クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

じゃ、私も

2014年10月31日 | 日記
サンバで弾けたければ、rioで我慢しろ!リオでカーニバルです。いつでも貸します。


カルネアデスの板は、奥様に譲れ。だけど、最良の方法は、2人が助かる方法を探すことです。



刻は来た、それだけだ!

関根勤の新ネタ

2014年10月31日 | 日記
先日何かのバラエティ番組を見ていたら、関根勤がモノマネの新ネタを披露していました。


そのネタは、知る人ぞ知る冨樫光明。

日本のマイケル・バッファーという異名を持つリングアナです。
マニアック過ぎますね。
似てはなかったけど、面白かったです。


何年か前、会社の先輩と日本タイトルマッチを観戦しに行きました。
湯場vsカルロス・リナレスだったと記憶しています。
KO必至の良い試合でした。

メイン終了後、会社の先輩に「少し話してみたい人がいるんで良いですか?」と言うと、
「有名な選手でもいるの?」という回答でした。
もちろん、その日は帝拳の興行でしたので、当時現役だった西岡、山中、あおう、ホルヘなどそうそうたるボクサーが顔を揃えていました。

「まあ、有名っちゃ有名じゃないすかね。」
と、私が向かった先にいたのは、片付けをしている冨樫さん。


「冨樫さんの声、やっぱり1番好きですよ。」
お酒も入っていたので割と失礼な感じで声をかけてしまいました。

それでも冨樫さんは、
「いやぁ良い試合でしたね。興奮して声枯れちゃいましたよ。」
と、とても良い感じで対応してくれました。

会社の先輩も交え、少しだけ会話をして、最後は握手をして帰りました。

それ以来、私も先輩も冨樫さんのファンです。


ちなみに、私が関根勤のネタで1番好きなのは、東インド艦隊司令長官のペリーです。
「国を開けなさ~い。私はもち肌。」
何度見ても面白いっす。


ようやく決算も終盤に差し掛かり、三連休はゆっくりできそうです。

暇だし温泉でも行こうかなぁ。

それでは私も、

2014年10月31日 | 日記
朴氏の有り難い御言葉に続き、私の好きな言葉を贈ります・・・


『遊んでる女子◎生」
『エッ◎な人妻」


最高の人生の伴侶を得た今、間違ってもこのようなキーワードに反応してはいけません!

死が二人を別つまで共に尊び、たまにカッ飛び、幸せを築く御二人。

その幸せのアーチを崩すような言葉に反応してはいけません!


万が一、そんな危険性が発生した場合は遠慮なく私に連絡してください。
君の幾久しい幸せを守る為に私が身代わりとなってその危険分子に対応しましょう!


私の友情の厚さに涙を流さないでくださいね。




んじゃ最後に私がテキトーに思いついた言葉・・・“倒れた時、起き上がらせてくれる優しさは友情。 共に倒れる覚悟が愛情“



やまぴーへ贈る言葉

2014年10月31日 | 日記
やまぴーへ

披露宴では真面目な話はしませんので、先に私の気持ちを贈りたいと思います。

「We make a living by what we get, we make a life by what we give. 」これは第二次世界大戦時のイギリスの首相「ウィンストン・チャーチル」の言葉です。

しっくりくる和訳は難しいのですが
「人は得るもので生計を立て、与えるもので人生を築く。」または
「人は得るもので日々を暮らし、与えるものにより人生を生きる。」でしょうか。

私の好きな言葉です。「与える」とは偉そうに聞こえますが、友人や家族に対して「ああして上げたい。こうして上げたい。」という気持ちと行動ですね。「ああして欲しい、こうして欲しい。」ではないんですね。

「無償の愛」と言うのでしょうか。人生の伴侶が出来て、子供が出来て、守るべきものがあると、段々とこのような気持ちになるものです。

いつまでも互いを労わり慈しみあって、日々の小さなシアワセを積み重ねて下さいね。





おはようございます!

