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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
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1116)私的岩手通史の旅 第96回(奥州藤原氏 第2幕)

2011年10月23日 | 私的岩手通史の旅
 7年前の本日、新潟中越地震が起こりましたが、4年前の前説ではこの事に触れ「今の事務所は20ウン階、さぞかし揺れるでしょう」と書いていました。その時どれだけの気持ちでそう書いたか覚えていませんが、3年半後の今は、何ともいえない思いでその前説を読み返しました。

第96回 奥州藤原氏 -第2幕 奥州市衣川区(衣川)-

 「太陽政策」によって奥州の責任者となった藤原清衡が政府に求められたのは本州最北までのエミシの土地の開拓でした。清衡は鎮守府将軍の下でこの国策を進め、同時に豊田館(奥州市江刺区)から南下し衣川を越えて、平泉(平泉町)に居を移しました。1100年頃(康和年間)といわれています。

 平泉の北を流れる衣川はその昔から国府(朝廷)とエミシの境でした。お互いが衣川を越えるということは相手の領域に侵入することだったのでしょう。しかし、エミシ側の流れをくむ藤原清衡が衣川を越えて平泉に居を構えたことは、衣川という境が無くなり、東北での朝廷とエミシの争いが終わったことの象徴にも感じます。


(初夏の衣川 -奥州市衣川区 2010/07/04-)

 私も含めて世間一般には藤原清衡といえば「平泉に中尊寺を建てた」ということが知られていると思いますが、日本史的には清衡の時代に、東北一帯が朝廷の支配に組み込まれたことの方が大きいのです。

 しかし史跡巡りとして考えると何か残っているわけでもないので、舞台を中尊寺造営に移します。


2010/10/23の一品・・・805)全通まであと42日 七戸町(七戸十和田駅)
2009/10/23の一品・・・お休みでした
2008/10/23の一品・・・お休みでした
2007/10/23の一品・・・070)栃木散歩 佐野市 プレミアムアウトレット

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