クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

せみに想ふ その13

2013年08月31日 | 一瞬の夏
暑いですね。
あ、セミ派詩人の朴です。

持病の首と腰の治療のため整骨院に来ています。

来る途中に短い寿命が尽きたセミが行き倒れていました。

生き物は死して「土に還る」。

コンクリートの上で死んでるなんて、セミといえど気の毒。

せめて草むらに置いてあげようと、セミ派詩人が手を伸ばしたところ、なんと!

それはセミに非ず、どこぞのバカ犬がひり出して、そのバカ飼い主が持ち帰らなかった、乾いて干からびたお糞様ではありませんか!

危うく触るところ!
ギリギリセーフ!



教訓

■ 決して思い込んではならない!

■ 注意深く、慎重に!

■ 引き手がポイント!


せみに想ふ その12

2013年08月30日 | 一瞬の夏
あ、セミ評論家の朴です。

さて、蝉は六脚虫で頭部・胸部・腹部からなります。

そりゃそうです、昆虫ですからね。

6本の脚は全て胸部から生えているわけですね。そりゃあ当たり前ですね、昆虫ですもんね。



さて、そんなセミがもしボクサーだったらどうでしょう。


2本の前足で相手の頭部に連打を浴びせながら、2本の中脚でボディ攻撃をしつつ、残りの後ろ足2本でクリンチが同時にできるわけです。

こりゃあ最強だ!

一方でディフェンスを考えると、胸部はそこから生える6本の足でしっかりブロックできるので、ボディーブローに対してはほぼ完璧に対応できるはずです。

全体に占める腹部の割合が大きいという特徴があるものの、ここに被弾しても相手がローブローの反則を取られるので、大きな問題とはならないでしょう。



では、100万種類あるという昆虫はすべからくボクサーになれるのか?

答えは否!

カブト虫やクワガタはボクサーと言うより力士でしょう。

或いはボクサーとするなら、
ミドル級からヘビー級の階級でしょう。

村田諒太はセミというよりクワガタに近いと思いますもん。

やはり、俊敏さや身のこなし、長い下積み時代にも負けない耐性、一瞬の夏に賭ける生きざまと死にざまなど、総合的考えますと、やはりセミはボクサー向き、それも中軽量級のボクサーだと思うのです。

ネタ切れのため無理やりこじつける朴でした。

み~ん
み~ん




せみに想ふ その11

2013年08月29日 | 一瞬の夏
蝉が幼虫時代に地下に蠢いている期間を仮に5年とします。

閏年を一回入れますと、1826日になります。

その後羽化し、夏にリアル蝉を生き抜く日々を10日間と仮定するとしましょう。

その場合、リアル蝉として眩しい夏の陽を浴びながらリングに上がっていた日数は生きていた全期間
(10日/1,836日)
の0.54%となります。



さて、我々おやじボクサーの試合は2分3Rですね。秒数にして僅か60秒×2×3=360秒です。

この360秒のためにオヤジファイトに臨む場合、2ヶ月前くらいから週4~5日で練習する訳ですが、小投稿はこれを無視し、あくまでもリングに上がった360秒、2回のインターバルを含む合計480秒数について考えてまいります。



オヤジファイトなりライトスパーリング大会なりにはいきなり出場できるわけではありません。

リングデビューするまで、それはそれは長い長い気の遠くなる期間、基礎レッスンに始まるトレーニングを積まなければなりませんけれど、

おっさんボクサーの480秒の試合、リング上での様子をリアル蝉として眩しく生きたことに置き換えますと、

480秒×0.54%=2.59秒

だけ、その魂と肉体が瑞々しくも儚く弾ければよいのかと思うのです。

2.59秒で10発は打てるはず!
命を凝縮してその必殺コンビネーションを編み出せばよろしい!

残りの約477秒はへらへら薄ら笑いで村田諒太のように恐怖心を与える演技をすればよろし。

あ~
蝉に兵法を学ぶ私でございます。




せみに想ふ その10

2013年08月28日 | 一瞬の夏
「せみに想ふ」もそろそろ一区切りでしょうか。

ここまでせみに想いを馳せたのは、一茶、良寛、蕪村、そして朴の4人くらいではないでしょうか?

こうなったら、一句詠むしかあるまいて!


