清流を見ながら

川面に映る自然を見ながら時々に思うこと

庶民の感覚

2010年07月11日 | 日記
サラリーマンのときは1円の間違いもなく納税、年金になってもそれは同じ。国保も地方税もきっちり納める。選挙には毎回行く。自らの過ちで司法の世話になったこともない。だからといって、老後が安心してすごせるとは言い切れない。

昔のサラリーマンが集ったときの話。真面目にこつこつと働いた事へは誇りに思うが、なにか割り切れない現状、安心して老後がすごせないという不安と不満がある。働きたくてもその場がなく、わずかな年金に頼るしかない生活状況にしたのは誰だったのだろうかと。

「わしらの親は裕福ではなかったが、年取ってから今ほどの不安は持っていなかった」と省みる。早く親を亡くした自分にはその実感は感じ取れないが、近所に高齢者が多かった。その大方は今とは違い大家族の生活だった、記憶がする。

サラリーマンとして真面目に定年まで勤め上げた者が、その先が不安一杯では「真面目に働く者が馬鹿をみる」という感覚になる。政治家がもっと身を削る実態に染まらなければ解決しないだろう。役人の世界には誤算を認める制度を導入し、大きな過ちには処分を課す。

そうしたサラリーマンOBの愚痴を実現させるのはやはり、自分たちの選んだ議員しかいない。次は衆参同日選挙かも知れない。3年先までじっくりと各議員の挙動を見極めたい。




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