しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

虞美人草 夏目漱石著 新潮文庫

2014-10-08 | 日本小説
雲なす証言」読了後、ピーター卿シリーズを続けて読むかをちょっと悩んだのち「雲なす証言」の解説でちょっと言及されていた「虞美人草」を読むことにしました。
(べつにセイヤーズ及びピーター卿シリーズと「虞美人草」はなんの関係もないのですが、虞美人草最後の「この街では喜劇ばかりはやる」が英国事情の紹介で引用されていた。)

本自体は昨年漱石を読んでいた時ブックオフで程度のいいものを108円で購入済。

夏目漱石はひそかに(?)しばらくかけての全作読破を目指していたりします。

本作は漱石が教職を辞し朝日新聞社に入社後の第一作で1907年(明治40年)に朝日新聞で連載された作品。
1905-1916年という漱石の短い作家生活の中でも初期の作品ですが、前年の1906年の「坊ちゃん」や本作と同じ1907年の「野分」とは色合いが違い、後の作品につながっていく転換点的色合いの深い作品です。

一般的な評価が高くないようで同時代の正宗白鳥は「勧善懲悪の馬琴時代に退行している」などと評価し、現代でも難解な文章が多い点を「力の入り過ぎ」とか「人物が類型的」などという批判が多く出ている作品のようです。

内容(裏表紙記載)
大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断わるが……。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。東京帝大講師をやめて朝日新聞に入社し、職業的作家になる道を選んだ夏目漱石の最初の作品。

内容、あらすじはほぼ上記内容紹介のとおりですこぶる単純です。

漢語的表現で西洋哲学的概念を説明している文章がときどきはさまり確かに難解です。
あまりにご都合的展開(特に最後)も「安直」に見えるかもしれません。

ただ....筋がわかっていてもさすが漱石先生とにかく読ませます。

難解な部分もよく読むと、見方に漱石独特のアイロニーが入っていてとても面白い。
主人公:小野のなんとも小市民なところも「自分」の弱さを見ているようで...なんともいえない気分になりました。

ということで私は「名作」と思いました。

正宗白鳥は「馬琴時代に退行」と批判していたようですが、私は本作での漱石は近代文学を飛び越えて一気に「現代文学」の領域まで入っているように感じました。
作中で作者が時々出て来て状景や人物の解説を自ら行っていてメタフィクション的なつくりになっています。
そこで言い訳している以上展開がどんなにご都合主義的でもそこは「空想」もしくは「仮想」世界での出来事なので「なんでもあり」になっている。

小夜子と宗近・甲野が何度も京都で会うのも、同じ電車で東京に出てくるのも、博覧会で宗近・甲野・藤尾と小野・小夜子親子が遭遇するのもすべて現実的には在りあえない偶然ですがそこはメタフィクション的現実世界なので何でもあり。
(ここも作者自身が作中に出てきてご都合主義なのを説明している)

あえてそんな状況を創ってそこから出てくる「状況」の変化を作者が超越的位置から楽しんでいる。
そんな作品と感じました。

メタフィクション的状況を軸にして、ストーリーはシェイクスピア戯曲のパロディ的に展開させています。

男女がそれぞれ思惑を抱きながらもすれ違って会話を交わして関係がややこしくなる。
そんな状況をシェイクスピアの喜劇的に宗近が大活躍して大団円を迎えそうなところを…。
(このご都合主義的な活躍も意図的にご都合主義にしていると思うと楽しめた。)
藤尾の死を意図的に不自然かつ唐突に描くことで悲喜劇にしている。

人生やら小説は悲劇なのか喜劇なのか?

ラストは甲野の「悲劇とは生か死かである」という述懐と宗近のシェイクスピアの本場+近代の象徴(?)イギリスからの述懐「この街では喜劇ばかりはやる」で終わる。
あいまいだ....。

漱石...すごい。
構成に隙がないです、とても頭がいい...。

解説で漱石の書簡中に「藤尾がきらいだから殺す」というようなことが書いてあったことが紹介されていますが、ここまで凝った構成になっている作品で単純に嫌いだから殺したわけではない気がします。

「藤尾」を殺してしまうことで、登場人物全てになにがしか翳を与えて、安直な「喜劇」になることを避けているように感じました。

この作品に出てくる宗近やらの人物造形が類型的という批判もあるようですが、異常な状況の中で意図的に実際にはいなそうな類型的人物を配役して演じさせているわけで、そういう批判は本作の場合あてはまらない気がするのですが….。

シェイクスピア的展開をメタフィクション、パロディ化して不条理なラストで〆るというあまりに実験的かつ巧み、現代的な構成は当時の世相からすると受け入れがたかったんでしょうか?
何せ明治ですからねぇ。

あまりに「巧みすぎる」感もあり「軽い」と感じないでもないですが、一種のドタバタ悲喜劇と捉えて筒井康隆辺りが同じようなことをやったと考えれば1970年代辺りでは傑作「純文学」として受け入れらる作品な気がします。

漱石の凄さを改めて感じさせられた作品でした。
活動初期段階ですでに完成されていた作家なんですねぇ...。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
書評のお願い (うつ克服カウンセラー@玉村勇喜)
2014-10-11 14:06:26
はじめまして。

うつ克服カウンセラーの玉村と申します。

このたび、うつに関する自伝書を出版しまして、
御ブログにこの本の書評をブログに書いていだけないかと思い連絡しました。

著書「鬱〈うつ〉に離婚に、休職が… ぼくはそれでも生きるべきなんだ」
http://urx.nu/cmxN
(Amazonの短縮URLです)

この本は、著書11冊を出版している、
大阪経済大学人間科学部 教授の、
古宮昇氏からも帯の推薦文をいただいています。

メールアドレスを教えて頂ければ、本の原稿を送らせていただきますし、
住所を教えて頂ければ、本を郵送させていただきます。

もし本を書評ブログに書いていただけるなら、
私のブログで御ブログへの感謝の言葉を書かせて頂きます。

どうか、何卒よろしくお願い致します。
返信する
書評のお願い (うつ克服カウンセラー@玉村勇喜)
2014-10-11 14:07:53
はじめまして。

うつ克服カウンセラーの玉村と申します。

このたび、うつに関する自伝書を出版しまして、
御ブログにこの本の書評をブログに書いていだけないかと思い連絡しました。

著書「鬱〈うつ〉に離婚に、休職が… ぼくはそれでも生きるべきなんだ」
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大阪経済大学人間科学部 教授の、
古宮昇氏からも帯の推薦文をいただいています。

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もし本を書評ブログに書いていただけるなら、
私のブログで御ブログへの感謝の言葉を書かせて頂きます。

どうか、何卒よろしくお願い致します。
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Re:書評のお願い (しろくま)
2014-10-11 16:40:24
玉村勇喜様 コメントありがとうございます。
せっかくのご依頼ですが、私には自信がございませんのでご遠慮させて頂ければと思います。
何卒よろしくお願いいたします。
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