日経新聞・MJ・日経ビジネス ・宣伝会議に学ぶ商品マーケテイング理論・・・篠原まーけブログ

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■ 「ニューサバービアン」という暮らし方、/複合化する生活のケミストリー

2008年03月25日 | Weblog
 A.新しいライフスタイルの誕生:

首都圏20-30KM 圏
あざみ野、吉祥寺、国立、柏、我孫子・・・

開発当時、いまだ街が若かったときに、いわゆるTV番組・「金曜日の妻たち」の舞台になった街である。

20年ぐらい前から開発が進み、今は、人工的な街ではなく人に馴染んで和めるようになった街。
普通の自然がしっかり残っている街。
そこには独特の生活スタイルを謳歌し始めた人がいる。

 「ニューサバビアン」の登場である。

 B.ライフスタイルの量的分化、質的分化による進化:

 ・量的分化によるスタイルは、収入、地位、自宅の大きさなど外形で判断可能なものである。
(一番代表的なものは収入を基準としたリッチ・プア階層である。)

 ・質的分化によるスタイルは、その人の暮らし方、趣味、人間関係・家族関係のあり方・・・等で判断されるものである。

 量的分化によるスタイルとは:
戦後まもなく皆が物質的に豊かになろうとする一次線形のライフスタイルの登場がその典型である。
明日は隣の人より大きな車を持とうというような時代のマス(大衆)的スタイルである。

 質的分化によるスタイルとは:
個人の生活、生きることに対するこだわりのこまかい思考・嗜好で分類されるスタイルである。

東京郊外で人工の街が出来、時がたち、そして質的「新生活スタイル」が生まれるまでに、20年の歳月を必要とした。

いまやっと空気のようにホットするの街が誕生したのである。


 C.ニューサバービアンな街とは:

 雑多な有機質の要素が混在する街である。
心地よいカオスが生じている街である。

・ 今とノスタルジー(子供の遊び空き地)
・ 職住接近感(都心から30分/コミュニティとジョブ)
・ 地産地消感(例:家庭菜園感)
・ ビルと民家
・ 地元の神社仏閣と近代的な建物
・ 緑とアスファルト
・ 街と田園
・ 地元文化と都市部の流行
・ 人ごみと閑静
・ ブランドと伝統
・ スローフードとファストフード
・ ゆるい時間とはやい時間
・ 自然の季節感と人のイベント


いろいろな要素がバランスされて実に実務的でかつ心地のよい暮らしができる街である。

一石十鳥の街である。

 なんともいえない味わいのある街になり、
その微妙な味わいの中から、市民生活が発酵して個人の主張(文化)を発信し始めたのである。

 話は変わるが、作家井上靖(故人)の数少ない詩集に感動的な言葉がある。

人工の物が馴染んで自然な「モノ」なるには物凄いエネルギーが必要だ。
それを使う人の思いが、時間とともに人工物の違和感をそぎ落としていく。
その人工物が、そこになじむまでには半端でないエネルギーが使われる・・・

ということを作家・詩人の目は直感的に見抜いていたようだ。

しかし、一度なじむとそこには人間と自然の共生という付加価値が生じる。
精神的に豊かな時間と空間が生まれてくるのである。


 D.新しい生活スタイルの誕生:

