gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

WATASI(M)のツイットNO.271

2015-05-31 09:18:54 | 日記
2015年5月28日(木)  
 ピアノの練習、ウオ-キング、パソコン日記(⇒ブログ投稿)。
 この三つは、略、私の日課になっている。
 今日も、この3つは全て消化した。
 他に、朝昼晩の三度の食事、そして、やはり朝昼晩のテレビ・ニュースを見ること、そして眠ること。以上が私の変らない毎日の生活。
 今後、これ等(ピアノ・ウオーキング・パソコン日記《ブログ投稿》)の中から、欠落するもの、或いはそれに掛ける時間が減少してゆくものがあると思う。
 残された人生の中で、これ等の他に“何かやりたい事”が出てくるだろうか?
 確かな事は、これ等の事を一切やらなくなる日が必ずやって来ることだ。

2015年5月29日(金)
 先週の土曜日に予定していたピアノのレッスンは今日になった。先生が“ぎっくり腰”になった為である。
 先生は、腰の具合が大分良くなったのであろう、「お医者さんに“横になって安静にしているように”と言われたが、何もしないで一日中横になっていられるものじゃない」と言いながらやって来た。
 レッスンは午前11時から始まってお昼過ぎに終わった。
 金曜日のしかも午前中という慣れない日時での練習ということもあって、ピアノのレッスンが終わったら全く疲れていた。昼御飯を食べた後は何もする気がしなくなった。その上に、とても暑く、まだ夏に入ってもいないのに、夏バテをしたかと思うくらい“しんど”かった。
 昼寝をするべく横になったが眠れない。そのために、余計に所在が無くなってしまった。
 
 午後の3時頃、アイスクリームを食べて糖分を補給したら、漸く少し元気が戻った。
 別に水分摂取不足だったとも思わないが、或いは、5月なのに“熱中症気味”だったのかもしれない。  
 自分も高齢者であって、熱中症に罹る資格は充分にある。「熱中症なんて他人事だ」と思っていてはならない。
 午後4時頃、この“倦怠感”を克服するべく、“刈り払い機”を持ち出して、庭に伸び放題になっていた雑草の刈り取り作業をやった。何時ものことながら、作業の途中でカッターのビニールが切れてしまった。
 それで、踏み石台の上に坐ってビニールを引っ張り出す作業に取り掛かった。その作業の最中、蚊4~5匹の集中攻撃を受けた。慌てて家の中から“蚊取り線香”を持ち出し、“線香”に火を点けて煙が漂い始めたら蚊は退散した。
 表庭の雑草、裏の狭い空き地の雑草を共に刈り取った。見違えるくらい綺麗になったので気持ちが清々した。

 体調が今一つの状態になり、気分が塞ぎかけた時、気を晴らすには「何か身体を動かす仕事を見つけ出し、それに集中して精を出す」のが一番良い。

 私が、庭で雑草の刈り取り作業をしている最中、鹿児島県屋久島町・口永良部島で新岳が大噴火したようだ。噴火警戒レベルが最高の5に引き上げられ、住民137人全員が屋久島に避難する騒ぎが起こっていた。
 夜のニュースでは、「FIFA(国際サッカー連盟)の幹部が汚職により逮捕」というニュースも流れていた。

2015年5月30日(土)
 昨日行った雑草の刈り払い作業の為、今日になって腕が張って痛みだした。これは毎度のことである。

 近所の内科医院を受診した。
 この医院には、主に血圧の薬を貰う為に通っている。
 医院で計る血圧の数値は高めに出るので、前もって自宅で計ってみた。4回計ったがその結果は、130~65、125~74、120~71、117~67(計測した順番通り)だった。何れも10分以内に計測したものなのだが、一回一回バラバラの数値だ。
 医院で計った血圧の数値も、これ等自宅で計った数値とあまり変わらなかった。

 血液検査の結果が出ていた。
 コレステロール関係の結果は、何れも前回より数値が少し改善されていたが、やはり全般的にコレステロール値が高く、医師に薬の服用を勧められた。
                 (新基準値) 《従来の基準値》
     2015.1.10. 2015.4.30.
HDL-C      73  → 84   (40~92)  《40~119》
LDL-C      160  ⇒ 155   (72~178)   《60~119》
TG(中性脂肪) 147 ⇒ 95  (39~198)  《30~149》
TC       262.4258  (151~254)  《140~199》
(※ HDL-Cは高い方が良い。LDL-C、TG、TC、は低い方が良い。)

