★ 2人の「桂子」さん
柳澤桂子さん、中村桂子さん
それぞれ生物化学を歩んで来られている方達です。
柳澤さんは、原因不明の難病を患い、職を断念されてしまって、
長い間、病床に臥せっていましたが、病因が判明し、
家の周りくらいは歩けるようになったという経歴の持ち主。
回復後は、持ち前の生物化学の専門を活かしつつ、若者への啓蒙書を
出したり、自分の人生を直視し、「生物」循環の大切さを訴えています。
中村さんも生化学を専門とされ、大学や企業の研究所を歴任されて
20世末のヒトゲノム・テクノロジに対するアンチテーゼとして、
「生命誌研究館」を設立する。
それぞれ、生化学を専門とされても、途中の経緯は大分違いますね。
でも、1990年代以降の著作を見ると、ヒトゲノム・テクノロジの
大きな進展に感嘆するも、幾つか点で科学技術文明に対して警鐘を
与えているようです。
中村さんは、「ゲノムが語る生命」のあとがきで如何に述べています。
ゲノムの解析が進められたことで、生命とは何か、
人間とは何かという問いへの答えに近付くかと思いきや、
複雑さの海に投げ込まれてしました。
補足すると「複雑さ」というのは色々な分野の事で、
哲学、思想、宗教、歴史、医学、脳科学、心理学、複雑系科学等
のことを指しているのだと推察しています。
2人の桂子さん、それぞれ似たようで違う経験をされながらも
辿りつく結論は、現在の生化学における人間の尊大さについて
気をつけるべきだという事ノヨウデス。
柳澤桂子さん、中村桂子さん
それぞれ生物化学を歩んで来られている方達です。
柳澤さんは、原因不明の難病を患い、職を断念されてしまって、
長い間、病床に臥せっていましたが、病因が判明し、
家の周りくらいは歩けるようになったという経歴の持ち主。
回復後は、持ち前の生物化学の専門を活かしつつ、若者への啓蒙書を
出したり、自分の人生を直視し、「生物」循環の大切さを訴えています。
中村さんも生化学を専門とされ、大学や企業の研究所を歴任されて
20世末のヒトゲノム・テクノロジに対するアンチテーゼとして、
「生命誌研究館」を設立する。
それぞれ、生化学を専門とされても、途中の経緯は大分違いますね。
でも、1990年代以降の著作を見ると、ヒトゲノム・テクノロジの
大きな進展に感嘆するも、幾つか点で科学技術文明に対して警鐘を
与えているようです。
中村さんは、「ゲノムが語る生命」のあとがきで如何に述べています。
ゲノムの解析が進められたことで、生命とは何か、
人間とは何かという問いへの答えに近付くかと思いきや、
複雑さの海に投げ込まれてしました。
補足すると「複雑さ」というのは色々な分野の事で、
哲学、思想、宗教、歴史、医学、脳科学、心理学、複雑系科学等
のことを指しているのだと推察しています。
2人の桂子さん、それぞれ似たようで違う経験をされながらも
辿りつく結論は、現在の生化学における人間の尊大さについて
気をつけるべきだという事ノヨウデス。
つまり、ある側面だけで『生命観』全てのことを語ることはできないんだろうということ。
同じ次元、フィールド、あるいは同じ【言葉】で語らなければならないという宿命(前提条件)を持ってしまうからではないかとワタシは考えています。
このことは非常に難しいことです。
そのような『言葉』が見つけられるかどうか?・・・
ですので・・・。
中村さんがおっしゃるように『哲学、思想、宗教、歴史、医学、脳科学、心理学、複雑系科学等』・・それらの「深い海」に放り込まれてしまうと言うのは、いたし方ないことだと思います。
・・・・・
ワタシは、いつも『生命観』を考える時、一つの言葉にいつもぶつかってしまうのです。
それは、宮沢賢治の『第四次延長』という言葉です。
「春と修羅」の『序』ですね。
このことについては、また後で。(^^)
-(や)-
この記事は、約3ヶ月程熟成?しておりました。
というか草稿中として放っていたのです。
うまい自分なりの「言葉」が見つからず、
結局、受け売りの「言葉」で書いてしまっています。
宮沢賢治の「第四次延長」、、
初めて聞きます。そのうちにお教えくださいね。
・・・・・・・
『諸法実相』の言葉、概念に近い意味があります。
「諸法実相」の考え方をやさしく解説しますね。
・・・・・・・
「さまざまな現象や事実=諸法」と考えてみます。
「水」を例にとってみると、わかりやすいですね。
「水」は気体・固体・液体のように姿を変えてしまうものです。変容、変化してしまいます。
「水」は諸法です。
では、「実相」ですが、それは化学的には「H2O」でしょうね。
ですが、それらの「すべての相=総括したもの」は、「水」ではないのでしょうか?
チガイマスよね。それぞれが「水」なのです。
ですから、気体から固体、液体までが「水」なのです。
「H2O」も「水」であることと同時に、また相の初めから終わりまでが「水」なのです。
この考えに時間的な経過を加えた考え方が、宮沢賢治の『第四次延長』という言葉の意味とワタシは捉えています。
・・・・・・
このことを、宮沢賢治は常に思索し続けた稀有な人物だと思っています。
彼の右手にはいつでも「法華経」があり、左手には「化学本論」がいつでも開かれていたからです。
そして、このことは彼の文学を理解する上で最も大事な考え方の一つなのです。
-(や)-