論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。小学・華厳論・童蒙訓・中論・申鑑を翻訳。令和に入って徳や氣の字の調査を開始。

仁の思想-Ⅱ

2014-06-15 08:15:48 | 仁の思想

仁の思想-Ⅱ
●<孔子家語>に見る「仁」
 <論語>を補完するとか、偽作だとか問題もある<孔子家語>だが、「仁」に関する事項を抜き出してみる。
 王言解:第三 (王者の道)
  ・人君先立仁於己,然後大夫忠而士信,民敦俗樸,男愨而女貞。
   人君たる者は第一に自身の仁徳を高めることが必要で、その結果として大夫は忠義を抱き、士は信義を守り、人民は人情に富み、風俗は誠実となり、男は実直にして女は貞淑になる。
  ・天下之至仁者,能合天下之至親也。是故仁者莫大乎愛人。
   世の仁徳を極めた者は、しっかりと肉親縁者をまとめることが出来る。それ故に仁徳の最も大事となる處は、人を愛することである。
 (解説)まとめてみると、
    ・人君の資質は仁徳
    ・人を愛することが仁徳の極致
  大昏解:第四 (人君の婚礼の儀)
  ・仁人不過乎物,孝子不過乎親。是故仁人之事親也、如事天,事天、如事親。
   仁人は何事にも手落ち無く、孝子は親に逆らうことはない。それ故に仁人は、天にも親にも同じように大切に仕える。
 (解説)まとめてみると、
    ・天道を守ることが仁人の務め
 儒行解:第五 (儒者の有り様)
  ・儒者不祈土地,而仁義以為土地。
   儒を志す者は、領土などの俗事に目を奪われず、仁義の道を拠り所とする。
  ・儒有忠信以為甲冑,禮義為干櫓;戴仁而行,抱義而處;雖有暴政,不更其所。
   儒者は誠実で正直であり、礼儀を守り、仁徳を以て行動し、正義を以て身を処し、乱れた政治の世でも節操を守り通す。
  ・夫温良者仁之本也。慎敬者仁之地也。寛裕者仁之作也。遜接者仁之能也。礼節者仁 
   之貌也。言談者仁之文也。歌楽者仁之和也。分散者仁之施也。儒皆兼而有之、猶且
   不敢言仁也。
   温良篤実が仁徳の基本である。慎み深かさは仁徳の土台であり、大らかさは仁徳の発露であり、譲り合いの気持ちは仁徳の働きであり、礼節は仁徳の表に現れた顔であり、心の籠もった言葉は仁徳を飾るものであり、歌や音楽は仁徳を調えるものであり、財物を分け与える行為は仁徳を分け合うことである。
 (解説)まとめてみると、
   ①儒者とは
    ・誠実で正直であり、礼儀を守り、仁徳を以て行動
    ・正義を体し、節操を守る
   ②仁徳の性格
    ・穏やかで素直→仁徳の基本
    ・慎み深さ→仁徳の土台
    ・大らかさ→仁徳の発露
    ・譲り合い→仁徳の働き
    ・礼儀正しさ→仁徳の表の顔
    ・心の籠もった言葉→仁徳の飾り
    ・歌や音楽→仁徳を調えるもの
    ・財物を分け与える行為→仁徳の施し
    儒者はこれらを全て併せ持つが、それでも敢えて自身を仁者とは云わない。
 五儀解:第七 (国治の方策)
  ・君子者,言必忠信而心不怨、仁義在身而色無伐、思慮通明而辭不專、篤行信道,自
   強不息。
   君子とは、言葉使いが誠実で怨みを持たず、仁義の徳を身に備えていても外に現さず、思慮深く聡明だがほしいままに言葉に表すことなく、まじめで忠実に行動して道を信じ、自助努力に止まる處を知らない。
 (参考)五儀とは、儒者が説く以下の人を五つに区分けすること。
    ・庸人→時の風潮に流される一般の人→(凡)庸人。
    ・士人→知識が十分にあり、言動が道義に適っている一般教養人。
    ・君子→仁徳が身に備わった人格者。
    ・賢人→全ての徳目が備わった賢者。
    ・聖人→天道・地道の徳目を全て備えた全き人。
 致思:第八 (思索する事) 
  ・惜其務䭃而欲以務施者,仁人之偶也。惡有仁人之饋而無祭者乎?」
   物の腐るのを惜しんで他人に施そうとする人は、仁人と同類である。そういう人の贈り物を祭りのお供えに使わぬ道理はない。
  ・思仁恕則樹,加嚴暴則樹怨。
   情け深く思いやりがあれば相手に道徳心を植え付けることが出来るが、激しい暴力を加えると怨念を植え付けることになる。
  ・夫子使賜止之,是夫子止由之行仁也。夫子以仁教,而禁其行,由不受也。
   孔子が子貢を遣わして、子路の仁行を止めた。子路は反発して、「師は常々仁徳を教えていながら、今回それを禁じたのは納得いきません」と訴えた。(子路が主君の了承を得ず、勝手に民に施しをした時の話)
  ・管仲之為人仁也。召忽雖死,過於取仁,未足多也。
   管仲の人柄は仁徳に満ちている。召忽は殉死したとは云え、仁徳に拘り過ぎて正義を見誤ったのだから、管仲に勝るとは云えない。(斉の後継者問題で公子糾を共に担いだ管仲と召忽だったが、管仲は捉えられ、召忽は殉死した)
 三恕:第九 (君子が常に心掛けるべき、思いやり三箇条)
  ・子路曰、「仁者使人愛己」。子曰、「可謂士矣」。子貢曰、「仁者愛人」。子曰、「可謂士
   矣」。顔回曰、「仁者自愛」。子曰、「可謂士君子矣」。
   子路が云うには、「仁徳のある人物とは、他人が自分を愛するように仕向ける人だ」と。孔子はそれを評して、「それは素養の高い人物だ」と。子貢が云うには、「仁徳のある人物とは、他人を愛す人だ」と。孔子はそれを評して、「それは素養の高い人物だ」と。最後に顔回が云うには、「仁徳のある人物とは、自分を大切にする人だ」と。孔子はそれを評して、「素養があり徳行の高い人物だね」と。
  ・行、至則仁
   行いがこの上なく優れていれば、それが仁徳というものである。
 (解説)まとめてみると、
   ①「仁者愛也」と云う事から仁者を分類すると、
    ・士人→他人に自分を愛させる人(一般教養人)
    ・士君子→他人を愛する人(徳高き教養人)
    ・明君子→自分自身を愛する人(仁徳完備の人格者)
   ②君子は出来る出来ないを峻別するが、こう云う境地に達するのが仁の境地である
 (参考)三非恕(三つの思いやりに反する行為)とは、
   ①主君への奉仕を満足に果たさないのに、部下には従服を求めること
   ②親に孝養を満足に果たさないのに、子供には孝養を求めること。
   ③兄を満足に敬うこともせず、弟には服従を求めること。
 好生:第十 (政治の在り方)
  ・古之君子、忠以為質、仁以為衛、不出環堵之室、而知千里之外。有不善、則以忠化
   之、侵㬥則以仁固之。
  昔の君子は、真心を拠り所とした上で仁徳で守りを固め、草屋を一歩も出ることなく世の中の動静を把握していた。 悪事には真心で接して感化し、暴虐には仁徳を以て防いだ。
  ・西伯、仁人也。
  文王は仁徳の有るお方だ。(土地争いをしていた二国が、文王の善政の様子に打たれて発した言葉)
  ・紳・委・章甫、有益於仁乎?
