学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困(くる)しむを知る
――学然後知不足、教然後知困
『礼記』
「学びて然る後に足らざるを知る」――学ぶことによって自分に不足しているものがわかってくる。だから、学ぶことには終局がない。
「教えて然る後に困しみを知る」――これは教える立場に立った人でないと理解できない面があるかもしれない。ふつう、人から学ぶよりも、人に教えるほうが二倍も三倍もの労力を必要とする。人に対してまちがったことを教えるわけにはいかないから、時間をかけて勉強もし、準備もする。それでも十分だということはありえない。たえず自分の未熟さを思い知らされる羽目になる。
それが、ここに言う「困しみ」に他ならない。だから、その「困しみ」をバネにして、いっそう勉強に励まざるをえないということになる。
つまり、このことばは、「足らざるを知る」ことも「困しみを知る」ことも、自分を向上させる動機になることを語っているのだ。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
「死して後已む」努力は続けないといけないですね。
7月に入りました。
今月も一ヶ月、宜しくお願いいたします。