■ 夏が逝くドネアは蛻の殻となる



■ イシイシと泣いているのは何処の蝉



■ 求愛の鳴き声届かぬやまぴかな



み~ん
み~ん


せみに想ふ その9

2013年08月27日 | 一瞬の夏
昼過ぎ、オフィス中庭に行ってみてハタと気づきました。

セミの大合唱は今週に入りかなりのディクレッシェンド。だんだん弱くなっています。

夏ももうすぐ終わりなんですね。

そんなこんなを感じつつ、中庭を散策していたところ、私の視界の外から飛来して来た物体が、右テンプルを直撃したのです。

オーソドックス相手がサウスポーの私に左フックを視界の外から打ったようなものです。

そう、それは拳ではなくセミでした。

そのセミは私にぶつかった後も飛び続けたのはよいのですが、私を大木と間違ったのか、戻ってきて私に止まろうとするのです。

私は数度右手でパーリングなどで交わし、差し合いを試み何とか距離を取りました。

そうすると今度セミはあろうことか、私の足にクリンチをしかけてくるではありませんか!

スタミナ切れでどうにかして休みたい模様です。

何とかして足にクリンチしたいセミを右手で払いながら、右にサークリングをして回り込むと、セミはさらに左側から縋ろうとするため、左手で払い左側にサークリングする私。

そうすると、クリンチを諦めたセミは一度ステップバックしてから、意を決したようになんと顔面に飛び込んで来たのです!

上に下に打ち分けて大した奴です。

にもかかわらず、スタミナ切れのセミは結局、私のショルダーブロックした右肩にぶつかり、そのままダウン!



テンカウントを数えましたが、起き上がることはありませんでした。



セミはどうしても休みたかったのですね。

でも、セミがついたスーツのまま取引先に行ったら間抜けですよね。

取引先に指摘されたら、間抜け顔で「秋冬はセミダブルのスーツが流行るそうですよ!」とへらへら言い訳したりしてね。

せみに想ふ その8

2013年08月19日 | 一瞬の夏
気のせいか、蝉の大合唱の音が一頃より小さくなってきたように感じます。

今から羽化する数が少ないだろう中、スタミナ尽き、寿命を全うする数が増えてきているのでしょうか。

蛻(もぬけ:抜け殻のこと)脱ぎたてのほやほやの頃は、手を伸ばせば、ジャブ(おしっこ)を打ちながら、軽快にバックステップ(この場合、空に飛び立つこと)していた蝉たちも、今や最終ラウンド近くにあるらしく、陣営コーナーの椅子から立ち上がることすら億劫な様子です。



手を出すと簡単にボディを捕えられますし、コーナーに追い詰めることも容易のなほど疲れているんでしょう。

まさしく「セミ」ファイナルなんでしょう。

長き下積み時代を経て、光り輝く晴れの舞台で、短くも懸命に闘いながら、ラストラウンドのゴングを聞いているようです。


せみに想ふ その7

2013年08月16日 | 一瞬の夏
日本には約30種類の蝉がいるそうです。

WBAとWBCのチャンピオンを足したくらいの数がいるのですね。



そしてその種類により鳴いている時間帯が異なることはみなさんご存知通りです。

クマゼミは午前中、アブラゼミは午後、ヒグラシは夕方というように、
それぞれ活動時間が違うわけですね。

ジムに例えるとその練習時間帯が違うってことでしょうか。

セイジさんやバイキングに似ているギヤナさんなどは割とクマゼミなんですね。

土曜日の午後というか夕方前なら
殆どの方がアブラゼミと云えます。

ドネアさんはどちらかというとヒグラシの時間帯に属しますね。

私、朴ですがやる気になれば3つの時間帯全て鳴き通すこともできますけれど。

ちなみに最近は夜中までセミが
鳴いていることがありますが、これは街灯などにより昼と勘違いしていることと、気温が25℃以上だとこれまた昼だと勘違いして鳴くのだそうです。