  礼装することは、仁徳を行う上で有益なことなのか?(哀公の孔子えの問い掛け)
  ・子何不仁而不納我乎?
  貴方はどうして非情にも私を家に入れてくれないのか!(嵐の夜に家を壊されて隣家に救いを求めた寡婦の言葉)
  ・周自后稷,積行累功,以有爵土,公劉重之以仁。
  周朝は始祖后稷の代から善政を積み重ねて功績を挙げ、その結果として爵位と領土を維持してきた。后稷の曾孫公劉はその基盤の上に更に仁徳を積み重ねた。
  ・仁人之君,不可失也。
  仁徳の有る君主を失っては成らない。(文王の祖父亶甫が豳(ひん)国を手放そうとした時に、豳の民がその徳を慕って発した言葉)
 (参考)好生とは民を生かす事を望むの意。紳・委・章甫は、朝見時の礼  装用の衣冠のこと。
 觀周:第十一 (孔子の周国を見た感想)
  ・老子送之,曰、「吾聞富貴者送人以財,仁者送人以言。吾雖不能富貴,而竊仁者之 
   號,請送子以言乎!富貴者送人以財,仁者送人以言」
  老子が孔子を送りだして云うには、「別れる時に、金持ちは金品を贈り、仁者は言葉を贈ると聞く。私は金持ちではないので、仁者の名を借りて言葉を贈ろう」と。
 (参考)これは孔子が周を立ち去るときに、老子が云ったという言葉
 弟子行:第十二 (孔門の行いについての評)
  ・孔子之施教也,先之以詩書,導之以孝悌,說之以仁義,觀之以禮樂,然後成之以文 
   。
  孔子の教え方は、先ず<詩経>・<書経>から始め、孝悌について指導し、仁義を説き、礼楽を示し、最後に学問・教養の徳で締めくくる。
  ・其不弊百姓,則仁也。夫子以其仁為大。
  多くの民を苦しめない者は、仁徳の持ち主である。孔子はその仁徳を以て大事を成した。
  ・獨居思仁,公言言義。孔子信其能仁,以為異士。
  独居している時には仁徳に思いを致し、公言する時には正義を主張する。孔子は門人南容の仁徳を高く評価して、優れた人物とした。
  ・方長不折,則恕仁也。
  草木の生長を妨げる枝葉をつまないのは、情け深く思いやりがある行為である。
  ・汲汲於仁,以善自終,蓋蘧伯玉之行也。
  仁徳を身につけることに懸命で、善功に終始したのが、蘧伯玉の行いである。
  ・孝恭慈仁,允圖義,約貨去怨,輕財不匱,蓋柳下惠之行也。
  孝養・恭謙・慈悲・仁徳を実行して正義を守り、節約して怨みを買わないように心掛け、財貨に無頓着にも拘わらず貧しくなかったのが、柳下惠の行いである。
 (参考)同じ文章が、<大戴禮、衛將軍文子>に見える。蘧伯玉は衛の賢大夫。柳下惠は魯の賢大夫。
 六本:第十五 (君子が身につけるべき六つの道)
  ・不言而信,不動而威,不施而仁,。
  言葉に出さなくとも信用され。そこに居るだけで威厳があり、何をしなくても仁徳を感じさせる。
  ・施仁無倦。
  仁徳を施して倦きることが無い。
 (参考)六本とは、孝・哀・勇・農・嗣・力の六つのこと。
 辯物:第十六 (物事の判断)
  ・夫陽虎、親富而不親仁。
  そもそも陽虎は物欲が強く、仁徳には関心が無い。
 (参考)辯物とは、物を区別すること。
 哀公問政:第十七 (治政に対する哀公の問いに対する孔子の言葉)
  ・脩道以仁。仁者人也。
  人の道を修めるには、仁徳を磨くことが第一。仁徳とは、人間本来の姿の事である。
  ・智、仁、勇、三者,天下之達也。
  智慧・仁徳・勇気の三つは、世の人々が常に実行すべき道徳である。
  ・好學近乎智,力行近乎仁,知恥近乎勇。
  学問を好むことは智慧を働かせていることになり、善行に努めることは仁徳を施していることになり、恥を知ることは勇気の要ることである。
 (参考)同じ言葉が<中庸>にも見られる。
 顏回:第十八 (顔回像)
  ・既能成人,而又加之以仁義禮樂,成人之行也。
  ・下展禽、置六關、妾織席、三不仁。
   国政を担う者が、賢人を抜擢せず、苛酷な徴税を行い、家人を働かせて民の利を奪うことは、三つの仁徳に反する行為である。
  ・愛近仁、度近智、為己不重、為人不軽、君子也夫。
   人を慈しむことは仁徳の行為に近く、熟慮して行動することは智慧を働かせた行為に近い。自身の為には欲張らず、他人の為には労を惜しまないと云うのが君子の行為でるる。
  ・一言而有益於仁、莫如恕。
   端的に云えば、仁徳に有益なものは思いやりの一言に尽きる。
  ・君子之於朋友也、心必有非焉、而弗能謂、吾不知其仁人也。不忘久徳、不思久怨、仁矣夫。
   友に欠点があればこれを率直に注意するようでなければ、仁徳のある人の交わりとは云えない。昔の恩義を忘れず、昔の怨みは忘れてしまうほどの交わりこそが仁徳のある人の交わりだ。
 (参考)展禽とは柳下恵のことで、春秋時代の魯の大夫。
  (解説)
まとめてみると、
   ①仁徳について
    ・賢人を用いず、酷税を課し、民の利を奪う行為は、仁徳に反する
    ・愛する行為は、仁徳に近い
    ・仁徳に役立つもので、思いやりに及ぶものはない
   ②仁人の交わりについて
    ・互いの欠点を率直に指摘し合う
    ・恩義を忘れず、恨むこともない
 子路初見:第十九 (子路についての話)
  ・毀仁惡士,必近於刑。
  仁徳を毛嫌いし道を志す人を悪く云えば、必ず刑罰を受けることになる。
  ・泄冶正諫而殺之,是與比干諫而死同,可謂仁乎。
  陳の大夫泄冶(せつや)が霊公を諌めて殺されたが、これは殷の暴君紂王を諌めて殺された比干と同じで、共に仁者と云うべきなのか?