※TC(総コレステロール)=HDL+LDL+TG×1/5
※アンダーラインの数字は検査報告書に記載がなかったので、自分で計算して出したもの。

 しかし、検査結果の数値は、2014年4月に「日本人間ドック学会・健康保険組合連合会」が発表した“新基準値”の範囲内だった(TCを除く)ので、いま少し、食事療法や運動をすることでコレステロール値を下げる努力をしてみて、3~4カ月後再度血液検査をしてそれでもやはり高いようならば服用するということにした。  

 大峰山の帰りだろうか?それとも四国八十八カ所巡りからの帰りだろうか?
 山伏装束?それともお遍路装束?
 白装束に身を固めたOさん夫婦が、疲れた様子で帰って来られるのに出会った。
 自分が出来ないことをやっている人は偉く見える。
 Oさんとは1週間前のコンサート会場で出会ったばかりである。

 最近今一つ体調が優れないというAさんをお見舞いした。店に出回り始めたばかりの葡萄(巨峰)をお見舞いに持って行ってあげた。Aさんは体調を持ち直されていた様子だった。
 しかし、健康器具を使った、腰の部分への指圧をやり過ぎたのかもしれない。それが影響したものか、今度は足の具合を少し悪くされていた。

 夜の8時半頃、小笠原諸島の西方沖でマグニチュード8.5の大規模地震があった。震源が地下590㎞位の深部にあった為、地震の影響は日本全体に及んだが、規模の大きさにも拘わらず、地震による被害は殆ど報告されていない(p.m.9時前記)。

2015年5月31日(日)
 昨夜の地震は、小笠原・関東で震度5強の強さだった。規模の大きな地震であった上にその震源が地下の非常に深い所にあった為に、震源から1,000㎞も遠く離れた日本列島全体に影響を及ぼしたという。高層ビルで大きな横揺れがあり、また停電によりエレベーターが動かなくなった建物もあった様子。
 「異常震域」・「長周期地震動」という専門用語が使われている。

!(^^)!早く大きくなーれ!(^^)!





  

WATASI(M)のツイットNO.270

2015-05-28 08:45:52 | 日記
2015年5月25日(月)
 お昼前、Yさん夫婦が私の家に寄って下さった。
 自分より年上の人の話しは勉強になる。
 老化現象、病気、薬の副作用等々、色々貴重なお話を承った。
 「一度しかない人生」
 だからこそ「人間の命はかけがえのないもの」と改めて思った。

2015年5月26日(火)
 御近所のTさんの姿を最近見掛けなかったので少し心配していた。
 Tさんは私より11歳年上、心臓を患っておられると人伝に聞いている。
 今朝の早い時刻、二階の窓を開ける時ふっと下を見たら、家の前の通りをTさんがゆっくりと歩いておられるのが見えた。まだまだお元気そう。早い時間を選んで散歩しておられるのだろうと一安心した。
 
