同業他社との意見交換会出席のため中部地方に出向きましたが、東日本大震災の話になると地域によって温度差があるなと感じました。北海道の方は揺れながら「この地震は尋常でない」と感じたそうですが、九州の方にすれば今でも遠い町での出来事のようで関心が低かったです。もっとも九州での自然災害に対して東日本での関心が薄いのと一緒です。
第92回 後三年合戦-第13幕-(秋田県横手市 金沢八幡宮)
今回も前回に続き、後三年合戦後の史跡でございます。ご覧いただくのは以前ご覧いただいた兵糧塚の近くに建つ「金沢八幡宮」です。
金沢八幡宮は後三年合戦終結6年後の1093(寛治7)年、源義家が藤原清衡に命じ出羽鎮護のために石清水八幡宮(京都府八幡市)の神霊を勧請して創建したもので、誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀っています。
源義家には「八幡太郎」との通称がありますが、これは義家が岩清水八幡宮で元服したことに因むそうです(知っておきたい日本の神様)。
(うっそうとした山中に建つ金沢八幡宮 -2010/07/13 秋田県横手市-)
こういう山中にある寺社仏閣を見る度に、この社を作るために無数の人々が借り出されたことがちらりと脳裏に浮かびます。現代のように機械なんてありませんから、人力、いいところ牛馬を使ってふもとから材料を運び上げたのでしょう。
この時代に生きていれば様々な出来事の真偽を確かめることができますが、かような苦役についていける自信がないので、いい時代に生まれたとも思います。
2010/09/04の一品・・・784)八戸散歩(東北新幹線)
2009/09/04の一品・・・お休みでした
2008/09/04の一品・・・349)ちょっと隣県へ 秋田県男鹿市(荒れる日本海)
2007/09/04の一品・・・021)栃木散歩 岩舟町(岩船山)
にほんブログ村「ふうん」と思ったらクリックして下さい
第92回 後三年合戦-第13幕-(秋田県横手市 金沢八幡宮)
今回も前回に続き、後三年合戦後の史跡でございます。ご覧いただくのは以前ご覧いただいた兵糧塚の近くに建つ「金沢八幡宮」です。
金沢八幡宮は後三年合戦終結6年後の1093(寛治7)年、源義家が藤原清衡に命じ出羽鎮護のために石清水八幡宮(京都府八幡市)の神霊を勧請して創建したもので、誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀っています。
源義家には「八幡太郎」との通称がありますが、これは義家が岩清水八幡宮で元服したことに因むそうです(知っておきたい日本の神様)。
(うっそうとした山中に建つ金沢八幡宮 -2010/07/13 秋田県横手市-)
こういう山中にある寺社仏閣を見る度に、この社を作るために無数の人々が借り出されたことがちらりと脳裏に浮かびます。現代のように機械なんてありませんから、人力、いいところ牛馬を使ってふもとから材料を運び上げたのでしょう。
この時代に生きていれば様々な出来事の真偽を確かめることができますが、かような苦役についていける自信がないので、いい時代に生まれたとも思います。
2010/09/04の一品・・・784)八戸散歩(東北新幹線)
2009/09/04の一品・・・お休みでした
2008/09/04の一品・・・349)ちょっと隣県へ 秋田県男鹿市(荒れる日本海)
2007/09/04の一品・・・021)栃木散歩 岩舟町(岩船山)
にほんブログ村「ふうん」と思ったらクリックして下さい
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます