行動である。
今の時代のメインストリームは、実質的な「実務消費」である。

5.西欧への憧れ的な消費スタイルの退潮

話をちょっと変える。
福山雅治のCDが2000万枚以上売り上げている。
かれの音楽、タイトルの基本は日本語が多い。
詩も日本語的な情緒にあふれるものである。
分かりやすい、日本人の心情にうったえるものである。
しかし、一般的には、音楽業界では、
西欧的な雰囲気で、カタカナでタイトルをつけ、訴える方法がかっこよい、
とする風潮が色濃くのこっている。
それが音楽業界の退潮の主原因ではないのだが、
消費者から遊離している原因のひとつである。

実は、化粧品業界も、
カタカナことばが好きである。

資生堂の主要ブランドでカタカナでない日本的なものは、
TSUBAKIである。
しかし、椿、つばきとかけない何かがそこにはある。

一般の英語が苦手な人からみると、
理解できないネーミングが多い。
これは実は他の業界・商品でも同じである。

カタカナは、
高度成長時代の、西欧に対して追い付け追い越せという憧れ感を、
代弁し表現する手法である。

資生堂は、このような業界標準をつくった。
先導して高度成長時代の化粧品文化をつくりだしてきた。

これはカタカナ名称を中止した方がよい
という短絡的なことではない。

西欧型のファッション・スタイルが何かよさそうなので、
それに追いつくという方法論が、
何となく違和感を感じさせる、
ということである。

西欧型のライフスタイルは、
まだまだ神通力をもっている。
その洗練されたセンスには凄みさえ感じる。
しかし、それを追っているという感覚がなんか変?
というのが周囲の女性たちの感想のようだ。

実際は追ってはないのだが、追っているように感じてしまう、見えてしまう、
何かがあるということである。

今の資生堂のマーケティングスタイルに女性は共感していない可能性がある?
何か自分とは違うと感じている。
西欧型スタイルを否定するのではないが、
何となくの違うと感じている?

因みに、
団塊世代の娘の団塊ジュニア消費意識行動をみると・・・・。
団塊ジュニアは最後の人口ボリュームゾーンである。
あらゆる消費財メーカーがこの団塊ジュニアへ向かって何かを仕掛けたいと思っている。
40代前後の団塊ジュニアの女性が、
いよいよ消費が半端なくふえる「40代の消費世代」に突入する。
この団塊の娘たちは化粧の機能に目覚めてゆく。
更年期予備軍でもあり、一方で美魔女願望、女性にもどりたい願望もあり、
複雑な時期を迎えている。
加齢を意識し、若さの勢いで動く、はじけるきれいさを追及する志向ではなく、
冷静な自分に合う化粧品の「探策者」である。

団塊ジュニア女性は、
昔と違い外出の機会の、仕事の機会も多い。
メイクの比重が落ちるわけではない。
しかし化粧の経験が長く、
いろいろと試行錯誤して、化粧品について一過言を持っている。
盲目的に教育・啓蒙され、カタカナ言葉のイメージの化粧品に飛びつくことはない。
自分に向いているもの、自分にあうものを巧みに選んでいる。
この40代向けの女性誌では、
かなりの新刊が登場し活況を呈している。
この中でも盲目的な化粧品への賛美はおこなってはいない。
実務的な機能的な情報提供が多いと聞く。

6.ファッション価値の多様化の影響:

FFをみるとよくわかる。
FFとはファストファッションの略である。
いいものを選んで長く愛用する、
という消費志向の対極にあるスピード重視のファッション購入スタイルである。
スピードとは、
購入にあまり時間をかけずに感覚で買う、
着用でも気軽に着まわす、・・・・・・
というファッションスタイルを意味する。
価格はきわめて安い。
安いのでいろいろなものを深く考えずに、まずは買ってみるという行動が出てくる。
もちろん各チェーン毎にバラエティにとんだデザインを用意しており、
安いもの=チープ、ださいということではない。

ファッションという消費財は、
個人の好み、気分が色濃く作用するカテゴリーである。
購入しても後で後悔するということがおこりやすいカテゴリーである。
衝動的に購入して、一回だけ着てもう着ない、
場合によっては一回も着ないでそのまま、
ということがおこるカエゴリーである。
そのようなことがおこっても苦痛に感じない状況があれば嬉しい、
という潜在意識がある。
セレブや女優がクローゼットに半端ではない数のファッションを置いているが、
かなりの数を着ない、一回来て不良在庫にしている状況が女性の憧れ・本性らしい?
それがFF業態で可能になった。

ファッションはコモディティティ化し、消耗品化したと言えば分かりやすい。
たくさん在庫し、組み合わせ着用を楽しむ、
いろいろともって、いろいろなTPOで楽しむ、
等々のファッション価値を、FFは提供している。
若い女性を中心に上記のような潜在意識が刺激されて、
FFは時代の寵児となった。

いまやセレブの街、銀座にも進出という状況である。
ユニクロ、GU,GAP,アバクロ、H&M、フォーエバー21・・・・・。

このFFのトレンドが化粧品にも現れている。
高級なものをいいと信じ、それを大切な自分ブランドとして愛用することで、
高い対価を払うという消費志向が少なくなってきた。

資生堂のつらさの背景にある、
消費のパラダイム変化は、
奥が深く、実に悩ましい問題となっている。

D.資生堂の試練:

20代の若者の動向。
お酒は飲まない、海外旅行は行きたくない、車は欲しくない。
どれも20代の若者から見れば、
生まれたときから目の前にあり、あこがれるものではない。

一方、高度成長時代を生き、豊かさを志向した団塊世代は全く違う。
豊かさの象徴としてのウイスキー文化があり、
アメリカの外車がかっこいい、欲しい!、
海外へゆきたい!、
という背伸びした意識があった。

今の若者、そして40代の団塊ジュニアは、
自分の等身大の欲求に素直である。
自分の生活に意味があるかどうかで、
実務的な判断基準で機能的・合理的に商品を選ぶ。
欲求のレベル、内容が大きく変わってしまった。

このような社会・時代文脈の中で
資生堂は戦わなければならない。

いわゆる、かっこいい、いけてるモデルが美しさを振りまく、
それに皆があこがれる、というマインドは、今の時代にはない。
若い女性のきれいになりたい、
西欧的な美人にあこがれるという心理を突いて、
TVでイメージ的なマス広告を展開し、
専門店・百貨店で顧客にアピール&コンサルし顧客管理をする、
というマスマーケティングがなかなか通用しにくくなっている感じだ。

但し、これは単純なマスマーケティングがダメと言うわけではなく、
資生堂が、高級・高質ブランドイメージを発信し、
そのイメージの積算効果の中から、
ある確率で商品購入に結びつけるという戦略が、
非生産的になったということである。

資生堂は、
なんだかんだいっても、今の売り上げ、利益でも十分優良企業といえる。
しかしいまのままで利益が減衰すれば、
5-10年後は赤字企業の仲間入りをしてもおかしくはない、
その分水嶺にいるという危機感が社内にもあると聞く。

今までに、退場した、もしくは退場に近い状態になった企業を思い出すと、
改めて資本主義の原理は重い、厳しいということがわかる。
市場の信任がなければ退場しなければならない、
というのが現実である。

以下は、
事情はそれぞれに異なるが、市場からの信任を失った企業群である。
日産、日航、シャープ、コダック、山一證券、興銀、ダイエー、ライブドア、カネボウ化粧品・・・・。
名だたる企業が並んでいる。

ことの本質は、
資生堂は、
何か試行錯誤している、迷走しているというマーケットのイメージである。

今、化粧品は、
通販、NET通販の伸び、異業種からの参入(例えば冨士フィルム、ロート製薬・・・、
いろいろなプレーヤーがたくさん登場してマーケットを揺さぶっている。
戦国時代へ突入して、誰がヘゲモニーを握ってもおかしくない状況になっている。

資生堂の蹉跌は、
高度成長時代の、よき日本経済の真の終焉でもある。
改めてヘゲモニーを握ることはできるのだろうか?


E.エピローグ:資生堂の進化、良心

1.日経産業新聞に新製品ランキングが掲載された。
これは有識者からの新製品への判断をもとにランキングしたものである。
その5位に資生堂の
『メークがお湯で落ちる化粧下地・フルメークウォッシャブルベース』が入った。
資生堂のサイトアクセスへの紹介文は以下の通りである。

一日中キレイが続く化粧下地効果とお湯だけで落とすクレンジング効果、
ふたつの効果を、ひと塗りでかなえる!重ねたメークをお湯で落とせる化粧下地

資生堂という消費財マーケティングの雄は、けっして手をこまねいているわけではない。
水面下では、いろいろな変化が起こっている。
小生も消費財の世界でビジネスをしているので、
資生堂のような存在がイメージダウンするということはさみしい話と感じている。
頑張れ資生堂!!というエールをおくりたい。

2.筆者は、縁があって東北の震災後の企業支援に関する仕事に関わっている。
そこで聞いた話。
資生堂は東北で上年代の女性に化粧で応援しよう、
きれになろうという地道な活動をしている。
資生堂はやさしい会社である!

