A.新しいライフスタイルの誕生:
首都圏20-30KM 圏
あざみ野、吉祥寺、国立、柏、我孫子・・・
開発当時、いまだ街が若かったときに、いわゆるTV番組・「金曜日の妻たち」の舞台になった街である。
20年ぐらい前から開発が進み、今は、人工的な街ではなく人に馴染んで和めるようになった街。
普通の自然がしっかり残っている街。
そこには独特の生活スタイルを謳歌し始めた人がいる。
「ニューサバビアン」の登場である。
B.ライフスタイルの量的分化、質的分化による進化:
・量的分化によるスタイルは、収入、地位、自宅の大きさなど外形で判断可能なものである。
(一番代表的なものは収入を基準としたリッチ・プア階層である。)
・質的分化によるスタイルは、その人の暮らし方、趣味、人間関係・家族関係のあり方・・・等で判断されるものである。
量的分化によるスタイルとは:
戦後まもなく皆が物質的に豊かになろうとする一次線形のライフスタイルの登場がその典型である。
明日は隣の人より大きな車を持とうというような時代のマス(大衆)的スタイルである。
質的分化によるスタイルとは:
個人の生活、生きることに対するこだわりのこまかい思考・嗜好で分類されるスタイルである。
東京郊外で人工の街が出来、時がたち、そして質的「新生活スタイル」が生まれるまでに、20年の歳月を必要とした。
いまやっと空気のようにホットするの街が誕生したのである。
C.ニューサバービアンな街とは:
雑多な有機質の要素が混在する街である。
心地よいカオスが生じている街である。
・ 今とノスタルジー(子供の遊び空き地)
・ 職住接近感(都心から30分/コミュニティとジョブ)
・ 地産地消感(例:家庭菜園感)
・ ビルと民家
・ 地元の神社仏閣と近代的な建物
・ 緑とアスファルト
・ 街と田園
・ 地元文化と都市部の流行
・ 人ごみと閑静
・ ブランドと伝統
・ スローフードとファストフード
・ ゆるい時間とはやい時間
・ 自然の季節感と人のイベント
いろいろな要素がバランスされて実に実務的でかつ心地のよい暮らしができる街である。
一石十鳥の街である。
なんともいえない味わいのある街になり、
その微妙な味わいの中から、市民生活が発酵して個人の主張(文化)を発信し始めたのである。
話は変わるが、作家井上靖(故人)の数少ない詩集に感動的な言葉がある。
人工の物が馴染んで自然な「モノ」なるには物凄いエネルギーが必要だ。
それを使う人の思いが、時間とともに人工物の違和感をそぎ落としていく。
その人工物が、そこになじむまでには半端でないエネルギーが使われる・・・
ということを作家・詩人の目は直感的に見抜いていたようだ。
しかし、一度なじむとそこには人間と自然の共生という付加価値が生じる。
精神的に豊かな時間と空間が生まれてくるのである。
D.新しい生活スタイルの誕生:
郊外という概念は人工都市の典型であり、人間らしくないとの考え方もある。
単純な消費の場、寝るだけ場、家族を分断する場・・・・・家族生活、古典的な市井を壊すものとする考え方である。
今、それらの批判を乗り越えて「新しい生活スタイル」が創造された。
・エリア開発の槌音が消えて久しく落ち着いたたたずまい、
・昔ながらの緑・自然を照らす残照、
・都市繁華街の明るいたたずまい
という開発要素、自然要素、都市要素の3つ偶然が重なり、大都市東京の郊外に微妙な時間と空間のバランスが生まれたのである。
「新しいライフスタイル」の誕生である。
街を、自分のふるさとと考え、そこに自分のポジションを見つけようとする。
そこで馴染んで生きていく感覚である。
ゆっくり歩ける感じ、自分の街に誇りを持てる感じ、どんどん好きになっていく自分を感じる街。
夫婦、母と娘、母子・・・・
子供の群れ・・・・
ペットと老夫婦・・・・
それぞれの人生の陰影を優しく抱きしめてくれる街、
節約と背伸びの適度なバランス、
流行と自分流の適度なバランス、
ポストモダンな生活のにおいが漂う街・・・
「ニューサバービアン」の誕生である。
追記1:
今後の高齢化社会で、「マス」として注目されるシニア層の中の、ひとつのコア(プチマス)・「ニューライフスタイル」としてクローズアップされてくることであろう。
都心部にもどるシニアライフもひとつの生活態様であるが、
「ニューサバビアン」は違う選択をした。
そこには魅力的な都市生活からつかずはなれずのモラトリアム的な場を選ぶ知恵が働いている。
田舎に行くのはしんどい。
中途半端な都市生活はあきた。
今後も、いろいろな不満やもどかしさをとりこんだ生活態様がどんどん起きてくるであろう。
追記2:
実は・・・・・
少し心配なこともある。
今の団塊、シニア層が老齢化した時にどのような街になるか?である。
・戸建てが多いので次世代(子供世代)が入り込んできて新しい街づくりが始まり、何世代も重層した複合的な街になる・・・?
・多摩ニュータウンのようにシニア層が残ってしまい、次世代が住み難い街になる・・・?
・シニア層がすこしずつ退場していく中で、新たに新ポストシニア層が入れ替わっていく街になる・・・?