  ・比干本志情在於仁者也。泄冶死而無益、可謂狷矣。
  比干が本来目指すところは仁徳にある。泄冶の場合は死んでも何の役にも立たず、見通しが甘い。
 (参考)比干は紂王の叔父で、箕子・微子と共に殷の三仁と呼ばれる。
 在厄:第二十 (孔子が災難に遭ったときの話)
  ・孔子不得行。子路曰、「君子無所困。意者夫子未仁與?人之弗吾信也。今夫子積徳懐
   義、行之久矣。奚居之窮也。」子曰、「汝以仁者為必信也。」
  孔子一行が妨害されて旅を続けることが出来なかった。そこで子路が云うには、「君子は困難に遭遇することは無い筈です。人が信じないのは、先生が仁者の域に達していないからでしょうか?いいえ先生は長い間徳を積み正義を貫いてきました。どうして行き詰まることなどありましょうか」と。孔子は、「お前は仁者であれば必ず信用されるとでも思っているのか?」と問い返した。
  ・子貢問曰、「仁人廉士窮,改節乎?」孔子曰、「改節即何稱於仁廉哉?」吾信回之為仁久矣。」
  子貢が問うに、「仁徳のある人や清廉の人でも、窮すれば節操を変えますか?」と。孔子は答えて、「節操を変えるようでは仁人でも廉士でもない」と。
  ・孔子曰、「吾信回之為仁久矣。」
  孔子が云うには、「私は、顔回がずっと前から仁徳を身につけていたことを知っている」と。
 困誓:第二十二 (災難に遭遇したときの感想)
  ・惡有脩仁義、而不免世俗之悪者乎?
  仁義の徳を心得ていながら、低俗な悪人と争う者など居はしない。
 五帝:第二十三 (五帝の徳についての記述)
  ・仁厚及於鳥獸昆虫。
  鳥獸昆虫にまで影響を及ぼす厚い仁徳。(黄帝を讃えた言葉)
  ・仁而威。
  仁徳を身に備えたうえ、威厳がある。(帝嚳を讃えた言葉)
  ・帝堯者、其仁如天。
  堯帝の仁徳は、天のように広大。
  ・夏后者、其仁可親。
  禹帝の仁徳は、親しみやすいもの。
 (参考)五帝とは、黄帝・顓頊・帝嚳・帝堯・帝舜のこと。夏后(禹帝のこと)についても触れている。
 執轡:第二十五 (政治の執行)
  ・宗伯之官、以成仁。
  礼儀・祭祀を担当する官職の者は、仁徳を人民に徹底させる。
  ・以之仁、則国和。
  仁徳を徹底させれば、国は平和を保つ。
 (参考)宗伯とは、<周礼>に出てくる六部(天地春夏秋冬)の長官の一つである春官のこと。
 論禮:第二十七 (礼楽の効用)
  ・給奪慈仁。
  慇懃無礼な態度を続けていると、慈愛や仁愛の心を失うことになる。
  ・郊社之禮、所以仁鬼神也。禘嘗(ていしよう)之禮,所以仁昭穆也。饋奠(きてん)之禮,
   所以仁死喪也。射饗之禮,所以仁鄉黨也。食饗之禮,所以仁賓客也。
  郊社の礼(天地の祀り)では、鬼神に対して仁徳を示す。禘嘗の礼(宗廟の祭り)では、昭穆(祖廟)に対して仁徳を示す。饋奠の礼(飲食を供える祭り)では、死者の霊に対して仁徳を示す。射饗の礼(郷民を集めた射会)では、村人に対して仁徳を示す。食饗の礼(賓客えの会食)では、賓客に対して仁徳を示す。
  ・体大饗而後、君子知仁焉。
  大饗を体験して初めて、君子は仁徳の何たるかを知る。
 (参考)大饗とは、賓客を接待する時の礼式。
 五刑解:第三十 (五種類の刑罰の説明)
  ・不孝者生於不仁,不仁者生於喪祭之禮不明。喪祭之禮,所以教仁愛也。能致仁愛,
   則服喪思慕、祭祀不解。
  不孝は不仁(仁徳が至らない)から生じ、不仁は葬礼や祭祀のけじめが判然としないところから起きる。喪祭の礼式は、仁愛の心を育てる良い機会である。仁愛の情が発揮されれば、深く喪に服して亡き父母を思い、祭祀を怠ることも無くなる。
 禮運:第三十二 (礼節の変遷・効用・意義を解説)
  ・禮者君之柄,所以別嫌明微,儐鬼神,考制度,列仁義,立政教,安君臣上下也。
  礼節とは君主の地位を固める手立てとなるもので、疑わしい者を見分け、謀反の微かな兆候を見抜き、鬼神への応接を整え、制度を正し、仁徳と正義にけじめを付け、政治と教化を確立して、君主と臣下の序列を安定させる。
  ・命降於祖廟、之謂仁義。
  祖廟を祭ることによって政令を下すのは、仁徳・正義の教訓に従わせる為である。
  ・夫君者用人之仁、去其貪。
  元来君主とは、臣下の仁徳に基ずく感情は受け止めるが、飽くなき執着心に基ずく感情は受け付けないものである。
  ・何謂人義?父慈、子孝、兄良、弟悌、夫義、婦聽、長惠、幼順、君仁,臣忠,十者謂之
   人義。
  人の守るべき道義とは何か?それは父は慈愛深く、子は孝養を尽くし、兄は賢く、弟はよく仕え、夫は身を正し、主婦は夫に従い、年長者は情け深く、年少者は従順で、君主は仁徳を発揮し、臣下は忠義を示すことで、この十項目がその道義というものである。
  ・諦祖廟,所以本仁也。
  祖廟で祀りを行うのは、人としての正しい道を示す為である。
  ・人情者,聖王之田也。脩禮以耕之,陳義以種之,講學以耨之,本仁以聚之,播樂以安之。
  人情とは、聖王が耕す田畑のようなものである。すなわち、自らは礼節を修めて人情という田畑を耕し(礼節という元肥を施し)、正義と云う苗を植え、学問を教えて邪悪な雑草を取り去り、仁徳と云う肥料を施して育成し、音楽という肥料を施して丈夫に育てると云った具合である。
  ・義者、藝之分、仁之節。恊諸藝,講於仁,得之者強,失之者喪。仁者、義之本、順之
   體,得之者尊。
  正義とは、個別の守るべき徳目であり、仁徳の現れの一つの節目である。正義の徳目に適い、仁徳の節度を心得た者は強く、それに失敗した者は滅ぶ。仁徳は正義の本質であり、教えの本となる徳目である。