2014年10月31日 | 日記
今にも泣き出しそうな空の色をみて厚手のジャケットを選んだコトを後悔している朝。

天気も人も見た目だけで判断しちゃいけませんな。

土曜は病院に行かなければならないので日月はゆっくりします。特に用事もないし。
あれっ!?日曜は何かあったような気が・・・BBQでしたっけ?

師匠と僕のアフターファイブ 3

2014年10月30日 | あの頃 朴は若かった
英国赴任が2年過ぎた1990年に一時帰国の機会がありました。もう四半世紀前のお話です。

一時帰国の期間は10日ほどだったでしょうか、本社に顔を出した後に佐藤師匠に電話しました。佐藤師匠は当時上野支店長でした。

「師匠!只今帰国しました。娘さんに土産もあるし、夜どうっすか?」
「お、朴ちゃん。帰ってきて直ぐに連絡くれるなんて嬉しいね~。まあ、俺が偉くしてやったから当たり前だけどね。ま、いいや何喰いたい?」
「ありがとうございます。では、美味い寿司喰いたいっす。」と銀座とか築地とかを期待して吹っかけると。

「分かってるよ~朴ちゃん。では、エリートの朴さんに最高級の寿司をご馳走しますから19時にJR大塚駅の改札で!」と電話が切れました。「え~ 大塚?もしかして、師匠の昔のお客さんで、回転寿しだったりして。」と昔によく付き合わされたお店を思いました。

さて、約束通りに大塚で待ち合わせ、歩みを進めていくうちに辿り着いたのは予想通りに師匠の昔のお客さんの回転寿しのお店でした。

「お、大将!こいつのこと覚えてる?俺が偉くしてやった朴君。大将!美味しいとこ握ってやってよ!」「朴ちゃん。どんどん食えよ~‼︎」

まあ、気持ちの問題ですから、それはそれでよしです。ありがたい限りでした。

問題はですね。

例えば、今から2年前に我々ふたりの上司が亡くなった時の葬儀のお浄めや、流れて行った飲み屋で、「朴ちゃん、昔、一時帰国した時に銀座の寿司を喰わせてあげたら、涙流して美味い美味いと食ってたよなあ。あの時、ご馳走になったの忘れてはいないよね?」

また、今もたまに電話があり、何かと思うと「お~!稼いでるか?朴ちゃん、外資系で働けるくらい鍛えられたのは誰のお陰でしょう? お前、年収いくら? え?言わない?言わないんじゃなくて、言えないくらいもらってるんだろ? あ~ 昔、一時帰国した時に銀座で寿司を喰わせたら、俺、北海道生まれだからこんな美味い寿司初めてですと泣きながら食ってたのは忘れてないよね?」

四半世紀前のことですよ。それも銀座じゃないし。

「師匠!すんません。今、忙しいんで。用件はなんすか?」
「馬鹿!用件なんかねーよ。暇だからかけたんだよ。お前、散々俺に世話かけたんだから、たまには奢れよ!」とか
「あ~。偉くなっら昔の恩も忘れちゃうんだあ。そんな教育したつもりないんだけどなあ」とかぐちぐちいうんですよ。

多分照れ隠しなんでしょうね。あと寂しいんですよね。たまに僕もそうですから。

じゃあ、来週にふたりで大塚行きましょう。
僕がとびきり美味い寿司をご馳走させて頂きます。その店まだあるといいですね。


師匠と僕のアフターファイブ 2

2014年10月30日 | あの頃 朴は若かった
ちゃらんぽらんの佐藤先輩が上野支店長になりました。自己管理が不得手な師匠が支店の運営を果たして出来るのか甚だ心配でした。名選手が名監督になれる訳でもないように、トップセールスマンが支店長として務まるかは全く別の話です。

さて、佐藤師匠が支店長に昇進した年の大納会の日(年内最後の営業日)のこと。昔の大納会は午前中のみ株式市場は開いていて、午後はお休みの「半どんの日」でした。ですので営業マンはお昼にはもう帰っても良いのでした。

