日経新聞・MJ・日経ビジネス ・宣伝会議に学ぶ商品マーケテイング理論・・・篠原まーけブログ

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事例研究でマーケティングスキルのUPを!

■新日本人・現代の若者に見る消費感性の違い?!車は、お酒は、旅行は?

2008年05月31日 | Weblog
意識文脈型のマーケティングの勧め!

テレビ東京。
久米宏の若者の個性に関する特番からの示唆である。

A.現代、日本の若者の特性:

新・日本の若者、日本人だが英語を喋り?、何を考えているのか読めない!

おじさんと同じように日本語を喋り同じ食事をしているが、
全く別物になってしまっている。
英語を喋っていると言うのはあくまでも比喩的、ギャグ的、自虐的な言い回しである。

今の新日本人・若者はというと・・・、何が違うのであろうか?

車はいらない。
酒はのまない。
海外旅行は面倒くさい。

お金かけたくないものは何?と聞くと・・・・・、

1位、お酒
2位、車

となる。

車はデートの必需品か?
20代の若者に聞くと、何と2.8%しかイエスと答えない。

おじさんがお金をかけて(場合によっては人生をかけて)豊かさの証明として、
命?をかけて手に入れようとしたものが見事に崩れ去っている

お金をかける対象のNO1は何と貯金なのである。


B.日本の若者の裏にある本質とは:


若者が貯金をする、その理由は?

おそらく若者本人も気づいていない。
理屈抜きに自然体でそうなってしまっているのである。

貯めて何かを買おうと言うのではないようだ。
趣味と言うか、何かに備えてということのようだ。

改めて、なぜ貯金をするのか?

・夢がもてない。
むしろ夢を持つと言う概念そのものがないと言うほうが正しいかもしれない。
生まれた時から豊かな世界にいるから?両親にがんばれといわれ背中をたたかれたことがないから?

・何の屈託もなく無理をしない感じなのだ。
等身大で無理はしない、という生き方がいたについてしまっている。
DNAになっている。

・もちろん、お金がないからでもある。
今の若い人には、フリーターが多い、派遣が多い、バイトでのんびりやりたい人が多い・・・?
可処分所得がすくない。

これもどう解釈するかである。

お金がないから、車、お酒、海外旅行につかわない、よって等身大の貯金を志向する生き方なのか?

そうではなく、等身大の無理をしない生き方だから、お金を必要としないので、
収入にこだわらない働き方で済んでしまう、
と言うほうが正しいのかも知れない。

つましい生活というより、自然体の生活をして、残ったお金は自然に貯金するという感じである。

今の日本の若者は、毎日の小さなプチハレがあれば、存外と幸せ感が得られOKなのである。

コンビニでチョットした自分向きな新商品をみつけて嬉しくなった?
彼女に安くておいしい店を紹介したらやたら喜ばれた?

プチハレでいいらしいのだ。

期待が、狭く小さい。
生活密着型であり、マイペースであり、満足度もその期待に達すれば十分なのである。

傍から見て、たとえそれが小さな満足に見えたとしてもである。


C.現代の若者へのマーケティングのやり方とは:

現代の若者は、新聞、雑誌は読まない。

しかし、R25は60万部出る。
ライトで、コンパクトで気軽な情報入手感がいいのだ。

「ただ」だからはけるのではなく、そのプチ感、それがいいからはけるのだ。

構えてどこかに出かける、と言う必要もない。
近場にいいところがたくさんある。

あまりお金をかける必要がない。
お金を使ってがつがつと出かけると言うことをしない。

生活が極めてアースヴァリューである。
フェザーのように見栄を張る、夢を追うということがないのである。

20代では、スカイラインと聞いて知らない人が普通である。
シニアにとっては憧れの車、あの「ケンとメリーの名車」がである。

20代には車名が届いていない。カタカナの車名を提示してもわからない。
20代の車保有率は14%ときわめて低くなる。
ピークに比べて10%も減っている。

車会社の若い社員でさえ車が好きでない人が多いと聞く。

3人に1人はお酒は飲まない。
若い人には、「とりビー」はない。(まずは、「とりあえずビール」から頼んでのもう、はない)
いきなりチュウハイである。

それも色とりどりで、すぐに注文が揃わない。
乾杯が遅れると言う。

今の若者は、大体が居酒屋へいかない。
まずはマクドナルドに気軽に集まって、安いセットの飲み物でだべるのである。

海外旅行には行かない。
20代の海外渡航経験が激減している。
ワンマイル族が増えている。
行動範囲が極めて狭くなっているのだ。

いろいろな常識が崩れている。


さて、マーケターはどうすればよいのであろうか?

打てば響くだろう式の、強烈なコンセプトを提示して、どうだ!
というような挑む感じの方法ではなかなか共感を得られないのでは?

主張型のマーケティングスタンスではダメなのでは?

さりげ?に提示して、何かが自然に目に留まる、と言うスタンスがよいのでは?

若い人の購入意識にさりげなく乗るにはどうすればよいのだろうか?

恐らく、
生活文脈型の気軽なマーケティングスタンス
が注目を浴びることになる。


追記:

女性の車に関するマーケティングは、この感覚を取り入れている可能性がある。

女性は基本的には車がすきではない。

いくら車が優秀、スペックが他よりよいといっても通じない。
振り向いてくれない!

例えば、広告では、「女性の自分の生活文脈」の流れに、その車が自然に落としこまれていて、

わーっ! かわいい、きれい・・・

自分の生活にピッタリっていう感じ・・・

と感じてくれなければ反応しないらしいのだ。


この稿おわり



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■ SPEEDO、物議を醸し出す革新的な、水着の新・ブランド

2008年05月24日 | Weblog
ブランドが形成されるメカニズムとは?

A.SPEEDOを取り巻く状況:

SPEEDO。

この数週間でマスコミに大きく取り上げられ、メジャーブランドになってしまった。

http://www.speedo.com/

英国の水着メ-カー・ブランドである。

今年の2月に発売され、何と35の世界記録をつくったという。
一着7万円だという。

この水着と世界記録の因果関係は、ここでは正確にはわからない。

心理効果もあるかもしれない。
この水着を着たから、もう安心、間違いないということで精神的な安定を得て試合に臨み、実力を出し仕切ったということかもしれない。

北島耕介はいう。
記録は、個人が、人間がだすのだから、水着は関係ないといった。
ひとつの立派な考え方で、その意気やよしとしたい。

ここでは、もう少し科学的に?「状況」を分析してみる。

次の事実をどう見るかである。

(われわれ外野がマスコミで得られる範囲の情報である。
ここから何がいえるかと言うことになる。)

・SPEEDOの水着で世界記録が35もでている。
・ 一流選手がどんどん契約している。
・ 実際に着用した選手の着心地はかなりいいといわれる。
・ 飛び込むとすべるように水面を流れていく感じがあると言う。

状況証拠から見てどうもSPEEDOの水着は優れものらしい。

ここで、マーケティング的にいえば、2つの問題が生じている。

問題点1.
もっと早くから、水泳協会は既存提携メーカーと協議して、スムーズに、SPEEDO採用への道筋を開くべきだったのではないか?
(協会は、2012年・ロンドンまで、アシックス、デサント、ミズノと契約)

⇒タイミング、工程についてのミス(ロジスティクスセンスの欠如)を今からどう挽回するか?

問題点2.
水着メーカーと個人契約している選手、例えば北島選手の場合は、契約破棄の違約金を払ってでも、着たいと思うのが人情・本音であろう。(上記のように言ってはいても)
この気持ちをどうソリューションするか?

⇒民法上の契約問題と大衆・選手の感情的な思いをどうバランスさせるか?