  ・故治國不以禮,猶無耜而耕。為禮而不本於義,猶耕而不種。為義而不講於學,猶種
   而不耨。講之以學而不合之以仁,猶耨而不穫。合之以仁而不安之以樂,猶穫而不
   食。安之以樂而不達於順,猶食而不肥。
  国を治めるのに礼節を用いないのは、まるで鋤なしで田を耕しているようなものである。礼節を用いても正義を守らなければ、耕したとしても種を播かないようなものである。学問を身につけても仁徳を施して民を惹きつけることが出来なければ、折角草取りしたのに収穫しないようなものである。仁徳を施しても音楽で人々の心を和ませることが出来なければ、折角収穫までしたのに食べないようなものである。音楽で和ませることが出来ても、人々の心を道に適った境地まで持って行くことが出来なければ、いくら食べても肥らないようなものである。
 問玉:第三十六 (君子の徳に喩えられる玉の説明)
  ・溫潤而澤,仁也。
  玉が穏やかで無駄な飾り気が無く、艶やかな處が仁徳そのものである。
 屈節解:第三十七 (節操を曲げる場合の解説)
  ・勇者不避難,仁者不窮約,智者不失時,義者不絕世。
  勇者は困難をものともせず、仁者は窮地に陥った者を追い詰めず、智者は好機を逃さず、義者は家門を絶やさない。
  ・今存越,示天下以仁。
  今越国を存続させて、天下に仁徳を示す。(子貢の呉王への進言)
  ・躬敦厚,明親親,尚篤敬,施至仁,加懇誠,致忠信,百姓化之。
  積極的に人々を厚遇し、近親縁者の世話をし、心から慎ましく行動し、至上の仁徳を施し、懇切丁寧に心から務めを果たし、誠に終始した。人々はその人柄に感服して、大いに感化された。(孔門の宓子賤の話)
 七十二弟子解:第三十八 (孔門の略伝)
  ・回以行著名,孔子稱其仁焉。
  顔回は孔門十哲の一人で、徳行の人として名高く、孔子はその仁徳を称えた。
  ・顓孫師,沖博接,從容自務,居不務立於仁義之行。孔子門人友之而弗敬。
  子張は心が広く公平で多くの人と交わり、堂々と自身の職分を全うしていたが、普段は仁義に努めることが無かった。孔門の人々は彼を友人として付き合ってはいたが、尊敬してはいなかった。
  ・密不齊,有才智仁愛。
  子賤は才智があって仁愛に満ちていた。
 正論解:第四十一 (人の道の解説)
  ・剋己復禮為仁。
  私心を克服して礼節を守ることが仁徳である。(論語にも出てくる有名な言葉、克己復礼)
  ・孔子曰、「人謂子產不仁,吾不信也。」
  孔子が語るには、「他人は子産は仁徳に欠けると云うが、私はそうは思わない」と。
 子貢問:第四十三 (礼儀作法の解説)
  ・仁者之心與?夫仁者、制禮者也。
  それは仁者の思いやりか?もともと仁者が礼節を定めたのだ。(子夏と孔子の問答の中の一部を書き出したもの。
 公西赤問:第四十四 (礼儀作法の解説続編)
  ・之死而致死乎不仁,不可為也。
  弔問に行って死者を生き物で無いような目で見るのは情のないと云うもので、慎むべき事である。
  ・為偶者不仁。
  葬るときに入れる木製の人形を考えだした者は、思いやりの無い人だ。
 (参考)公西赤とは、孔門の子華のこと。
(総括)
  以上で注目すべき言葉は、以下のようなものである。
  ・孝弟也者、其為仁之本與。(学而2)
  ・人而不仁、如礼何、如楽何。(八佾3)
  ・其心三月不喪不仁也。其余則日月至焉而已矣(雍也7)
  ・仁者愛人也。(顔淵22)
  ・能行五者(恭・寛・信・敏・恵)於天下為仁矣。(陽貨6)
  ・仁者莫大乎愛人(王言解)
  ・子生三年、然後免於父母之懐。夫三年之喪、天下之通喪也。(陽貨21)
  ・夫温良仁之本也。慎敬者仁之地也。寛容者仁之作也。遜接者仁之能也。礼節者仁之
   貌也。言談者仁之文也。分散者仁之施也。儒皆兼而有之、猶且不敢言仁也。(儒行
   解)
  ・仁者自愛。(三恕)
  ・行、至則仁。(三恕)
  ・仁者人也。(哀公問政)
  ・愛近仁。(顔回像)
  ・一言而有益於仁、莫如恕。(顔回)
 孔子の[仁]の思想を端的に表現すれば、以下の如くなろうか?仁とは人を愛すことであり 、その根底には孝悌がある。その本体は愼敬をベースとした温良篤実であり、その作用としての発露は寛容であり、譲り合いである。またその装いとなるものは礼節であり、その飾りとなるものは善言であり、その調和を図るものは音楽である。そして蓄えた己の徳を分かち合う行為が、仁徳の恵みである。
                       つづく(次回7月1日)

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仁の思想-Ⅰ

2014-06-01 10:00:24 | 仁の思想

仁の思想-Ⅰ
http://homepage2.nifty.com/tokugitannka-ronngo/


Ⅰ.はじめに

 上天信仰の古代中国では上天→天子(上天の子)→万民の統治形態を考え、天子の為政の善悪に応じて上天が賞罰を降すとの思考が支配した。天命に逆らった自然の摂理えの挑戦・争い・失政などは、天罰の格好の対象となった。正しい政治が行われず、世が乱れれば天罰が降る。そこで、天子が正しい政治を行う為の徳目として、[仁]の思想が生まれてくる。では、その[仁]の思想とはどんなものか?それを解き明かす為に、まず孔子の思いから説き起こし、墨子の兼相愛を振り返り、次いで古文書に見る[仁]の思想、そして[仁]の解字へと進めてみる。