ボクシングの練習をしてついでにみんなで飲みに行って騒いでいるような
ものでしょうかね。

ところで、この「鳴く」という行為は発音筋という筋肉を震わせて声を出し、腹の中の共鳴室という室内で音を響かせているのだそうです。

やっぱり鳴くのも腹筋が重要ということですね。

すごい腹筋のボクサーって本当に蝉の腹みたいですもんね。




せみに想ふ その6

2013年08月15日 | 一瞬の夏
昨日同様、巨木に休む蝉です。



但し、何だか元気がなくてまさしく「虫の息」の様子。



カメラを寄せても反応が鈍く、恐らく寿命が尽きる間際なのだと思います。

摘まんでみるとまだ生きているのですが、明らかにスタミナ切れでスタンディング・ノックダウンの状態と云えるでしょう。



夏の眩しい光の中、「晴れ舞台」も長く続かないのですね。

2か月ほど練習しても2分3Rで終わる試合のようです。

長い間地中にいて、一瞬の夏に臨む蝉と、厳しい練習をこなしリングに上がるオジサンボクサーが妙に重なるような気がする夕暮れです。

せみに想ふ その5

2013年08月14日 | 一瞬の夏

夕刻、オフィス敷地内の庭園を散歩していました。

無数の蝉が一斉に鳴いてとても賑やかな夕暮れです。

大木に蝉が止まっています。



しきりに鳴いていた蝉も私が近づくと、ピタッと鳴き止み、完全に木の一部に成り切るという見事な擬態の技を披露してくれました。

技というのは失礼ですね。

生き残るための必死の術というのが適切だと言えます。



さて、サラリーマンの私、不景気の最中、取引先を回る案件も然程ない時は、オフィスにいると仕事をしていないと思われるため、蝉と同様に気配を消し、PCのスクリーンや会議室の壁に擬態して事態をやり過ごすようにするのに必死です。

ところで、どうでもよいのですが我々アマチュアボクサーの擬態というのを考えてみました。

リング上で気配を消し相手を混乱させ、闇から一撃を加えるためにはどうしたらよいか。



ひとつには身体にトリコロールカラー4本線をペインティングしロープに成り切る。

ふたつめにコーナポストに成り切る。

よって身体に「スカルプD」などのペインティングが必要となる。

マットに成り切って「KURE」などと描いた場合は、これダウンということなのでお勧めできません。

やっぱり究極はレフェリーに擬態というか成り切ってしまうというのが勝利に最短かと考えるのですが、みなさまいかがでしょうか?

セミに想ふ その4

2013年08月08日 | 一瞬の夏

お昼時に涼を求めてオフィス敷地内の庭園を散歩しました。

木々にはたくさんの蝉や蛻(もぬけ:セミの抜け殻)が止まって、まあその煩いこと煩いこと。

ところで、「蝉」という感じは虫偏(むしへん)に「単」と書きます。

オフィスに戻り「蝉」の字源を調べると、「単」は「ぶるぶる震える」という意味があるそうです。「蝉」はそのような
事情があってその漢字を当てはめられたわけですから、その声がうるさいのはこれはもう仕方のないことなんですね。

私はてっきり「単純」な虫、地上に出てきて直ぐに死んでしまう虫。

あ~、なんて短い命なのだろう的な意味から来たのかと思いましたが、これが違うんですね。

ついでに「虫」じゃなくて「人」、すなわち人偏について考えてみます。

「犬」を添えて「伏す」ってありますね。

これは「犬」が「人」に寄り添う様が目に浮かびますね。ご主人の横に座っているか寝そっべている感じ。

羊飼いの犬とか、軍用犬や警察犬でもいいのですが、昔からの人間と一緒にいるという雰囲気がありますよね。



また、「件」って漢字。

これは「くだん」と読むのですが、これは日本古来の半人半牛の妖怪の名前だそうです。

さて、思い返しても人偏(にんべん)に「単」って漢字はありませんよね。

やはり、人間って「ぶるぶる震えている」だけの単純な生き物ではないからでしょうか。

 