 神戸に用事があったので、朝一番早い時刻に出る新快速(大津京駅9:47発)に乗って出掛けた。
 JR山科駅で席が空いたので、そこから腰を掛けて行くことが出来た。
 電車のスピードが凄まじいまでに速く感じた。「脱線したら怖いなあ」と思った。
 旅行用のキャリアーバッグを通路側に置いて私の隣に坐っていた御婦人が、ホテル・ニューオータニのパンフレットの地図を見ながら、「この電車は大坂へ行きますね?」と私に尋ねた。
 「はい行きます。ホテル・ニューオータニに行かれるのなら、大阪駅で環状線に乗り換える必要があります」と教えてあげたら、「えっ?乗り換えるのですか?」とその夫人は驚いた。私は、不安になって通路に立っていた男性に確かめたところ、その男性が私に代わって「環状線に乗り換えて・・・云々」とその婦人に私と同じ事を教えていた。
 電車が大阪駅に着いたところ、その婦人はその男性に向かってだけお礼を言って、慌てて電車を降りて行った。「環状線のホームが分かるだろうか、そして無事にホテル・ニューオータニへ着けるだろうか?」、私は少し心配しながらその後ろ姿を見送った。
 芦屋駅で各駅停車に乗り換え、六甲道駅で下車した。
 改札口を出て手土産を買おうとしたら、駅ビルの商店街が様変わりしていたので驚いた。3年前に六甲道駅に降りたことがあった筈だ。その時は改札口を出たばかりのところに洋菓子店が並んでいたのを記憶している。探し歩いて1階に降り、漸く何軒かの洋菓子店を見つけた。その一つの店で手頃そうな菓子折りを見つけて注文しようとしたところ、他の客に先を越されてしまった。その先客は洋菓子の詰め合わせを5個も注文した。一人しかいない店員が、その注文をさばくべく急いで菓子を一つ一つ紙箱に詰めていたが、随分と手間取っていた。順番を待っていた私は待ち切れなくなり、止むを得ずその隣の店で異なる菓子折りを買うことになった。
 JR六甲駅から阪神大石駅の方に向かって歩いていると、20年前の阪神大震災で(JR六甲駅も大きく破壊されたが)軒並みに被害を被った家々は全て新しい建物に建て変えられていた。丸で一つの街が新しく誕生したかのように、新築の家々が建ち並び非常に美しい街へと変貌していた。震災からの復興に20年の歳月を要したことになる。

 私が訪ねたKさんは、阪神大震災が起こった1995年から2年程後に御縁を持った人だ。
 20年近く前、Kさんは元気にバイクに乗って走り回っていたものだった。今はその息子さんが事務所を切り回している。Kさん自身は頭が白髪になっていて、第一線から退き、息子さんの仕事振りを見守るような存在になっている。
 20年前は若くて元気だった人達が、皆一様に、一斉に歳を取って老い始めた感じがする。JR六甲駅ビルで最初に買おうとした店で私が選んだ品物は“老人の歯に優しい”洋菓子だった。しかし、待ちく草臥れてその隣の店で買った品物はクッキーになっていた。高齢になったKさんには、やはり柔らかい洋菓子の方が良かったのではと思いつつ、私は手土産を差し出した。
 今日は足が痛んで歩くのが辛かった。JR六甲道駅からKさんの事務所に着くまでの道中、腰掛けられそうな場所を探しては腰を下ろして何度も休憩した。その為に所要時間は20分程も掛かっただろうか、往きの片道だけで充分に疲れてしまった。同じ道を引き返すのは堪えられない気持ちがした。それで近くの阪神大石駅に向かい、そこから三宮の中心街へ出ることにした。三宮にも知っている人の店がある。その店には小さい頃には何度か訪ねたことがあり「今も元気に店をやっておられるだろうか?」と痛む足を引きずって訪ねてみた。
 神戸は大都会であり、夜遅くまで賑わっている街である。そのため何処の店も開店するのが遅く、午前中は店を開けないところが多い。私の訪ねた店もシャッターが下りたままだった。しかし看板は出ていたので「今も営業を続けておられるのだろう」と思い、それだけで満足して引き返すことにした。
 JRや阪急電車が走る高架下だからであろうか、この辺りはあまり変っておらず昔の面影が残っていた。しかし、幼い頃の記憶と大分異なっていたので少し驚いた。先ずJR三宮駅から私が知っているその人の店までの距離感が全く異なっていた。私はその店がJR三宮駅からもっと近い場所にあるものと思っていた。また「こんなにも狭くて、分かりにくい通路の商店街だったのか?」とも思った。
 足が痛むのを我慢しながらJR三宮駅まで引き返し、ガード下の大きな道路に面したところにある小さな中華料理店へ入った。その店でラーメンと餃子を頼んで昼御飯にした。ラーメンと餃子は、両方共に、量が少ないにも拘らず値段は高かった。しかし、餃子は挽肉の量が多いせいか美味しく食べられた。
 三宮からの帰りは、阪急電車に乗って大阪の十三で乗り換えて京都の阪急四条駅へと出た。その車中で睡魔に襲われ、眠ってしまわないようにするには努力を必要とした。
 阪急四条駅から祇園にあるサウナ店まで歩いた。時計を見たら午後2時近くになっていて、真夏のような暑さになった。
 サウナ店に入り、その屋上で、寝椅子を日陰に移動させて仰向けに寝転がった。暑かったが、乾燥した風が強く吹いていて、爽やかな気分で横になることが出来た。目を瞑っていたら気持ちが良くなって、何時の間にか30分程眠っていたようだ。京都のど真ん中の建物の屋上で、正体もなく眠りこけていたわけだ。眠りから覚めて、こんな経験をするのも“愉快なことだ”と思った。
  
