労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

分裂よりも溶解を選択

2007-09-01 23:58:57 | 政治
 去就が注目されている“小泉派”を麻生幹事長が挑発的に揺さぶっている。いわく、平沼赳夫を無条件で復党させてもよい、いわく、選挙区の候補者は当選しそうな人を選ぶべきであり、“小泉チルドレン”だからといって特別扱いしない等々。
 
 これだけ突っついても動かないところを見ると、ひょっとしたら死んだふりをしているのではなく、本当に、突然、権力を失ったショックのあまり仮死状態にあるのかも知れない。
 
 もともと7年間も権力の中枢にあって甘い汁を吸い続けていた連中だから、ぎりぎりの権力闘争を闘うというのは無理であったのであろう。多くの政治家が立たされたであろう政治家としての別れ道で、損得を度外視して、決然として立つという道を選択できなかったところに小泉純一郎の政治家としてのインチキ性が端的に表れている。
 
 “小泉派”が闘うべき時を逃し、なすすべもなく時間を空費しているうちに、自民党も民主党も着々と彼ら抜きの体制を固めつつある。こうなってしまえば彼らはもう社会にとっても、自民党にとっても用なしであり、社会的に無用となった政治勢力は氷山が大海で次第に溶けていくように自然消滅の道をたどるしかない。
 
 そして時代は、すでに昔懐かしい「ばらまき」政治復活の時代に入っており、各省庁の概算要求も膨らんでいる。50兆円程度の収入(税収)しかないのに、85兆円もの予算を組もうとするのは、正気の沙汰ではないと言おうものなら、それこそ、それなら消費税を上げればいいじゃないか、という声が与野党を問わず聞こえてきそうな昨今である。
 
 もしこの7年あまりの小泉支配に意味があったとしたら、それは彼ら“小泉派”が財政危機という日本資本主義が抱えている根本的な矛盾を、彼らなりに真正面から捕らえており、言葉の上だけでも、旧態依然のことをやっていれば、日本資本主義は早晩行き詰まるであろうということを認めていたからであろう。
 
 そうであるなら、昔懐かしい「ばらまき」政治復活の時代は、現実に日本の財政を破綻に導いていくのであろう。
 
    

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