我々アマチュアボクサーはリングに上がる前、「よ~し!一発かましたろうかい!」と気負いながらもやはり、膝や心がぶるぶる震えてしまい、

ついつい蝉のようにオシッコをしたくなるわけではありますけれどね。




セミに想ふ その3

2013年08月03日 | 一瞬の夏
今朝、蝉の抜け殻を見つけました。脱ぎたてのホヤホヤでやんす。



8月に入り蝉の声が大きく響くようになってきましたね。

3~17年(あぶらぜみは6年)もの長きに亘り、地中でぬくぬくと暮らしていた幼虫が太陽の光を浴びに一斉に地上に出てきたのですね。

み~ん、み~ん

ウィキペディアによると1~2週間ほどの成虫の寿命は実は俗説で実際は1カ月ほどらしいのです。



まあ、無理やりボクシングに例えると、長い間頑張ってずっと同一階級で王座を守っていたものの、階級を上げた途端に王座陥落!ってところでしょうか。

さて、ボクシングで階級を上げることは「出世」することとは異なりますが、「体重が増える」「大きくなる」とうことだけを捉えて、これを「魚」に例えてみましょう。

ひとつに「鱸(スズキ)」ですが、セイゴ→フッコ→スズキ→オオタロウと大きくなっていきます。

しかし、スズキという名で広く認知されていることから、ベストパフォーマンスが出来る階級はやはり「スズキ級」なんでしょうかね。

オオタロウに階級を上げなくてもいいわけですね。

次に「鰤(ブリ)」は、ワカシ→イナダ(夏に旨い)→ワラサ→ブリ(夏に味が落ちる)という具合で、夏場の調整が難しいようです。

夏はイナダ級で戦ったほうが良さそうです。

だから何?

え~と、結論はありません。

単に思いついたもので・・・。

それではみなさん、ジムでお会いしましょう!

セミに想ふ その2

2013年07月30日 | 一瞬の夏
以前、「セミに想ふ」という投稿をしましたが、ニュアンスはちょっと違いますが、今回はその続きとなるつぶやきになります。

写真は夕暮れ近くに息抜きでオフィスの中庭を散歩している際に見つけた蝉の抜け殻です。

幼虫が無事に羽化し、蝉として飛び立った場所は
樹木に非ずなんと建物の壁です。



きっと蝉の幼虫は、建物の壁の真下の地中で長い時間を過ごしていたのでしょうね。

同じくコンクリートの塀や鉄のガードレール等、
別にこんな場所を選ばなくても良いものを!と思う場所に抜け殻を見つけることもありますよね。

恐らく彼らはそのすぐ真下からモゾモゾ出てきたのでしょうね。



でも、どこから出てきてもどこで羽化しても、結局「蝉」は「蝉」なんですね。

短い命であっても、思う場所にどこにでも自由に飛べていくはず。

人は親を選んで生まれてくることができません。場所にしてもそうですね。

運命論的に感情的に考えるとまた違うんでしょうがね。

で、何を言いたいのかと云うと、生まれ育った環境は選べないけれど、どう幸せに生きて行くかということは、人それぞれに選べるかということ。

そりゃあ、蝉になって直ぐに鳥に喰われる場所で羽化する不運もあるぞなんて穿ったことは言わないでね。

み~ん
み~ん


セミおやじのひとり言

2013年07月17日 | 一瞬の夏

思い返せば、ジャブひとつ打つのにどれだけ苦労したことか。

もっともそれは深すぎて、今でもキチンと打てるわけではありません。

だからこそ毎回基本を繰り返し繰り返します。



ストレートを打つのにどれだけ苦労して、今でもそれが続いてることでしょう。

打ち終わりにガードが空いて眼から火花が散ることもしばしばです。



何ラウンドもマススパーをして痛いけれども清々しい気分になって、仲間をリスペクトできる想いが生まれてくることが分かりました。

試合もそうです。




地中のセミもどきの素人の我々だって
羽化して数日輝くために
数年暗いところで蠢きながら
肚の力を錬ってるんだと思うのです。

酔うたセミオヤジの私は
そう思いたいのです。

み~ん
み~ん

人生は短いのだから

み~ん
み~ん





我らセミおやじ

2013年07月17日 | 一瞬の夏
今朝、セミの脱け殻を見つけました。

そう言えば、セミの声がちらほら聞こえてくるようになりましたな。



セミって地中で数年過ごしたのち、地表に現れて、羽化して10日くらいの寿命と言いますよね。



命の長さから言えば、地中にいる時をさしてセミと呼ぶのが正しいんでしょうか?



それとも次に命を繋ぐための10日くらいの姿をやはりセミと呼ぶのでしょうか?

地道に何年も練習して、輝けるのは一瞬のことが多いボクシングはなんだか蝉に似てたりしてね。

ミ~ン
ミ~ン