しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

タイタンの妖女 カート・ヴォネガット・ジュニア著 朝倉久志訳 ハヤカワ文庫

2013-09-20 | 海外SF
宇宙の戦士」が思いっきりストレートな作品だったので、変化球気味かつ古めの作品を読もうということで本書を手に取りました。

先月錦糸町のブックオフで見かけて450円で新版を購入したのですが....。

その翌週ぐらいに蒲田のブックオフで旧版が105円で売っているのを見つけ改めて購入。

ハヤカワ文庫は字が小さくて凝縮している旧版の方がなんだか好みです。

両方、和田誠氏の絵が表紙ですが微妙に違っていたりします。
(後で新版を見てみたら訳を見直したり、この作品の大ファンの太田光氏があとがき的なものを書いていたりしています)
本書は’12年ローカス誌オールタイムベスト91位、’06年SFマガジンでは49位となっています、1959年出版。

昔から作品名はなんとなく知っていたのですが、なにせ「タイタン」の「妖女」ですからねぇ、古典的なスペースオペラだとばかり思っていました...。

今回海外SFを読みだしていろいろ情報が目に入り知ったのですが、この本の著者カート・ヴォネガット・ジュニア氏、SFだけでなく「現代アメリカ文学を代表する一人」なんですね。(出典:wikipedia
日本でも初期の村上春樹作品はヴォガネットを下敷にしたといわれているようでSFファン以外に村上春樹ファンにも人気のようです。

ただ有名になったのは1960年代中盤以降のようで、この作品は発表した時点ではそれほど話題ならず後から再評価されたようですね。

内容(裏表紙記載)
すべての時空にあまねく存在し、神のごとき全能者となったウィンストン・N・ラムファードは、戦いに明け暮れる人類の救済に乗り出す。だが、そのために操られた大富豪コンスタントの運命は悲惨であった。富を失い、記憶を奪われ、太陽系を星から星へと流浪する羽目になったのだ。最後の目的地タイタンで明かされるはずの彼の使命とはいったいなんなのか? 心優しきニヒリストが人類の究極の運命に果敢に挑戦した傑作!

この内容紹介もなんだかとてもスペースオペラっぽい....。
思いっきり勘違いして読み出して、最初だけ読んでやめた人もいるんじゃないでしょうか?

読みだして最初に思ったこと。
銀河ヒッチハイクガイド」に似ている。
ネットで調べたらその辺指摘されているようです。(ヒッチハイクガイドの方が後です)

次に感じたこと「つまらない...」ユーモアあふれる表現などと評されているようですが、いじめのようなひどい出来事ばかりが続いて救いもない...。
読んでいて気が滅入ってきました。
この作品、少なくともエンターテインメントな小説ではないと思います。
その点では「銀河ヒッチハイクガイド」の方が全然明るいトーンですね。
(こっちはあっという間に地球がなくなり数十億の人類他が死んでしまうわけですが...)

また火星での話は、スペースオペラのパロディなのかなぁ?とか、ハイペリオンの詩人の話はこの辺から来ているのかなぁなどと考えながらなんとか読み進めていき...

2/3位まで進み、コンスタントが地球に帰ってくる辺りから物事が進み始めていき、徐々に全容が明らかになってきて「なるほどね~」と感じだしました。

ここからの展開は鮮やかですし、前段での伏線も効いていて結末もなかなか美しい...とは思いますが相変わらずエンターテインメントではない気がする。

SFというか純文学に近いかなぁという印象。
日本でいえば安部公房に近い感じでしょうか。
ハインラインの「宇宙の戦士」とは対極(?)かもしれない。

読後、いろんな感想、感情、思いなどが湧いてきました。
私がSFに求めているのとは質が違う気がしますが名作だと思います。

なかなか進まない作品の場合途中で自信がなくなりネットで情報を漁ったりするのですが、この作品、爆笑問題の太田光氏が大学時代読んで涙した一押しの作品らしい。
私も20代で読んでいたら茫然となっていたかもしれないという気はします。


