この間、学校給食の「研究集会」が開かれた。来賓として招かれた。
各地区で行っている給食研究と実践の議論があったものと思われるが、目の前のことのみに関心を持たず「理想型」をつくりあげることを目標にすべきだと思った。
来賓の祝辞なるものはだれかが原稿を書いて、それを首長などが読み上げる。自分の考えはどこにあるのか?と思われるような挨拶が多い。
私は自分の意見をできるだけはっきり述べることにしている。職員のつくった原稿を「みっともないから」という意識があるからか、隠しながら読んでいる光景がある。失敗はないが・・。
この日も自分の意見を述べた。ちょっと乱暴だったかも。
先ず、給食費である。無料にすべきだということを言った。
これは「こども手当」以前の問題である。給食がお母さんの手間を省くという観点なら有料があたりまえである。ところが『食育』という。教育活動のひとつという。
給食が教育なら、お母さんの手間を省くのでないなら無料があたりまえではないか。
どこのセクションが担当しているのかしらないが「義務教育は無償」という法の精神に反することを学校は平然としていることになる。
次に、給食費がいかに安上がりで運営されているか。
中学生の平均が一食270円だという。育ち盛りである。安すぎる、もっと食べさせてあげればと思った。もちろん、そのことも挨拶で話した。
ずっと前、ある公安委員さんから、ちょっとうろ覚えだが「留置場の昼飯は450円だ。給食センターは230円。知ってますか」なんて話を聞いたことがある。
「中学生にもっと食べさせてほしい」が今の心境である。
中体連の市代表の壮行会で「運動やってて腹減りませんか。もっと給食があれば、と思う人は手を挙げて」と質問した。期待に反してだれも手を挙げない。みんな満足のようだった。
「腹が減る」という答えがあれば、給食のかさ上げをしてやろうかなと思っていた。3割くらい増量か、質的改善が行えればいいかな、という思いであった。もちろん『市負担』である。
だれも手を挙げなかったので、私の独りよがりを確認した。
まあ、いいか。
そして、野菜である。
野菜はすべて湯を通すということ。これは文部科学省でそういう決めをしたのだろうから、私には何も言えない。でも、おかしくないか。きゅうりやレタスに熱湯を通す。
熱湯を通すことで野菜の食感はゼロになってしまう。トマトを湯通しして子どもたちに食べさせれば本来のトマトを学習することもできない?まちがっていますかね。
O−157事件で食中毒が発生した。それ以来、野菜の醍醐味を学校給食では放棄した。
これは上から目線のある種の『逃げ』だと思う。
だれも、そのことに文句を言わない。家に帰って、学校で食育を学んだ通り、野菜を熱湯に通して食べている家庭がどのくらいあるか。ゼロでしょう。
家では「生野菜がおいしいよ」といってバリバリ食べている。この矛盾にだれも文句が言えない。
文部科学大臣が決めたのか、知事が決めたのか、すくなくとも市長が決めたわけではない。
農家の方にも失礼だと思う。食感よくレタスを食べてもらうために工夫をしている。湯に通すくらいなら、2流品を学校に配ればいい。
食育とはなにか、研修の結果が2学期から具体化されるだろう。
ただ、「あたりまえ」でないことをそのまま続けていくとおかしな社会になってしまう。心配だ。





