
将棋三家の公務は「御城将棋」がある。これは年に1度、将軍の御
前で技芸を披露すること。ただし、将軍が観戦することは稀で、月番
の老中が替わって観戦したという。

当初、御城将棋の開催日は決められていなかったが、八代将軍、吉
宗の時代に毎年、11月17日と決められた。この日は現在、将棋の記
念日となっている。
将棋の各段位が制定されたのは江戸時代。祠曹雑識には格段位につ
けられたハンディキャップ表も載っている。この段位は名人を基準と
して、免状の発行も将棋三家のみに許された特権であった。
現在では四段以上の人がプロ棋士と呼ばれているが、江戸の当時は
初段といっても腕は高く評価され、将棋を指南して生計を立てる人物
もいたと言われる。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)
前で技芸を披露すること。ただし、将軍が観戦することは稀で、月番
の老中が替わって観戦したという。

当初、御城将棋の開催日は決められていなかったが、八代将軍、吉
宗の時代に毎年、11月17日と決められた。この日は現在、将棋の記
念日となっている。
将棋の各段位が制定されたのは江戸時代。祠曹雑識には格段位につ
けられたハンディキャップ表も載っている。この段位は名人を基準と
して、免状の発行も将棋三家のみに許された特権であった。
現在では四段以上の人がプロ棋士と呼ばれているが、江戸の当時は
初段といっても腕は高く評価され、将棋を指南して生計を立てる人物
もいたと言われる。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)