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WATASI(M)のツイットNO.266

2015-05-16 08:17:18 | 日記
2015年5月13日(水) 
 
 

 
 6月7日に行われる「流鏑馬」の整地の準備の為だと思われる。
 早くも重機が運び込まれている。

 
 楼門へ登る階段下の横に建てられている石碑の文字。何百回と近江神宮へ来ているのに、今日まで、平成10年に建てられたこの石碑に気が付かなかった。
 『長命菊貴』と読むのか?
 
百舌(?)空を飛べて楽しそう(宇佐八幡下拝殿の真上の電線の上)

 台風6号が運んできた南の温かい空気の為に日本中が夏のような暑さになった、と夜のニュースで伝えていた(大津は、空気が乾燥していて風も強かったので私はそれ程の暑さとは思わなかったのだが)。
 毎年“異常気象”なので慣れてしまった。5月のこの暑さにもあまり驚かない。

2015年5月14日(木)
 今日も暑くなるようだ。
 天気予報では「まだ身体が暑さに慣れていないので、熱中症対策として水分を充分補給して下さい」と呼びかけている。
 午前8時前、庭の雑草取りをした。こんな時刻なのに、日陰から日向に出たら猛烈に身体が暑くなった(今、服用している薬・ビカルタミドの副作用《火照り》ではなさそう)。

 午前8時過ぎ、偶々NHK・BSテレビ3chにチャンネルを回した。
 「英雄達の選択」をやっていた。番組の途中だったが最後まで観てしまった
 今朝の「英雄」は、シベリア出兵(※)の撤退を決断した19代総理大臣(1918~1921)の“(平民宰相)原敬”だった。彼は1921年東京駅で暗殺されて生涯を閉じている。
 第一次世界大戦(1914~1919)~1931年(昭和6年)満州事変。
 この間の歴史は、私には知識の空白期間になっている。この番組を観たお蔭で、その空白を少しでも埋めることが出来た。
【※ シベリア出兵(1918~1922)=大正時代、日・英・米連合軍によるロシア革命干渉戦争。1917年のロシア革命後、チェコ軍救出の名目で出兵。日本は協定以上の大軍を出し、バイカル以東のシベリアを占領。米・英軍撤退後も駐兵、さらに尼港(ニコライエフスク)事件の保障占領として北カラフト(樺太)をも占領。革命軍の反撃・国内の反対・列国の非難によりなんらうるところなく、1922年シベリアから、1925年カラフトから撤退。】


2015年5月15日(金) 
 朝の連続テレビ小説「まれ」を観た。
 主人公の“まれ”はパティシエ(ケーキ職人)”を目指して能登から横浜に出て来ている。
 今朝の連続テレビ小説「まれ」では、美味しそうなケーキが沢山映し出されていた。
 こんなのを見せつけられたら、“甘いもの好きの人”には堪らないことだろう。今日は街中のケーキの売れ行きが良くなるかもしれない。
 前の連続テレビ小説「マッサン」ではウイスキーがしばしば映し出されていた。その時も「テレビの影響でウイスキーの売り上げに影響があるものだろうか?」と思ったことがあった。
 私はどちらかと言うと辛党だが、偶に無性に「甘い物」を食べたくなる時がある。そんなときは、ケーキではなく饅頭を食べることの方が多い。その方が安上がりと言うこともあるが、健康に好いと聞いているからだ。
 ケーキは、最近、好き勝手に名前が付けられたのが種々沢山出回っている。しかし今時ケーキは一個400円前後はする。そのこともあるのか、甘党でない私はそれほどケーキを食べたいとは思わない。大体私は“味音痴”だから、私などが高価なケーキを食べるのは勿体ない。
 “味音痴”といえば、お酒についても同じだ。私は、お酒は飲めるのだが、そのお酒の美味しさは少しも分かっていない。どんな銘柄であっても、“酔いさえすればよい”というタイプであって、「マッサン」の時に映し出されたウイスキーを見ても別段心は動かなかった。
 生ビールとケーキ(値段は同じくらいだと思う)を並べられたとして、「どちらを選ぶ?」と言われれば、私は間違いなくビールの方を選ぶ。
 生ビールもケーキも、何れも、もし健康上の理由で飲み食い出来なくなってしまったら、生きる喜びが半減してしまうのではないだろうか?