 郊外という概念は人工都市の典型であり、人間らしくないとの考え方もある。

単純な消費の場、寝るだけ場、家族を分断する場・・・・・家族生活、古典的な市井を壊すものとする考え方である。

今、それらの批判を乗り越えて「新しい生活スタイル」が創造された。

・エリア開発の槌音が消えて久しく落ち着いたたたずまい、
・昔ながらの緑・自然を照らす残照、
・都市繁華街の明るいたたずまい

という開発要素、自然要素、都市要素の3つ偶然が重なり、大都市東京の郊外に微妙な時間と空間のバランスが生まれたのである。

 「新しいライフスタイル」の誕生である。

 街を、自分のふるさとと考え、そこに自分のポジションを見つけようとする。
そこで馴染んで生きていく感覚である。

ゆっくり歩ける感じ、自分の街に誇りを持てる感じ、どんどん好きになっていく自分を感じる街。

夫婦、母と娘、母子・・・・
子供の群れ・・・・
ペットと老夫婦・・・・

それぞれの人生の陰影を優しく抱きしめてくれる街、

節約と背伸びの適度なバランス、
流行と自分流の適度なバランス、

ポストモダンな生活のにおいが漂う街・・・

「ニューサバービアン」の誕生である。

 追記1:

今後の高齢化社会で、「マス」として注目されるシニア層の中の、ひとつのコア(プチマス)・「ニューライフスタイル」としてクローズアップされてくることであろう。

都心部にもどるシニアライフもひとつの生活態様であるが、
「ニューサバビアン」は違う選択をした。
そこには魅力的な都市生活からつかずはなれずのモラトリアム的な場を選ぶ知恵が働いている。
田舎に行くのはしんどい。
中途半端な都市生活はあきた。
今後も、いろいろな不満やもどかしさをとりこんだ生活態様がどんどん起きてくるであろう。

 追記2:

実は・・・・・
少し心配なこともある。

今の団塊、シニア層が老齢化した時にどのような街になるか?である。

・戸建てが多いので次世代(子供世代)が入り込んできて新しい街づくりが始まり、何世代も重層した複合的な街になる・・・?
・多摩ニュータウンのようにシニア層が残ってしまい、次世代が住み難い街になる・・・?
・シニア層がすこしずつ退場していく中で、新たに新ポストシニア層が入れ替わっていく街になる・・・?

推移を見守るしかない。

この稿おわり




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■ 「準オンリーワンマーケティング」、フェルメール作品の深さ

2008年03月09日 | Weblog
マーケティングは、一言でいえば、マスの商品、生活者のあり方を扱うものである・・・
しかし、実際には、たった一つしかないものを巡って争い、競うということが多い。

今回は「オンリーワンマーケティング」について考えてみたい。

A.芸術にみる、オンリーワンマーケティングの対象資格:

まず、たった一つのものを巡るマーケティングについて考えてみる。

芸術という題材を使う。

昨年の12月、故黒川紀章氏設計の国立新美術館で開催されていた「フェルメール」の展示会が終わった。
最終日のぎりぎりのところで見に行った。

フェルメールを初めとする、当時、16世紀のオランダ風刺画の世界の展示会である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB

白眉は、「フェルメール」の青、赤、黄と遠近構図の「牛乳を注ぐ女」である。

芸術作品とは、マーケティング的に見るとどのような商品性をもっているのであろうか。

1.再現性が極めて難しいもの

2.偶然性が働くもの
(例:陶芸、火のあたり具合で、取り出したときの文様、色合いが読めない)

3.共感度が半端でないもの
人の感動を呼び覚ますもの
人の心の奥に踏み入るもの
人の魂を揺さぶるもの
(単純ないいものというレベルをこえたものであることが必須である)

芸術は以上のような特性を持っている。

 ・自分がこよなく愛する家族・恋人
・自分がひいきにする、心血が注がれた作物(交配された花、農作物・・・)
・自分のこだわりのあるプレミアムつきの道具
・いきつけのシェフの料理
・自分が書き込んで入れ込んでいるブログ
・自分がだいすきなイベント、施設

等々
かけがえのない、失うことの怖さ、寂しさが極端に大きいものは、芸術作品と同じようにオンリーワンの対象にふさわしいものである。

 B.芸術のオンリーワンマーケティング的な価値:

