知らずに育み、自分の一部と思い込んでいる「固定観念」というもの。
この、勝手に「思い込んでいる」というものが固定観念なるものか。
意識していないから気づかないだけで、人は固定観念の塊で日々を生きている。
私もたくさんの固定観念で全身を覆っているような?
なんか、最近その意味が分かってきた。ような気がする。
そこに意識を向けると、それに見合った出来事が起こったり、必要な人と出会う。
それについて考えられるように、出来事が起きるのだろう。
固定観念なんて、勝手に自動的に人工的に作られたものだから、必要ないんだよな~
私には必要ない。
まだまだ時間はかかるだろうけど、ただただ、素直に生きていきたいな~
なめらかな愛でその固定観念を溶かしたい。
甘い甘い蜜と一体になるように。
大好きな人とのお茶の時間に、言葉の切れ端に、きれいな景色に反応する。
反応はアンテナ。
高い高いアンテナを張って、刺激的な毎日を送りたい。
メッセージはいろんなところから入ってくる。
ルン♪ ルン♪ ルン♪
久しぶりの国内旅行。
目的地は、長崎、福岡。
九州は今まで知り合いもいなくて、行きたいと思いつつも足を運べないでいた場所。
この2年で九州出身のたくさんの友人ができた。
時期が来た。
なんて、そんな大げさなものじゃないけど、行きたい所には行けるようになっている。
そういうことだ。
自然の法則。
浦上天主堂で拝見した被爆した木像のマリア像。
平和祈念像。
弾圧時代にキリシタン発見の地。大浦天主堂。
自然、原爆、戦争、解放、信仰、自由そんなワードが頭の中を駆け巡る。
足して、引いて、割って、かけて、いろんなことをして出る言葉はひとつ。
「平和」
平和でありたいな~
自分自身も、日本も、そして世界中が。
友人たちに会い、笑い、語り、食し、呑み。
幸せなひとときでした。
今日は少し寒さも緩み?太陽の光が気持ちよかった。
ぽかぽかと背中を押され、母とお散歩しました。
「とっておきスポットがある」というのでついて行くと、
なんでもない小道をずんずん行く母。
「ここ、ここ。あるかな~」なんて言っている。
雑草の生えている辺りをなにやら物色。
「あ!あった、あった!!」
そこにあったものは、
そう、ふきのとう。
「お父さん、好きなのよ。コレ。あたしも好きだけど」
なんて言っている。
で、負けずに私も、「私も好きだよ」
と、二人で土を眺めて物色。
「やった~ あった。あった。」「あ~ここにも。あった」
今日の晩御飯の一品になるくらいとれました。
ふきのとうをとった後の、指についた、土の香りとふきのとうの香りが芳しい。
二人で指を鼻につけて、嗅ぎながら怪しく帰りました。
春は、もうすぐ?????
Happy Sweet St.Valentine !
素敵なバレンタインデーをお過ごし下さい。
子供たちみんなの夢。
お菓子だけでできた、お菓子の家。
素晴らしい。
超意識の領域には、悩みと喜び、悲しみと幸せ、嘆きと歓びの区別がない。
どんな感覚や感情も、超意識的心にとっては、快でもなければ不快でもないのだ。
超意識の役割は、思考様式を---すべての思考のパターンを---物質へ変換させることなのである。
そしてそれは、あなたの思考の良し悪しや、幸・不幸、価値のある・なしの判断ができない。
ピーター・ケルダー著
この部分を読んだとき、「そうよね~やっぱりね~」と思った。
そう、そう、そうなのよ。
よく言う、願いをかけて(思考して)、あとは天に任せるというもの。
結論に至るまでの過程は置いといて、最終的に自分の思い通りになっているということ。
はい、はい、ありました。そんな経験。
実際、マダガスカルで空き巣に入られました。
鍵もしっかり閉めていたし、こちら側にはなんら非はない。
けれど、完全に鍵を壊されて入られ、大切なものを片っ端から盗まれた。
思い出のあるもの、高価なもの、写真、現金、洋服、台所用品。
それはそれは、たくさんのものを持っていかれてしまった。
物を盗まれたというショックもさることながら、さすがに誰が盗んだのか分からないのだから、
人を信用することが難しくなってしまった。誰も信用できなくなった。
心の痛みはとてつもないものでした。
けれど、記憶の糸をたどれば、マダガスカルに発つ直前、海外旅行保険に入ろうか入るまいかと悩みつつ、
ぎりぎりの締め切りで入っていったのです。
保険はまず高い。
私は、いつも海外に出るとき、「保険のお世話になるようなことは起こらない」と強く思い保険には入らずに行くのです。
けれど、このときはなぜか入っていった。
そして、「元を取れるようなことが起こるかしら?」と、うっすらと淡い思いを抱いたのを覚えています。
高い保険料を払うのが悔しかったんでしょうね~
そして、マダガスカルで半年ほど経った頃、ふっと、なぜか