この稿おわり

追記1:マスマーケティングへのアンチテーゼ

あのコカコーラでさえも、
ロイヤルユーザーマーケティングを展開している。
(もしろん平行してマスマーケティングも)
IT時代で個別マーケティングが可能になっている。
(詳細は別途/コカコーラパークで検索を・1000万人へメールで直接アクセスできる個人対応・パーソナルマーケティングサイトへ)
大衆をイメージで誘導するマスマーケティングだけは通用しない、
社会・時代になったということの象徴である。

追記2:

因みに低価格化の流れについて以下。

・日本調剤のジェネリック薬品の伸び、

・スーパーのPBの伸び(加工食品は500兆円のうち30兆円である、その内10%がPBでおそらく2-30%へと増える
現実として大手の流通での収益には、PBの寄与が大きい)

・ユニコロの既存店は相変わらず厳しいが、
GUが伸びている。
ユニクロは安さと機能の両立したブランドであるが、
それでも国内は飽和状態で苦しい。
価格帯の一段下のGUの成長性が目立っている。

・MACは安売りが通用しなくなった、
来客数は伸びたが、客単価が伸びない。既存店での収益は大きなマイナスである。
安いもので集客しても客単価のUP,単価の高い商品への誘導ができない。

以上。






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■ イケア流スウェーデンの暮らしとは?コンテキスト・プレゼンテーションの裏側・秘密?

2013年03月07日 | Weblog



■ イケア流スウェーデンの暮らしとは?コンテキスト・プレゼンテーションの裏側・秘密?

はじめに:今回はイケアの話。

今回はイケアを取り上げた。
その存在価値の独自性、創造性が輝いている。
イケアは、
今の時代、ともすれば価値観が揺らぎ自分を失いがちな政治経済・マーケティング情勢の中で、
正にクリエイティブでユニークな「ヴァリュープロポジション」を持ち続けているからである。

注:ヴァリュープロポジション⇒競合にはない、その企業独自の差別性で生活者と握りあえる価値

イケア。
国内では、まだ6店舗、売上高はニトリの7分の1ぐらい。
しかし、存在感は大きい。
なぜ、大きなインパクトを人に与えているのだろうか?

その秘密を探る!?
IKEAには「真の企業理念」が息づいており、
その強さゆえ人に感動を与えている・・・・・・・。

A.イケアの会社概要:

本社はオランダ、スウェーデンのエルムフルトという町に1943年に誕生した。
従業員は全世界で12万人超、売り上げは3兆円。
来場者数は年間6-7億人にも達する。

日本では5店舗展開で4-500億円の売り上げ、2200万人の来店者数となっている。
横浜港北店は世界最大の集客数である。
インターブランドのブランドランキングでも世界で30位辺りにいる、
ビッグな専門流通業である。(日経ビジネス記事より)

自己資産は4-5兆円に達する。
名前の由来は特に無く、創業者の名前、土地の名前からつけたという。

企業統治はかなり特殊で、
ホールディングカンパニーにあたる財団を持ちそれがイケアをコントロールしている。
上場して、マーケット・株主の意向を、短期的に気にすることを避ける、
イケアポリシーを忠実に守るための方法といわれている。

この企業は実は販売業ではなくSPC(SPECIAL PURPOSE COMPANY)である。
家具、雑貨の企画、デザイン、製造、販売を一体、シームレスにおこなっている。
いわゆるユニクロと同じ「製造販売業態」である。
自分のこだわりを貫き通せる、
ということから自然にそのような業態になったものと思われる。

ミッションは世界の住生活を改善する。
いわゆる世界の低所得層にも対応する低コストで経営をオペレーションする
ビジネスモデルを実践している。
スウェーデンの暮らし方を世界に紹介しその良さを知ってもらう。
従って原則としてローカライズはおこなわない、という徹底振りである。


B,イケアのUSPとは?:

USPとは/ユニークセリングプロポジション、ユニークセールスポイントの略。
商品や企業の独自の存在価値のことである。

筆者もイケアをよく利用している。
何がいいか、何が違うかといわれれば、筆者の独断と偏見でいうと、
以下のような回答になる。

・ デザインが何となく日本のものものとも、イタリアのものとも違う。
実にシンプルである。
そのシンプルさがいいというより、何か日本人のDNAに合っているような気がする。

・ 価格が安い。
マスプロで数量で稼ぐ故に低価格が実現できている。
しかし、それがチープというイメージにはつながらず、
北欧の伝統的で合理的なイメージへと連鎖している。

・ 北欧イメージ、北欧風という何となくピュアな、自然な感覚がある。
北欧のクラシック、グリーグやラフマニノフの音楽のような「澄んだ感覚」を商品に感じる。

・ 「DO IT YOURSELF」の感覚を味わえる。トンカチと釘で自ら作り上げなくてはならない。
これも低価格の要因となっている。

・ 購入文脈におけるセレクション感がある。セレクションCS(選択満足度)が高い。
店でしっかり選べたという充実感が持てる。

・ 店で選んでいるときに、いろいろな刺激がもらえる、
生活を工夫したくなる匂いが店に漂っている。(情報性が高い)
次はこうしようという夢を抱かせて帰らせてくれる。

・ 何かしようと思ったときにそれが実現できる価格設定なので、
ウィンドウショッピングに終わらないという実体性がある。
自分がほしいものが買える実感がある。

・ 家具のデサインにブランドがついている
(例えばビリー/全世界で何千万個うれたという情報もつく)
そこに安心感と親しみを覚える。

思いつくままに良い点をあげてみた。

実に多様な付加価値を、イケアが与えていることがわかる。
人それぞれによい点の方向性は違うが、
イケアに対する個々の思いの多様性が、イケアのブランド価値ということになる。

この中で価格について考えてみる。
価格は実は安くはない。
「組み立てる」という作業が購入者に委だねられているからである。
その手間・時間が購入者へ転化されている。

ただし絶対価格が小さくなることは間違いない。

一方コストが転化されていることが実は違う付加価値を生んでいるという点が面白い。
自分の使うものは自分でつくるという、生活の原点を味わわせてくれる。
DOITYOURSELFを久しぶり味あわせてくれるという楽しみがある、

自分で組み立てるので、その家具に更に愛着も湧く、
という価値も生じてくる。

単に保有しているという所属物の価値ではない。
ペット感的な付加価値を生み出している。

安いがただ安いということではないことを身をもって実感できる。

安いは往々にして、チープというイメージになりがちだが、
イケアの場合はそのような構図にはならない。
商品の機能性、デザインセンス、使い勝手の良さ、北欧イメージ、店のスペースでの情報享受感で、
そして、自分で組みたてるといういう価値で、
チープにならないのである。

もっと違う言い方をすれば、
イケアの買物は、
売買ではなく、
自分の部屋を楽しむ方法を教えてもらう、探す、
生活を変える、自分の気持ちをリセットするといった、
「態度変容」をもたらす行為として機能している。

だから、安いお得な買い物をしたという安売り感覚が全く無い。
安いのにもかかわらず!である。


C.イケアの売り場について:

イケアの売り場は世界どこへいっても同じである。

以下その特徴。

1.のびのびとした広さ感があり、中へはいると一種の抱擁感が感じられる。

2.中は外界とは隔絶されていて、一種の閉鎖感があり、集中して買物が出来る。

3.陳列は圧倒的な量である。
正面入り口では家具は壁面いっぱいに圧縮陳列されていたりする。

4.品揃えの豊富さが半端ではない。

5.店によるが、船橋店ではルームごとの3つのL.S.プレゼンがおこなわれている。(詳細後述)

6.上記のような陳列の妙により、
店舗空間から、
生活の変化、生活の質の向上へ向けた期待感・高揚感が得られる。
⇒売り場におけるルームプレゼンの事例は最後(追記)に!

この最終的な情緒価値がイケアの最大の存在価値である。
それによって暮らしを進化、深化、新化させたいとの気分が湧いてくる。

イケアは売り場ではなく、
一種の「生活エンタメ空間」である。


D.イケアの企業理念について:

1.イケアはスウェーデンの暮らし方を提案している。
「シンプルで機能的で家族と家で過ごす時間を大切にする文化」
を伝えようとしている。

これを具体的に家具、雑貨デザインに反映させている。
デザイン作業では全世界での暮らし方をフィールドワークし、
世界共通のデザインで実現する。
多少はローカルの事情を反映させるが基本は全世界共通である。

イケアでは、
これを「民主的デザイン」と呼んでいる。

このイケアの戦略を伝える方法としてカタログは最大で最重要のツールとなっている。
イケアの企業理念が反映された商品のカタログは300ページで全世界で2億冊にもなる。

一冊を2人が読むというから4億人が読んでいることになる。
31の国、39の言語に対応している。
世界で一番売れている本である。

撮影は、
スウェーデンン設立の地、
イケアの一号店のあるエルムフルト、9000人の町のスタジオで行われる。
毎年のイケアの一大イベントである。

2.イケアのもうひとつの理念は、

「より快適な毎日を、より多くの方々に」
(TESTAMENT OF A FURNITURE DEALER
/ある家具職人の言葉・創業者の言葉である)

全社員の従うべき価値基準となっている。

可能な限りの低価格で多くの人の手に商品が届くように工夫している。
ローコスト化による値下げというマネジメントである。

常に値下げの努力をしている。

・組み立ての購入者への委ね、
・フラットパックによる物流コストの低減、自宅へ自分でもって帰れることによる輸送費の低減
・大量な生産によるスケールメリットのよる低減等々の工夫を常にしている。

年に2-3%のコスト低減策を経営の目標に掲げている。

このようなKPIを掲げている企業はほとんどお目にかかれない。
コスト低減のためにデザイン部門も知恵を絞る。
安くしてもデザイン性と品質には妥協しないという。

民主的デザインの概念には、
機能を追及すると同時に、低コストを実現するということも含まれている。

コスト低減は、環境負荷低減にもつながり、
事業のサステナビリティの実現にも貢献してくる。
前述の、フラットパックはコスト低減と同時に物流コスト、CO2削減にも寄与している。