 (参考)
  1.上天信仰:人から肉体的要素を除いた、意志や感情を持つ人格神が上天である。上帝とも云う。殷代では天は大きいことを意味し、神的意味を持たなかった。周代に入って、周王は絶対神の上天の子即ち天子として、天命を受けて地上の統治を代行するものとされた。そこに過ちがあれば当然父なる上天の怒りを買うと云う図式が出来上がり、上天信仰が確立した
  2.天命:ここで云う天命は、中国古代の政治思想の一つである受命思想(天命を受けた天子が、天帝に変わって国を治めるのが正しいとする考え方)に基づく天命である。統治者が善政(徳のある政治)を行わないときには、天の命は革(あらた)まって他の天子に移る(革命)ことになる。
  3.ここで時代背景を整理しておこう。
   ①王朝変遷             ②登場人物
    ・夏王朝 BC21~BC16世紀      ・周公旦 BC10世紀頃
    ・殷王朝 BC16~BC10世紀      ・老子  春秋戦国時代?
    ・周王朝 BC10世紀~BC255     ・孔子  BC551~BC479
    ・西周 BC10世紀~BC770       ・墨子  BC480頃~BC390頃
    ・東周 BC770~BC249         ・孟子  BC372~BC289
    ・春秋時代 BC770~BC403      ・告子  戦国時代
    ・戦国時代 BC403~BC221
Ⅱ.孔子の[仁]
 儒家の最高の徳目である「仁」について考えてみる。先ずは<論語>と<孔子家語>の中の仁に関する文章を読み解く。
●<論語>に見る「仁」
  五百十二項目のうち、「仁」の言葉が現れるものは五十八項目である。これを四っに分けて解説してみよう。
 ①.「子曰」で始まる「仁」についての孔子の説明。
 [学而]
  3.巧言令色、鮮矣仁。
   口が上手く媚びへつらう行為は、仁徳に欠ける。
  6.汎衆而親仁。
   広く民衆を愛して、仁者に親しめ。
 [八佾]
  3.人而不仁、如禮何、人而不仁、如楽何。
   仁徳に欠けた者が、形式的な礼節を学んでも役には立たぬし、儀礼に必要な音楽を上達させても役には立たない。
 [里仁]
  1.里仁為美、擇不處仁、焉得知。
   何時も仁徳を心掛ける事が大事で、あれこれ迷って仁徳から遠ざかるようでは、智慧があるとは云えない。
  2.不仁者不可以久處約、不可以長處楽。仁者安仁、知者利仁。
   不仁者は苦境に耐えられないし、安住する事も出来ない。仁者は常に仁徳の実践を忘れないし、智慧のある者は仁徳の効用を上手く利用する。
  3.唯仁者能好人、能悪人。
   仁者は私心がないから時に応じて、穏やかにも厳しくも人と接する事が出来る。
  4.苟志於仁矣、無悪也。
   かりにも仁徳の道を志す者であれば、人に憎まれるようなことはない。
  5.君子去仁、悪乎成名、君子無終食之間違仁。
   君子が仁徳を捨てるようでは、どうして名を成すことが出来ようか?君子は一瞬たりとも仁徳の道から外れるようなことはない
  6.我未見好仁者悪不仁者、好仁者無以尚之、悪不仁者其為仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者。
   「心底から仁徳にいそしむ者や、仁徳に背く者を徹底して憎むだけの者を見たことがない」と孔子は云う。前者にはそれ以上望むところはない。後者にしても不仁者が仁徳を踏み外さないように仕向けているのだから、仁徳を行っていることになる。たった一日でもいいのだから、仁徳に励むべきである。それを辛抱出来ない者は居ないだろう。
  7.人之過也、各於其黨、観過斯知仁矣。
   人のあやまちにはそれぞれ特徴が見られる。だからそのあやまちの特徴を見れば、   その人の仁徳の程度が解る。
 [雍也]
  23.知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者壽。
   智慧のある人は水のように臨機応変に時流に対応して満足した生活を送るが、仁徳のある人は山のようにどっしりと落ち着いて暮らして長寿を全うする。
 [述而]
  6.志於道、據於徳、依於仁、游於藝。
   正しい道に外れることなく、徳義を固く守り、仁徳に身を委ね、六芸を極めたい。
  29.仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣。
   仁徳は実践し難いものではなく、心がけしだいですぐに実践できる。
  33.若聖與仁、則吾豈敢、抑為之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。
   聖道や仁徳という話は、私にはほど遠いものだ。ただ飽きる事なくその修得に努め、人々を教え導くという意味であれば、私にも身近なものと云っていいだろう。
 [泰伯]
  2.君子篤於親、則民與於仁。
   上に立つ者が親族を大事に扱うところを見れば、人民もそれを見習って仁徳を身につけることに励むものだ。
  10.人而不仁、疾之已甚、乱也。
   仁徳に外れた者を毛嫌いし過ぎると、反乱が起きかねない。
 [子罕]
  1.孔子罕言利與命與仁。
   孔子はめったに利益の問題にはふれられなかった。たまたまふれられると、必ず天命とか仁とかいうことと結びつけて話された。
  30.知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
