日蓮大聖人は『開目抄』に、
「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。」(御書574)
と御指南であり、三大秘法の御本尊様を疑うことなく信じていけば、必ず仏界にいくことを仰せです。更に『観心本尊抄』には、
「法華経の文に人界を説いて云はく『衆生をして仏知見(ぶっちけん)を開かしめんと欲す』と。涅槃経に云はく『大乗を学する者は肉眼(にくげん)有りと雖も名づけて仏眼(ぶつげん)と為(な)す』等云云。末代の凡夫出生(しゅっしょう)して法華経を信ずるは人界に仏界を具足(ぐそく)する故なり。」(御書647)
と御教示であります。人の命にも、仏様の生命が仏法を学ぶことで具わることを説かれています。仏法を学ぶことで、本当の幸福を得ることになります。
「仏界」とは、御本仏日蓮大聖人の御境界であり、四苦八苦に悩まされ、迷い多き凡夫が信心することで、心に豊かさを生み、幸福な境界を得ていくことが出来ます。信心することで常寂光土という、仏様が安住するところと等しい国土を作り上げます。
仏界は外見的なものでなく、生命力を意味します。どんなに貧しい境遇でも、仏様と同じ生命力で居られるようになります。それが「娑婆即寂光」「九界即仏界」という、信心することで強靭な精神を身に付け幸せになり、それが成仏に通じていきます。
娑婆の耐え忍ぶこと多き世界が、仏様の生命を得ることで、豊かな気持ちになり、心に余裕が生まれ、乗り越えられます。人法一箇の御本尊様から、仏様の力強い生命力を頂き、御題目を唱えるところに力強い命「不惜身命」を頂くことが出来ます。
その生命力の源が『法華経』の「如来神力品第二十一」に、
「如来一切所有之法。如来一切自在神力。如来一切秘要之蔵。如来一切甚深之事。(如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事)」(法華経513)
と説かれる結要付嘱の文(四句の要法)であり、三大秘法の御本尊様に如来という仏様の偉大な生命力が厳然と秘められています。
幸福を得る方法と偉大な生命力を身に付けるには、この御本尊様に御題目を唱えることです。最高の幸福とは「即身成仏」になります。
仏界に居られる仏とは仏陀ともいいます。迷いから目覚め全ての煩悩や欲望から解きはなされた方で、真理を悟り完成された人格者であり、慈悲の心が厚い人のことを一般仏教ではいいます。またインドに応誕された釈迦牟尼世尊のことで、経典には他にも数多くの仏が説かれます。
多くの仏が存在する中で、「迹仏」と「本仏」という大きな違いがあり、第二十六世日寛上人が『六巻抄』の『末法相応抄』に説かれています。故に応仏昇進の自受用身(釈尊)と久遠元初の自受用身(日蓮大聖人)であります。
「迹仏」とは、仏が衆生済度のためあらわした仮の姿、迹門の仏、久遠実成の釈尊が、一時垂迹した始成正覚の仏です。更に三十二相八十種好という色相荘厳の仏であり、故に応仏昇進の自受用身で、化他・人法勝劣・脱益の化主になります。
「本仏」が末法の御本仏日蓮大聖人であり、久遠元初を本地とする本有無作の三身・名字凡夫・本因妙の教主です。また自行・人法体一・主師親の三徳を備えた下種の教主であり、末法に生まれた私達を救済する力を完全に有しておられます。
御本仏宗祖日蓮大聖人の御指南のもとに、信心をしていけば必ず幸福の境界「仏界」を得ることが出来ます。