 今朝の連続テレビ小説には、横浜の「港が見える丘公園」の近辺らしい風景、「横浜の中華街」が映っていて、“遠い昔?”を懐かしく思い出してしまった。

 ブログ日記を見れば、昨年の今日(5月15日)、長等神社の裏の山を越えて琵琶湖乗馬クラブまで歩いている。
 その時、乗馬クラブのお世話になった人達に、「また是非遊びに来て下さい」と言われながら、この一年間一度も行っていない。
 乗馬を楽しんだ頃がどんどん遠ざかって行くような気がする。

 今日、5月15日は、京都では『葵祭』が行われている。近くに住んでおりながら一度も行ったことのない祭りだ。
 今日、5月15日は、また、イスラエルの建国(1948年)により『パレスチナを追われたアラブ民族の怨念の日』であることも、テレビを観て知った。今日、5月15日という日は、67年前に起った事件の為に、度重なる中東紛争の元になっている日なのだ。

 また大津市保健所保健予防課から「高齢者肺炎球菌予防接種のお知らせ」が届いた。
 『肺炎球菌による肺炎などの感染を予防し、また重症化を防ぐ』ことを目的とし、予防接種施行令の改正に伴い、平成26年10月1日から新しく始まった予防接種で、早めの接種を勧める通知だった。

【 高齢者の肺炎の原因となる病原体の中で「肺炎球菌」は、最も頻度の高い細菌です。また、気管支炎、副鼻腔炎、中耳炎、髄膜炎などを起こす細菌の一つであり、その多くが「肺炎球菌」が原因とされています。肺炎球菌ワクチンは、肺炎のすべてを予防するワクチンではありませんが、接種することによって予防効果が期待されます。】
 等と書かれていた。接種費用は2,500円だという。

 2~3日前に届いた「運転免許証更新前の高齢者講習等のお知らせ」といい、今日のこの通知といい、70歳という高齢になった途端に、何かと物入りとなる通知が届き出した。
 
2015年5月16日(土) 
 昨夜は、雨がどっさり降った。しかし、夜に降る分には少しも迷惑にならない。
 迷惑どころか、もうすぐ田植シーズンであり、田んぼには水が必要となる季節の到来だ。 

WATASI(M)のツイットNO.265

2015-05-13 09:12:01 | 日記
2015年5月11日(月) 
 皇子山古墳に登った。
 

 “山開き”と称して3月18日(水)に登って以来、今年に入って2回目になる。
 登れるかどうか、登れるとしても腰や足(特に膝)を傷めることにならないか?
 多少心配だったが、大事はなかった。
 ぼんやり歩いていたら登山口へ行きつくのに遠回りの道を歩いていた。お陰で、新しく家が建っているのを見つけて良い散歩にもなった。登山口手前の新しく開発されている団地は、建築中の家も含めて略埋め尽くされている。
 古墳から眺めた琵琶湖の水面は波立っていた。湖面を吹く風が強いのだろう。明日日本に接近する台風6号の影響なのかどうか知らない。

 帰り道、庭に綺麗な花を沢山植えている家の前を通った。宇佐八幡神社のは白い石楠花であったが、ここに咲いている石楠花は桃色だった。
 庭の花に見惚れていたら、通りかかったおばさんが花の名前をあれこれ教えてくれた。
 
            芍薬(しゃくやく)
 