   知恵のある人は迷うことがないし、仁徳ある人は憂うことがないし、勇気のある人は恐れることがない。
 [顔淵]
  20.夫聞者色取仁而行違、居之不疑。
   兎角評判の高い人は、仁徳があるようで実行が伴わず、自身が仁徳に適う行動をしているかを疑う事もない。
 [子路]
  12.如有王者、必世而後仁。
   たとえ王道を以て天下を治める君主が現れたとしても、今の乱れた世に仁徳の道を広めるには一世代三十年は掛かるだろう。
  27.剛毅木訥近仁。
   意志が強く、無骨で飾り気がないのは、仁徳に近い。
 [憲問]
  5.仁者必有勇、勇者不必有仁。
   仁徳のある人には必ず勇気があるが、勇気のある人が必ずしも仁徳を備えているとは限らない。
  7.君子而不仁者有矣夫、未有小人而仁者也。
   君子でも仁徳に欠けた者も居るが、仁徳を備えた小人などは居ない。
  30.君子道者三、我無能焉、仁者不憂、知者不惑、勇者不懼。
   君子が行うべき道には三つある。憂うことのない仁徳の道。惑うことのない知恵の道。恐れることのない勇猛の道の三つだ。
 [衛霊公]
  9.志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。
   志の高い人や人徳のある人は、命惜しさに仁徳の道から外れるようなことはしない。身を捨ててでも仁徳の道を守り抜くものである。
  33.知及之、仁不能守之、雖得之必失之。知及之、仁能守之、不荘以莅之、則民不敬。知及之、仁能守之、荘以莅之、動之不以礼、未善也。
   官吏として智慧を十分に備えていても仁徳が伴わなければその職を失う。智慧も仁徳も共に備えていても威儀を正さなければその職を失う。智慧も仁徳も備え威儀が正しくとも礼儀が伴わなければ十分とは云えない。
  35.民之於仁也、甚於水火。水火吾見蹈而死者矣。未見蹈仁而死者也。
   人民にとって大切な水や火よりも、仁徳は遙かに大切である。水や火と関わって死んだ人は居るが、仁徳に関わって死んだ人は居ない。
  36.当仁不譲於師。
   仁徳の為ならば、たとえ師であっても譲るようなことがあってはならない。
 [陽貨]
  8.好仁不好学、其蔽也愚。
   仁徳の道に励んでも勉学を怠れば、情に溺れる愚か者になる。
 [堯曰]
  4.欲仁而得仁、又焉貧。
   仁徳の道を求めて素直に仁徳を身につけることが出来るならば、それ以外に何を求める必要があろう。(政治に携わる者の心得るべき美徳の一つとして、貪欲を戒めたもの)
 (解説)まとめてみると、
   1.仁徳について
    ・心掛け次第で、すぐ実践出来るもの
    ・意志が強く無骨な事は、仁徳に近い
    ・礼節が伴わないと、十分とは云えない
    ・生きていく上で必要な、水や火よりも大切なもの
    ・仁とは愛である
    ・人のあやまちの特徴を見れば、その人の仁徳の程度が解る
    ・評判の高い人ほど、仁徳が伴わないもの
    ・仁徳の行きわたった世界の実現は、そう短兵急にはいかない
   2.実践について
    ・きれい事を並べたり媚びへつらったりする行為は、仁の心を汚す
    ・広く民衆を愛して、仁者に親しめ
    ・常に仁徳を心掛け、仁徳から遠ざからぬ事
    ・たった一日でも良いから、仁徳に励め
    ・正道から外れず、徳義を守り、仁徳に身を委ね、学問に励め
    ・飽きる事なく仁徳の習得に努め、人々を教導せよ
    ・仁徳の為ならば、師と云えども譲るべからず
    ・仁徳に励んでも、勉学を怠れば愚か者になる
    ・仁徳の修得以外に、目を向けるな
    ・利益を語るにも、必ず仁徳を忘れるな
   3.君子とは
    ・一瞬たりとも仁徳の道から外れるような事はしない
    ・親族を厚遇して、人々に仁徳の手本を示す
    ・仁徳に欠ける者も居る
    ・憂う事がない
   4.仁者について
    ・私心がないから、公平に人と接する
    ・人に憎まれる事がない
    ・山のようにどっしりと落ち着いて暮らし、長寿を全うする
    ・憂う事がない
    ・命惜しさに、仁徳の道から外れる事はない
    ・常に仁徳を実践している
    ・勇者だが、勇者が必ずしも仁者ではない
   5.不仁者について
    ・苦境に耐えられず、安住する事が出来ない
    ・毛嫌いし過ぎると反感を持ちかねない
   と云ったところだが、仁徳の定義的なものは見当たらない。人は天地の間に生まれそして育つ。そこで天道(陰陽)・地道(柔剛)を考慮して人道すなわち人の道が立てられ、基本となる徳目として仁と義が設けられたとするのが当時の思想である。その仁徳を簡潔に説くことは、孔子にとっても容易な事ではなかったに違いない。だから色々な角度から、また聖人君子の言葉を借りて人々に語りかけたのだろう。仁とは、他人への思いやり・慈しみというだけでは舌足らずなので、時に応じて表現を変えて語ったので、かくも多くの言葉が「仁」の説明に費やされたのだと思う。さて孔子の唱える「仁」とは、孝悌を底流とした仁徳すなわち   (差)別愛だとする見解がある。特に墨家からの指摘が顕著だが、ここではそういった表現は見当たらない。[顔淵22]にある「仁者愛人也」とか、[泰伯2]にある「君子篤於親、則民與於仁」をどう解釈するか? また[子路18]の葉公の正直者に対する問いの孔子の言葉を、どう解釈するかで見解も変わってこようが?