本社国際部にいた私も帰り支度をしていた頃、師匠から電話がありました。嫌な予感がします。「お~ 朴ちゃん!仕事終わったあ?支店の会議室でさ軽く一杯やるからさおいでよー」と思った通りのお誘いでした。既に上司部下ではありませんが、師匠のお誘いはなかなか断りづらい関係です。嫌々ですが駆けつけることにしました。

上野支店の会議室では営業マンなど20名位が飲んでいましたが、時間が経つにつれ人もだんだんといなくなり、16時くらいには私と師匠だけになりました。

飲み足りない師匠は生来の我が儘さで「お~朴ちゃん!一軒行こう、一軒だけ。超軽くね。大宮でいい?」「師匠、一軒はいいっすけど大宮は嫌ですよ。師匠は大宮だからいいけど、俺辻堂に住んでるんすから!」「もう朴ちゃん、久しぶりだし行こうよ。大宮までの往復新幹線代出したげるからさあ。」としっこいことしっこいこと。根負けして大宮に行くはめになりました。

そしてほろ酔い気分でふたりで上野から東北新幹線に乗り込みました。大宮まで25分程度で着きます。

で、ちょっと寝た積りが気がついたらふたりでなんと!新幹線は仙台駅に到着していたのです!慌てて降りるふたり。このままだと山形に行ってしまいます。

ホームの反対側には上り新幹線が来ています。慌てて走るふたり。え?ふたりのはずが師匠の姿が見えません。この場に及びkioskでビールとつまみ、冷凍ミカンを買っているのです。

なんとか新幹線に滑り込むと師匠はビールを飲み始めます。私も疲れてうとうと始めました。大宮で降りてもまだ少し飲む時間はありそうです。

が、目が覚めたら、ふたりを乗せた新幹線は上野に到着していたのです。

「あら~ 朴ちゃん!上野に戻ってきたよ。冷凍ミカンどうしよう?」
「師匠!冷凍ミカンじゃないでしょう?俺まだ間に合うから帰りますよ!師匠も帰りましょうよ。」
「え~、なんか飲み足りないなあ。一軒付き合えよ。奢るし。」
「師匠、初めから上野で飲めば良かったっすね」
「そうだな。仙台までの往復新幹線代払って、俺も金なくなっちゃったよ。」
肩を落とすふたり。そこで師匠!
「よし、朴ちゃん!支店で呑み明かそう!毛布あるし」

と、振り出しに戻った師弟コンビでありました。

師匠と僕のアフターファイブ 1

2014年10月30日 | あの頃 朴は若かった
佐藤先輩はスナックやバーで飲むのが好きでよく連れて行って頂いたものです。
その殆どが巣鴨や田端、上野や赤羽など下町の寂れたスナックです。

その手のスナックには容姿端麗なママがいるわけでなく、可愛いおねえちゃんがいるわけもないのです。

佐藤先輩は「安くて簡単に口説けそうなお店」が大好き。

綺麗だったり可愛かったりすると気が引けるようで、支店長や副支店長からは「佐藤はブ○好き」と言われてましたし、私の同期の女性社員からも「佐藤さんって志が低い!」と弄られていました。

新規のスナックを探すと「朴ちゃん、ここでちょっと待っていなさい!私が交渉してくるから!」とひとりでスナックの中に入り、女性の数と質を見定めた上で、2人分の価格交渉に入るのです。

「安くて綺麗な女性が沢山いる」これが師匠の条件です。普通「綺麗な女性が沢山いる店」は値段も高いものです。何だかんだ言っても「無い袖は振れない」ので「安くしてくれて、地味な女性が2~3人いる下町のお店」になってしまうのです。はっきり言ってせこいです。ちょっと恥ずかしいです。

