syuの日記・気まま旅

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芥川龍之介と田端

2017-11-05 | syu散歩
「谷中七福神」は、台東区・荒川区・北区の7寺院に祀られている七福神の巡礼札所で、約250年前に始まったと言われるー江戸最古の七福神。
谷中七福神は寺院だけ、巡礼距離は、約5.5km・約2時間程度。
1-寛永寺(不忍池弁天堂)または養泉寺 - 弁才天・2-護国院 - 大黒天・3-天王寺 - 毘沙門天・4-長安寺 - 寿老人・5-修性院 - 布袋
6-青雲寺 - 恵比須・7-東覚寺 - 福禄寿。
田端駅にある福禄寿「東覚寺」は、田端2丁目にある「真言宗豊山派の寺院」
延徳3年の1491年、「源雅」により神田に創建・その後根岸(現在の台東区)・1600年頃にに田端の地に移転されたと言われている。
7石の朱印地を受けていたと言われ、赤紙仁王でも知られている。
山門に体中に赤紙が貼られた金剛力士像がある。
これは、通称赤紙仁王と呼ばれ、病を患った人がその部分に相応する箇所に赤紙を仁王像に貼ると治癒されると言われており、現在においても赤紙を貼る人が絶たないと云う。
その後病が治癒すると、草履を供えるものとされており、その風習も現在でも。
仁王像は、1641年に、「賢盛」の時代に造立されており、当時江戸市中において疫病が流行っていたのでそれを鎮めようとして建立されたものとされている。
仁王像は、江戸時代までは東覚寺が別当寺を務めており隣接する田端八幡神社の前にあったと云う。
その後、神仏分離令が出来て、明治時代に東覚寺の前にあった九品仏堂の前に移転し、2008年に道路拡張の際にさらに後方に移転、1998年に北区の指定文化財になった。また新年に。

日暮里・田端とお寺が多く、「正岡子規」のお墓ー大竜寺も近い。
「田端は、明治末期から、作家・詩人・画家など文化人が移住するようになった。今日訪ねた「芥川龍之介」は、1914年の大正3年に移り住んだ。

                   JR東日本東京支社があるJR田端駅へ

「田端文士村」
芥川龍之介(小説家)・板谷波山(陶芸家)・香取秀真(鋳金工芸作家・歌人)・菊池寛(小説家・劇作家・ジャーナリスト)
久保田万太郎(俳人・小説家・劇作家)・小穴隆一(洋画家・随筆家・作家)・小杉放庵(洋画家)・佐多稲子(小説家)・田河水泡(漫画家)
萩原朔太郎(詩人)・正岡子規(俳人・国語学研究家)・室生犀星(詩人・小説家)等。

                   開館は、1993年完成。




「芥川竜之介」 1892-1927 大正期の代表作家。
母方の実家、江戸文人芥川家に入籍、東大英文科卆、在学中「新思潮」同人となり、早くも「鼻」が、師の夏目漱石から激賞され、「羅生門」
「地獄変」など歴史小説を。
森鴎外の歴史小説・翻訳と漱石からの感化が強かったと云う。一語一句と知的表現を大事にした。
短編作家ー1921年中国に遊ぶ、その後神経衰弱に悩み、その当時の社会不安も影響し自殺する。

                  大正3年頃から住んでいる。




                   駅前の田端ふれあい橋


竜之介が引っ越ししてきたのが大正3年・室生犀星が大正5年・萩原朔太郎・窪川鶴次郎・中野重治・堀辰雄などの詩人たちが。
坂下は、三河島・千住の工業地帯、遠くは、千住のお化け煙突から煙をモクモク吐き出している姿が見えたと云う。
















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