CSRはグローバル企業のイケアにとっては、必須のテーマである。
CSRには、社会貢献、環境貢献、フェアトレード等、
様々な概念が含まれてくる。

因みにイケアでは社員を「コ・ワーカー」と呼ぶ、
社員、役員まで肩書きをつけず、名前で呼ぶ。男性はスーツ、ネクタイは禁止である。
権威、伝統の象徴だからという。
社員はフランクに、オープンに、誠実に物事に挑戦しなければいけないという。
理念があれば、
組織の秩序を役職や制度で縛る必要はないという考え方である。

追記:

イケアの表現、売り場作りの妙:
今のはやりの言葉で言えば、部屋での暮らしぶりの「ペルソナ化」である。
部屋での暮らしの色、におい、息つかいが漂うような空間プレゼンになっている。

以下はイケア船橋店のプレゼンルームの紹介プレートの文章である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■3LDK 63.5平米/5人家族7歳女児、5歳男児、生まれたばかりの女の子
家族とのくらし 原田(表札)

■3LDK 68.9平米/家族の暮らし 13歳男子、8歳女子 大島

■2LDK 52平米/DINKS二人の時間を大切にしたい KOIZUMI

■1LDK 42.7平米/家族との暮らし、子供一人 林

■2LDK 52平米/二人暮らし KASE(加瀬さん?)
私たちの部屋へようこそ。
ふたりでじっくりプランしたこの部屋は、クールな印象のリビングルームが気に入っています。
休日にはソファで横になって映画を観たり旅行プランを立てたり。
一緒に料理するのも大切な時間です。
家で仕事をすることもあるので書斎は独立させています。
→だらだらとしないメリハリの利いた時間の使い方で、
仕事、趣味、家事等々をしっかりしていくそんなライフスタイルのDINKS向けの住まい・部屋です。

■1k/一人暮らし
ナチュラルなテーストでまとめたインテリアは見た目以上に優秀。
一部屋を機能的に使えるように配置にこだわりました。
使っている家具、小物はなるべく環境に配慮されているものを選ぶようにしました。
最近ではオーガニック料理も取り入れて、私にも、地球にも優しい暮らしを楽しんでいます。
→ひとりでのびのびと暮らし、自分のさりげない主張を住まいという空間で実現しています。

■1K/二人暮らし 娘と母親の2人の家庭 高橋
人にも環境にもやさしい生活を大切にしています。
どんなに仕事が忙しくても娘にあった洋服を作ってあげたいな。
部屋の中でも安全で、使いやすく。
娘にとっても私にとっても安心できる空間づくりをこころがけています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イケアは売場で、擬似ルームをつくり、
家族のライフステージ、ライフスキル、ライフスタイルを想定した暮らしを、
生活感を醸し出した臨場感の有るかたちで、
プレゼンしている。

閉じられた暮らしの空間をうまく作りこみ、その家族の生活をたくみに演出している。
単純なツール、家具提案ではない、動的な生活の息吹を提案している。

 各ルームは、
一週間前に引っ越してきて、
これから新しい生活をスタートします!という宣言の気持ちを表現している。
直ちにすみ始めることができる状態というのがわかりやすい。
すぐ水道が、ガスが、電気が使える。
そこに人の声が聞こえる・・・芝居小屋敵な空間づくりである。
タオル、靴、こどもの書いた絵・・・・と小道具が臨場感を盛り上げている。
小道具とは、
ポートレート、ぬいぐるみ、照明、カーテン、食器、グラス、ワイン、カップ、鍋、
バッグ、服、ハンガー、くつ、タオル、かさ、トイレットペーパー、便器洗浄用具、
本、ガーデニング、サーファーウェア、サーフボード等々

船橋店は、イケアの店の中でもテーマ性を感じさせる空間に仕上げている。

デザインテーストはスウェーデンの生活コンセプトを具現化するテーマであり、
それをしっかり提案している。
細かい日本仕様的なローカライズはおこなわない。

ルームのプレゼンをみると、
自分の趣味・志向と即比較ができ、
自分ならこうしたいという土俵に引っ張り込んでしまう提案の鋭さ・個性がある。
自分のアイデアを発見する、自分の志向を再発見する、ツールが提供されているという感じである。
イケアはインテリアを帰れば生活がもっと良くなる面白くなることを伝えようとしている。

ルームプレゼンは、
・イケアのスウェーデンスタイルの実現、
・このイケア店でそれらを買って揃えられるというワンストップの便利性
の2つを伝えるものとなっている。

そこには「3つのL.S.」が息づいている。

1.その家族の人数・構成というライフステージ

2.その家族のライフスタイル(生活価値観)、

3.その家族にとって必要なライフスキル(生活の知恵・術/すべ)
の3つを考えた暮らしをイケアのツール・商品はサポートする、

あなたの理想の生活をわかりやすく見える形で実現する、
というメッセージになっている。

各々の擬似空間ごとに、
姓名と家族人数・構成、生活に求める価値が、
そこに済む家族の声として説明されている。

生活臭はないが、「生活感がでている」というセンスの良い演出がある。

インタフォンを押せば、はーい!という声が中から聞こえてきそうな雰囲気である。
これはTRAPマーケティングそのものである。

何かのきっかけでリフォームしよう、
新築を購入してインテリアを考えよう・・・と思ったときは、
このイケアの生活空間へも戻ってくる、
そのような帰巣本能をくすぐるメッセージを持ったプレゼン空間である。

朝から夜まで、平日から休日までの時間軸、
そこにすんでいる人という人間軸、
そして暮らすという空間軸、
が見事に融合してひとつの生活スタイルを提案している。
その中にいると、
自分がその住まいの主人公になったような気分になってしまう空間である。

この空間に入ると、
何が起こる感じがする、例えば、笑顔、家族の会話・・・・・・
それらが、幸せにつながるという実感がわいてくるような空間になっている、
といえるかもしれない。

この稿おわり
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■ 新年のご挨拶、今年のマーケティング、そのビッグトレンド!

2013年01月13日 | Weblog
■ 新年のご挨拶、今年のマーケティング、そのビッグトレンド!

新年明けましておめでとうございます。
今年は年明けから景気のよい話が多いですが、
皆様にとってよい年になるよう願っております。

今回はお正月、新年の第一回目なので、
今年のマーケティングのトレンドについて雑感を!?
と思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

A.はじめに:

 まず、筆者の今年の正月から・・・・。

六本木のサントリーホール。
グイド・マンクージ指揮、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の
「新春コンサート・ウィーン気質」で幕開けとなった。
ウィーン・フォルクスオーパーとは、
ウィーン国立歌劇場につぐ有名なウィーン市内の歌劇場である。
その交響楽団が今回来日した。

元旦明けの2日に、
ヨハンシュトラウスのワルツのコンサートへと出向いた。
15年ほど前に、
服部克久の音楽畑というコンサートに出向いたとき以来である。

サントリーホールは、
迫力の有るパイプオルガンで有名なホールで、
演奏する楽団の後ろ横にも席が有るユニークなつくりになっている。
今回は娘夫妻からのチケットのプレゼントがあり、
中央の前から7-8番目の良い席が取れた。

クラシック音楽の恒例行事といえば、
元旦にウィーンから全世界へ同時中継される、
ウィーンフィルのハッピーニューイヤーコンサートが最も有名だ。
今年のNHKの中継では、
魅力たっぷりのヨハンシュトラウスのワルツを中心に、
ワーグナーとヴェルディという偉大なオペラ作曲家のメモリアルイヤーに当たるため、二人の曲がニューイヤーコンサート史上初めて演奏された。

さて、2日のサントリーホールでの演奏は・・・。

上記のウィーンフィルと同様の「趣向」で新春コンサートが始まった。
ソプラノ・テノール歌手が登場し、ミニバレーも披露され、
バラエティに富んだ楽しいコンサートとなった。

指揮者、グルト・マンクージさんは
昔ウィーン少年合唱団の一員として来日に、
新幹線にのり日本びいきになったという。

新春コンサートのシンボリックポイントといえば、
何と言っても、
観客も一緒に「手拍子」を打つラデツキー行進曲に尽きる。

しかし、プログラムを見るとラデツキー行進曲が記載されていない。
何か変だな?・・・・・・。
おめでたい新春コンサートで、
定番のラデツキー行進曲が無いことがおかしいので、
何か裏があるのでは・・・と思いつつ、
案の定、アンコール曲として演奏された、
という「おち」がついた。

これは、ゲームである。
皆がラデツキー行進曲は、
必ずどこかで演奏されなければ!と期待している、
そんな読み筋を、
暗黙のうちに想像、了解しあう、
客と主催者のインタラクティブなゲーム(駆け引き)といえる。
これも新春コンサートのエンタメ的な演出要素である。

指揮者のユーモラスなガイドのもとに、
曲に合わせて、
手拍子を打ちながらラデツキー行進曲を楽しむことができた。

将来は、
元旦にウィーンまで出かけて、
ウィーンフィルの本場の新春コンサートで手拍子をしたいと願っているが、
いつ実現することやら?????

■ここでマーケティング視点の話をひとつ!

毎年、恒例行事として新春コンサートがおこなわれている。
この新春コンサートは、
マーケティング的にいえば正真正銘の「ロングセラー」である。
なぜ、「ヨハンシュトラウスのワルツの新春コンサート」は長く続くのか?
なぜ、ヨハンシュトラウスはこのように人気があるのか。
なぜ、古典なのに現代的な感性を持ち続け、何度も何度も演奏されるのか?!