B.競泳の記録と水着:

競泳の記録は小数点以下2桁の数値で争う。
水着の占める意味が、俄然大きくなる。

もちろん、スポ-ツは、どんな競技でも総合力で決まる。
水泳の実力(例えば記録)も同じである。

それを微分すると以下のようになる。

1.第一因子はなんと言っても、「基礎的な身体能力」

2.ついで水泳の「泳法進化とそのノウハウ」

3.場数を積んでの「賭け引き」(競技への慣れも含めて)

4.試合当日への「コンディション」づくり
(その日にどのような最高のコンディションにもっていけるか)
5.試合当日に、実力を120%発揮する「精神力」

6.そして最後に『道具』である。
(ゴルフの場合をみると、クラブ、ボールはどんどん進化して、道具の重みが大きくなりすぎていろいろな規制が出てきてしまっている。)

世界の実力者が集まって競い合う競技では、1,2,3などは僅差である。
極端な言い方をすると差はない。

あとの4,5,6での勝負になる。

この中でも6(道具)がクセモノである。

自分のコントロールが及ばないが故にもどかしいしものである。
記録は自分が、自分の実力で作るもの、とはいうものの、
微妙な勝負が絡む、それも2,3位ではダメで金メダルにしか意味がない、
と言うような昨今の風潮の中では、“藁をもすがる気持ち”でこの道具に頼るのはごく自然なことである。

北京オリンピックで、二人の選手が同じ実力を発揮したとしよう、
同じ水着なら同点一位になる。
しかし、水着の差で金と銀の差がでるとすれば、選手にとっては気が気ではないであろう。

そのぐらい微妙な戦いが、すぐそこに待っていると言うことがこれだけ騒ぎを大きくしている。

緊急性のあるもの(受容性・需要生が高い)にはプレミアムが付くのである。

SPEEDOというブランドが、日本でこの数週間急速に脚光を浴びたのは上記のような背景があるからである。


俄然、水着に意味が出てきてしまったのである。
ペナルティを払ってでも、水着メーカーを変えたいという選手がでてくるのは当然である。

C.SPEEDOのブランディング:

SPEEDOの成功をブランド論的に見ると、極めてオーソドクスなものである。

1.ブランドコア要素:
縫い目がない、ファスナーと一体化している。
羽のような感覚。
水の中で伸びずにピタッと体にフィットし、縮むという。
水の中でも流線型を維持できる。
水の抵抗が10%も減るいう。
  特に、スタート、ターンでのロスが大きく、ここでの競泳技術&水着の非抵抗処理が大きいという。

2.知覚品質:

間違いなく記録が伸びると言う、上記の「新発想の技術・ノウハウ」である。

3.連想点:
「世界記録・35個」とあの「機能美の衣装デザイン」

4.タイミング:

実にグッドタイミングである。
時宜を得ることは、あらゆるマーケティングの最大ポイントである。
  今は、どんなタイミングか?
北京オリンピックへ向かってどう勝つか、そして、8月へ向けてどう最終調整するか?そういう局面にある「選手の藁をもすがる気持ち」が最高潮に達しているのである。

5.認知:

認知が急上昇した。
マスコミがこのネタに飛びついた。

認知をめぐっていろいろなことが起こった。

・SPEEDOは当然だが、日本水泳界もタダでPRできてしまった。
・単に水着の狭い範囲の問題ではなく、もっと大きな政治問題としてチョットしたスケール感で報道された。
・道具の進化ハイテク化の凄さを皆が再認識できた。
・そしてお決まりのプチ悪役の存在が浮かび上がってきた。

ブランド的に言えば、

ブランドエクイティの6要素、
認知、ロイヤルティ、知覚品質、連想点、マーケティングインフラ、テクノロジーが見事に融合して最大効果を導き出したのである。

追記:

・水泳協会の手際の悪さ!

・協会が一億円ともいわれる違約金を払ってSPEEDOと契約する、上記3者へ加えて4社目とするのか?

・日本の水着メーカーと個人契約している北島選手が、ペナルティを払ってSPEEDOへ変更するのか?