そして、店に入って名前を尋ねられると「安田一平です!」と答えます。「安田一平」は本宮ひろ志の漫画「俺の空」の主人公。日本最大の財閥、安田グループの総帥の息子の名です。

「私が安田一平、後輩ですが、こいつは冴羽遼です。」
「師匠!恥ずかしいからやめてくれよ~(心の中で)」

まあ百歩譲って「安田一平」は知らない女性も多いでしょう、だからこれは許す!でも「冴羽遼」はアンタ今テレビでアニメやってるし。っていうか、オレの顔「冴羽」って顔じゃね~し。

で、「安田一平」の割には金持ってねぇ~し。そんな師匠、段々と酔ってくると自分が「一平」であることを忘れてしまいます。女性が「一平さん、何歌う?」と聞いても自分が呼ばれたとは思っていません。そんな時は「一平師匠!次何歌いますか?」としっかりフォローしなければなりません。そうすると「あ、ありがとうね朴ちゃん!」と私が「冴羽遼」であったこともすっかり忘れているのでした。

これは私と飲みに行く時に限らず、支店長と行く時も「安田一平」を名乗るのです。

支店の会議で支店長が「あ~佐藤!佐藤から発言がないようだけど?あれ? いないのかな?」佐藤師匠は爆睡しています。

そうすると支店長は「あ~、では安田一平君はいらっしゃいますか?」と言い直すと、師匠はむにゃむにゃ言いながらやっと眼を覚ますのでありました。

今日のトレ・朝昼まとめて/サウスポーNN

2014年10月29日 | トレーニングノート

朝トレ

◎ロードワーク

距離:7キロ

サーフェース:コンクリート

マイペースのラン

帰宅後体幹トレ

トレ後体重:58.6Kg


昼トレ

◎ジムワーク

ブラジル体操:2R

ロープ:1R

シャドー:1R

バッグ中:2R

ミット:2R

バッグ大:2R

ダブルボール:2R

バッグ小:2R

バッグ大:2R

以下クーリングダウン

バッグ大:2R(オーソドックス)

シングルボール:1R

シャドー:3R(1Rオーソドックス)

バッグ小:1R(ボディーワークのみ)

ロープ:1R

アブローラー:10回

片足スクワット:10回(左右各)

3Fで腹筋背筋中心の体幹トレ&ストレッチ

水分摂取量:1.6L

トレ後体重:59.4Kg

柴田トレーナーありがとうございました。


チヨさんありがとう 1

2014年10月29日 | あの頃 朴は若かった
チヨ(仮称)さんは元々は佐藤先輩のお客様でした。でも、先輩のいい加減さにほとほと愛想を尽かし、取引を止めるところで私に引継ぎとりあえず様子見で私とお付き合いして下さることになりました。

どういい加減なのかはいずれ全10話のシリーズで纏めてお話ししますけれど。

例えばチヨさんに対しての電話では

「あ、チヨさん?◯◯証券の佐藤ですぅ。どうもどうも。チヨさん、今度新しい有利な貯蓄商品を募集することになりましてね。まずはいい話ですから、チヨさんにと思いまして。はい、大変有利な貯蓄商品なんですよ~。」