 その家から50mも歩かない所で “お婆さん”とすれ違った。
 「あれっ?誰か知っている人ではなかったかな?」と思ったのとほぼ同時に、向こうも“あらっ?”というような顔をした。
 “話しをたこともなく顔見知り程度”と私は思ったのだが、先方は私のことをよく知っていた。
 その人は「私は弱視で、普段の生活に不便はないのですが、あまり目が良くありません」と言って、危うく通り過ぎそうになったことを先ず詫びた。そのあと、車を避けて道路わきに寄ってから、その人はいろいろ懐かしそうに話しを始めた。
 「お母様を、長い間よく看てあげられましたね」、「お亡くなりになってから大分になりますね」、「貴方が小さい頃に住んでおられた前の家の御近所の○○さん、△△さんもとても懐かしいです。皆さん、もうお亡くなりになったことでしょうね」。
 「貴方は、今、どうしておられますか?」、「昔の人に出会えると嬉しい。昔は良かった」云々・・・。
 お名前を忘れていたので尋ねたところ“Kさん”だという。
 “忘れもしない”懐かしい名前だった。
 私は、最初のうち、このKさんは母の同世代の人だと勘違いしていた。
 Kさんのお母さんは最近90何歳かで亡くなられたという。それを聞いて(母が生きていたとすれば、母はこの8月3日で105歳になる)Kさんのお母さんが私の母と同世代の人であり、眼の前にいるこのKさんは私とそんなに年齢差がないことに気付いた。
 私はKさんを、そのお母さんと勘違いをしていたわけだ。
 私には、Kさんは(Kさんのお母さんと勘違いするくらい)随分と歳をとっておられるように見えた。
 私自身も“随分と歳をとっているのだ!” ・・“自分の顔を自分で見ることは出来ない!”・・
 ちょっとした衝撃だった。
 Kさんは、「私は直ぐそこの○○町に住んでいます。是非また遊びに来て下さい」と言って、家の方へ帰っていった。

2015年5月12日(火)
 昨日、Kさんと出会って私の母親の話しが出たからだろう、今朝母の夢を見ていた。
 病床に横たわっている姿だった。母の寝姿は布団の上の方へ随分と身体がずれていた。敷布団から頭がはみ出そうなくらい窮屈な姿勢をしている。
 私は、夢の中で、母の身体を持ち上げて蒲団の中央に寝かせてあげた。母の布団は“離被架”で支えられていた。
 ※ 離被架(りひか)=ベッドに取り付けて、病人の患部に布団などが直接触れないように支える枠。
 離被架はよく使ったものだった。今も家にはどういうわけか二つも残っている。
 夢はいつ見ても“不思議”だと思う。

 まだ5月なのに台風6号が日本列島に近付いて来た。大津では昼頃から雨が降り出し、夜中になって雨脚と風が少し強くなった。
 台風は四国の南辺りで温帯低気圧になり、勢力が衰えたらしく特別の被害が出なくて良かった。
 
 午後、台風が近づく雨降りの中、納屋の“ゴミ片付け”をして、サッパリした。

「運転免許証更新前の高齢者講習等のお知らせ」の葉書が送られてきた。
 以下のような文面だった。
 【70歳以上の75歳未満の方
 ○講習手数料 5,600円
 ○講習時間   3時間
 講習 座学講習 道路交通の現状等 30分
    適性診断 検査機材を使っての指導 60分
    実車指導 車両に乗るなどしての指導 60分
    ディスカッション(討議) 30分 】
 
 自動車納税通知書も一緒に送られてきた。¥45,400(15%重課)と書かれている。
 長く乗っている古い車なので、昨年から重課され始めている。
 一昨年は¥39,500、昨年は¥43,400(10%重課)。