 (参考)ここで五儀(庸人・士人・君子・賢人・聖人)について説明しておこう。それは[孔子家語]に説かれている。すなわち、
    ・庸人:時流に身を任せる人→(凡)庸人
    ・士人:知識が十分にあり、言動が道義に叶っている一般教養人
    ・君子:仁徳が身に備わった人
    ・賢人:人道に叶った、全ての道徳を備えた人
    ・聖人:天道・地道に叶った全き人
②.「仁」とはとの問いに対する孔子の回答。
 [雍也]
  22.仁者先難而後獲、可謂仁矣。
   仁徳を備えた者はまず難題を片付ける事に集中し、報酬などは期待しないものだ。それが仁徳というものである。
  26.仁者可欺也、不可罔也。
   仁徳のある人を少しは騙せようが、最後まで騙せ通すことは出来ない。
  30.夫仁者己欲立而立人、己欲達而達人、能近取譬、可謂仁之方也已。
   仁徳のある者は、自身の望むところを他者に施すものである。万民救済という理想よりも、身近な他者への支援に重点を置くのが仁徳の道と云うものである。
 [顔淵]
  1.克己復禮為仁、一日克己復禮、天下帰仁焉。為仁由己。而由人乎哉。其目非禮勿視、非禮勿聴、非禮勿言、非禮勿動。
   自身の欲望や感情を抑えると共に、礼儀をよく守ることが仁徳の道であり、それを一日でも実践出来れば、天下の民も皆仁徳の道を守るようになる。仁徳の道を守るのは自分自身であり、他人に頼ることは出来ない。その具体策としては、礼に外れたものは見ず、聴かず、云わず、そしてしないことである。
  2.仁出門如見大賓、使民如承大祭、己所不欲、勿施於人、在邦無怨、在家無怨。
   仁徳の道を実践する具体策は、まず外で人と会う時には常に相手を大事な客と思って丁重に接し、人民を使役する時には大事な祖先の祭祀に仕えるように慎重に行い、自分がして欲しくないことは他人にもしないことである。そうすれば、国に仕えていても恨まれることはないし、家庭でも恨まれることはない。
  3.仁者其言也。為之難、言之得無乎。
   仁徳のある人は、言葉遣いが控え目である。実践の難しさをよく知っているので、言葉遣いを慎むのだ。
  22.仁者愛人也。挙直錯諸枉、能使枉者直、不仁者遠矣。
   仁徳とは、人を愛すことである。正直者を取り立てて不正直者の上に置けば、不正直者を正すことが出来て不仁者は遠ざかる。
 [子路]
  19.仁者居処恭、執事敬、与人忠、雖之夷狄、不可棄也。
   仁徳の道を志す者は、普段の挙措動作は慎み深く、仕事中は心を込め、人とは誠実に交わると云うことを、どんな状況に置かれても心得ておくべきだ。
 [衛霊公]
  10.為仁如何? 工欲善其事、必先利其器、居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者也。
   仁徳を修めるには、大工が仕事を上手く仕上げる為に必ずまず使う道具を研ぐように、この国の賢大夫に仕え仁徳のある人を友として修養に努めることだ。
 [陽貨]
  1.懐其寶而迷其邦非仁。
   才能が有りながら国の混乱を傍観するのは、仁徳のある者の為すべき事ではない。
  6.能行五者於天下為仁矣。恭寛信敏恵。恭則不侮、寛則得衆、信則人任焉、敏則有功、恵則足以使人。
   恭・寛・信・敏・恵の五つの徳行を行えれば、仁徳が有ると云える。すなわち、謙譲であれば侮られることもないし、寛容で有れば信望が得られるし、誠実であれば信頼されるし、機敏であれば仕事もはかどるし、恵み深ければ上手く人を使える。
 (解説)まとめてみると、
   1.仁徳について
    ・仁とは愛である
   2.実践について
    ・自身の欲望や感情を抑えて、礼儀を守る事。その為には礼に外れたものを見ず、聞かず、云わざる事
    ・相手を尊重し、民を大事に扱い、自身の臨まぬ事を他人に押しつけない事。そうすれば人に恨まれる事はない
    ・常に行動を慎み、心を込めて務め、人と誠実に交わる事
    ・賢者の上司に仕え、仁者を友とする事
    ・恭(謙)・寛(大)・信(義)・(機)敏・(慈)恵の五つの徳行を行う事。そうすると、侮られないし、信望も得られるし、信頼されるし、仕事もはかどるし、上手く人を使える
    ・正直者を取り立てれば、不仁者を遠ざける事が出来る
   3.仁者の特徴
    ・まず難題を片付ける事に集中し、報酬などは期待しない
    ・少しは騙せるが、最後まで騙し通す事は出来ない
    ・自身の望むところを他者にも行わせ、身近な者への支援に重点を置く
    ・言葉使いが控え目で、実践の難しさをよく知っている
    ・国が混乱している時、これを傍観する事はない
    と云ったところだが、孔子は[如何、仁]と問われながら、ここでも定義らしきものは語られず、系統だった説明は見られない。門人の燓遅に「愛人」と答えているが、これでは漠然とし過ぎている。ここでも差別愛と取られる表現は見当たらない。
③.門人らの「仁」に対する説明。
 [学而]
  2.孝弟也者、其為仁之本與。(有若)
      孝養を尽くし、年長者を敬い、従順に仕えることが、仁徳の基本である。
 [里仁]
  15.子曰、「吾道一以貫之哉。」曾子曰、「夫子之道、忠恕而已矣。」
   孔子が云うには、「私は終生一貫して一つの道、すなわち仁道を歩いてきた」と。
   曾子が云うには、「その道とは忠恕、すなわち真心と思いやりだ」と。
 [泰伯]
  7.士仁以為己任、不亦重乎。死而後已、不亦遠乎。(曾子)
   有徳の士は、仁徳をお修めることを自身の任務としている。死ぬまでその任務を負うほど重大なものである。
 [顔淵]
  24.君子以文會友、以友輔仁。(曾子)
   君子は学問を通じて友人を集め、その友人との関係の中で仁徳を高めていく
 [憲問]
  2.克伐怨欲不行焉、可以為仁矣。可以為難矣。仁則吾不知也。(原憲)
   勝ち気・自慢・怨み・欲望を抑えることが出来たからと云って、仁徳があると云えるかどうかは定かではない。
 [子張]
  6.博学而篤志、切問而近思、仁在其中矣。(子夏)
   博く学んで固い意志を持ち、熱心に尋ねて切実な問題を取り上げると、云った行為の中にこそ仁徳がある。
 [堯曰]
  1.雖有親、不如仁人。(武王)
