しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

虚人たち 筒井康隆著 中公文庫

2014-04-04 | 日本小説
インフルエンザも治り「きまぐれフレンドシップPart1」やら「星新一-1001話つくった人」やらを読んで筒井康隆作品が読みたくなり手に取りました。

「虚人たち」は「惡の華」でも春日くんが常磐さんにお勧めしていましたしね。

本自体は昨年川崎のブックオフで見つけて購入はしていました、105円。

本作、筒井康隆がSFから明確に外れていきはじめた作品というイメージがあります。
1979年6月~1981年1月まで純文学雑誌「海」に連載され、1981年刊行されています。

「SF作家」が純文学雑誌に連載したということは文壇的には大きな事件のようで、著者本人もいろいろ思うところがあったようですね。
(大江健三郎が口をきいたらしい)
このころからしばらく「実験的」「純文学作品」にチャレンジし、本作では泉鏡花文学賞、「夢の木坂分岐点」では谷崎潤一郎賞を受賞しています。

この辺から「文学賞」に縁のなかった星新一と筒井康隆の仲も微妙な関係になっていったようです….。
でもまぁ「星新一」はある意味究極的な意味で完成された作家=「天才」なので、「実験作」を書こうとは思わなかったし書けなかったんだろうなぁ…。
「偉大なるマンネリ」スタイルとでもいうか、SFでも時代小説でもどの作品も同じスタイルで書かれている作品が今でも普通に読み継がれているわけですから「天才」としかいいようがない。

そういう意味では筒井康隆の方が器用に何でもできるわりに「自分のスタイル」に絶対的な自信はなかったのかもしれませんね、
筒井康隆が折有るごとに「星新一」を持ち上げているのは本音なんだろうなぁと思いました。
う~ん微妙だ....。

本作の存在自体は中学生時代から知っていました。
地元の図書館でハードカバーの本書を見て「借りようかなー」と悩んだ記憶があります。
あの頃読んでいたら....まぁまず最後まで読み通せなかったと思います。

内容(裏表紙記載)
同時に、しかも別々に誘拐された美貌の妻と娘の悲鳴がはるかに聞こえる。自らが小説の登場人物であることを意識しつつ主人公は必死の捜索に出るが・・・・・・。 小説形式からのその恐ろしいまでの“自由”に、現実の制約は蒼ざめ、読者さえも立ちすくむ前人未到の話題作。泉鏡花賞受賞作

とりあえずの感想「つまらない」。

かなりの力作で意欲的なチャレンジをした作品であることはわかるのですが、とにかくつまらない。
実験的な描写と「おもしろさ」を両立させることは可能じゃないかなぁ?と思うのですが、本作では著者の頑ななまでに「おもしろく」しないという意志を感じました。
「純文学」=「つまらない」=「おもしろくない」という様式を守っている。

要素要素では「ドタバタSF」的な描写を使用していますがそれでもとにかく面白くならない(しない)で展開していく。
私は純文学の良し悪しはよくわかりませんが「場面場面」が強烈に印象に残ったのできっと「純文学」としては成功作なんでしょう。
泉鏡花賞受賞してますしねぇ。

ただ何がいいたいのかはよくわからない....。
人間性の追求とかいったものを排した「純粋」な「文学」を書いたんでしょうか?
文学とか小説の約束事を徹底的にチャカしている感じでもあります。

この作品の実験性についてはいろんなところに書いてありそうなので詳細省きますが、これだけ複雑な構造にした作品を書ききるというのは並大抵の才能ではない気がするのでとても感心はしました。
「きまぐれフレンドシップpart1」で星新一が筒井康隆を評して「世界中のみんなが狂ってもこの人だけでは狂えないのではないか?」と評していたのがなんだかよくわかる気がしました。

でも、つまらなさに耐えられれば読書体験として一読の価値はある作品かと思います。

あと余談ですが、冒頭の辺りでヴォネガットの著作名を登場人物が適当にしゃべる場面があります。
筒井康隆はヴォネガットを評価していたのでしょうか?
SFから文学へ行った感のある作家ですのでちょっと立ち位置似てますかねぇ。

ちょっと気になりました。

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