令和の平蔵、今日のひとこと

組織のマネジメントに、ビジネスに、人間関係の改善に、お役に立つことを書き綴っていきます(2021年4月1日)

備忘録 22-05-31

2022年05月31日 08時30分42秒 | 備忘録
久しく尊名を受くるは不詳なり

――久受尊名不詳

『史記』

 越(えつ)王勾践(こうせん)に仕えた范蠡(はんれい)という人物がいた。「天、勾践を空(むな)しうするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず」という児島高徳の一句によって、無二の忠臣として知られている。たしかにかれは、勾践を守(も)りたて、呉(ご)王夫差(ふさ)に対する復讐を遂げさせた。しかし、目的を達したとたん、大将軍のポストを捨てて勾践のもとを去ったのである。けっして単純な忠臣像で律しきれる人物ではない。

 さて勾践のもとを去って斉(せい)の国に移住したかれは、こんどは実業家として成功し、その手腕を買われて宰相(さいしょう)就任を懇請される。そのとき、かれの口から出たのがこのことばである。「栄誉が長く続くのは禍のもとだ」、こう言ってかれは懇請をことわり、別の土地に移ってまた巨万の富を築いたという。

 人は誰でも栄誉をほしがる。しかし、昇りつめれば転落が始まり、栄誉も長く続けば禍のもとになる。その機微を心得ていた范蠡こそ、「明哲保身」の人だった。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

明哲保身:賢い人は物事の道理に従って行動し、危険を避けて安全な道を選び身を守る

五月も今日で終わります。今日も一日がんばりましょう。

備忘録 22-05-30

2022年05月30日 08時20分22秒 | 備忘録
安きに居りて危うきを思う

――居安思危

『貞観政要』

『貞観政要(じょうがんせいよう)』という本は、名君の誉れ高い唐の太宗(たいそう)とその側近たちが、力を合わせて政治に取り組んだ苦心談の記録である。そのなかの一節――魏徴(ぎちょう)という側近が太宗に向かって、つぎのように語っている。

「今までの帝王をごらんください。国が危殆(きたい)に瀕したときは、すぐれた人材を登用し、その意見によく耳を傾けますが、国の基盤が固まってしまえば、必ず心にゆるみが生じます。そうなると、臣下もわが身第一に心得て、君主に過ちがあっても、あえて諫めようとしません。そうして国勢は日ごとに下降線をたどり、遂には滅亡にいたるのです。 昔から聖人は『安きに居りて危うきを思う』のは、これがためであります。国が安泰のときこそ、いっそう心を引き締めて政治にあたらなければなりません」

企業経営においても、同じことだ。業績が好調なときに、気持ちをゆるめないで、不況時に対する対策を用意しておかなければならない。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日がんばりましょう。

今週も宜しくお願いいたします。

備忘録 22-05-29

2022年05月29日 07時47分44秒 | 備忘録
君子は言(げん)に訥(とつ)にして、行ないに敏(びん)ならんことを欲す

――君子欲訥於言敏於行

『論語』

訳せば、「君子は弁舌がさわやかであるよりも、実践において勇敢でありたい」となる。くだけた言い方をすれば、「口先よりも実行を」ということだ。そのへんの政治家にでも聞かしてやりたいようなことばではないか。

もっとも、中国人はむかしから自己主張が強く、弁舌がさわやかだったらしい。とくに、不利益をこうむっていると見るや、猛然とまくし立てる。孔子は、そういう人たちを相手に語っているのだということを念頭に置く必要があるかもしれない。

その点、われわれ日本人は伝統的に自己主張を苦手とする。事を荒立てるよりも、泣き寝入りする傾向が強かった。だから、われわれはむしろもっと弁を磨いたほうがよいのかもしれない。

しかし、そのことを考慮に入れても、能弁や口達者は、度が過ぎると、かえってマイナスに作用する。主張すべきときには大いにまくし立てなければならないが、普段は寡黙に徹したほうがよいだろう。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日は新国立競技場に行ってリーグワン決勝戦を観戦します。
いつかこのステージにブラックラムズが立てますように。

今日も一日がんばりましょう。

備忘録 22-05-28

2022年05月28日 07時42分47秒 | 備忘録
呉下(ごか)の阿蒙(あもう)に非(あら)ず

――非呉下阿蒙

『三国志』

『三国志』の一方の雄が呉の孫権(そんけん)という人物であるが、この孫権の部下に呂蒙(りょもう)という将軍がいた。呂蒙は戦がめっぽう強く、どんどん抜擢されて将軍の位にまで上った人物である。だが、少年時代は家が貧しくて勉強できず、ほとんど無学、無教養に近かった。一兵卒ならそれでもよいが、いやしくも将軍ともなれば、それでは困るというのが中国社会の認識である。

一念発起した呂蒙は、寸暇を惜しんで兵法書や歴史書を読みあさった。たまたまそのころ、先輩の将軍が呂蒙の屯営(とんえい)に立ち寄った。すると呂蒙はとうとうと戦略戦術を論じたてて、先輩の将軍を感服させた。そのとき、先輩の将軍のもらしたのが、このことばである。

「むかし呉の都にいたころの蒙君(もうくん)ではなくなった」という意味で、よくもまあ進歩したものだという感嘆の気持ちがこめられている。

われわれも「呉下の阿蒙」(進歩しない人間)であってはならない。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日がんばりましょう。

オンラインの勉強会とミーティングが二本、気合を入れます。

備忘録 22-05-27

2022年05月27日 07時50分41秒 | 備忘録
学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し、思いで学ばずれば則ち殆(あや)うし

――学而不思則罔、思而不学則殆

『論語』

有名なことばなので、ご記憶の向きも多いかもしれない。しいて訳せば、「読書にのみふけって思索を怠ると、知識が身につかない。思索にのみふけって読書を怠ると、独善的になる」となる。

知識が身につかないとは、知識の断片が雑然とつめこまれているだけで、生きた知恵として作動しないということだ。消化不良と言ってもよいだろう。

後段のくだりについては、こんな話を聞いたことがある。

むかし、小学校を出たばかりの少年が、まったくの独習で数学の勉強を始めた。かなりの秀才であったらしい。苦心すること数年、「やった、遂に解けたぞ」と叫んだその問題、小学校時代の先生に見てもらったところ、なんと中学校の二次方程式で簡単に解けるような問題であったという。 先人の業績に学ばないと、こんな喜劇が起こりうるのである。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日がんばりましょう。