2015年5月27日(水)
 朝早く目覚めた。お墓へ花の水を換えに行った。花立ての水は半分以上なくなっていたが花は未だ綺麗だった。むしろ小菊は未だ蕾んだままの状態のものが多く、暑すぎる陽気なのではたして花が開くだろうかと心配になった。
 この何日かピアノの練習をしていない。1時間余り練習した。相変わらず上手く弾けない。暑くて顔から汗が流れ落ち始めたので上半身裸になった。
 それにしても、乳房が痛む!半年以上続けてホルモン剤を服用しているので仕方のない事かも知れないが、乳房がパンパンに腫れてきて気持ちが悪い。
 それでもウオーキングには出掛けた。
 宇佐八幡神社下拝殿で久しぶりに神社をお守りしている神主さんに出会った。「少し休ませて下さい」と声を掛けると、「どうぞ、どうぞ」と言う返事。
 久しぶりに、この「どうぞ、どうぞ」の言葉を聞いたことになる。

2015年5月28日(木) 
 まだ5月なのに、もう夏に入ったかのような暑さ。
 昨夜は2階で寝るのは暑過ぎたので階下で寝た。

WATASI(M)のツイットNO.269

2015-05-25 09:35:03 | 日記
2015年5月22日(金) 
 ウオーキング。
 近江神宮では、今日から6月7日の「流鏑馬」の催しに向けて整地が始まっていた(もしかして昨日からだったかも知れない。昨日は近江神宮にはウオーキングに来なかったので確かな事は言えない。)。

 Bさんの田んぼでは田植えが始まっていた。

 今日のスーパー・イオンは「安売りの日」でもないのに駐車場は随分と混んでいた。
 花屋で“ピンクのスターチス”を初めて見た。

 蚊が飛び始めている。昨日、冬の間仕舞っておいた網戸を引っ張り出して窓に嵌めたのは正解だった。油断をしていると部屋の中にまで蚊が入ってくる。蚊に刺されると“やはり”痒い。蚊は、夏の期間中、大いに悩まされる“私の天敵”だ。

 阪神タイガーズが、最初5対0でリードしていたのに、最終的に5対6でDeNA横浜ベイスターズに敗れた。“絵にかいたような”見事な逆転負けだった。阪神タイガース・ファンには、“憤懣やる方無し”のところだろうが、横浜ベイスターズ・ファンにとっては“快哉を叫ぶ”試合ではなかったか。
 それにしても、横浜ベイスターズはどうしてDeNAなのだろう?何だか、プロ野球チームらしくない遺伝子の名前のような感じで、颯爽とした名前には響かない。多分、医薬系統の会社が親会社で、投下資本を回収する為に宣伝効果を狙って冠されているのだろうと思われる。ともあれ、今年のプロ野球セントラル・リーグは“万年下位チーム”が大活躍。勝ち続けているチームには活気がある。
 DeNAの快進撃はいつまで続くのか?
 もし例年と同じような展開になって、また後退するようであってはプロ野球は面白くなくなる。