「今盗まれて困るのは、パソコン、ハードディスク、カメラ。。。」
と、こともあろうに思考してしまった。
思考というよりは、予感?よぎった、といった感じだったけれど。
超意識はこの思考を受け入れてしまったということでしょう。
保険料を払ったので=元を取りたい
↑
空き巣強盗
↑
保険で支払い
こういった図式が出来上がってしまった?わけです。
結果、自分の思い通りになっているのです。
超意識は、私の幸・不幸、価値のある・なしを判断できないため、このような経過をたどったとしても
仕方がなかったのだと思うしかない。
思考したのは、あくまでも私なのですから。
必要に応じてこういうことが起こることもあるようなので、一概には言えません。
このことで、いろんなことに気づかされたこともありますから。
けれど、いづれにしても、思考は物質化する。のです。
よって、いい人生を生きたいと思うのなら、感動する思考で満たしておくということが
重要なのではないか。
物質化も速度が増しているような気がしますから。
超意識は、とっても素直ですよ~。笑
最近、巷でにぎわっている、「お片づけ」。
なかなか手をつけられないもの。
どこから手をつけたらいいのか分からない。
マダガスカルから帰ってきて、たっぷりのお土産。数々の品。もちろん使うだろうと思って持って帰ってきたものだが、
今思うと、なぜこんなに買ったのか?と思うものが大量にある。
お洋服もたくさん買ったので、今まで家にあった洋服で、もう、いい加減着ないだろうと思うものは潔く捨てた。
それでもまだまだ減らせるものは、たくさんあるのだ。
先日のこばやしちはるさんのセッションで出てきたキーワード。
「お掃除」手紙を捨てる。
具体的に「手紙」という指定があったというのもあり、取り掛かりが早かった。
手紙というものには思い入れがあり、なぜか捨てられないものでもあった。
それにしても、こんなに!!??と自分で思うほど溜め込んでいた。
20年ほど前のものもあったりして、自分でもびっくりした。
メールがまだ今ほど普及していなかった頃の手紙のやり取りというものは、心を和ませた。
メールがないので、海外の長旅をしているとき、さまざまな国の日本大使館付け、郵便局付けで手紙を受け取っていたこともあった。
そのときの情景が、ふわっと目の前をよぎる。
いづれの場合も、手紙を受け取るというのは嬉しいものだ。
封を開けるまでのワクワク感がいい。
自分が書いたであろう手紙に対しての返事であったり、彼女たち、彼らの近況が事細かに書かれてあった。
メールだと事を伝えるのが早く済むし、何となく完結に済ませてしまうし、少し味気ないような気がする。
その点、手紙というのは書くことが今の時代面倒とも思える行為だが、そうすることにより、それを書いている状況だとか
感情だとかがより鮮明に書かれてあったりして、(書くという行為によって気持ちが盛り上がるのだろう) とっても生々しかった。
一人ひとりの筆跡もまた、その人を思い描くのに最適な感情をもたらす。
大事にひとつひとつ、読みながら破いて捨てた。
ラブレターもあった。
それらも大切な思い出。
けれど、もう必要ないと思えた。持っている必要はない。もう終わったことだ。
これから、また新たに素敵なラブレターを受け取れるように。
また一歩、新しい一歩を。
受け取るために、捨てる。
あ~ スッキリした~
先日、大好きな親友と素敵なランチ。
明るくて開放的な空間でした。
お昼からワインを傾け、永遠のおしゃべり。
この日は、このランチの前に彼女のセッションを受けました。
何かの転機には受けたくなる彼女のセッション。
今回は、特に気になることがあったわけでもないのですが、急になぜか誰かに押されるように囁かれるように頭の中をぐるぐると
「彼女のセッション」と、まるでお告げのようにムクムクと気になってきて、それがひたすら頭の中をめぐっていました。
というわけで、気づくと、セッションのお願いをしていたというわけです。
その理由はありました。
そのときに聞かなければならないことがあったようです。
一体どなたが伝えてくれたのだろうか。
いづれにしろ、ありがたいことです。
そうして、いつもたくさんの気づきをもらっています。
彼女の存在は温かい。
たくさんの人の心の真実の追求を願い、心の輝きの眩しさが更に増すように、本来の自分に気づけるよう優しく見守ってくれます。
そして、包み込むような愛でサポートしてくれます。
多彩な芸術家、クリエイターであり、サイキックヒーラーです。
アートを通じてさまざまな表現のお仕事をなさっています。
美しく華があり素敵で、私の大好きな人です。
こばやしちはるさん
http://ameblo.jp/true-chiharu
いつも、ありがとう。
ありがとう。