太田市長とれたて日記

清水まさよしが太田の元気をお届けします

SANYO

2010年07月30日 | Weblog

「SANYO」の名前が消える。
昔、黒川さん(当時副社長だったか)が健在だったころの話だ。「2万人がここで働いている」とSANYOを誇らしく語った。所在地は大泉町であるが、なにか太田の誇りでもあった。頼もしかった。

 

同級生はオーディオ事業部にいた。空調事業部にもいた。クラス会でも、みんなSANYOで働くことを自慢げに話した。
大阪から幹部の方が大勢太田に転居されてきた。産業界は活気づいた。周辺に多くの中小企業がはりついた。雇用はまちの力だ。まちに筋力がついた。
新しい血が太田に混じった。教育のレベルもSANYOによって押し上げられた。大学への進学志向も強くなった。わが母校も後輩のお陰で輝いて見えるようになった。

 

普段では聞くことのなかった大阪弁があちこちで耳にするようになった。新しい文化を持ってきてくれた。それは生活面でも都会的な香りをまちにただよわせた。新鮮であった。

 

「SANYO」の名前が消える。
昨日、半導体の話をしたばかりだ。いつかは挽回するのではないか、そんな期待をしていた矢先のニュースである。
太田にはパナソニックは似合いそうにない。太田の近時代をつくってきたSANYOである。物も人も文化も、SANYOからいただいたものは大きいからだ。

 

別に工場がなくなるわけでもないだろう。次の心配はパナソニックが何をしようとしているのか。働く人たちとか、いっしょに製品をつくってきた協力工場の人たちの励ましになる場所づくりになればと願うだけだ。
「SANYO」がなくなったとき、その現実がやってきたとき涙を流す人は多い。


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