 5月は税金月だ。

 夜、「坂の上の雲」を少し読んだ。
 「竜馬がゆく」の時ほど熱心には読んでいない。未だ第二巻だ。
 それでも、面白い文章に出会って知識を得られる。
【・・・・・
 子規はこの時期、その俳論と俳句研究とその実作によって、俳句革新はほぼなしとげたといってよく、世間もこの子規の革命事業の成功をほぼみとめていた。
 のこるは、短歌である。
 この世界は、俳句よりもやっかいだった。
 なぜならばこの当時、古い派の俳人というのは比較的無教養な連中が多い。この前時代である江戸時代には、読書階級である武士たちはあまり俳句をやらず、この文芸は富裕な町人や大百姓たちを保護者として継承されてきた。
 が、短歌は江戸時代いらい、知識階級の手ににぎられている。維新後、子規の生存当時も、この事情はかわらない。
「俳諧は将棋、歌は碁」
 というふうにその支持層が説明されることもあった。この事情は、むろん子規出現以後、大いに変化したが。
 要するに俳句のばあい、子規がやった既成概念打破のしごとは強力な反論者が出なかった。子規はいわば敵なき野を征(い)って新国家をひらいたようにうまくいったが、短歌のばあいは相手に知識人が多いだけにかんたんにはゆかなかった。
 事をおこした子規は、最初から挑戦的であった。
「歌よみに与ふる書」
 という十回連載の文章が「日本」にのりはじめたのは、明治三十一年二月十一日付けからである。
 ・・・・・
 ・・・・・
 わずかな例外をのぞいて和歌というものはほとんどくだらぬといってのけた子規は、そのくだらぬわけを、さまざまに実証する。
 たとえば、
「月見れば千々(ちぢ)に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど」
 という名句をひく。上三句はすらりとして難がないが、下二句はリクツである、と子規はいう。
「歌は感情をのべるものである。リクツをのべるものではない。・・・・もしわが身ひとつの秋と思うと詠むならそれは感情としてすじがとおっている、が、秋ではないが、と言いだしたところがリクツである。俗人はいうにおよばないが、いまのいわゆる歌よみどもは多くリクツをならべて楽しんでいる。厳格にいえばこれらは歌でもなく、歌よみでもない」】

2015年5月13日(水)
 「台風一過」のよい天気になったが、まだ風が少し強い。
 台風が過ぎ去ったと思ったら、今度は、今朝6時過ぎ、東北は岩手県南部の花巻で“震度5強”の地震が起こっている。
  

 


 

WATASI(M)のツイットNO.264

2015-05-11 06:24:48 | 日記


2015年5月8日(金) 
 5月4日(火)の日に撮った石楠花
 

 石楠花が美しい。
 今日、ウオーキングの時に目にした石楠花が大変美しく見えた。
 二つ三つ蕾を残し、他は全部開花していた。
 蕾んでいる時には中心部は鮮やかな赤い色をしているが、一つの房を成して咲き誇る時には白くなっている。多くの花弁がひしめき合うように、しかし皆が仲良く全体として一個の球状になっている。
 去年の3月頃から、こちらの宇佐八幡神社の方にもウオーキングに来るようになったが、去年の5月には石楠花は私の目には止まらなかった。
 『見ていたのかも知れないが、観ていなかったようだ』 
 “美しいさ”に気付いたのだと思う。
 明日、忘れずにカメラを持ってきて写真に撮っておこうと思う。
 
2015年5月9日(土)
 

 
 
 台風6号が発生している。
 何時の間にか、“寒さを託(かこ)つ”日々から“台風を託つ”季節になった。
 午前中は粉糠雨も時折混じる曇り空だった。
 午後遅くになって空が明るくなりだした。
 今日はピアノ・レッスンの日。
 少しひんやりしていて、暖房も冷房も要らない丁度良いくらいの陽気だ。
 今練習している「きらきら星変奏曲」は、後半部のVar.9~Var12 (9頁~11頁)辺りになると、ますます難しく感じる。
 変奏(Variation)が、私などからすれば、極端なまでに度を増してきて、主題(Thema)からどんどん離れてゆき、メロディーを掴みきれなくなってくるからだと思う。余程練習しないことには曲の感じが掴めない。
 その前段階の作業として、地道な“譜読み”の練習をやらねばならない。それには大変な努力を必要とする。
 レッスン中、眼が疲れて来て楽譜が見難くなった。終ったあとは身体がとても疲れていた。

 隣家では、家屋の修繕が行われるようだ。
 朝早くから工事の音がしていたが、その物音が途絶えたら、粉塵が飛ばないように家屋全体が覆いで囲われていた。

2015年5月10日(日)
 良い天気の一日だった。 
 

 

 

 

2015年5月11日(月) 
 今日も好い天気。爽やかな朝となった。
 明日から、天気は台風の影響を受けて下り坂だという。 

WATASI(M)のツイットNO.263

2015-05-08 09:19:50 | 日記
2015年5月5日(火) 
 午後少し暑くなった時もあったが、平年並みの気温で、概ね快晴の爽やかで過ごしやすい一日だった。
 健康な体であれば、今日の様な一日を恵まれただけで幸せな気持ちになれることだろう。私の場合、最近また胃の調子が悪く、またウオーキングに出れば足が痛み、良い天気に恵まれても気分は“快晴”までにはならない。