 偉大な芸術には、対話、会話がある。
何か訴えかけてくるものがある。

うまい、きれい、こわい・・・・・というような表面的な喜怒哀楽の情感を得たいのであれば優秀な訓練をうけた職人の作品があれば十分達成される。

しかし、世界遺産的な芸術家、作品には、琴線に触れるテーマがある。
超人間的な存在感がある。

 ・生命力とエネルギーのピカソ
・閉じた安心感のレンブラント
・黄色い不安のゴッホ
・陽気な空気が流れるルノアール
・幽現の大観
・深遠の魁夷
・楽観の鉄斎
等々

そこから感じるものは、評価する側のセンス、好みを越えて、何か普遍的なものである。
その作品を見れば、皆がなるほどと納得する、ブランドとしての連想点(アンカーポイント)を持っているのである。

 オンリーワンは感動、共感そのものである。


 C.フェルメールの感動、ブランド連想点:

 例として、フェルメールに見る感動の源泉、連想点とは何か?を探ってみる。

フェルメール展の最終日、夕方からの混雑は半端ではなかった。
何が皆を感動させるのか。

 フェルメールの価値(感動、連想点)。
それを、
「生活の瞬間停止(のフェルメール)」
と銘銘したい。

フェルメール作品とは、生活をビビッドに切り取った、動的な静止画である?!
構図、色、線、空間・・・・・すべてが融合して、ひとつの生活をいきいきと切り取っている。

今にも、笑いそう、
今にも、しゃべりだしそう、
今にも、動き出しそう、
今にも、目線を移しそう、
今にも、手元が揺れそう、
今にも、目から涙がでてきそう、

なのである。

 生活文脈の、人の動きの一瞬を、シャキーンと止めた。
まだ、動きのモーメントがそこに存在し、今にも動き出そう、というシーンなのである。

生きた生活がそこに存在している。

 絵画的な特徴は以下の通りである。

空間の奥行き/遠近法による徹底した作りこみ、
構図の安定性/三角形の安定感の或る構図
余白の使い方、
色彩の美しさ/赤、青、黄の鮮やかさの美しさ
光と影のコントラスト

女性(男性)の表情の瞬間の感情(不安、さげすみ、驚き、不満、誠実・・・人間くささ、人間の慈愛・・)
登場人物の、特に女性の大きさ(やや太めで、大柄な人)

空間の中の女性の存在感が大きいにもかかわらず、空間に溶け込み違和感がなく、

全体が作りこまれ全体が安定しているのに、動(き)、色(合い)、線(の角度)、空(間)の魅力を放ち、見る人を、構図の中に引き込んでしまう。


 D.偉大なオンリーワンを生む背景とは:

 フェルメールを初めとする生活を描く風俗画は、どのような背景から生まれたのであろうか?

16世紀のオランダは交易で富を生み、豊かな市民生活を誕生させた。
文化・芸術へも富と才能が流れる。
その中から、市民の生活文脈を追った風俗画が隆盛を迎えた。
時の社会の風刺も交えたウィットに富んだ、ゆとりのある、おおらかな絵がはやった。
(風刺とは:格差・貧富、空虚な人間、飽食、盗み、酒乱、性交、ねたみ、怨嗟・・・時の社会に存在する問題である)

 偉大なる芸術は、かなり自由で豊かで様々な発想を許容する社会から生まれる。
政治から、慣習から自由でなければならない。

批判が許される社会からウィットの効いた芸術が生まれる。
自制が効いていれば、緊張感のある、いわゆる健全な芸術がうまれ、自制がはずれ退廃がすすめば爛熟した芸術が生まれる。

芸術のオンリーワンの価値は、それを生み出す供給側(作家側)の発想の自由度、豊かさ度に正比例して生ずるものである。


 E.オンリーワン商品・サービスの価格形成とは

 芸術作品はなぜ高いか

世界遺産的なすばらしい芸術作品が目の前に存在してしまい、限りなく欲求を刺激してしまうからである。

実に罪な存在なのである。
その作品を巡って人の幸福・不幸が、悲喜劇が生まれてくることになる。
(遺産相続、盗難への恐れ、持つことによる失うことへの不安感・・・)