など面白ネタもありで、役者がもろにそろっているのである。

野次馬的に言えば今後の展開が楽しみである。

この稿おわり



 
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■ 携帯電話の埋蔵金。見方を変えると違った経済パラダイムがそこにある!

2008年05月18日 | Weblog


マーケティングのブレークスルーは意外なところから起こってくる。

A.鉄の資源大国日本:

かなり以前に、日本は「鉄」の大資源国であると聞いた。

鉄を使った製造物(機械、ビルの鉄骨・・・・・)の廃材を集めると半端でない鉄資源がそこにあるという。
そういえば戦争中に、戦争のインフラ財、鉄が不足したとき、民間から供出させられたと言うことを聞く。

鉄で出来たなべ、包丁・・・・と言った具合だ。

B.都市埋蔵という隠し金庫:

話は変わる。
日本は、世界最大の「金」の埋蔵量を誇ると言う。
6800トンもあるという。

但し、「都市埋蔵」だという。

地中の普通の埋蔵金は約6000トンで南アフリカが第一位、
オーストラリア、ペルー、ロシア、アメリカとつづく。

都市埋蔵の「金」は、捨てられた携帯やIC基盤の中に存在する。

金の都市埋蔵には、廃材100KG中、30グラムあるという。
地下埋蔵では、金鉱石100KG中、わずか3グラムという。

C.アセンブル産業の経済的な意味:

まず、問題提起をひとつ。

日本の携帯のリサイクル率はわずか30%にしか過ぎないという。
都市埋蔵の潜在力をいかす状況がまだ整っていない。

携帯はアセンブル産業の一つである。

アセンブル産業の凄さは、産業の裾野が広く大きく経済活性化、雇用促進に貢献するということだけではない。
実は、そこには「隠し金庫」があって価値ある金属資源がどんどんストックされていたのである。

環境視点からみた耐久消費財のリサイクル流通は、静脈経済といわれる。

モノをつくって生活・仕事を向上させる動脈経済の華やかさと違って、やや地味な感じを抱かせるものである。

しかし、埋蔵金があるとなると、リサイクルの持つ意味が全く違ってくる。
その金鉱脈の存在と、環境問題への貢献という2つの魅力で、俄然スポットライトを浴びることになる。

アセンブル産業は、化学反応を起こす素材加工産業とは違う。

非可逆的な産業ではない。
素材を元に戻せるのである。
ここにきて、アセンブル産業の「真の意味」がクローズアップされてきたのである。

D.埋蔵金抽出テクへの期待:

 日本は、高齢化社会をむかへ、経済もBRIC‘Sに追い立てられ、保守的な社会で経済のグローバル化、効率化が遅々として進まない状況にある。

社会全体に元気が感じられない昨今である。

ややディスカレッジ気味であり、気持ちが萎縮した「しかと感」の横溢した社会となっている。

 このような冴えない状況下で、都市埋蔵はかなりの朗報である。
朗報と言う意味は、意外性があり面白く、また、実質経済的な意味合いも大きいと言う意味である。

今まで単なるゴミだと思っていたものが、金の卵だったのである。
素直に嬉しくなるニュースである。

 埋蔵金を高歩留まりで取り出す技術に磨きを掛ければ、グローバルな技術移転も可能であり、環境問題にも大きく貢献する。

世界の冠たる日本発の凄腕技術がまたひとつ増えることになる。

あなたの目の前に、金の鉱脈が、ごろごろしている!!
PC,携帯、車、家電・・・・・と!

 E.埋蔵金のマーケティング的な意味:

 金の都市埋蔵金のもつ意味とは・・・・・。

そこからマーケティングとして何を学ぶべきか?!

 意味1.
マーケティングの革新(創造的破壊・新しいパラダイム)は、一見常識とは違うところからおこるように見える。
しかし、その芽は今の状況の中にある。
今をしっかり見ることが大切である。
コロンブスの卵のような起こり方もしたりする。
上記の都市埋蔵などは、その典型である。

⇒マーケティングに携わるもの、もっと今を見ること、今への目利きを養うことが大切!