と言う具合で、中味は「日本株式に投資する3年間解約不可の単位型投資信託」なんです。

ですので、「有利」「貯蓄商品」の説明は明らかに金融商品取引法および証券取引法違反行為です。詐欺と言っても過言じゃありません。今ならそれは懲戒免職ものです。

「師匠ぉ?今の完全に虚偽の勧誘に当たりますよ。キチンともう一度説明すべきです。後で訴えられますよ!」と詰め寄っても
「またまた朴ちゃん、堅い事ばかり言うと嫌われちゃうよん。え?何?貯蓄商品じゃない?違うの?え~?まっいいか。チヨさん金あるし。」
「師匠ぉ~ 頼んますよ。まっいいかじゃないでしょう?何にも知らないで何売ってたつもりで電話してたんすか~。」
「あのね朴君。君は営業の神様であり、トップセールスマンの私に何説教してるのかね?いつから偉くなったんだろうね~。」
「師匠ぉ、トップセールスマンとか偉いとかが問題じゃなくて、虚偽の勧誘は違法だと言ってるんですよ!」
「あ~煩いな。単なる勘違いでしょうが。もういいや。奢ってやろうと思ってたけど、今日は割り勘だぞ!」
「師匠ぉ!チヨさんは師匠のお母さんと同い年ですよ。師匠のお母さんがアホな営業マンに騙されたら腹立つでしょ?師匠は同じことしてるんですよ。」
「・・・・・」
「キチンともう一度電話しましょうよ!」
「朴君!君はいいこと言うね!こりゃ一本取られました!私が間違ってました。」と素直。

師匠のお母さんは女手ひとつで師匠を育て上げた方。師匠はお母さんの話が出ると直ぐに真面目な息子に戻るのです。

当時、投資信託は「受益証券説明書」と言うペラペラのものがあるくらいで、現在のように「交付目論見書」を投資家に渡す義務はありませんでした。買う方も売る方もなんと牧歌的だったのでしょうかね。

それでも、それ以前に買って頂いていた「貯蓄商品実は株式投資信託」の3年の満期期間が明けて実は貯蓄商品じゃなかったと云う事が分かってしまい揉めるに至るのでした。

とはいえバブルでしたので損をすることはなかったのですが、短期金利が4%以上あった当時、株式のリスクを取ってまで「貯蓄商品」に「投資」しなくても良いのです。

チヨさんの怒りに師匠は
「チヨさん!こいつは俺の大切な後輩です。右も左も分からない新人です!どうかチヨさんの豊富な経験でこいつを鍛えて一人前の証券マンにしてやって下さい!」

そう言われれば人の良いチヨさん、満更でもなく私に無事に引き継がれることにあっさり同意されたのです。

その後、私がした仕事。それは師匠の勘違いで買って頂いた「貯蓄商品」の中身を全部調べ上げて、損切るものは損切る、買い足すものは買い足すと説明しながら理解して頂き、徐々に仲良くなっていきました。

そうして、チヨさんが働く池袋の旅館の女将さんである「久美子さん」を紹介して頂くことになるのでした。

で、師匠と言えば「ま、俺がチヨさんを引き継いだから久美子がお前の客になったわけだな。まあ、朴ちゃん。私に感謝しなさい!」
とやはり師匠は師匠なのでした。



小春日和の頃 3

2014年10月29日 | あの頃 朴は若かった
小春さんが会社を辞めた理由。

今となっては知る術もありませんが、強烈な個性による部署内の孤立が原因だと思います。他部署への異動の話もありましたが、小春さんを受け容れる部署から猛烈な反対があったことは後に知りました。

ところが、今も昔の同僚、頼りない好人物の先輩や苛められた女子社員(今は大手証券の幹部クラス)と飲むと、小春さんの辞めた原因はこの私だという話になるのです。

つまり、小春さんは私に失恋して会社を辞めたんだとなるのです。

それは、八重樫東より低い身長にも関わらず村田諒太の階級に属する小春さんは、月を追うごとにその階級をひとつひとつと上げていくのがわかりました。

その都度、総務部で新しいサイズの制服を申請しなければなりません。普通は退職者が出て制服が不要になると、そのサイズに合う社員が綺麗にクリーニングされた後に譲り受けるのですが、小春さんにはかなり小さいのでムリなのです。結局、会社としては小春さんの階級に合わせて都度制服も階級を上げざるを得ないのです。
そう、小春さんはコストがめちゃくちゃかかるんです。

ある日、頼りない好人物の先輩が小春さんに
「小春さん!今から体重を20㎏落としたら、朴が付き合うって言ってたよ~。」と揶揄い半分で言ってたそうなんですが、それは後で知ったこと。