いずれにしても欲しい作品には半端でない価格がつく。
その価格はなぜかくも高いのであろうか。

 3つぐらいの高価格形成への心理要因が考えられる。

1.大きな需給ギャップ:
オンリーワンに対して欲しい人が複数いることが常態化してくる。
たった一つしかないものに何人もの人が欲しがる
慢性的な需給ギャップが存在している。

2.野心に満ちた投機欲求:
オンリーワンで羨望の的になるものなら、間違いなく値は上がるであろう。
それも、リーズナブルな価格形成ではなく、バブリーな値上がりが期待できる。
当然のように、たくさんのプレーヤーが(政府系、資産家系、企業系などいわゆるお金持ちが)多く参戦してくるようになる。
お金のあるものが、芸術性と利益性の2つを同時に手に入れることができるのである。
もちろんリスクもある。
ブームが去れば、価格はすぐ急落する。
評価の定まった古典的作品でも価格の乱高下は免れない。

3.激しい占有欲求:
いいものならば、また人がいいというものならば余計ほしくなる、のが人の性(さが)である。
独占して、保有したくなる。
目の前の占有成就感がたまらないのであろう。
お金に糸目をつけずに手に入れたくなる。

但し、一定の作品への人気の集中現象がおこる。
一部のはやされる作品の裏側にはあまたの見向きもされない、不遇の芸術家?作品群?が存在する。
逆の需給ギャップが存在しているのである。
ここにもあまたの悲喜劇が発生するのである。

 話を価格にもどす。
芸術作品の価格決定に関しては、以下のような理想の絵姿はありえない。

ある芸術作品について、潤沢な商品・価格情報に基ずいて、無数の供給者と需要者が、売る・売らない、買う・買わないの意思決定をし、需給がバランスされ価格が合理的に決定されるという、経済学でいうところの、神の見えざる手が働く余地は、
全くないのである。

 究極の嗜好品である芸術作品は、一度ほしくなるとお金の問題ではなく財力のある限り青天井の価格がつくことになる。
特にオークションなどではゲーム感覚(一種の博打感覚)となりどんどん価格がつりあがる。

 F.マスの準オンリーワンマーケティングの必要性:

 チョットマーケティングの話の戻ろうと思う。

一番いいのは、オンリーワン商品・サービスである。

しかし、純粋オンリーワンマーケティングでは企業はやっていけない。
例えば、ひとつの作品が、50億円で売れるようなものなら、まだ意味がある。
しかし、これとても、一回の取引で終了してしまうので永続的なビジネスの収穫は望めない。

 そこで、「芸術作品のオンリーワンマーケティング」に学びながら、
『ややマス的な準オンリーワンマーケティング』
の方法論を導く必要がある。

 1.まず、オンリーワンマーケティングの意味は、

他社のやっていないもの(オンリーワン商品・サービス)が、需要側の生活者にとっても、供給側の企業にとっても、幸福をもたらすのである。

・生活者側は新しいものが使え、仕事に、生活に新鮮なものが感じられる、
・企業側は自由に商品・サービス開発、価格設定ができる、

という構図になるのである。

消耗戦的な価格競争、開発競争を避けられるのである。
(最近のブームでいえば、ブルーオーシャン戦略的な考え方である。)

また、競合企業の動きに左右されずに、マイペースで自分のこだわりに忠実にマーケットに対応していけるのである。
じっくりと商品・サービスを育てていけるのである。

 2.逆説的に、純粋オンリーワン商品・サービスの弊害から、『準オンリーワンマーケティング』の本質を見る。

・純粋オンリーワンマーケティングでは収益性が確保できない

繰り返しになるが、先の芸術作品は完全オンリーワンであり、企業収益性から見るとあまり意味はない。
意味のあるのは、オンリーワンなのだけれど、ある程度のマスで生産販売でき、マーケットに無尽蔵の富が寝ていそうなことが必要条件となる。
(無尽蔵とは、少なくとも5-10億円ぐらいの市場があること?!)