   どんなに親しい身内の者でも、仁徳のある人には敵わない。
 (解説)まとめてみると、
   ①仁徳について
    ・孝養を尽くし、年長者を敬い従う事が基本
    ・仁道とは忠恕
    ・博く学んで固い意志を抱き、よく調べて身近な問題を取り上げる事
    ・勝ち気・自慢・怨み・欲望を抑える事が出来るだけでは、仁徳があるとは云えない
   ②実践について
    ・仁徳の実践は、終生の任務と心得るべし
    ・交友の中で高めて行くもの
    ・肉親よりも仁徳のある人を尊重せよ
    と云ったところだが、「孝弟也者、其為仁之本與」は差別愛と取られかねない言葉である。逆に「雖有親、不如仁人」は差別愛を否定しているようでもある。
 (参考)ここに登場する門人の略歴を記しておく。
    ・有若:魯の人。字は子有。容貌・言行が孔子に似ていたので,孔子の没後,        師と仰がれたことがある。
    ・曾子:字は子輿。孝道に通じ,《孝経》を著したと伝えられる。
    ・原憲:魯の人。字は子思。清貧の人。
    ・子夏:姓名は卜商、字は子夏。文学に通じて,十哲、文学の人。
④.「仁」に関する人物評価との関連。
 [公冶長]
  5.仁者焉用佞。禦人以口給、屡憎於人、焉用佞也。
   仁徳を備えた者が弁舌が巧みである必要はない。口先だけで相手を言い負かしても、憎まれるだけだ。弁舌が巧みである必要はない。
  8.雖勇者亦不必有仁。雖政客亦不必有仁。雖好礼者亦不必有仁。
   勇者でも、政治家でも、また礼儀正しい者だからと云って必ずしも仁徳を備えているとは限らない。
  19.未知、焉得仁。
   智力が不足している者は、仁者と云うにはふさわしくない。
 [雍也]
  7.其心三月不違仁。其余則日月至焉而已矣。
   仁徳さえ心に上手く定着させることが出来れば、それ以外の徳は自然に身についてくる。
 [述而]
  14.伯夷・叔斉古之賢人也。不怨。求仁而得仁。
   伯夷・叔斉は昔の賢者である。身の不運を恨むことはなかった。仁徳を求めての行動であり、その結果仁徳を身に備えることが出来たのである。
 [憲問]
  17.子路曰、桓公殺公子糾、召忽死之、管仲不死、曰未仁乎、子曰、桓公九合諸侯、     
     不以兵車、管仲之力也、如其仁、如其仁。

   管仲の功績に比べれば殉死などは取るに足らぬ事で、その仁徳に勝る者はそうは居ない。
  18.子貢曰、管仲非仁者与、桓公殺公子糾、不能死、又相之。子曰、管仲相桓公覇諸 
     侯、一匡天下、民到于今受其賜、微管仲、吾其被髪左衽矣、豈若匹夫匹婦之為諒
     也、自経於溝涜而莫之知也。

   管仲が成し遂げた業績によって、今の自分たちの生活と儒教の思想があるのであり、彼こそ仁徳を備えた人だ。
 [陽貨]
  21.不守三年之喪不仁也。子生三年、然後免於父母之懐。夫三年之喪、天下之通喪      
     也。

   子どもは生まれて三年経ってようやく父母の懐から離れられるのだから、三年間喪に服するのは当然のことである。
 [微子]
  1.微子去之、箕子為之奴、比干諌而死。殷有三仁焉。
   微子(暴君紂王の異母兄)は殷国から去り、箕子(紂王の叔父)は奴隷に転落し、比干(紂王の叔父)は諫言して死罪となった。殷には、三人の仁者がいた。
 [子張]
  15.雖為難能也、然而未仁。
   他人がなかなか出来ないことをやり遂げるだけでは、仁徳があるとは云えない。
  16.雖堂堂乎也、難与並為仁矣。
   態度が堂々としているからと云って、共に仁徳の道に進むことは出来ない。
 (解説)まとめてみると、
    ・仁者だからと云って、弁舌が巧みである必要はない
    ・勇者でも、政治家でも、また礼儀正しい者でも、必ずしも仁徳を備えているとは限らない
    ・智力の足らぬ者は、仁者とは云えない
    ・仁徳さえ身につければ、それ以外の徳目は後からついてくる
    ・人としての道義を全うする事が出来れば、仁徳は自然に身に付く
    ・大義を全うする事に勝る仁徳はない
    ・親を思う情に欠ける行為は、仁徳に反する
    ・親の養育の恩に答えることこそが仁である
    ・方法は色々あるにしろ、国を憂え、民を愛する行為こそ仁徳である
    ・難事を解決するだけでは、仁徳があるとは云えない
    ・容儀が堂々としているからと云って、仁徳の修得に熱意があるとは云えない
    と云ったところだが、「子生三年、然後免於父母之懐。夫三年之喪、天下之通喪也」の文章が心に残る。差別愛の一端を示す言葉だろう。
 (参考)ここに登場する人物の略歴を記しておく。
    ・冉雍:字は仲弓。十哲、徳行の人。
    ・仲由:字は子路。十哲、政治の人。
    ・公西赤:字は子華。孔門中では最も礼法に通じていたとされる。
    ・鬬穀於菟:春秋時代の楚の宰相。字は子文。清廉で知られ、楚屈指の賢相といわれる。
    ・崔杼:春秋時代の斉の大夫。専権を奮ったが、家内を収められず、後年謀殺された。
    ・陳文子:崔杼と同僚の斉の大夫の陳須無。廉潔の人。
    ・顔淵:字は子淵。十哲、徳行の人。
    ・伯夷・叔斉:殷代末期の高名な隠者で清廉の人。儒教では聖人とされる。
        餓死の直前に作ったとされる下記の有名な逸詩がある。
        (采薇の歌)  登彼西山兮  采其薇矣
                以暴易暴兮  不知其非矣
                神農虞夏忽焉没兮 我安適帰矣
                于嗟徂兮 命之衰矣
    ・管仲:齊の桓公を覇者にした名宰相。
    ・微子:暴君紂王の異腹の兄。
    ・箕子:暴君紂王の叔父。
    ・比干:暴君紂王の叔父。
    ・顓孫師:字が子張。才覚に富んだ人物だが、富み過ぎると孔子に評された。
    ・宰我:字は子我。魯国出身。十哲、言語の人で弁論の達人と評された。                            
                                 つづく(次回6月15日)

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