科学的な分析は難しいが、
彼のワルツは、
楽しい、思わずダンスをしたくなるところに核心がありそうだ。
人の持つ、元気で溌剌としていたい奥深い心理に作用する、
「何か」があることは間違いない。

うきうきさせるモノ・コトは、理屈抜きに人のこころを振り向かせる。
ここにはマーケティングの価値のメカニズムが潜んでいる。
・「感動マーケティング」の中の、
  状況(個人の状況)自由、市民感という価値、
・「経験マーケティング」の中の、
  センス(五官/視・聴・匂・触・味)、
  フィール(情緒/喜怒哀楽)という価値、
が息づいている。

彼のワルツは、
人間が持つ、のびのびと自由に振る舞いたいという動物的な願望に、
強く、深く共振してくる。

特に「美しき青きドナウ」は、
皆がいいと思い、何回も何回も演奏される。
すると耳が慣れて「身近(親近)反応」を起こすようになる。
即ち心の中へ定着する。
また、ウィーンの主なイベントでいつも演奏されると、
市民生活の中に自然とビルトインされ、
「皮膚感覚」のものとなってくる。
そして、
「美しく青きドナウ」は、
オーストリアの第二の国歌という称号(ブランド)が与えられた。

ブランドは
・単なる名前でしかない段階(符号)、
・名前がある意味性を持ってくる段階(記号)、
・皆から賞賛され、あこがられる段階(称号)、
へと進化する。

ヨハンシュトラウスの「美しく青きドナウ」はその域に達し、
美しき青きドナウ、ヨハンシュトラウス、ウィーンフィル新春コンサートは
セットで超ロングセラーブランドとなった。
典型的なアドマイアドブランドとなった。(ADMIRED BRAND)


B.年初のトピックスからの示唆:

新年がご祝儀相場で湧いている。
円安、株高に始まり、
大間のマグロの初せりでついに1億円を越えた。
今年のすべり出しは絶好調といえそうだ。

本日は 1月13日。
少し前に、安部内閣の当面の経済再生計画の案が発表された。
20兆円の投入と超金融緩和で、
デフレ脱却、2%の成長、60万人の雇用創出、所得増大
を実現しようとしている。

具体的には、20兆円を
復興・防災、
成長による富の創出、
暮らしの安全・地域活性化
の3本へ3分の1ずつ配分するという。

今は期待先行になっている。
実態経済の活性化はこれからである。

この中の公共事業部分は、始めた瞬間から効果がでてくる、
間もなく市中に仕事(即ちお金)が回って、
好況感を産みだし始める。

しかし、本質、本格的な経済活性化は、
企業、個人が自然な形でお金を使うことから始まる。

そのためには、中期的な視点で、
民間における「2つの状況」を創り出すことが肝要となる。

一つ目:
付加価値、創造性向上視点

付加価値のある、魅力的な商品・サービスが、
最適のタイミングでスムーズに出てくるようになる。

二つ目:
生産性、効率・能率性視点

生産性を向上させて、
同じものでもリーズナブルな価格で、しかもフレキシブルに多品種生産ができるようになる。
これで国内の細かいニーズに対応し、同時に海外市場での競争力を確保する。

このような民間の力を引き出すための環境整備が、
政府、国会議員の役割である。
新しい制度づくり、規制緩和・規制強化のバランスにより、
民間のヒト、モノ、コト、カネを動かし、
経済の流れを加速することが肝要である。

国会議員は「ローメーカー」である。
ヒトやカネを動かすための法律を作ることがその本分である。
逆に、既存の既得権益を守るような法律を廃止することも重要である。

お金だけに目がいきがちちであるが、
法律こそが「打ち出の小槌」であることをを忘れてはならない。
国会、政府は、法律の製造業・工場に立ち戻らなければならない。

では、
当面の政府の経済対策の中で、
「消費財マーケティング」に携わっている企業、個人は、
どのように振る舞えばよいのであろうか?


C.新しいマーケティングパラダイムの台頭:

消費財に関与する企業、人の、
今年のマーケティング(振る舞い方)は、
以下の4つのパラダイム変化に対応することである。
(■印/一つ目から~四つ目まで)

■一つ目のパラダイム変化:マーケティングの目的(存在価値)の変容

因みに、筆者の商売は、
マーケティングコンサル、リサーチャーである。
アメリカ的なマーケティングの発想で言うと、
ビジネスを「競合」という視点で考え、
いかに敵に先んじるか、敵に勝つかという競合戦略をたてて、
ビジネスの果実を得ることを、
四六時中考えている商売である。

自虐的にいえば、
いわば、勝ち負けの土俵で、
バクチ打ち的なマインドで日常を過ごす人種である。

そうは言いながらも、
今、事態は変わってきている。
「仮想の敵をおき、勝ち負けだけを論じる古典的なパターン」ではない、
静かで深い、共生型のマーケティングが台頭してきた。
いままでのマーケティングの常識とは異なる
「新しいコモンセンス」がそこにはある。

その新しいセンスは「敵を想定した」マーケティングではなく、
・公共的(社会的・時代的)、
・協調的(仲間的・市民的)、
・個社的(自我的・野心的/自社のこだわり)、
・個人的(文脈的・自分的)、
の4つの実現を目指したマーケティングモデルを求めている。

「自分」(自社)と「敵」という二項対立的なモデルではない、
「敵のことをあまり意識しない立場」のマーケティングである。

1.まず、「共生」という視点について:

マーケティングの目的は、
勝つことではなく「共生」することにある。

「共生」とは、その土俵が敵と自分ということではなく、
大きく広がるということを意味している。

・例えば一番目、二番目の公共・協調的な共生視点については、
CSVというキーワードが端的にその本質をあらわしている。
(CSV:CREATIVE SHARED VALUE)
CSVとは、
「利益・利潤を求める企業論理」と「社会の公器としての社会貢献論理」
の両者を同期させてゆく概念である。
今後の台風の目になる概念である。

これまでの企業の社会・環境問題への取り組みへの生活者の反応で、
見えてきたことがある。
今の消費者は、社会貢献をしている企業に好意を持ち、
自分の家計状況が許される範囲で、
積極的にその企業の商品・サービスを利用するようになっている。

企業も生活者も「本音」で社会・環境問題に対応している。
以前のようにポーズ・ファッションとして問題を捉える感じではない。
企業、生活者、双方とも、いよいよ「本気のギア」を入れてきたようだ。
正にCSVの本格始動が始まる。

2.次いで、「しあわせ」という視点について:

四つ目の個人的視点(ユーザーの立場)でも、
重要なマーケティングモデルが台頭してきた。
生活文脈的な「しあわせ願望」へ対応する
インサイトマ-ケティングである。

最近の「自分へのご褒美」という消費視点も、
この文脈の流れに沿ったものである。
消費が、ご褒美という「プチしあわせ」を動機として成立している。
精神的な価値が大切になっている。

大上段に構えていうと、
GDP的なモノを保有する志向からの脱却である。
モノ志向でなくとも、しあわせは得られるのではないか、
という新ライフスタイルの考え方は、
「ブータンのしあわせ志向」への憧れとも地下水脈でつながっている。
・家族との会話、
・自然への崇敬、
・食の恵みへの素朴は感謝
等々に大きな価値を置く考え方である。

そこまで行かなくても、単純保有価値からの離脱は徐々に進んでいる。

車でも家でも人とシェアして使う、借りて使う、
時代が到来しつつある。
・保有せずに使用に価値を見出す、
・仲間と一緒に使う共生感に価値を見出す、
等々のスタイルは日常でもよく見られるマーケティング現象である。
保有しなくも十分満足(しあわせ)という訳だ。

・また、ネットで社会・時代空間をサーフィンし、体験をシェアする行為は、
GDPには現れない気分的な擬似的な消費だが、
その価値は、本人にとってはきわめて大切な消費価値となっている。
ネット無しでは生きていけない人がどんどん増えている。
情報消費は、実は保有とは縁遠い、新しい価値を具現化した行為と
再認識したい。

上記の2つの動きは、
18世紀の産業革命以来の、
資本論理で利益を最大化する、物質的な欲望を最大化するという
パラダイムへの変革を求める、
革命的・本質的な出来事といえる。

マーケティングのパラダイムが変化し、
新しいマーケティングモデルが台頭し、今後大きく花開こうとしている。
別のマーケティングメカニズムをもちこまなければ、
説明できない事態がおきている。
企業は、この状況にどう答えるべきか・・・・・?!