推移を見守るしかない。
この稿おわり
首都圏20-30KM 圏
あざみ野、吉祥寺、国立、柏、我孫子・・・
開発当時、いまだ街が若かったときに、いわゆるTV番組・「金曜日の妻たち」の舞台になった街である。
20年ぐらい前から開発が進み、今は、人工的な街ではなく人に馴染んで和めるようになった街。
普通の自然がしっかり残っている街。
そこには独特の生活スタイルを謳歌し始めた人がいる。
「ニューサバビアン」の登場である。
B.ライフスタイルの量的分化、質的分化による進化:
・量的分化によるスタイルは、収入、地位、自宅の大きさなど外形で判断可能なものである。
(一番代表的なものは収入を基準としたリッチ・プア階層である。)
・質的分化によるスタイルは、その人の暮らし方、趣味、人間関係・家族関係のあり方・・・等で判断されるものである。
量的分化によるスタイルとは:
戦後まもなく皆が物質的に豊かになろうとする一次線形のライフスタイルの登場がその典型である。
明日は隣の人より大きな車を持とうというような時代のマス(大衆)的スタイルである。
質的分化によるスタイルとは:
個人の生活、生きることに対するこだわりのこまかい思考・嗜好で分類されるスタイルである。
東京郊外で人工の街が出来、時がたち、そして質的「新生活スタイル」が生まれるまでに、20年の歳月を必要とした。
いまやっと空気のようにホットするの街が誕生したのである。
C.ニューサバービアンな街とは:
雑多な有機質の要素が混在する街である。
心地よいカオスが生じている街である。
・ 今とノスタルジー(子供の遊び空き地)
・ 職住接近感(都心から30分/コミュニティとジョブ)
・ 地産地消感(例:家庭菜園感)
・ ビルと民家
・ 地元の神社仏閣と近代的な建物
・ 緑とアスファルト
・ 街と田園
・ 地元文化と都市部の流行
・ 人ごみと閑静
・ ブランドと伝統
・ スローフードとファストフード
・ ゆるい時間とはやい時間
・ 自然の季節感と人のイベント
いろいろな要素がバランスされて実に実務的でかつ心地のよい暮らしができる街である。
一石十鳥の街である。
なんともいえない味わいのある街になり、
その微妙な味わいの中から、市民生活が発酵して個人の主張(文化)を発信し始めたのである。
話は変わるが、作家井上靖(故人)の数少ない詩集に感動的な言葉がある。
人工の物が馴染んで自然な「モノ」なるには物凄いエネルギーが必要だ。
それを使う人の思いが、時間とともに人工物の違和感をそぎ落としていく。
その人工物が、そこになじむまでには半端でないエネルギーが使われる・・・
ということを作家・詩人の目は直感的に見抜いていたようだ。
しかし、一度なじむとそこには人間と自然の共生という付加価値が生じる。
精神的に豊かな時間と空間が生まれてくるのである。
D.新しい生活スタイルの誕生:
郊外という概念は人工都市の典型であり、人間らしくないとの考え方もある。
単純な消費の場、寝るだけ場、家族を分断する場・・・・・家族生活、古典的な市井を壊すものとする考え方である。
今、それらの批判を乗り越えて「新しい生活スタイル」が創造された。
・エリア開発の槌音が消えて久しく落ち着いたたたずまい、
・昔ながらの緑・自然を照らす残照、
・都市繁華街の明るいたたずまい
という開発要素、自然要素、都市要素の3つ偶然が重なり、大都市東京の郊外に微妙な時間と空間のバランスが生まれたのである。
「新しいライフスタイル」の誕生である。
街を、自分のふるさとと考え、そこに自分のポジションを見つけようとする。
そこで馴染んで生きていく感覚である。
ゆっくり歩ける感じ、自分の街に誇りを持てる感じ、どんどん好きになっていく自分を感じる街。
夫婦、母と娘、母子・・・・
子供の群れ・・・・
ペットと老夫婦・・・・
それぞれの人生の陰影を優しく抱きしめてくれる街、
節約と背伸びの適度なバランス、
流行と自分流の適度なバランス、
ポストモダンな生活のにおいが漂う街・・・
「ニューサバービアン」の誕生である。
追記1:
今後の高齢化社会で、「マス」として注目されるシニア層の中の、ひとつのコア(プチマス)・「ニューライフスタイル」としてクローズアップされてくることであろう。
都心部にもどるシニアライフもひとつの生活態様であるが、
「ニューサバビアン」は違う選択をした。
そこには魅力的な都市生活からつかずはなれずのモラトリアム的な場を選ぶ知恵が働いている。
田舎に行くのはしんどい。
中途半端な都市生活はあきた。
今後も、いろいろな不満やもどかしさをとりこんだ生活態様がどんどん起きてくるであろう。
追記2:
実は・・・・・
少し心配なこともある。
今の団塊、シニア層が老齢化した時にどのような街になるか?である。
・戸建てが多いので次世代(子供世代)が入り込んできて新しい街づくりが始まり、何世代も重層した複合的な街になる・・・?
・多摩ニュータウンのようにシニア層が残ってしまい、次世代が住み難い街になる・・・?
・シニア層がすこしずつ退場していく中で、新たに新ポストシニア層が入れ替わっていく街になる・・・?
推移を見守るしかない。
この稿おわり