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Gundam関連 観賞日記&感想

The Edge 5巻感想

2006年11月18日 | ガンダムSEED DESTINY感想
この時間だし、ちょっと眠いのでとりあえず感想ですが、

The Edge最終巻読みました。(発売日に)

感涙。

ていうか、一巻の時点で予測のついた完成度で終わり、かなりホット致しました。

The Edgeの完成度と安定度については、本編と比べてどうとか解釈がどうとかは、
もう、「よめばわかる!!!」という域なので、ここでは書かないことにして(眠いので)、

今日のテーマはこれでいきます↓

「アスランを描けば、自ずと見えてくるはずだったシンであり、キラである。」

もう、このまんまなのですが、
私が最初DESTINY本編を見始めたのは3話あたりからなのですが…
そのころは漠然としたアスラン好きで…。
それでも当時の進行状況からして、
ストーリーテラーというか、制作者側が設定した
物語の柱位置(物語の場所・時間軸・コンセプト等の)は
断固アスラン・ザラ。
(だから、議長との最後の対決にはThe EDGEの様にアスランが!
議長と話してほしかった!!居合わせるだけでなく…)

シンの主人公としての役割分担は「視聴者の視点」であって、
物語を動かす人ではない。
というのは解ってみていました(そこは大人な作りで好感持っていました。)。

その後、アスランの足が止まって(悩みに落ちて)以降は、
ちょっと難しい(裏読みが必要な)物語になってしまったという感が強かった…
というのが本編の客観的(技術的)な感想でした。
(主観的には納得済。。。笑 )

これは、戦闘シーンやら、クライアントとの都合とか、、、、
前から何度か書いてきたような理由で
アスランも描ききれない、誰も彼も描ききれない…と
一般的に評価されてもちょっとフォロー仕切れない様な
お話しになってしまったのが本編。

…ちなみに、その矛盾を払おうと試みた様子なのが、
今のスペエディ。

ただし、ちょっと、これには私は「3」を観て以来、
私的にはスペエディを「アスラン視点」と
謳うことに疑念を持ち始めている部分でもあって……

…それでも面白かったんだよ!本編は!!と、叫びたくなるほどに。。。。

スペエディは大人しすぎと言うか、変えすぎというか(根っこを)、、、、、
創った本人達が自身の否定の作品を創っているようで……嫌………笑
(カガリ補完は相変わらず放られてるしね。)

本当はそういうことではなく、
ただ、無駄をそぎ落としたものを創って居るんだというのはわかるんですが、、、、
本編フォローにしか思えなくなってきました。最近。。。



ま、スペエディは置いておいて、The Edgeの話。。。。

結局、これを読むと、

「アスランの見えていたもの、見えていなかったもの」

「シンの見えていたもの、見えていなかったもの」

「キラの見えていたもの、見えていなかったもの」(←でもここはまだ微妙…)

がよくわかります。

とくに本編では散々非難されたシンですが、

シンがアスランに対してその時々、甘えたり、尊敬したり、絶望したり、、、、
というのが、ちゃんと描かれたのが、EDGE。

もちろん、ちまきさんと担当スタッフの読みの鋭さがあってこそではあるけれど、
「物語というのは“人間の人生”を描いてこそ、
世界も見える、自分自身を知ることもできる」
というベーシックなところをしっかり見せてくれた
「証し」のような作品でありました。

(いよいよ本当に眠いので文章おかしいですが)

…要は、

アスランをちゃんと描けば、
シンも(おそらく)キラも(そんなに)破綻しなかったんだよ!!!!!!!

ってことを、ずっと訴えてきた私としては、、、
やはり。

The Edgeという存在がSEED DESTINYのメディアミックスの中に存在していて
「有り難かった!」というのが
一番感謝しているところです。

監督夫妻に! (本当にね。)



ちゃんと、カガリも。。。。。このあと描かれるようですしね!!!(涙)