マーケティングの実務で言えば、
「商品・ブランド開発」のような、
ものづくり、ハードスペック的な提案ではなく、
「商品・ブランド使用文脈開発」が求められている、
ということになる。

即ち、生活の使用シーンとは何か?
心の中にどのような心地よさ、高揚感が生じてくるか、
結果として、
どのような精神的な果実(しあわせ感のような気分)が生じてくるか、
の提案が求められている。
根源的な生活者インサイトに対応する提案が
求められている。

そういえば、アップルのipod,iphone,ipadは、
この新しいパラダイムに対応した商品・サービスだから、
メガヒットしたのかもしれない。
使っていて、使い勝手がよく楽しい、しあわせになれる!、
そのような経験を初めて提供してくれたのが、
アップルとその商品・サービスだ!
という評価である。

アマゾンの全世界のガリバー的な勝ちパターンも同様である。
何でもあり、自分にとって最適なものが早く見つけられ、すぐ届く、
正にサービス業のフロンティアに位置する、
しあわせ実現企業である。
顧客至上主義を標榜している。

因みにアマゾンはマッキンゼー出身のベゾス会長が立ち上げた新業態であるが、
設立当初は、苦労につぐ苦労で、
いつ市場から退場してもおかしくない状態がつづいていた。

アマゾンは、自分のマーケティングモデルが、
消費のメガトレンドに対応していることを信じ、
ITの進化を巧みに取り入れ、
苦境期を脱し全世界で半端ではないユーザー数を抱える
一大ビジネスとなった。

■ 二つ目のパラダイム変化:ITの進化

ITの世界では、
今年も何かと面白くて、楽しいことが起こりそうである。
ここでは2つのポイントを押さえておく。

一つ目のIT進化:
人の運命の予測の可能性について

「ビッグデータ」。
ビッグデータ解析は今が旬である。
過去の膨大なユーザーデータの蓄積から将来を予測する。
将来は必ず、過去・現在に、その萌芽があるという名言は、
このビッグデータ解析で見事に実現されようとしている。

何十年か先には、
PCにその人の一生のあらゆる出来事、状況を、
全部記憶される時代がくるといわれている。
ウルトラビッグデータの時代である。
その時にはそのひとの将来の大半が予測できるかもしれない。
正にその人の宿命、運命が予測できるということになりそうだ。

DNA的な因果律ではなく、
その人の過去の行動データから、難しい理由分析ではなく、
将来がパターン分析できるようになる。

マーケティングの分野で永遠のテーマのひとつに需要予測がある。
占いは「当たらぬも八卦あたるも八卦」といわれるが、
需要予測もご他聞にもれずあまり当たらない。

条件がそろえば実は需要予測はかなりあたるのだが!
また、需要予測は当てるために行うのではなく、
その上下限を予測して、そのギャップがなぜ生じるか、
上限に持ってゆくためにな何をしなくてはならないか、
を導き出すために行うものである。

しかし、ビッグデータの時代を迎えて、
需要予測も相当の精度であたるようになるだろう。

二つ目のIT進化:
スマホのコアツール化

スマホは、携帯電話の新規契約台数の中の30-40%を占める。

スマホはもはや携帯ではなくインターネット端末である。
タブレット、ミニタブレットも含めてPCの存在感をどんどん奪っている。

また、マルチデバイスでもあり他のカテゴリーも侵食している。

コンパクトデジカメ、簡易カーナビ、ポータブルオーディオ機、ゲーム機
をどんどん代替している。

スマホ無しにマーケティングが成立しない時代に突入した。

三つ目のIT進化:
スマホの価値化/スマホで何ができるか

情報時代のインフラとして躍り出た、
スマホとアプリで、
何ができるかの時代になった。

インターネットの歴史は約20年。
通信のインフラ整備とマシンの多様化・ハイテク化が進み、
結果として今のスマホがある。

スマホという端末インフラがどのように生活、仕事を変えるか、
どのような価値ある使い方が提案できるか、
が今後のテーマとなる。
新しい技術・ノウハウで、様々なバーチャル体験ができるアプリが、
どんどん登場してくる。

例えば、位置情報・・・・・。
今や、水平方向だけでなく垂直方向の位置までわかる。
また、水平方向の位置も5-6メートルの誤差で特定できるという。
家の居場所まで、例えばトイレにいることまで分かるという。

介護等家庭内使用、買物や外食等の街中使用、
個人使用、企業使用等
様々な次元で画期的なアプリが登場してくるだろう。

上記の「1」の中のアップル、アマゾンの事例は、
はからずもITの世界の事例になっているが、
ITの進化と新しいパラダイムの目標のひとつ「しあわせ」とは
同期しているのかもしれない。

IT無しには、もはやマーケティングの進化を語ることは出来ない。


■ 三つ目のパラダイム変化:消費世代・40代の本格始動:

団塊ジュニアが本格的に40代に突入してくる。

40代という年代は、消費世代と呼ばれ消費が大きくのびる年代である。
収入にゆとりが出来て、子供の手も離れる。
嗜好品、ファッション品を楽しむようになる。
また、子供が大きくなることで、
その教育費、家族全体の食費、住宅や暮らし充実のための支出が
どんどん増えてくる。
また若いころできなかったこと(趣味、ファッション・・・)をもう一度やりたいという願望が出てくる頃でもある。

40代はたくさんお金を使ってくれる年代である。

もともとバブルというのは、
この年代に人口構成のボリュームゾーンが突入して、
消費を旺盛におこなうことから起きるものとされている。

団塊ジュニアが40代に入ったということは、
消費バブルが起こるということである。

実は、前回の失われた20年以前の超バブルも、
団塊世代が40代に突入して起きたものである。

団塊ジュニアは第二のボリュームゾーンである。
団塊ジュニアがアラフォーへ突入し、
消費意欲の旺盛な40代という塊の消費を大きく底上げする。
今はやりの美魔女ブームはこのトレンドの走りかもしれない。
日本の冴えない消費心理を変えてくれる可能性がある。

日本の消費財メーカーは団塊ジュニアに対して何ができるだろうか。
大きなテーマが横たわっている。

但し、消費の量だけでいえば、
団塊ジュニアの両親である、
団塊世代のインパクトの方がまだまだ大きい。
日本の消費全体に与える影響はますます大きくなってくる。
向こう4-5年、団塊世代が70代に突入するまでは、
シニアマーケティング全盛の時代が続くと見てよい。

■ 四つ目のパラダイム変化:ライフスキルターゲットの台頭

今は哲学書、文学などが並んでいてもあまり売れない。
辛気臭く、うざく、面倒くさいという評価になる。

逆にノウハウ書が全盛の時代だ。
背景には若者を中心としたノウハウ世代の台頭がある。
デジタルで検索して情報を得て結論を出し動く、
若者中心に、ノウハウ志向者がどんどん増えている。
哲学にあたり、文学に親しみ、
自ら艱難辛苦して考え抜いて結論をだし動く人は少数派である。

20代でやっておくことOOO,すぐ使えるOOOな考え方・・・・・
といった調子の本が多く、皆ひきつけられ買ってしまう。

その文脈の中に符合するように、
「3つのLS」という概念のなかの第三の概念、
ライフスキルというターゲット概念が注目を集めている。

では、ライフスキルとは何か?

ライフスタイルは、従来からあるもので人生・生活の価値観を示す、

ライフステージは、
家族類型を細かく分類して各単位を戦略ターゲット化する概念である。
例えば「単身の男性の首都圏の若者」
「2人の子供が食べ盛り・教育盛りの世帯」という具合に類型化して
データ分析をする概念である。
消費財のなかでも、
家族単位で消費するものはこの概念が必須のツールとなる。

第三のLS,ライフスキルは、
人生の術(すべ)についての知識、実際の行動で類型化する概念である。
例えばフランスのように粋な生活を楽しむお国柄では、
人生の巧みな工夫についていろいろな類型化(考え方)が進んでいる。
要は「生活のノウハウ、術」でターゲットを区分する概念である。

例えば、ライフスキル概念を化粧品に応用すれば、
化粧の基本的知識・方法を理解して化粧品を使ってゆくことになる。
化粧品への広いスキルで類型化し、
各クラスター毎にターゲット化して戦略を組むということになる。

このライフスキルという概念は、
今の日本のノウハウ世代に、
また皆が忙しくばたばたして、
ゆっくりと時間を掛けて学んでゆくことが出来ない社会に、
きわめてなじむ概念と思われる。

効果効率的なターゲッティング概念として、
受け入れられる可能性が高い。

■ 五つ目のパラダイム変化:グローバル化というトレンド

グローバル化とは、
日本、日本企業がひとりで生きてゆくことは出来ない、
ということを意味している。
否応無しにグローバル化の洗礼を受けてしまう時代に入った、
ということである。

まず、最近の流れで注目したいのは、
典型的な消費財マーケティング企業、
旧来のドメスティック企業の海外進出である。
ドメスティック業種の典型といわれた、
食品、流通、最近は住宅メーカーも東南アジアを中心に進出をしている。
キャラクター企業もその傾向を強めている。

楽天、ユニクロは、
社内の公用語を英語としている。
これは趣味、気まぐれでやっているのではなく、
実際に海外に進出するための人材を育成するためにやっている。
英語が出来て、かつ事業に詳しい人財を確保するためである。
英語が苦手な人が会社を去っても仕方がないと割り切ってまで、
実行している。

グローバルは今や身近なものになった。

30年以上も昔の話だが、
「時差は金なり」(三菱商事の書籍)という本が出版された。

内容は以下・・・・・。
・大きな地球の中で、
 あそこにあって、ここに無いものを移動させて供給し
 社会貢献し、結果収益を得る、
・安いものを高く売れるところへ持っていって利ざやを稼ぐ、
 ものの供給を円滑にする
・儲かりそうな投資案件に資金を投入し事業の手助けをする、
・世界的な商談の機会をすばやく発見しエントリーし、
 最適・最高の商品、技術を提供する、
のような地球規模的な活動を、
商社という日本独特の業態が頑張ってやっている時代があった。

当時商社といえば、みなの憧れの就職先であった。
皆、海外に出て活躍しようと胸を躍らせていた時代であった。

今、改めて、そのような
いかにも商社らしいダイナミックな時代が再到来しつつある。
どの業種も、国内では消費が成熟し収益があがりにくくなっている。
特にドメスティック企業は、
海外に活路を求める傾向が強くなってゆく。

次いで、
グローバル化といえば、もうひとつ大きい視点がある。
為替である。
為替の影響は大きく、
消費財マーケティングに大きな影響を与える。

為替が、この数年超円高にふれて、
今、アベノミクスで円安に触れている。
円安誘導で、車、電気等の輸出企業を活性化しようとしている。

為替は、特に国内の価格戦略に大きく影響をする。
主婦的な立場で言うと、
外食、小売(百貨店、スーパー、コンビニ、専門店等)
でのセールに影響する。

円高だと末端価格は下がり主婦は大喜びである?!
今は円安にふれている。
消費財は値上げの方向に動く。
果たしてどちらが良いのだろうか?!

