人は人 吾は吾なり 

時事問題や周りの出来事などを扱って行きながら、目の前の目標を失った時や自分が進むべき道などが見えてくるかも知れない。

福祉と謂う名の落とし穴

2008-07-23 17:54:40 | Weblog
PRIDE OF JAPANからの投稿記事紹介

スウェーデン人100歳に聞きました

 最近、スウェーデン関係の本を読みましたが、理想的な福祉国家の仮面の裏に恐るべき実体が隠されていることが分かりました。福祉は大変なコストを必要とし、さらにそれが費用拡大の自律運動をやめず、経済成長がなければ福祉が維持できないという現実が見えてきます。

公的部門の支出はすでにGDPの60%を超え、しかもこの公的部門に女性が集中し、労働市場の流動性とバランスを失っています。一方高福祉の為の高負担も限界に来ているようです。国民負担率は70%を超え、さらに一般消費税25%が加わり文句なく世界一の重税国家がスウェーデンの正体です。5%の消費税に悲鳴を上げる日本人はこんな重税に耐えられるのでしょうか。

 福祉国家成立の影に家族の崩壊があり、それにはスウェーデン女性の価値観が密接に関係しているようです。彼女たちは家庭から外へ出て働くことに女性の自由と独立があると考えています。そしてスウェーデン女性の社会進出は文句なく世界一です。


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しかしその実体は首を傾げたくなるものです。国会議員は約40%が女性ですがこれはクオーター制という選挙制度によるもので、男女平等法・平等オンブズマン制度があるにもかかわらず、女性の社会進出は特定分野に偏向しています。男性の職種は160前後に広く分散していますが女性の場合は20種前後の特定分野、特に公共の福祉部門に集中する結果となっています。

 福祉問題も男女を本質的平等だが対立するもの、と見る西欧的価値観でなく、お互いに異質なものだが補完しあうものという日本古来の価値観で見る場合では問題解決のやり方も自ずと違ってくるものと思われます。これを機会にお考え頂ければ幸いです。

「福祉」栄えて、国滅ぶ

「この頃、みやこにはやるもの」に福祉という言葉がある。“フクシフクシ”といささか、かまびすしいこの言葉は平和、人権、平等、環境と同じく、黄門様の葵の印籠のごとく、抗いがたいものとなっている。福祉とはそれほど素晴らしいことなのであろうか見ていきたい。

福祉という言葉の由来

ものの本によると、福祉という言葉は大東亜戦争終結まで、日本にはなかったとのことである。戦後マッカーサーが日本に憲法改正を迫り、所謂マッカーサー憲法原案を日本側に手渡した。その中の11条、12条等に「General welfare」という言葉が出てくるが、これを日本側で翻訳する際、始めて福祉という言葉を当てたとのことである。元来「福」も「祉」も幸せを意味する言葉である。

福祉という言葉の意味

福祉を広辞苑で引いてみると「幸福、公的扶助による生活の安定、充足」とある。現在使われている福祉は社会的弱者救済の意味であり、言い方を変えると皆の税金で困った人の生活を安定させ充足させるという意味である。公的扶助というのは公的資金即ち税金で助けると言うことに他ならない。

英語でWelfareを引いて見るとはっきりと生活保護と書いてありわかり易い。いろいろな事情で努力してもどうにもならず公的扶助に頼らざるを得ない人がいるのは事実で、こういう人を扶助するは当然でこれに異議を唱えるものではない。

しかし現在の実態は違ってきているのではないかと思う。自立できる力がありながら、弱者をよそおい福祉は当然の権利であると主張する人たちがいる。さらに福祉を商売と心得違いをしている人々もいる。NPO,NGOを称しながら公的資金を自分たちの都合のよいように利用しようとする一群の人たちもいるようである。

福祉のあるべき姿

弱者といわれる人々を単に援助するだけでなく、何とか自立しようとする意欲を持たせ自立できるように援助するのが本来の福祉のあるべき姿であろう。さもないとこれらの人々から自立しようという意欲を奪い、安易な依存心を育てることになってしまう。

そうなると福祉の費用はどんどん増大し国家経済を破綻させることになる。昔は生活保護を受けるのは恥だという感覚があった。たとえ貧乏で生活が苦しくても、皆さんが苦労して出している税金で助けてもらうのは、皆さんにご迷惑をかけることになるという考えであった。現在は当然の権利だから自分で努力するより福祉で援助してもらうのが当たり前となっている。