 今日の日記は“統合失調症”気味?・・・彼方此方話しが飛びます。
 ここで突如、備忘録に移行します(最近、私は不確かな自分の歴史の知識をいま少し確かなものにしようと奮闘中!(^^)!です)。
 【備忘録】
 「五カ条の誓文」=1868年(慶応4年3月14日)、明治天皇が宣布した明治新政の五カ条の基本政策。
 1.広く会議を興し、万機公論に決すべし(☆)。
 2.上下(しょうか)心を一にして、盛に経綸(けいりん)を行ふべし。
 3.官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめん事を要す。
 4.旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基くべし。
 5.智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし。
 ※ 明治維新期、王政復古による新政府成立に当たって示した新政の基本政策。内は公議世論(内容は列藩会議)による天皇親政、外は開国和親の方針を示す。薩摩藩・長州藩を中心とする雄藩連合政権の協力体制を強化し、雄藩の動揺を抑えて新政権の安定を図ろうとしたもの。由利公正・福岡孝弟が原案を起草、明治天皇が神に誓う形式で発表。
  (☆)「万機公論に決すべし」=天下の政治は世論の向かう所に従って決定せよ。
 ※ 万機=1.多くの重要なことがら。2.帝王の政務。天下の政治。

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むのは漸く第3巻目に入った。
 秋山信三郎好古(よしふる)、正岡子規、秋山真之(さねゆき)・・・と、この本は、順繰りに主要人物が登場してきて、誰が主人公なのか分からない書き方になっている。
 『明治期の歴史』を書くのが目的で、その為の“重要な登場人物達”と位置付けたら良いのかも知れない。

2015年5月23日(土)
 今日は、『びわ湖ホール』へ午後2時開演のコンサートに行く予定になっていた。それで今日のピアノのレッスンは、予め、いつもの時刻の午後2時半を、午前中の11時に変更して貰っていた。
 しかし、午前10時頃ピアノの先生から「腰痛の為に今日は休みます」という電話が入った。「先生も人の子だ」と思った。6年近く経って初めての“臨時休講”となった。
 
2015年5月24日(日)
 午前7時半;HさんよりTelがあった。
 「昨日の演奏者の奥平さんから電話がありました。そして今、ラジオの○○チャンネルで奥平さん関連の番組が放送されているから(午前7時~8時放送)聴いてみて下さい。」と言う内容のものだった。
 昨日演奏された曲が放送されているのかと思って、チャンネルを探してみたがそれらしき番組は出て来なかった。午前8時になってからHさんに電話して確かめたところ、料理について雑談しているような内容の番組があったが、どうもそれが奥平さんに関連する放送だったようだ。

 午前中、墓参りをした。
 午後、近くまで出掛ける用事があったので、1年振りに琵琶湖乗馬クラブへ行ってみた。
 インストラクターのTさん、Hさんが、別々の馬場で個人指導をしていた。
 土手の上に腰を下ろし、見下ろす形で、二つの馬場に交互に目をやって見学した。
 近くの馬場でコーチしていたTさんは直ぐに私を見つけ出して「お久しぶりです、お元気ですか?」と挨拶してくれた。遠くの馬場で教えるHさんは私が見ていることには勿論気付かない。
 どちらの生徒もまだ初心者の様子だった。それで、懐かしいHさんTさんの指導する声を耳にしながらも、私の注意は馬の動きにばかりに向いていた。馬が歩を進める度に逞しい筋肉が“グリッ、グリッ、”と動く様子を、今初めて見るかのように、それを“美しいものだなあ”と思いながら眺めた。そして、大人しく黙々と歩を進める綺麗な目をした馬をとても“愛おしく思った”。“仲良しになって労わってやりたい”とも思った。
 乗馬クラブは、国道沿いにある京阪電車の大谷駅から、歩いて10分程山に分け入った所にある。山の上なのに、周りを緑の山に囲まれている為に谷底のような感じがする。
 コーチの指導する声が聞こえるだけの静けさの中、温かい太陽の光の下、馬が黙々と筋肉を動かしているのを見ていたら、何だか夢の中にいるような、別天地に居る様な心持ちがしてくる。
 馬に乗らなくなってから6年が過ぎ去ろうとしている。乗馬を楽しむ人を見ながら、そしてコーチの声を聞きながら、「私の乗馬時代は終わってしまった」と実感した。
 それはとても楽しい時代だった。今は、私の心の中に、“今を生きてくれている馬”に対する愛情が強く込み上げてきた。

 今年も何人かの膳所高校の生徒が“クラブ活動の乗馬クラブ”に入ったのだろう、オーナーのAさんが元気に生徒達を指示する姿、声を、遠くから見聞きすることが出来た。
 仕事の邪魔になってはいけないと考え、Aさんには声を掛けずに帰った。