為替の詳細は以下の「追記1」で。

この稿おわり


追記1:
グロ-バル化といえば「為替」である。
グローバル化と為替は切り離すことができない。

為替は相場で決まる。
人が様々な思惑で資金を投入し設けようとしている。
従って相場が不安定なチャートを描く。
また、株、商品、その他の思惑投資により、
円、ドルのバランスは崩れ、短期的には大きく振れる。

短期では、為替は、
経済学的な経常収支バランスの論理だけでは説明できない
不安定な動きをする。
従って政府が大きな立場で関与し安定させることが必要となる。

では、安部政権になって、
今は、円安がいいように言われているが本当だろうか?

まず、円安のメリットを見る。
輸出産業では、輸出から受け取る円が多くなる。
多くなるから輸出先で値引き販売ができますます売れるようになる、
という好循環が産まれてくる。
電気、車のような典型的な輸出企業が大いに助かる。
一円円安になると、
トヨタ、日産当たりで年間2-300億円ぐらい利益が増える。

次いで、円高のメリットを見る。
昨年は円高のおかげで海外へのM&A150件を超えた。
海外の良い投資案件が安く入手できた。
円高だと、エネルギーをはじめ、輸入品の価格は、
円換算で間違いなく安くなる。
海外食材を使う外食、海外からの輸入消費財の小売価格も下がる。

逆に、円安のデメリットを見る。
上記のような円高のメリットはなくなる。
一円円安なると、
エネルギー輸入は年間2-3000億円の負担増となる。
海外で何かを買収する、海外旅行へ行くときに高くなる。
輸入品の価格が高くなり物価が上昇する、

アベノミクスでいわれるように、
円安だけが、
一方的に企業に好業績をもたらす訳ではない。
円高でも、しっかり、ちゃっかりと儲けている輸入中心の企業は多い。

それではなぜ、
今、円安の方がよい、
というのだろうか?
円安に誘導しようとするのだろうか?
何か勘違い、間違いがあるのでは?

まず、円高で儲かったという輸入企業の話はマスコミにはでてこない。
一方、円高で損したという輸出企業の話は大きく伝わってくる。

なぜこのようなことが起こるのか?
日本はもともと加工貿易立国で輸出で大きく利益を上げてきた。
トヨタ、日産、ホンダなどの車、
ソニー、松下(パナソニック)、東芝などの総合電気
を日本の成長のシンボルとして、
皆が親しみと誇りをもって脳裏に刻みこんできた、
という経緯がある。
従ってこれらの企業が一円円高になればいくら損する、
ということに異常に関心が集まり面白おかしくアピールされることになる。

いわゆる典型的な超有名な輸出企業が大損をしたことに、、
もの凄いニュースバリューが生じる。
輸入でもうけたということよりも、大衆の受けは良い、
というわけだ。

円高は悪という単純な錯覚?がありそうだ。
上記のような、
日本経済の過去の経緯がそのような感覚を生んでいる。
事実、輸出の方が輸入より極端に多い時期がずーっと続いてきた。
とすれば、円高は間違いなく日本経済全体にとって、
また輸出を担う企業にとってマイナスということになる。

今はどうか?
日本のGDPは500兆円、
そのうちの輸出超過分は5兆円とわずかである。
最近では輸入の方が多いくらいである。
輸出入の差はGDPの1%ぐらいである。
輸出入のバランスでみれば、円安円高の影響はわずかである。
円高は悪、円安は善という図式はなりたたない。
マクロレベルでいえば、為替のブレはあまり大騒ぎすることではない。

いまの人為的な円安誘導は、
短期的に輸出企業に喝をいれるという意味では正解であるが、
いつまもでも続けていてよいものではない。
もちろん購買力平価の観点からは、円ドルレートは100円以上でよい、
今の80円の既成事実を考えると90円前後でよい、
と様々な落ち着きどころが考えられる。
じっくりとその水準に持ってゆくことは悪い話ではないかもしれない。

問題は、為替が短期的に大きく円高、円安の方向に振れることである。
輸出、輸入は各々GDPの10数%あるので、
ミクロの企業レベルでいえば、大きな影響があることは間違いない。

例えば、急激な円高に企業はとうてい対応出来ない。
一次の親企業の損失を大きくし、
二次、三次の下請けでは倒産も懸念される。

但し、為替変動にもいいことはある。
円が上下に振れると経済に刺激が走ることである。
その度、その環境へ対応するために政府の政策が講じられ、企業も努力し、
経営資源(ヒト、モノ、カネ)が動く。
経済に揺らぎのエネルギーが生じる。
即ち、経済が活性化するきっかけができるという副次効果が
生じる。

経済が刺激を受け、動くということは景気的にはいいことである。
この刺激が次の飛躍へのきっかけになる。
なぎ状態で何も刺激がない、動きがない、
というのが最も冴えない状況である。
円の価値が安定しているメリットも大きいが、
円が動くメリットも違った意味で大きい、
ということはもっと評価されて良い。

追記2:クラシックのバンドワゴン効果

ヨハンシュトラウスは古典に名を連ねた。
音楽の古典にみるマーケティングメカニズムを見てみよう。
クラシックの価値、即ち古典になるかどうかは後世の人が決める。
古典と呼ばれ永遠の命を与えられるものは極わずかである。

後世の人が、何回も聞きたいと思い、
演奏家がそれを取り上げ、人々の記憶に刻まれて、
古典(クラシック)ということになる。

古典とはいっても玉石混合で、
ある作曲家が凄いということになると、
その作品はほとんど後世に残される可能性が高い。
当然傑作でないものもまじってくる。
無名の作曲家の場合、
その中に本当は光るものがあっても、
深く埋もれてしまい、
日の目を見ないことも多い。

ここには、
マーケティングでいうところの「バンドワゴン効果」が生じている。
いいもの、人気のあるものへ皆が集まってくる効果である。
勝ち馬に乗りたい心理はクラシックの世界にもある。

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■ 熊川哲也、東京スカイツリー!超一番の価値とは!

2012年12月08日 | Weblog
■ 熊川哲也、東京スカイツリー!超一番の価値とは!
オンリー1、NO1マーケティングの価値を考える?!

はじめに:

オンリー1、NO1の企業はたくさんある。
国内の代表的なNO1企業といえば、
トヨタ、コマツ、ユニクロ、イオン、電通、楽天、NTTドコモ、東京ディズニーランド・・・・・・・。
最近は業種が横断的になり、まだカテゴリーが定まらない新興分野がでてきたりで、
分野ごとのNO1が決めにくくなっているが、
これらのNO1企業は様々な企業ランキング発表で上位に顔を出し、
繁栄を謳歌している。

業種ごとのNO1企業は、
その業種の産業ピラミッドの頂点に位置している。
企業がNO1であることは、
様々なマーケティング的効果・恩恵をもたらす。
(後段で詳細に触れる)
NO1企業は、
最初はオンリー1から始まり、
次第に参入企業が多くなると、
そのカテゴリーで強いNO1ポジションを得るべく精進し、
そのジャンルの支配権を握り優位に競争を進め、高収益を確保することができる。
(但し、今のグローバル時代では、業種によっては、
世界のNO1でなければ意味を持たないケースも増えてきている)

オンリー1、NO1というテーマは、
マーケティング領域の中でも最重要の、また古典的だが永遠のテーマである。
一番というポジションは、
マーケティング領域の究極の「KPI」である。

この稿では、
マーケティングにおけるオンリー1、NO1の意味(価値)を探ってゆく。
まず、芸術の話から始める。
なぜ、芸術かというと、芸術という分野は、
オンリー1、NO1の価値がシンボリックに現れる、
分かりやすい領域だからである。

A-1.熊川哲也のオンリー1、NO1の価値:

バレー・海賊。
1800年代半ばのバレーで、
既に古典に含まれる名作である。

熊川哲也が芸術監督・演出し、上野の東京文化会館で上演された。
筆者は久しぶりにバレーの公演をみた。

熊川哲也。
ご存知の通り英国ロイヤル・バレー団の元プリンシパル。
ローザンヌ国際バレーコンクールで金賞を受賞し、
そしてアジア人としては初めてのプリンシパルとなった。
半端ではないプロ中のプロである。

筆者の娘が、
小さい頃バレーをやっていて、何回もバレーの公演は見てきたが、
熊川哲也のバレーを見るのは初めてであった。
うわさどおりの天才と思った。

私のような素人でも、見てすぐ分かる。
何か?が違う!
世界の超一流の技、雰囲気・オーラがある。

あれだけのジャンプをしながら、男っぽいごつごつした感じが全くない、
柔軟な筋肉がゴムまりのように弾ける、そんなジャンプである。
やわらかく、しなやかである。
スローモーションの再現動画を見ているようなジャンプである。
ポスターには、
彼が宙に飛んだときの瞬間をモティーフにした写真がよく採用されている。
そのポスターの切り取られた瞬間を、
そのまま演技から感じとることができる。

宙を舞う!という言葉が近い。
バレーという感覚はない。
運動という感覚もない。
人間が何かをしているという境地を超えて、
別の生物が中空を舞う感じである。

今回の熊川哲也の公演では、
観客に女性が多いのは当然だが、男性も多かった。
いいものには老若男女が集まる。
超一流のものには偏りが生じない。
普遍的な価値が宿る。

世界1、オンリー1には凄い価値(人を集め、人を感動させる)があることを、
熊川哲也の公演で、改めて認識させられた。

A-2.芸術に見る、オンリー1、NO1の価値:

芸術作品からオンリー1、NO1の意味を考察する。
世に認められた芸術作品は、もともと世界でただひとつのものである。
オンリー1、NO1のマーケティングを論ずるには分かりやすい実例となる。

芸術作品は、
工業製品のように均一のものがたくさん世間に出回る類のものではない。
販売数量、販売高という分かりやすい尺度もない。
皆が凄い!といい、自分が感動すれば
そこには凄い価値があると感覚的に理解するぐらいである。

そこで、この稿では、
芸術のオンリー1、NO1の価値を測るのに、
極めてまれに生じる作品の「取引金額」を使ってみる。

それでは、オークション会場を覗いてみよう。
すばらしい唯一無二の芸術作品には、
何百億円という価格がつく。
この競りでつけられた金額は、芸術の価値を算定するために使えるだろうか?
果たして客観的な金額だろうか。
その金額はバブリーで途方も無くあほらしい、ひどいものであり、
とても使用に耐えうるものではない代物だろうか?