理想的な福祉国家スウェーデンの実像

日本におけるスウェーデンのイメージは非常によいようである。しかしこれは外国の事情にナイーブで思い入れ過剰な日本人特有のメンタリティーによるものであろう。よく実態を見ると別な風景が見えてくるのである。戦後の旧社会主義国への異常な思い入れと同根といってもよい。

スウェーデンで100歳以上の老人は約700人だといわれている。この老人たちに「一生で何が最も重要な変化でしたか」と質問したところ、その答えで多かったのは「家族の崩壊」であったという。家族の崩壊がもたらしたのは老人たちの介護や育児を公的機関に委ねざるを得なくなった事即ち福祉への依存なのである。

スウェーデンの南部の大学都市ルンド大学のポールソン教授(女性)は以下のように主張している。スウェーデンの女性たちは「非生産的な家庭から解放されて、家庭外で自分を生かすことができるようになった」というが、女性たちを待っていた労働市場は賃金給与も低く狭い市場だったことを否定する訳には行かない。家庭を崩壊させたコストは高くついたことになる。

国が伝統的な家庭の仕事を肩代わりしているが、その費用は毎年増大している。その結果スウェーデン人の税負担は75%に達している。公的部門の支出を軽減しようとしても国民から嵐のような抗議を受けてしまうという。ポールソン教授はスウェーデンにとって今必要なことは福祉社会からの脱出を容易にするための議論が重要だと述べている。

因みにスウェーデンの犯罪率は世界でも飛びぬけて高く、犯罪王国といってもよいようである。刑事犯罪(10万人当たり)で見ると日本の7倍、アメリカの4倍で、強姦は日本の20倍、強盗は日本の100倍だという。この歪んだ福祉社会は次のようなものを生み出している。

ストックホルムではホームレスが男3,000人、女700人。自我が強いので日本ほどではないようだが学校でのいじめも深刻で中学生で3人に1人が被害者、基礎学校の9年目で60%の児童が犯罪を犯しているという報告もある。家庭での児童虐待も多く1997年は700件の通報があったという。離婚は日常茶飯事、2組に1組以上、その一番の被害者は子供である。これら悲惨な状態を生み出した第一の犯人は家庭の崩壊であるといって間違いはない。

福祉に潜む問題の本質

スウェーデンの事例を通して、福祉の問題の本質は家庭・家族のあり方であり、さらに誤解を恐れずに言えば、女性の生き方・しあわせの問題であることが見えてくる。今日、日本ではスウェーデンを理想とし、福祉サービスは家族から全面的・公的介護に向っているようである。

一方、スウェーデンでは逆に家族・親族による介護、さらに公的介護に全面的に依存しない選択的介護の方向を模索しているようである。考えてみればスウェーデンのように極端な個人主義社会で公的介護が重要なのは当然であり、共同体意識の強い家族社会だった日本が公的面で遅れているのは当然であった。

このような社会的な背景を無視して、すでに破綻しかけているスウェーデンの後を追うのは、あまりにも知恵のない話であり、日本独自の福祉のあり方が創造されるべきである。

福祉と男女平等の間に直接関係はない。しかしスウェーデンの事例を見るとスウェーデン女性の思想・考え方が家庭崩壊さらに福祉社会への扉を開き今日の事態を招いたのではないかと思わざるを得ない。あるアメリカの病理学者はスウェーデンの社会的病理の原因のひとつはスウェーデン女性にあるといっている。

独立願望のみ強く、情緒の面で荒廃し、しかも理想とする男性を育てようとしない利己的で冷淡で永遠の欲求不満を持つ女たち、そこにスウェーデンの男女関係の悪循環があると述べている。美しいバラには棘がある。美人国スウェーデンの皮肉な運命がここにあるのであろうか。

欧米のものとなると何にでも意味を見出し、むやみに賛美する日本のマスコミ・知識人の反知性的態度に問題がある。夫々の国の伝統・文化を無視して一つの価値観を押し付けると後で大きな問題が生じるのである。表面的な男女平等や安易な女性の権利の主張は、女性の真の幸せを損なう場合も多いことに気付く賢さが必要である。

マスコミや知識人に煽られた日本の進歩的女性たちは、何十年か前のスウェーデン女性の後を闇雲にたどって、それで幸せになれると思っているのであろうか。日本にはつつましく賢い女性が今も存在している。彼女らが声をあげ、立ち上がれば真の幸せへの道も現実のものとなる。男性がこれに全面的に協力するのは当然であり、真の男女共同参画社会はこのようにして実現するものと確信している。(文責: 大谷)


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