 ウオーキングから帰って偶々開けたNHK.BSテレビ1チャンネルで、BS世界のドキュメンタリー「パリ秘密交渉の内幕」(2014年フランス製作)というのをやっていた。
 ベトナム戦争終結に向けて、アメリカと北ベトナムとの間の交渉だが、南ベトナム政府、南ベトナム反政府勢力も加わった4者の戦争終結に向けての複雑な駆け引きの交渉を追う番組だった。
 ベトナム戦争は1960年~1975年の15年の長きに亘って続いたが、その間(1970年~1973年)に停戦交渉が秘密裏に行われていた。紆余曲折を経た後に、北ベトナムとアメリカとの間で一旦は停戦交渉が成立した。しかし、南ベトナム政府は納得せず、1973年以降も“南ベトナム政府” vs“ 南ベトナム反政府勢力+北ベトナム政府”の戦闘は続き、1975年サイゴン陥落によって北ベトナム側の全面勝利で戦争は終わる。
 北ベトナムのような小国が強大なアメリカに勝利したのは(中国・ロシアが北ベトナムに対し後方支援をしたこともあったが)、民族自決のベトナム人民の不屈の精神、そして何よりも北ベトナムが、アメリカの国内の反戦運動を始めとした国際世論を味方に付けたことにあった。

【※ベトナム戦争=ベトナムの独立と統一をめぐる戦争。1960年結成の南ベトナム民族解放戦線は、北ベトナムの支援のもとに南ベトナム軍およびそれを支援するアメリカ軍と戦い、69年臨時革命政府を樹立。73年平和協定が成立しアメリカ軍が撤退、75年南ベトナム政府が崩壊、翌年に南北が統一された。】

 この戦争が激しくなり始めた頃、私は大学生生活を送っている。その頃に、一人のベトナムの青年と知り合いになった(彼は私より1~2歳年下だった)。彼は「両親が、共産勢力がベトナム全土を支配することを嫌って、南ベトナムを脱出して日本に移り住んだので、今私は日本に居る」と言っていた。
 当時、彼が“自由であることの大切さ”をしきりに強調していたのを覚えている。
 そのベトナム戦争が彼の心に暗い影を落としたのか、彼は一時“精神の病”に罹って入院していたこともあった。
 師走の頃だったと思う。新宿にあるその病院へ彼を見舞ったことを覚えている。

2015年5月6日(水) 
 カレンダーには、今日の5月6日の欄には「振替休日・立夏」と書かれている。
 5月3日(憲法記念日)が日曜日だったから、それが振替えられたのだろう。
 今日で大型連休が終わるが、連休が早く過ぎてしまったように思う。これも“年寄り感覚”なのだろう。
 立夏ということで暦の上ではもう夏に入ったらしい。
 ストーブを使うことはもうないだろう。灯油が余ってしまい、年末の寒くなる頃迄持ち越すことになる。灯油は日を置くと劣化すると聞くが仕方ない。
 