 ・純粋オンリーワンマーケティングではニーズの多様性に対応できない

オンリーワン企業しか、マーケットに存在しないのでは一社独占であり、マーケットの商品・サービスへの個性化・多様化ニーズに、資源的にも人財的にも対応できない。
やはり、ある程度の数の企業の参入があって、個性的な、多様性のある商品・サービスが供給できる。
それなくしては、マーケットの健全な発展はない。
オンリーワンである程度の基盤を作ったときには他社が参入してきて、協争原理(協力して、競う)で、マーケットを大きく膨らまし、互いに収益の拡大を図るのが
マスのオンリーワンマーケティングのプロトコルである。

 逆に言えば、オンリーワン的な企業は、純粋オンリーワン的な初期の状況のときに、商品のブランドの世界観を作り上げ、ユーザー、流通の押さえなどが出来ていることが不可欠となる。

そのブランド世界観が初期にマーケットを切り開いた企業のインセンティブになるのである。


 G.『準オンリーワンマーケティング』成立の方向性:

 マーケティングの収益を決めるものは、
需要側と供給側とでバランスされ決定される商品・サービスという、
生活者がある目的を達成するための手段である。

その至高のものは、オンリーワン商品・サービスである。
前述の通り、オンリーワンの典型は芸術である。
しかし、企業が手がける事業では、純粋芸術作品的なオンリーワンマーケティングは機能しないと考えられる。

 ここで問題となるのは、企業、マーケティングによる収益をどう考えるかである。
企業はサステナブルに、収益をあげて、拡大再生産をおこなわなければ生き延びていけない。
企業としての責任も果たせない。
企業は公的な器であり、創造的な商品・サービスをつくり安定的な供給をし、雇用を促進し、積極的な納税義務をはたしていかなくてはならない。

 「純」ではなく、『準オンリーワンマーケティング』で継続的に収益を上げていくことが必須なのである。

 それでは、「純粋なオンリーワンマーケティング」ではない、
『準オンリーワンマーケティング』とは何か?
それは、
『オンリーワン的な価値を持つ準量産型の商品・サービスを取り扱うマーケティング』
ということになる。

 「純」と「準」では、明らかにマーケティングの方法が違う。
『準オンリーワンマーケテング』の時系列的に見た留意点は以下の通り。

初期:

あきらかに純粋なオンリーワン価値を持つ時期
いわゆる差別性のなかでも創造性に満ちた「新規性」が最も求められる時期
マーケットを立ち上げる努力は半端なものではないが、夢があり、収益がぐんぐん伸びる楽しい時期である。
前述したように、ブランドの世界観を確立しイメージ的な参入障壁をつくりあげなければならない時期

中期:

マーケットがある程度大きくなり、競合の参入が始まる時期
マーケットが拡大し始める時期
いわゆる大衆への供給を可能にする、設備投資、供給体制が不可欠になる
協争(協力して争う)が始まり、多様な、個性的な商品が大量に供給され、コストダウンで価格が下がり、多くの人が商品の価値を享受できる時期
常に差別性、特に「新規性」を追及しつつも「優位性」、「差異性」を確保しなくてはならない時期
ブランドの一流性、信頼性を確立しなければならない時期

終期:

マーケットでの商品の多様化が進み、オンリーワンから普通の商品価値になっていく時期
(商品のコモディティ化が進む時期)
供給企業数も多くなり、過剰な価格競争で低価格競争に陥り収益性も悪化していく時期
新オンリーワン価値の創造を目指した、新ブランド蘇生に知恵を出さなければならない時期

衰退期/終焉期:

農業のように地道にマーケティング活動を展開しなくてはならない時期
コストを低減させて、低いながらも確実な収益で、マーケットの最後のニーズにこたえなければならない時期

 『準オンリーワンマーケティング』は、間違いなく企業にとってのマストの方法論である。

最重要ともいうべきマーケティング手法、思想である。

この稿終わり
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