よく考えると、

最初からアスランが中心者とわかってみていた場合と、

シンが好きで、彼を中心に観ていた場合、

キラを好きで、彼を中心に観ていた場合、、、、では、

本編で描かれなかった、AAの疑問や、カガリの問題や政治の問題、、、、、、

等々…

捉え方も、感想も、怒りも、喜びも、、、、

思い切り個々ベクトルが違う方向を向いてしまう、
かなり危険な作り方をした作品だったんですね。。。

個人的には、かなり面白いアプローチだったので、
TV媒体でありながら、その潔さというか割り切りが
小気味良かったりもしたのですが、、、

シン視点では、彼には未来があり、救いがあるとわかっていても
DESTINYという物語の中では彼は最後の最後まで辛い立場であったし、

キラに至っては、独善的になってしまいがちな描かれ方をしてしまったし…

ラクスもなんだか悟ったひとで、

かがりは訳わからない人になってしまい……

冷静に整理しないと、彼らだって、アスランが過ごしていたのと同じ時間
生きて、考えて、悩んで、泣いて、立ち上がって、、、、、
というのがあるはずなんだ、
あったはずなんだ!
というのを信じられなくなってしまう落とし穴があったんですね。。。。
(わかっていつつも、それは私が心配することじゃなかったもんなぁ。
というか、わっかているけどどうしようもない。ここに感想書くくらいしか…笑)

ラクスがアスランに言ったように、
「もうここまでだ、とあきらめる」ことをしてしまうと、
この作品を駄目と「投げて」しまうと、

…すごく勿体ない。とは、

50話感想で書いた通りに、すごく思いますが、

子供さん達に、
「ぜひ観て!」とは言い難いかも。

前から書いてきた、
「情報過多による価値判断能力の低下」が蔓延している近代社会に
生きる人間にはいい「テスト」でもあり得たんですけど。この作品。。。

いろんな評価、感想はあってもいい。
だって世界は多様であるし、そうあるべきだと思うから。
(だから、私は議長の全体主義には反対)

けど、もういっぽ。
普遍的なものを見つけようと思ったとき、
世界にひとつ。信じられるものを見つけたいと願ったとき、
(アスランのように。シン、キラもそうだったはず!)
何を基準に物事を判断すべきか、何をもって、道を選ぶのか。

「正義」や「真実」というものを永久に相対的なものだと、
絶対はありえないと決めつけてしまって、
人類はそれで本当にいいのか?進化していると言えるのか??

っていう、実はアスランがあんなにずんどこに
悩み苦しんでいたものの根っこは、
キラがわけわからんとか、カガリが裏切ったとかでなく(笑)

もの凄い難しい哲学と訴えが潜んでいたんだよーーーとか、
言ってみたところで、物語に共感できなかった人にそれを訴えたところで、
それこそ説得力がありませんけどね笑。

ま、これもなにかの縁で。。。。
たまたまヒットだっただけなのかも知れないし…私にはこの作品。笑

…実際どこまでスタッフのメッセージが伝わったかはわかりませんが、
面白い作品です。いろんな意味で。

だから、アスランとカガリに関しては
私のどうしようもない「色目と別評価」
が絡みますからなんなんですけれど(二人良ければ全て良し!!的な…爆)
映画も、なんだかんだであのスタッフの「癖」がまた観られるのが
正直楽しみです。

ああ、また脱線した。



The Edgeは、演出的には、頭に本編映像ありきで観るからこそ(比較も含め)
更に完成度も上がって見える、という相乗効果もあるわけなので、
単体で手放し評価するものではないんですが、

何であれ、ひたすら最後までカガリ一筋だった
The Edgeのアスランには頭が下がります。



そんなわけで、(?)


私はこのThe Edge最終巻だけでも、、、、何度泣いたことか…笑

当たり前すぎて言いたくないほどですが、

The Edgeのアスランは最高でした!!!!!

そして、カガリ話も、、、期待しております。
(どうせ、アスランを諦める話…よりかお父様話だんでしょうが。。。)

カガリの恋はこれからこれから。。。。。。。。。。遠い目。。。。

10代から20代前半の頃って、何か集中できるものが見つかると、
恋愛だってまだまだ未来に持ち越しても平気!っていうよりそうすべき!
今は自分磨き!!という、心境になったことが何度もある私としては、

とてつもない大きな責任をこの歳にして背負っている
カガリの判断、アスランの判断には共感です。
だから、離ればなれでも仕方ない。。。。



二人の将来にはひどく期待していますけど。。。(イタイくらいに笑)



そんなこんなで…


愛は伝わったでしょうか。(何)


ぶっちゃけアスラン欠乏症なんです。
(スペエディ、アスラン安定しすぎ…爆)






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