いろいろ思いが出てくる中、私の頭の中に浮かんできた一つは旧約聖書「ヨブ記」のパロディ...。
だからどうしたということははっきり言えるほど教養はありませんが、ヨブ記と対比して神やら運命やら人間やらといろいろ考えてしまう...。
なおヨブ記は大学の一般教養で習ったきりだったので、今回ネットで内容確認をしなおしました。
ネットでさらりと内容確認する「ヨブ記」...なんだか未来的だ...さすが21世紀。

ということで、対比してみました。

この作品中で主人公コンスタントとビアトリスに試練を与えるラムフォード。
(こういう書き方をするとギリシャ神話的でもあるような...)
全ての時間を見ることが出来る「存在」で神的能力を持っているのですが、自分のことを「神ではなく、蚤のごとき存在」と定義していて、自分自身もどうしようもない運命に支配されているという状況にいる。
実際に手を下す存在ということではラムフォード=サタンという構図とも見ることができます。

ヨブ記の主人公、ヨブは偉大で意志の強い存在で与えられた試練に立ち向かうわけですが、コンスタントは全米一の富豪という設定ですが、もともと偉大な人間ではなく(それほど悪人でもない)さらに記憶を無くされまるっきりの愚者にされ、理不尽にいじめられます。
コンスタントはかすかに残った意志でなんとか運命に逆らおうとするのですが...。
どんどん絶望的状況になっていきます。

一方ラムフォードは地球の「人類平和のため」などという理由で、罪もない(徳もない)人間(火星人)を地球人に15万人以上殺させ(死者149,315名、負傷者446名、行方不明46,634名と書いている)ディスユートピアちっくな新興宗教「徹底的に無関心な神の協会」を広めていく。(ここでも人類全体何十億と15万人の死どちらがいいかという命題があったりする)

最後に人類史に大きな影響を与えてきた神的存在として描かれているトラファムドール星人、サロが登場します。
でもこのサロもラムフォードの行いをまったく抑えず、ご機嫌を取っている状況..。
その「神」も全然下らない理由で動いていて、神的存在=サロもロボットだったりする。

コンスタントとビアトリスへのいじめの目的は多くは明かされていませんが、少なくとも一部は自分の妻に対しての多分に屈折した恋心だったりする。(少女期の絵をずっと持ってるし...)
コンスタントへの理不尽ないじめは...無茶苦茶だ・・・。

ラムフォードは勧善懲悪的な意味ではまったく罰せられないで、太陽系外に超存在として出て行ってしまう。
怖い話です....。

ヨブ記では「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
と諦念したヨブが、最後には財産を2倍にして戻され、体も健康になってめでたしめでたしで終わるわけですが、本作では...。

最後にヒロイン、ビアトリスがいう言葉
「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」と彼女はいった「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」

主人公コンスタントの言葉
「おれたちはそれだけ長いあいだかかってやっと気づいたんだよ。人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛することだ、と」

と発した後に、「これって幸せなの?」という状態で終わります。

最後の場面「とにかくコンスタントは金を持っていた」という記載がありますが、その額は「3千ドル」とされ「そこに希望がなくはない」とあります。
コンスタントの財産は冒頭30億ドルといわれてますから100万分の1になっている....ヨブとはえらい違いだ。

最後にわかりやすい「めでたしめでたし」のない「ヨブ記」なわけです。
うーん。

「宇宙の戦士」はひたすら、自分が「鍛えて」「努力して」運命と戦い、切り開いていこうという話でしたが、相手が自分の戦う気持ちすら無にする力のある絶対者で神的存在という理不尽な状況だったらどうするべきなのか?

ヨブ記は基本「神」に「従う」話ですが、戦う相手が神と物凄い親しいサタンで、自分が神とそれほど親しくない場合人はどうするべきなのか?どうなってしまうのか?

この作品の一応の答えは運命に対して「あきらめと手近な愛」に「幸せ」を求めるというようななっていますが、額面どおり受け取っていいのかどうか?

ヴォガネット、紹介で「心優しい」と書いていますが...。
かなり荒涼とした風景が心の中にあって、もやもやと答えの出ない人なんだろうなぁと感じました。

とにかくいろんなことを考えさせられる作品ですね。

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