風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1202)三八ワンデイハイク 11景目(八戸市 八戸城跡)

2012年01月17日 | 青森彷徨
 本日は、阪神淡路大震災から17回目の1月17日です。この地震の発生時刻は午前5時46分、10ヶ月前の東日本大震災の発生時刻は午後2時46分、どちらも46分に起こっています。もちろん偶然の産物ですが、ちょっと複雑な気分にさせる偶然だなと思いました。今年は昨年より意識される日になるのでしょうか。


 「三八ワンデイハイク」、中心街へ戻り、八戸産か分からないがイカの乗った丼を食べて午後の彷徨に入ります。次に訪れたのは八戸城跡です。三日町の交差点を北へ折れると八戸市庁(市役所)・八戸公会堂が並んでおり、その北側に八戸城跡と刻まれた大きな石碑が建っています。

 八戸で南部氏と言うと江戸時代以前の根城南部氏と江戸時代に盛岡藩から独立した八戸南部氏がありますが、根城南部氏は1627(寛永4)年に岩手県遠野市に移され、その2年後の1629(寛永6)年に盛岡城の支城として築かれたのがこの八戸城です。


(大きな八戸城跡碑と八戸城跡 -八戸市内丸 2011/12/30-)

 八戸が盛岡藩から分かれて独立した藩となったのは築城後の1664(寛文4)年でのことです。更に「城」の公称を許されたのは、そこから数えて八戸南部8代藩主南部信真(のぶまさ)が城主格に昇進してからだそうです。

 城跡は三八城(みやぎ)公園として整備されており、西側に立てば一段低いから八戸港側の街並みが見えます。公園中央部にある小高い丘には、八戸南部氏初代藩主南部直房像や1928(昭和3)年に建てられた八戸城跡の歴史を刻んだ碑がありました。

(公園として整備された城跡 -八戸市内丸 2011/12/30-)

 八戸城内の藩主邸内には、新羅三郎義光や南部氏の始祖である南部三郎光行、更に初代藩主南部直房と南部氏ゆかりの人々を祀った三八城(みやぎ)神社が1689(元禄2)年に建てられました。当初新羅神社と呼ばれていましたが、廃藩置県で藩主邸が解体され、1874(明治7)年に現社名に改められました。

(神となった南部氏歴々を祀る三八城神社 -八戸市内丸 2011/12/30-)

 三八城神社もこれまでに訪れた寺社同様新年の準備の最中でしたが、参道の両側ではなく正面に提灯が吊り下げられていました。参道の中央は神様の通り道なのですが、神様通行の妨げにならないのでしょうか。




2011/01/17の一品・・・855)3連休のおすそ分け(静岡県旧由比町 寺尾地区)
2010/01/17の一品・・・624)私的岩手通史の旅 第2回(旧石器時代2)
2009/01/17の一品・・・435)栃木散歩 那須塩原市(那須岳)
2008/01/17の一品・・・151)山口県つまみ食い12 下関市(ふく)

にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へにほんブログ村「ふうん」と思ったらクリックして下さい

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1201)三八ワンデイハイク 10... | トップ | 1203)三八ワンデイハイク 12... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

青森彷徨」カテゴリの最新記事