 家に帰って間なしの午後5時頃、ピアノの先生TさんよりTelがあった。
 「今週金曜日の午前11時に、昨日出来なかったレッスンを行いたい」という内容だった。
 その日までに、痛みが軽減していれば良いのだが・・・私も腰痛の辛さはよく知っている。
 
 今日は『五月場所(夏場所)大相撲』の千秋楽。
 優勝争いに残ったのは、昨日まで11勝3敗で並んでいた横綱・白鵬と関脇・照ノ富士の二人のみ。
 照ノ富士が碧山(あおいやま)を倒し、白鵬が日馬富士に敗れたため、照ノ富士が初優勝を飾った。
 この優勝争いに関わった4人は全て外国人力士だった。
 久しぶりに強い日本人力士が出てきたと思ったら、照ノ富士は日本人ではなくてモンゴル人だということを今日初めて知った。

 横綱・白鵬が4敗もして優勝を逃し、関脇・照ノ富士に優勝をさらわれるという現象。そして優勝が決まった相撲に登場したのは全て外国人力士。
 白鵬の“一人勝ち”の時代に変化の兆しが見え始めているが、「外国人力士(特にモンゴル人力士)>日本人力士」の構図には今のところ変化の兆しは見られない。
 しかし「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。・・・」の通りになっている。
 日本人が数多く横綱を務める時代が、何時かまた必ず来ることだろう。

2015年5月25日(月)
 「朝晩は涼しく、日中は暑い」という日が続いている。
 今日も五月晴れの良い天気になりそうだ。
 今のところ風も涼しげで気持ちが良い。(a.m.9:30記) 


WATASI(M)のツイットNO.268

2015-05-22 09:19:17 | 日記
2015年5月19日(火) 
 今日は、昔の町名では水車谷という在所の方までウオーキングの足を伸ばした。
 
宇佐八幡神社下拝殿を少し山手の方へ上がった、柳川沿いにある一軒家。
 この家は、私の幼かった頃の記憶にはっきり残っている。
 今は、もう人は住まず廃屋になっている。
 確かな記憶ではないが、川辺には在所の名前の由来になったとも思われる“水車”があったように覚えている。
 柳川に面した辺りが生活には便利だったのだろう、昔はこの谷底の川沿い辺りに、肩を寄せ合うように十数軒の家があるのみだった。住民はお互いに名前を知り合う人達ばかりだったのではないだろうか。
 戦後のベビーブーム時代のことで、この小さな集落から私が通った志賀小学校に通学して来る子供が何人もいた。
 柳川の下手の方から山に登ってきて先ず目にするのがこの家だった。川の土手から、母が川辺のこの家へ向かって下りて行き、知り合いだったのだろうと思う、家の周囲にあった田畑を耕していたその家の住人と会話を交わしていた記憶が私に残っている。
 今は、この家の山手の方に多くのアパートや人家が建ち並んでおり、人口は随分と増えた。
 この水車谷は、京都の山科の方から車で湖西自動車道路を通って来れば、皇子山トンネルを超えて直ぐの“皇子山の出入り口”を出たばかりの所にある。そこから更に、皇子山カントリークラブ(ゴルフ場)へと通じる道が、この写真の家の上の方を走っている。

 谷底に、消えつつある“遠い昔”が辛うじて残っていた。
 今日はそんなところを歩いた。4,244歩(3.26㎞)で、しっかり歩きは3,599歩だった。


田植え前の田んぼはこんな鮮やかな黄緑色になる。それを見て驚いたので写真を撮った。



 夕方、筍、ワカメ、揚げ、空豆が入った煮物を頂いた。鰹節の出汁が効いた美味しい味付けだった。

2015年5月20日(水) 
 良いお天気。
 庭一杯に洗濯物。
 Yさん夫婦を駅まで車で送ってあげた。

 ウオーキング。
 参道に落ちた夥しい量の落ち葉が目を引いた。
 下拝殿では、石楠花が萎(しお)れ、次に紫陽花が出番を待っている。

2015年5月21日(木)
 昨夜、しっかりとした量の雨が降っていたが、青空の見える良い天気の朝を迎えた。
 小鳥のさえずる声が聞こえてくる。
 その鳴き声が朝の爽やかな気分を高めてくれる。
 正に『時は春、日は朝・・・・』のような気分になる。