オークションという閉鎖的な場で、その場の競りのノリで、
価格が決定されるとなると、往々にしてバブリーな値がついてしまう可能性が高い。
ちょっと高すぎるのでは?
というのが世間の印象と思われる。

なぜ、そのような法外?な価格がつくのだろうか!
・その作品が大好きな人は、とにかく自分の身の回りに置きいつでも見たいと思い、
・その作品が将来は価値を増大させると思う人は、是が非でも投資したいと思い、
・最高の芸術を保有するという独占欲を満足させたい人は、とにかく自分の倉庫にしまい込みたいと思い、
というような異常な心理が働いて、
信じられない価格が付いてしまうようだ。

改めて問う?
オークションの100億円は、ばかばかしいほどひどい金額だろうか?
結論から言うと、100億円はそんなにひどい金額ではない!
といえそうだ。

芸術作品の取引は、特殊なマーケティング分野になる。
オンリー1しかない特殊な愛好家のマーケットである。
しかし、不思議なことに、
そこには意外と合理的な価格形成機能が存在している。
芸術という特殊な世界にも、
マーケティングの価格形成メカニズムが適用されているのは、
新鮮な発見である。

例えば、
ある財政的に潤沢な市が名画を100億円で購入したとする。
何と高い買物をしたのだろうと、第一印象では感じる。
しかし、冷静に考えてみると、
その名画は、
市の美術館へ飾られ、市民がいつでもその名画を鑑賞でき感動という果実を得る。
市民には名画をもったという誇りが生じ、精神的な満足が生じる。
他の市からは見学者がたくさん押し寄せ楽しんでくれる。(一種の精神的な社会貢献ともいえる)
もちろんお金も落としてくれる。

100億円は無駄な出費であろうか。
その市が100万人の人口を抱えていたとしよう。
一人当たり1万円で、その名画を共同保有したことになる。
そう考えて、上記の様々な効果をみると、
その名画は十分に一万円以上の価値をもたらした、
ということにならないだろうか。
損得勘定でいえば、十分ペイしたということになる。
即ち、100億円は何となく妥当な価格ということになる。
また重要なことは、
名画一枚で何十年もその効果が続くことになる。
普通の財政支出のように単年度で終わるものではなく、
継続性のある効果が見込めるということである。

もちろんその100億円を他の用途に使ったとすると、
もっと乗数効果の高い成果があがるかもしれない、
という計算はなりたつ。
それは財政支出の選択の哲学の問題であり、
名画の価値が一万円以上という事実を否定するものではない。

ただ冷静に考えてみると、
作品1点だけの取引で100億円というのは確かに凄い。
一般の消費財マーケティングの感覚からは程遠いものである。
しかし、世界でただひとつしかないものは、
半端ではない価値を生む、
という事実もまた「真実」である。

絵画、彫刻、小説、POP歌手、オペラ歌手、バレリーナ・・・・・、
芸術は皆半端でない価値をもつ。
小説・戯曲などの言葉の芸術は、印刷物になり複製が可能である。
その出版物が何部発行されて総額いくらということで、
その作品の価値が金額換算される。

「芸術としての価値」と「売れた価値」は異なるものの、
売値は、芸術の価値のひとつの目安になる。
(人気作家になれば駄作でもそれなりの値段で取引されることは、ままあるものの?!)
100億円で売れれば、その作品の価値は100億円ということである。
それが高い?安い?という人の気持ち(評価)ではなく、
100億円で売れたという事実が何より重要で、
100億円はその作品の価値のひとつの側面を示している。


B.芸術作品と工業製品の価値の比較:

次に、芸術の価値(価格)と工業製品の価値(価格)を比べてみる。

まず、ゴッホの絵から。
100億円という値がついたとする。
時代によって、人気や経済状況が違うので、
値はかなりぶれるが何回でも取引される。
つまり、100億円×取り引き回数の価値連鎖を産む。
絵画が誕生してから10回取引されていれば、1000億円のお金が動くことになる。
芸術の凄いところは、その作品がなくならない限り、
半永久的に価値を保ちつづけるところにある。
取引回数を掛け算することについては議論があろうが、また何回が妥当かは難しいところだが、
10回ぐらいは掛け算してもよいのでは、と思う。

一方、工業製品は、芸術作品とは違う。
一度売れたものは、壊れたり、流行でなくなったり、技術的に陳腐化したりと、
その価値はどんどん減衰してゆく。

家電製品を見る。
ひとつ10万円で、年間十万個売れる家電があるとする。
そのライフサイクル(いわば製品寿命)が10年間とすると、
累計で1000億円売れる。
その製品には1000億円の価値があるということになる。
(もちろんその家電に使われた技術・ノウハウは、
次世代の商品に活かされるので、実際は1000億円以上の付加価値を産んでいる)

車を見る。
100万円の車が月に1000台弱、1年で1万台、
10年間の寿命で10万台売れるとする。
1000億円の価値になる。
(車の場合は、中古車という二次価値を産むので、
別の新しい付加価値も産んでいるが)

マーケティングの量的な意味では、上記の例は、
どれも等価である。
但し、そのマーケティング的な意味は大きく異なる。
経済波及効果ではどれが勝るか?
社会貢献では、文化貢献では、雇用効果では・・・・

いずれにしても、
芸術作品の世界においては、
たったひとつの価値が如何に凄いかがわかる。
オンリー1・NO1であることが、
大きなマーケティング価値を産むことは異論の無いところである。
芸術は極端なオンリー1の事例ではあるが、
マーケティングにおけるオンリー1の価値を考察するにおいて、
格好の材料を提供してくれている。

但し、
通常の商品・サービスのマーケティングにおけるオンリー1は、
芸術のそれとはやや異なった扱い、見方をしなくてはならない。
まず、オンリー1の意味は、
最初にマーケットを創造する(ブルーオーシャン戦略をとる)ことで、
創業者利益をとり、出来た市場のヘゲモニーを握ることである。
次いで、NO1の意味は、
その市場に他社が参入してきてオンリー1でなくなったときに、
(オンリー1からNO1に移行するときに)
かなり優位の一番の地位を確保し高収益を上げることである。
この2段ロケットのロジックが成立してこそ、
当初のオンリー1の意味がでてくる。


C.芸術におけるデザイン、ブランドの価値:

今、改めて、
芸術作品の100億円という凄い価値は、
どのようなことから生じてくるのか?を見る。

芸術には、
工業製品に見られがちな、
機能偏重でデザイン、ブランド価値が手薄になり全体の付加価値が取り切れていない状況
とは「真逆の状況」がある。

一般的に、
工業製品の価値は、
機能、情緒、人間(関係)価値で決定される。
機能、品質等々のハードのスペック以外の「デザイン」要素、「ブランド」要素により、
その工業製品の価格が形成されてくる。
ここで言うデザインとは、
ビジュアル的なものから、使い勝手性まで含めた幅広い概念を意味する。

芸術の価値は、
このデザイン価値とブランド価値が極端に膨らんだものといえる。
芸術作品は、
そのデザイン力、作家・作品のブランド力で、とんでもない価値(100億円)を産む。

通常の工業製品の付加価値を考えるときに、
大いに参考にしなければならないポイントである。

例えば、
絵の機能価値の中の一つ目、
絵の具代(絵の具の色、輝き)、キャンバスの装飾代はたかが知れている。
二つ目の機能的な価値としては、
常人では到底及びもつかない基礎的な技・ノウハウがある。
あるレベルまで達するためには、相当な訓練が不可欠である。

かのピカソは目をつぶって真円を描けたという?
しかし、その基礎的な技の機能価値もさほど高くはない。
修練を積めば誰もが相当なレベルまで達する。

上記のような基礎的な技(機能)をインフラとして、
そこから発せられる芸術家の個性のほとばしり、クリエイティブな力で、
その芸術作品の価値が醸成されてくる。
それが、デザイン価値である。
(どんな絵が描かれ、どんな雰囲気を醸し出しているか?!)