 夕方にかけて雲が少し広がったが今日もまずまず良い天気。
 あまり変ったことのない一日で特に書き記すこともない。
 敢えて書くならば以下のような変哲のない一日。
1.家の中の片付けをしていたら、人形や写真立ての下に敷いてある“レースや布の敷物”が埃を被っていた。そんな細々した物も纏めて洗濯機に放り込んで洗って干した。
2.この季節は雑草の成長のスピードが速い。それに対抗するような感じで、少しずつだが庭に出て雑草取りをする。
(※この庭に出ている間に電話がかかっていたのだろう、夜に電話がかかった時、先方の“留守をしていたでしょう?”という言葉から話しが始まった。
 庭に出ている時や掃除機を使っている時、洗濯機が回っている時やピアノの練習をしている時は電話音が聞こえないことがある。)
3.午後4時半頃だっただろうか、ピアノの練習に飽きて「そろそろウオーキングに出ようかな」と思ったが、まだ少し早いのでテレビのスイッチをつけた。
 プロ野球の「中日対阪神戦」をやっていた。阪神が1対2で負けており、「矢張り今年も阪神は弱いのだなあ」と思いながらテレビを眺めていた。
 阪神の攻撃の9回裏も2アウトになり、バッター・ボックスには4番のゴメスが立った。三振でゲームセットかと思ったら、彼は何とか食らいついてヒットになった。その後、福留、マートンが共にフォアボールで満塁。中日はピッチャーが交代して阪神のバッター・ボックスには代打の関本。関本もフォアボールを選んで押し出しの同点となった。更に、次打者の新井が2ストライクからチョコンと出したバットに球が当たりセンター前にヒット(※今この日記を書いていて、選手の名前を思いだすのに大変な苦労をした。しかし、思い出せた自分は“偉い”とも思った)。
 結局阪神が逆転勝ちした。
 得点が絡まった時に、フォアボールで塁に出るか出ないかは、ヒットを放つ時以上に緊張感がある。  
 つい引き込まれて長々と野球中継を観てしまい、お陰でウオーキングに出るのが何時もより半時間以上遅れてしまった。

 宇佐八幡神社の下拝殿の石楠花は、開花する花の数が増えて更に美しくなっていた。熊蜂(くまんばち)が、ブンブンと音を立てながら花の回りを飛んでいた。
 下拝殿の前にある家の奥さんが、御主人と一緒に車での買い物から帰って来た。
 その後、また玄関から奥さんが“箒と散り取り”を手に持って出てきた。そして垣根になっているツツジの花が道路に落下しているのを掃除し始めた。ツツジも咲いている時は綺麗だが、萎れたしまった状態や花弁が道に落ちている様は汚いものだ。奥さんは掃除を終えてまた家に入って行った。道路は綺麗になった。
 (※ウオーキングに出掛けている最中にも電話を頂いていたようだ。何だか私の留守の時ばかり電話がかかってくるような気がする。)

2015年5月7日(木)
 連休が昨日で終わった。午前中に(連休中に訪ねて薬が貰えなかった)坂本のK医院へ“クレナフィン爪外用液10%”を貰いに行った。
 医院の駐車場は満杯、待合室も満員で大変混んでいた。診察を受ければ2~3時間は待たされそうなので「診察なしで、薬だけ貰う訳にはゆきませんか」と看護婦に聞いたところ、診察なしで処方箋を出して貰えた。この薬を出してもらうのは今日で3回目になる。
 薬局でも大勢の客が順番を待っていた。働いている人が仕事を抜け出して、医院へ受診に来たり、薬を貰いに薬局へ来ている人が大勢いるようだ。薬局で、「こんなに待たされては仕事に遅れる!」と言って苛立つ人が何人もいた。
 帰り道、国道161号線を通って帰った。スーパー・イオンの近くの廃業になったスーパー銭湯の建物が解体されつつあった。建築されてから20年も経っていないのに壊してしまうのは勿体ないことだと思った。それにしても、20年近く前、開業した当時は大勢の人で賑わい、私も物珍しくてしばしば入浴に来ていたものだった。20年などは、あっという間に過ぎてしまう。
 歳をとる筈だと思った。

2015年5月8日(金)
 今日も好い天気。
 しかし、早くも台風6号が発生して、来週日本にやってきそうな気配を見せている。 

WATASI(M)のツイットNO.262

2015-05-05 09:25:37 | 日記
2015年5月2日(土) 
 午後からのピアノ・レッスンの最中に、最高気温が30℃という猛烈な暑さになった。
 アラジン(ストーブ)をまだ仕舞ってもいないのに、もう扇風機、エアコンが必要になってきた。
 扇風機を直ぐには出せず、出すのに時間がかかって面倒なので、汗をかきながらのレッスンとなる。
 この1ヶ月の間に、季節は、一気に“真冬から真夏へ”と変ったかのようだ。
 “初鰹”、物集(もずめ)の“筍(たけのこ)”の御馳走になる。

