令和の平蔵、今日のひとこと

組織のマネジメントに、ビジネスに、人間関係の改善に、お役に立つことを書き綴っていきます(2021年4月1日)

備忘録 22-10-31

2022年10月31日 06時08分03秒 | 備忘録
霜を履(ふ)みて堅氷(けんぴょう)至る

――履霜堅氷至

『易経』

秋になって霜が下り始めると、やがて堅い氷の張りつめる厳しい冬がやってくる。つまり冬は秋を飛び越えて一気にやってくるわけではない。そのまえに、霜が下りるという前兆があるのだ。だから、霜の下りるのを見たら、冬の支度を急がなければならない。

人間世界の出来ごとについても、これと同じことがいえる。

どんな大事件でも、必ずその前触れとなるような、小さな事件がある。だから、かすかの前兆でも、それを小事だと見過ごすことなく、ただちにその動きを察知して、早めに手を打たなければならない。

「霜を履みて堅氷至る」とは、それを警告したことばである。

ただし、かすかな前兆を読み取るためには、絶えず神経をとぎすまし、緊張感をみなぎらせて仕事にあたらなければならない。霜が下りても、まだ冬の到来に気づかないようでは、困るのである。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

10月最終日です。今年もあと2カ月!

今日も一日がんばりましょう。
今週も宜しくお願いいたします。

備忘録 22-10-30

2022年10月30日 06時57分25秒 | 備忘録
志ある者は事竟(ことつい)に成る

――有志者事竟成

『後漢書』

どんな難しい事業でも、「志」さえあればやり遂げることができるのだという。では、「志」とは何か。説明しようとすると、意外にむずかしい。しいて言えば、つぎの二つの側面から待っているように思う。
一、心のなかに自覚されている鮮明な目的
一、それを成し遂げようとする強烈な意欲
つまり、目的と意欲の合体したものが「志」だと言ってよいかもしれない。

念のため「志」に関することばを二つ紹介しておこう。

「志立たざれば、舵(かじ)なき舟、銜(くつわ)なき馬の如し」(王陽明)
「志を立つること高からざれば、則ちその学みな常人の事のみ」(陳瓘)
こう見てくると、人間はだれでも「志」をもったほうがよいのかもしれない。なぜなら、 それがないと、情勢の間(ま)にまにただよっていくだけの人生になってしまうからである。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日がんばりましょう。

備忘録 22-10-29

2022年10月29日 07時01分57秒 | 備忘録
備忘録 22-10-29

下問を恥じず

――下恥下問

『論語』

目下の者に教わることを恥としない、という意味。

子貢という弟子が、あるとき孔子にこうたずねた。
「孔圉(こうぎょ)という人物に、どうして“文”という立派なおくり名がつけられたのですか」
ちなみに孔圉は衛の国の重臣であったという。孔子の答えは、こうである。

「敏にして学を好み、下問を恥じず。これを以ってこれを文と謂(い)う」
聡明なうえに向学心があつく、あえて後輩に教わることを恥としなかったからだというのだ。

前段はよくわかる。それにさらに「下問を恥じず」の一句をつけ加えたのは、やはり並みの人間にはむずかしいことだからであろう。「聞くは一時の恥、聞かざるは一生の恥」 という。目下の者に教えを請うのは、あまりカッコウのいいものではないが、そんなことにこだわるなということだ。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日がんばりましょう。

ステキな週末をお過ごしください。

備忘録 22-10-28

2022年10月28日 06時41分04秒 | 備忘録
知る者は言わず、言う者は知らず

――知者弗言、言者弗知

『老子』

老子は万物の根源に「道」の存在を認め、その「道」のもっている無為自然の徳を賞揚した思想家である。ここに言う「知る者」とは、そういう根源的な徳を体得した人物を指している。訳せば、「道を体得した人物は、知識をひけらかさない。知識をひけらかすような人物は、道を体得しているとは言えない」となるであろう。『老子』は、こう語ったあとで、つぎのように付け加えている。

「道を体得した人物に対しては、親しんでいいのか疎んじていいのか、利益を与えていいのか損害をかけていいのか、尊敬していいのか軽蔑していいのか、とんと見当もつかない。こういう人物こそ、もっとも理想的なのである」

たしかに、わけ知り顔でまくしたてる人物は底が低い。とくにリーダーは、亡くなった大平元首相のように、「アー、ウー」ぐらいで、ちょうどよいのかもしれない。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日がんばりましょう。

備忘録 22-10-27

2022年10月27日 07時08分43秒 | 備忘録
寡(すくな)きを患えずして均しからざるを患う

――不患寡而患不均

『論語』

孔子が政治の要諦について語ったことばである。「丘(きゅう)や聞く(私はこう聞いたことがある)」と前置きして、つぎのように語っている。

「国を有(たも)ち家を有つ者は、寡きを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う」

「国を有(たも)ち家を有つ者」とは、為政者を指す。そういう立場にある者が心がければならないことは、国を富ますより、まず富の不平等をなくすこと、人口をふやすより、まず人民ひとりひとりの生活を安定させることにあるのだという。

「なぜなら」と孔子が語っている。

「不平等をなくせば、国は自然に豊かになる。人民が安心して暮らせるならば、人口が減ることはない」

そして孔子は「民生の安定こそが、国を安泰にする基礎なのだ」と断言している。これは現代にもそっくり当てはまるであろう。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日がんばりましょう。