そこに作家としての名声、作品そのものの人気があいまって、
ブランド価値が醸成されてくる。
極端に言えば、同じ絵でも、
ピカソと名がつくだけで金額に0がひとつ、ふたつ増えてくる。

芸術作品はオンリー1の唯一無二のものであり、
更にその作品の人気、作家の人気というブランド価値が付加され、価格が青天井になっていく。

何百億円という途方も無い値がつくことになる。
しかし、実際は途方もない価格ではなく、
それなりに妥当性のある価格形成のメカニズムが潜んでいるのである。


D.オンリー1、NO1のマーケティング価値:

ここで話を、
本来のマーケティング的なオンリー1、NO1の話に戻す。

例えば、今、大人気の
東京スカイツリーのNO1の意味を考えてみる。

今年の日経ヒット商品番付が発表され、
東京スカイツリーは東の横綱にランクされた。
世界1の高さを誇る鉄塔である。

東京スカイツリー。
集客・経済効果ともに、1年目としては大成功と総括されている。
世界1というオンリー1、NO1の価値が人をひきつけたことは間違いない。

地元商店の入居はテナント料が高く難しい、
NO1の塔の高さ競争は発展途上国のやること、
等々批判も多いが、
昨今の冴えない話ばかりの日本にとっては、
久しぶりに興奮する話である。

オンリー1、NO1は、理屈抜きに人のこころを揺さぶる。
揺さぶられた人は、動く、
社会活動、消費活動へと心を開いてゆく。
そして経済効果(価値)を産み出してゆく。

オンリー1、NO1(一番)は、
理屈抜きに誰もが納得する象徴的な価値である。

一般的に、
オンリー1、NO1の商品・サービスは、
以下のような、「5つ」の波及的価値を産みだし保証している。

1.サイコインフラ保証
■ 信頼感/トラスト感:
高性能・高品質感(最高の機能が保証されているもの)
間違いないもの(ノントラブル、ノンメンテナンスなもの)
■ 安心感/コンサバ感
寄り添いたいもの(母性、父性的な安心感を与えてくれるもの)
リスクをとらなくてよいもの(心配が少ないもの)

2.購入・使用満足保証
■ 満足感/CS感:
選択に迷う必要のないもの、(NO1は普遍的なもの)
使って後悔しないもの、納得性のあるもの(認知的不協和が生じないもの)
■ お得感/パフォーマンス感:
コストパフォーマンスの高いもの(ただ安いだけのものではない)
付帯的なお得感(おまけ)がありそうなもの(SP等の付加サービスがあるもの)

3.未来対応保証
■ 新規性/チェンジ感:
チャレンジングなもの(ロングセラーで進化しつづけるもの)
トレンディなもの(時代性、社会性を取り込むもの)
■ 将来感/サステナブル感:
将来も恩恵を蒙ることができそうなもの、(技術進化、革新があるもの)
将来もフォローしてくれるもの(いざというときのアフター力)

4.人間関係保証
■ 関係感/ネットワーク感:
社会的な仲間感を感じさせるもの(たくさんユーザーがいるもの)
メーカーとのパートナー感のあるもの(自分とメーカーが近いと感じさせるもの)
■ 自己表現感/アピール感:
人に自慢できる、推奨したくなる感のあるもの
自分の状況の妥当性を保証するもの(NO1のものを使っているとの免罪符感があるもの)

5.情緒保証
■ 官性訴求感/センス感
気分が良くなる感のあるもの
エルゴデザインでからだになじむもの
■ 使用文脈保証/コンテキスト感
生活、仕事の中で使っていて自然になじむもの
なくてはならない必須のもの

等々である。

これだけのインパクトをマーケット・ユーザーに与えることができ、
マーケティングを優位に進めることができる、
それがオンリー1、NO1の効用である。

従って、無理をしてでも「一番」になろうとすることは悪ことではない。
マーケティング当事者は否応無しに「一番」になろうとの気持ちを抱き、
その「一番」になろうという気持ちが、
マーケティングの進化、商品・サービスの進化をもたらす。
「一番」は社内の人々に、外部のステークホルダーに高揚感が生ぜしめ、
企業活動のエネルギーを高めることはよく知られている。

スパコンの京(現時点では2位)、東京スカイツリー、iPS細胞・・・・
等々
今、話題をとっている一番のものは、
現代社会の成長の源泉にもなった、
「一番になりたい」という競走原理の結果として生まれてきた。
それらは日本人に久しぶりに勇気と元気を与えてくれた。

競走は過当競争を産みリスクをもたらすこともある。
反エコという弊害もある。

しかし、競走が原動力になって、便利で、心地よい生活、仕事が実現されている、
ことも事実である。
「よい競争」の効用は認めなくてはならない。

最後に。
マーケティングの意味はいろいろとあるが、
「マーケティングは、オンリー1、NO1になるためにある!」
といっても過言ではない。
オンリー1、NO1の効用(高揚)ははかりしれないものがある。

余談:
スカイツリーは天にも昇る心地のもので、その景色は絶景らしい。
万が一?天気が優れなかったときは、どうすればよいか?
世界一高い塔に登ったという話題だけでも十分にお金と時間を掛けた価値がある、
何も見えなかったということが話題として面白い、しゃれとして喜ばれる、
と考えるか?

今はNO1でも、
将来は必ずNO2になる。
そのときはどんなマーケティングを展開するのか。
NO1という価値が0になったときに、
新しい魅力をどのようにつくっていくのか、
は大きな近未来のテーマとして、すぐそこに横たわっている。

・ライティングの美しさ、
・ハンディのある人々を招待するという社会貢献、
・それとも日本でNO1なら、それでいいじゃないかと開き直る?

NO2になればなったで、
人は知恵を出して頑張ることになるだろう。

今年も早いもので、
流行語大賞の審査時期になった。
スギちゃんの「ワイルドだろー」が今年の流行語大賞をとった。
お笑いタレントがこの賞でNO1をとると、
それをピークに次年度はダメというジンクスがあるらしい。
NO1を維持することは難しい。
しかし、NO1であり続けようとする努力が、
商品・サービスをより一層強くしていく。

この稿終わり

追記1:
歌舞伎俳優、中村勘三郎さんが57歳でなくなった。
訃報のニュースを聞くと、
オンリー1で歌舞伎、演技の世界に新機軸を打ち立てた人、
オンリー1で人を感動させた人、
と評価されている。

因みにスティーブジョブズ氏も57歳でなくなっている
彼もオンリー1の人だった。

追記2:東京スカイツリーの余談
塔に対する人間の願いとは、何か?
人は、高いところにあこがれる。
山、天・・・・・
そこに崇高なものを感じるのは人間の素直な気持ちである。

旧約聖書で言うところのバベルの塔。
バベルの塔とは?
人間が力を合わせ天にも届く高い塔を建てる。
それが神の逆鱗に触れたため、こわされてしまい、
人間に鉄鎚をくらわせた。
人間の言葉を分断し、
コミュニケーションが出来ないようにした、とされる話である。

古来、高くて大きい建造物は、
時の権力者の権威の誇示、宗教的祭主の尊厳の確保、人間的な憧れの象徴、
としてつくられてきた。
「塔」は、
それほど人間にとって、ただならぬ存在のものであった。

日本では、仏教伝来とともに多重の塔が伝来し各地に建立された。
聖武天皇の時代に全国に国分寺ができ、
そこに七重の塔ができ、国家の威信が示され、国家という存在を大衆に知らしめることとなった。

エッフェル等
産業革命の成果を先取りする形で建てられた。
当時では珍しいエレベーターも実装され、
また、鉄材をふんだんに使えるようになったという産業の技術インフラがあって出来たタワーである。
フランスの国威発揚の象徴としてつくられた。

天にも昇るオンリー1、NO1の塔は、
その時代の、国を挙げての威信を掛けた、国力を誇示する象徴として建設されてきた。

東京スカイツリーも、好むと好まざるに関係なくそのような意味を持たされている???

追記3:パラドクス的な話
オンリー1の対極にある概念がある。
「協争」概念である。(「協争」は筆者の造語)
競争ではない。
「協争」とは、ライバルが協力してしかし争いながらマーケットを大きくしてゆく、
という概念である。
ある商品カテゴリーの
プロダクトライフサイクルの初期に、
成長し世間の話題をとるには、
オンリー1の一社、一銘柄が孤軍奮闘するだけでは、
エネルギー不足で腰倒れになってしまう。
即ち、そのカテゴリーが育たないことがよくある。
数社のよきライバルがあって切磋琢磨し、世間へのエネルギー放射を高めることが必要で、
それによってマーケット、社会の注目を集め、そのカテゴリーへ人の目が向き、
流通量、購入量が増大することになる。
オンリー1ではなく「協争」する方が、
結果として業界全体が潤うという現象がよくある。

追記4:スポーツ選手の価値
体操の世界チャンピョン内村選手の、
女子フィギア浅田真央選手の
芸術的価値?はどの位になるのだろうか。

二つの競技は、
もともとかなり芸術性の高いスポーツである。
プロの世界が未発達で、もしくはスタジアムで行われる野球、サッカーのように、
観客数を多く望めない、芸術的なスポーツの価値は、
どのように算定されるのであろうか。

アイスショーをやって入場料をとり、
たまにTV放映権で、
ある金額を取れたとしてそれほど巨額なものにはならない。
では副業ではどのぐらい取れるのであろうか?
・ コマーシャル出演料、
・ タレント活動による収入、
また、好きな仕事に従事できるという価値はどのぐらいだろうか?
・生涯その世界で指導者でいられる、好きなことに奉仕できるという職業的な特典、
・日本・世界のファンに夢と感動を与えて得られる、皆からの賞賛という精神的な満足
いろいろな視点で価値は測定はできる。

しかし、世界で一番の人の価値として考えると、
その測定値はきわめて低くなるように思う。
プロスポーツがあり観客動員数が多く、TV放映料が入るスポーツでは、
例えば、野球、サッカーでは、それなりの金額が提供される。
プロがない、観客動員数がすくないスポーツでは、
世界1の称号も、金額換算されると、
本当に微々たる金額にしかならな



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