 意味2.
マーケティングの新しいベクトル・パラダイムである静脈経済を、もっと真剣に微細に研究して、その可能性について吟味していく必要がある。
環境対応マーケティングは、社会のメガトレンドである。
様々な環境対応マーケティングの中でも静脈経済概念は本質的、根本的なものである。

⇒静脈経済は、従来の動脈経済・社会パラダイムを不連続的に変えてしまう。
短期的には負の影響がかなり大きいが、長期的には逆にプラスの面が大きく地球規模的なサステナブルな社会発展に大きく寄与する。

そのような観点で、静脈経済にポジティブに立ち向かう必要がある。

 ☆ 静脈経済において大切な考え方は・・・、

原材料が加工されてモノになり人に持たれて喜びを与えるストック経済は、正にストックであり、最後はモノはゴミになるとの前提で出来ている。

 静脈経済では生活者も意識の転換がいる。

―モノを買って、使って、捨てるではなく、大切な資源を溜め込んで、いつか役に立てると!の発想転換が求められる。

動脈経済では、モノはやがて廃材になる、価値が減衰して次第に無価値になるという前提でできている。

この動脈経済の仕組みを明治の近代化以降150年もやってきた。
人間の心のDNAになってしまっているのである。

だから、急に静脈経済といわれても、ピンとこない、回収といわれても、モラールが低くなるのであろう。
回収率のアップ、回収したものから再生という気持が低くなってしまうのである。

 しかし、廃材が高く売れるとなれば当然経済原則が発生して、回収に協力してお金をもらおうとの経済心理が発生する。

廃材ではなく資源というならば、即ち埋蔵金が取れる金の鉱脈ならば、回収する時にお金を払うのではなく、逆にお金をもらえるということにすればよいのである。

環境対応して社会貢献しようとの慈善精神以外の第二のインセンティブが発生して、静脈経済がどんどん大きくなるのである。

 意味3.
あらゆる行為は、技術革新とコスト低下により意味のある経済行為になり、マーケティング実務の出番がでてくる。

金やレアメタルがBRICSの台頭で、資源不足となり需給がタイトになる。
当然その獲得競争の激化で相場が上昇する。
そうすると他の資源確保手段が採算に載ってくる(上記の都市埋蔵資源)
また、リサイクルの技術革新でいろいろな獲得手段が考案され、コストもどんどん低くなってくる。

上記の都市埋蔵金も再生抽出技術の革新と低コスト化が実現され、さらに国際価格が上昇するという環境変化で、マーケティングする意味が出てきたのである。

⇒マーケティングは技術革新とコストできまる
マーケティングはあくまでも実務であり、最後は品質(=技術)とコストの見合いで、その方法の採用、促進の意思決定がなされる。

しかし、その裏側では、政治、経済のダイナミックな動きが存在していることもみのがされてはならない。

いわゆるPEST分析的視点である。

P:POLITICS
E:ECONOMY
S:SOCIETY
T:TECHNOLOGY

この稿おわり







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■ パフューム、現代のテクノ歌姫のマーケティング的意味:

2008年05月06日 | Weblog

 A.新しい感性の音楽、パフューム誕生!!:

 パフュームという歌姫グループが大人気である。
ここ数ヶ月であれよあれよ!?という感じでのしてきた。

テクノサウンドの再来である。
坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏・YMOテクノミュージックが再来したようで懐かしい。

団塊世代には、レトロ、ノスタルジー感があり、はまる。
若い人は超珍しいという。

 プロデュースは中田ヤスユキ氏、若いひとの中では伝説の人である。

パフュームのパフォーマンスとは・・・、

音は、すべて合成音(シンセサイザー)でアレンジされる。
その声は高音合成的、表情・目線はロボット的、振り付けは緩んだブレークダンス的、衣装はアニメ的、しゃべり方はペット的・・・・・