それからの小春さん、コピーを頼むと階上にある総務部のコピー機まで階段をのっしのっしと上がっては下り、のっしのっしと上がっては下りを嬉々として続けます。どか食いしていた社食でのランチも雀の食事程度の量に落としていきました。

その理由を知らないのは私だけです。「ありゃ健康診断で引っかかたんだな?」程度の認識しかありません。そうして少しずつ痩せていくのですが、1階級落とした程度ではその違いはよく分かりません。それでも他の同僚は「小春さん痩せたじゃん!可愛くなったじゃん!」と茶化すと、満更でもない小春さんは「テヘッ!」と素直に笑うようになりました。結局20㎏は落とせなかったにせよ。その半分は達成したのだと思います。20㎏達成する前に私は結婚したんですね。

余談ですがアセヲ君は14㎏落としましたね。

また、振り返れば私、小春さんに好意を持たれることをしたことがありました。小春さんの眼鏡は指紋や髪の脂なんかでレンズがギトギトだったもんだから、「小春さん!眼鏡綺麗にしたら?」と嫌がる小春さんの眼鏡を毟り取り洗ってあげたことがありました。よくドラマとかで眼鏡を外した女性が実は凄く美人だったとありますが、小春さんに限りそれはなく、照れて真っ赤な顔をして「テヘッ!」と笑っていました。

同僚曰く、あれで私に恋したのだと。

あれから26年。
小春さんは何処で誰に「テヘッ!」をしているのでしょう。

小春日和の頃 2

2014年10月29日 | あの頃 朴は若かった
小春さんの自宅は都下のある街で大きな自動車修理工場を経営していました。小春さんはいわゆるお嬢様なのです。それを知ったのは10名程度の部内旅行に何台かの自家用車に分乗して出かける際に、小春さんは父君の「初代ソアラ」を使わせてくれたからでした。自家用車がない私達若手(25年前の朴)チームは小春さんのソアラに乗らざるを得ない苦しい状況にありました。小春さんの無茶苦茶で風貌通りの押しの強い往路の運転に大きな危機感を抱いた私達。復路は私が運転してソアラを小春さんの自宅までお返しに行ったのです。

車が何十台も停められる敷地に車を付けて早々に帰るつもりの私でしたが、車を停めるなりまるで恋人のような風情で助手席にどっかりと座っていた小春さんが、シートを壊す勢いで跳ね上がり、ドアが捥げそうな腕力で和紙の如く軽く開け、「ママ~! パパ~!」と咆哮をあげるのです。「ママだってよ~!ママねぇ。」「おっかあ~!でいいじゃん。」車に残された若手は容赦ありません。

程なく「ママ」と「パパ」が挨拶に出てきて下さいました。
「あらまあ、申し訳ありませんねぇ。こんなところまで来て下さって!」予想に反してママは結構美人です。
「いつも小春がお世話になってます。我が儘な奴でしてすみませんね。」と結構美人なママの横には小春さん生き写しのパパが愛想よく笑っています。「ありゃあ、小春さんはパパ似なのね~」私の耳元で女性社員が容赦なく囁きます。

「あのね~パパ、こちらがお世話になっている朴さん。」
「お~ 貴方が朴さんですかあ~ いやいや、娘がいつもお世話になっています。いつも朴さんの話をしてるんですよ~。そうですかそうですか~ 貴方が朴さんですかあ。いやこれからもよろしくお願いしますよ。」
「嫌だあパパ、テヘッ!」

(テヘッじゃないだろうに、テヘッじゃ)との言葉を飲み込みながら、眩暈を感じる私。
一体、私をどのように話しているんでしょう?不安でなりません。

さて、小春さんの自宅から駅まで歩く若手チーム。
「朴さんはやっぱりモテるなあ~」
「あんなに金持ちなんだから養子に入っちゃえ!」
「養子に入ったら美人のお母さんとやっちゃえ!」

など、肴になり続けた朴でありました。