2015年5月3日(日)
 今朝も目が早く覚めて、A.M.5時半頃から20分程、庭の雑草取りをした。
 昨夜は、暑くて汗をかいて上布団をはねのけて眠っていたり、逆に寒くて上布団を引き被って眠ったりしていたようだ。そんなことを交互に2~3度繰り返していた所為であろうか、午前中、今一つ体調が優れなかった。
 熱でもあるのか?と思って計ってみたが、熱があるどころか35.8度だった。温かくなっても私の低体温は変らないようだ。

 5月に入って最初のウオーキング。今日は日曜日だけれども“憲法記念日”。近江神宮と憲法記念日とは何の関係もないだろうが、何時もの日曜日と異なって大勢の参拝客だった。大型連休中だからだろう。
 近江神宮駅に停まった京阪電車も、坂本方面行き、石山寺方面行き、ともに大勢の乗客だった。

2015年5月4日(月)
 “緑の日”で祭日。
 天気予報から、一日中“雨”と覚悟していたが、雨は思ったほど降らなかった。
 一日中家の中に居るのは鬱陶しいので、雨が上がっているときを見計らって、今日もウオーキングに出た。
 “緑の日”に相応しく、近江神宮境内の木々の緑は美しかった。

 
 近江神宮では、毎年正月に“かるた大会”が開かれる

 
 参道には落ち葉が多く散っている
 
 
 
 “5月の案内板”には、崇福寺(すうふくじ)の跡から発掘された「舎利容器《国宝》」(近江神宮の所蔵品となっている)が紹介されていた。
【※崇福寺=大津宮の乾《いぬい》(=戌《いぬ》と亥《い》との中間の方角。北西)の鎮めとしての勅願寺】

 
 本殿下の枝垂れ桜の木は“緑の木”に変身

  時計博物館の屋根の修理工事は今も続いている

 
 “赤い桜、白い桜”は、今は“緑の濃さ”を競い合っている。
 【CF. “WATASIのツイットNO.252.”、4月8日の記事の写真、“赤勝て、白勝て”】

 
 紫陽花の木に美しいカタツムリ!ファッション感覚抜群!

 
 宇佐八幡神社下拝殿傍の石楠花は満開になりつつある

 
 今年は和歌山県で国体がある。ボート競技会だけは滋賀県の琵琶湖漕艇場で開催される。

2015年5月5日(火)
 今朝方は、薄手の布団では肌寒かった。寒さを感じて目覚めたが、6時間は充分に眠れた。
 今日は“子供の日(祭日)”。
 連休期間中はテレビ番組も少し変るようだ。何時ものように午前6時半からNHK総合テレビのニュースを見ようしたら、ニュースではなくて、「インタビュー“ここから”」と言う番組が出てきた。俳優の藤本隆宏という人が今日の“インタビユーされる人物”だった。この人はオリンピックにも日本代表選手として出場したことがあるという。その後、25歳で俳優に転向し、2009年にNHKドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎)が放映されたようだが、それに準主役として広瀬武夫役で出演している。「役者は、ルックス・持って生れた才能などで優劣が決まるかと思っていたが、やはりこの仕事も“努力”が物を言う世界だと思った」と言っていた。その努力の結果、今日欠かせない役者の一人として、いろんなドラマに出演しており、人気俳優として活躍しているらしい。
 大型連休中は、テレビに、旅行など、レジャーを楽しむ人々の映像が多く映し出される。
 しかし、家でのんびりする人も意外に多くて、一番多いのは「家の片付け・掃除・洗濯」をする人であるらしい(アンケートを取ると、むしろ「家>旅行・レジャーなどの外出」になっているという)。
 大型連休は、普段働いていて休みがあまり取れない人の為にある。私などリタイヤー組は、大型連休だからといって一緒に浮かれる必要は全くない。一緒に浮かれていては観光地が混雑するばかりだ。
 今日は“子供の日”なので、特に遊園地などは子供連れで大いに賑わうことだろう。
 
 私は、今日も多数派の方に入って、家の中の片付けものを続けようと思う。
 今日は「降水確率0%、最高気温も23度止まり、爽やかで過ごしやすい」という天気予報になっている。