全体が心地よい「人工物」である。

 B.パフュームのケミストリーとは:

 パフュームの歌声は、実はテクノ処理されて、本当の歌声ではない。
普通のアイドルでも、個性・キャラを作りにいくが、そのDNA的な個性をいかしたキャラづくりである。
余分なものを排除して純粋培養するようなキャラ作りである。

パフュームの歌声の処理は違う。
楽曲全体のコンセプトを体現すべく、完全に音の一部として粛々と、淡々と処理され、変えられていく。

 話は変わる。

世界で一番凄い楽器は何か。
オペラ歌手である。
何しろ音色はただひとつである。
生きた世界でひとつしかない「音」である。
そのリズム、音色・・・はその歌手にしか出せない。

あるアーティストグループがあって、その表現の顔になるのはボーカルである。
そのグループが表現したい楽曲の、お客とのインターフェースになるのはボーカルである。
経済学的にいうとボーカルに代わりは見つからない。
極端に言うとその他のパートは代替がきく。
(グループをマネジメントしたり、作詞・作曲したりという役割がグループの中にあってボーカルと一体不可分である場合は、それも非代替には違いはないが?)

 何が言いたいかというと、歌声は生命線である、ということである。
いくらテクノだとはいっても、パフュームの歌声をいじくると言うことは本来は考えにくい。
歌手の生命線をいじくると言うことはタブーのはずである。

パフュームの場合はそれができた。
商品の一部になったのである。


 C.パヒュームの流行の訳・その本質:

 パフュームは平成のキャンディーズといわれる。
しかし、キャンディーズのあの黄色い、かわいい音色とは違う。

ブログで宣伝、クチコミで広まった。
人口製造された感じの、かわいいアイドルグループとは違う由来感がある。

パフュームのファンには、いわゆるアイドルファンは少ないと言う。
純粋に音楽がすき、クオリティが高い音楽が好きという。

 一つの楽曲として成立させるためにいろいろな要素がケミストリーされ、ひとつのパフォーマンスを作っている。

3人の女の子もその要素である。
決して歯車ではない。(部品ではない)
ひとつの要素としての立派な素質をもっているのである。

一言で言えば、テクノ的な性格、仕草、表情、しゃべり方である。
彼女らの名誉のためにいうと、彼女らでなければダメなのである。
逆説的にいえば、彼女らだからこそパフュームというテクノパフォーマンスができたのだともいえる。

 D.パフュームを受け入れる時代とは:

 今、なぜパフュームがもてはやされるのであろう。

 ・かわいた時代性であろうか。
情念的な感覚が避けられる、軽いこだわりに意味を見出す時代に、気分にピッタシのアーティストなのであろう。

べたべたした感覚の、とんがったキャラを期待されるいわゆるアイドルではない何かが待望されているということになるのだろう。

 ・もうひとつ忘れてはならないのは音楽が単純ですぐ覚えられることが大きい。
最近の音楽は、難しいものが多く、なかなか覚えられない。
カラオケへいくのにも何回も練習しなくてはならないと言うものが多すぎる。
その中で、パフュームにはシンプルですぐ体に入る感覚がある。

 ・もうひとつ振り付けがユニークで、これも優しいのである。

上記2つの「すぐ入り込めるわかりやすさ」がヒットの理由である。

 ・最後に、新しいキャラという感覚がある。
コケティッシュなのである。
単に、かわいいではない、単に親しみがあるではない。

コモンセンスとはちがう、ややずれた存在感に妙に安心するのである。
いわば「ポカン系」と言う感じの存在である。

最近のキャラの方向性の一つである、「おばかキャラ系」、「天然系」とおなじような、平均的なものからのずれが心地いいのである。

 マーケティングで、クリエイティブする時(パッケージ、ネーミング、広告表現・・・)に心しておかなければならないポイントである。

この稿おわり






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