 午後、ウオーキング代わりに買い物を兼ねて浜大津の菱屋町商店街までサイクリングをした。
 青空を高く感じ、温かいこともあって、午後も爽やかな気分で過ごせた。

 帰ってから、ガソリン・スタンドへ車にガソリンを入れに行った。
 セルフサービスの機械が新しいのに入れ替わっていたので少々戸惑った。釣銭の受け取り操作をするのを忘れて帰りかけたら、偶々私の方を見ていた係員が声をかけて注意してくれた。
 “ぼーっと”していたのだ。これは老化現象の一つだと思う。

 夜、晩酌をしながらテレビ番組「英雄達の選択(大久保利通)」を観た。
 アルコールが身体の中に入ると、眼の網膜の毛細血管の血液の流れが良くなるらしく、観ているうちにテレビが良く見え出した。私は、アルコールが体内に入る度にこの事を経験する。
 テレビ出演者の議論を聞いていると、その分野を専門としている学者などの出演者の多くが、私の“大久保利通像”と同じ見方をしているのを知って意を強くした。また、明治維新は「点ではなく、帯状で成し遂げられた」という言い方をする出演者がいた。この点についても私の理解は間違ってなかったことを確認出来た。明治維新は1867年から大久保利通が暗殺された1878年迄の10年余りをかけて行われたものといえる。

※ 大久保利通(1830~1878)=明治初期の政治家。薩摩藩士出身。倒幕の藩論形成に指導的地位をしめ、王政復古を画策。明治新政府の中枢となり、1871年欧米視察後、内治派の中心として征韓論に反対。以後、参議兼内務卿として内乱鎮定・地租改正・殖産興業などに独裁的権力をふるい、明治絶対主義政権の基礎を確立した。東京紀尾井坂で暗殺された。

 何十年振りだろう、しゃっくりの経験をした。しかし直ぐに収まった。

2015年5月22日(金)
 昨日は寝不足で目が覚めたが、今朝は昨夜の晩酌のお蔭で良く眠れ、昨日も気張って家中の片付けをして疲れていたのだが、その身体も回復した。
 ただ、今パソコンに向かう時、字が見難くなっているのに気付く。
 特に右目が悪くなっているようだ。
 もう10年も前の話だが、眼科医院を受診した時「貴方は左目だけで近くを見、右目だけで遠くを見ているようですね」と言われたことがあった。その頃より更に目が悪くなったのだろうと思う。歳は争えないものだと思う。
 私の祖母が何歳の時だっただろうか、祖母が「遠くが見難い」と言っていたのを思い出した。私は、その当時持っていた知識を祖母に伝授したものだった。
「ホウレン草はビタミンAを多く含んでいて、ビタミンAは目に良いらしいから、ホウレン草を沢山食べると良い」と。
  


 

WATASI(M)のツイットNO.267

2015-05-19 09:07:39 | 日記
2015年5月16日(土)
 温かいのか寒いのか、分からない気候になっている。
 着るものに関しては無頓着な私。何を着たらよいのか。
 歳をとると、若い人より衣替えが遅れるように思う。
 
 「今日は少し“肌寒い”ですね」、と言いながらピアノの先生はやって来た。
 そんなことを言いながらも、先生は見るからに涼しげな装いだ。
 私はこれまでの長袖のシャツを着るのをやっと止めて、半袖の下着に換えた。しかし、上の方は相変わらず長袖のワイシャツ姿。その為、“肌寒い”とは思わなかったようだ。
 「今日は例年の気温に戻っただけ」と気象予報士は言う。
 
 Aさんは体調が今一つのようだ。早く元気になられると良いのだが。
 一日の朝晩の気温の温度差が10℃位。最近そんな日は少しも珍しくない。だから一日の中に寒く感じたり暑く感じたりして、体調を管理するのは大変である。
 私の場合、前触れも無く急に身体が“火照る”ように感じる時がある。
 “暑いなあ”という感覚ではない。こんなことは今年になって初めて経験し始めた。
 
 花粉の飛散量は少なくなったのだろう。天気予報ではもう花粉情報を報道しなくなった。しかし、私は時々未だにクシャミが出る。何らかの花粉、アレルギー反応を引き起こす物質が浮遊しているのだと思う。
 
 ピアノの方、先週は“譜読み”も満足に出来なかった。だから先週のレッスンは“レッスンの体裁”を成していなかった。
 そんなこともあったので、この1週間はピアノの練習に励んだ。
 その甲斐あって、今日は何とか“ピアノのレッスンらしく”なり、色々収穫があった。
 
2015年5月17日(日) 
 良い天気だ。午前中雑草取りに励んだ。
 ピアノの前に坐ることもせず、今日一日は完全な休養日にした。

 大阪では今日「大阪都構想の賛否の選挙」が行われた。
 床に就く前にテレビを見たら、賛否の票数は大接戦になっていた。

2015年5月18日(月)
 「大阪都構想の住民投票1万741票差で反対多数」
 これが今朝のニュースの見出しだった。
 今回の選挙では、「行政の二重構造」→「行政の非効率化」→「大阪の地盤沈下」について、多くの人達が議論し合い、各自が色々考えて選挙に参加した(投票率は68%)。
 賛成・反対の何れが多数を占めようとも、この選挙を機会に“行政の無駄が省かれ”、その結果“大阪の地盤沈下にストップ”がかかるならば『今回の選挙は決して無駄なものではない』、というのが“外野席”から見た感想だった。

 私は時々「何の脈絡もなく、ふっとある言葉が浮かんだり、ある映像が瞼に浮かぶ」ことがある。
 今日はどう言う訳か、小学校か中学校の頃に習った“詩の一節”が心に浮かんだ。
 『・・・あげひばりなのりいで・・・』という一節だ。
 そして、この詩の全文は一体どうだったか?急に知りたくなった。それで調べて見た。

 私が記憶していたのは、上田敏訳・「海潮音」のものであることが分かった。
 【時は春、
  日は朝(あした)、
  朝(あした)は七時、
  片岡に露みちて、
  揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
  蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
  神、そらに知ろしめす。
  すべて世は事も無し。】 

 この詩の原作者はロバート・ブラウンニング(イギリスの詩人 1812~1889)。
 原文は、
 【The year’s at the spring,
  The day’s at the morn;
  Morning’s at seven;
  The hillside’s dew pearled;
  The lark’s on the wing;
  The snail’s on the thorn;
  God’s in His heaven,
  All’s right with the world!】
 となっている。

 「イギリス名詩選」平井正穂 岩波文庫の訳文の方は以下のようになっている。
 【歳はめぐり、春きたり、
  日はめぐり、朝きたる。
  今、朝の七時、
  山辺に真珠の露煌く。
  雲雀、青空を翔け、
  蝸牛、棘の上を這う。
  神、天にいまし給い、
  地はただ平和!】

 私は、子供の頃、上田敏の訳文の方で教わっていたので、そちらの韻律の方が耳に心地よく響き、情景も鮮やかに浮かぶような気がする。
 小さかった頃、心に描いた風景が蘇って来る。

 今日は午後から蒸し暑くなった。
 天気予報では、午後3時から雨マークになっていた。
 だから、ウオーキングには出られないだろうと思っていた。
 しかし、どんより曇っていたものの、直ぐには降り出しそうになかったので、ウオーキングに出掛けた。
 お正月が過ぎ、桜の季節も終わって、今の境内は閑散としており、いつものように白装束の職員二人に出会うだけになっている。
 帰宅して、歩行計測器を見てみたら、丁度3,000歩(2.31㎞)になっていた。
 その中、“しっかり歩き”は2,942歩だった。
 今日は楽に歩けたように思った。

2015年5月19日(火)
 昨日は、結局雨は午後6時過ぎ頃から降り始め、夜中はジャージャーと雨音が聞こえるくらいよく降っていた。雨は明け方に止んだ。
 雨音を五月蠅く聴いていたが、寝坊するくらいよく眠った。
 眠り過ぎて、却って、今まだ眠いくらいだ。!(^^)!