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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

873) 私的岩手通史の旅 第57回

2011年02月08日 | 私的岩手通史の旅
 過日半公務で南部藩(厳密には一関藩ですが)入りした際レンタカーを使いました。今のレンタカーはカーナビが標準装備ですが、なまじナビの指す最短ルートを信じたばかりに、除雪が不十分な道を滑りながら走る羽目になり、昨年末以来の緊張を経験しました。カーナビには季節は反映しませんからね。


第57回 前九年合戦 第2幕(奥州市衣川区 安部舘)
 
 約200年の太平の世?に胆沢鎮守府の手に負えない程の力を蓄えていった安倍氏ですが、その出自は明確ではないそうです。しかし次第に力を蓄えていき、ざっと言えば今の岩手県内陸一帯を支配する程の勢力になりました。

 この頃、衣川を境に北が安倍氏の支配地、衣川以南が朝廷(国府)領となっていましたが、安倍氏は頼良(よりよし)の代となって衣川を超え、国府領岩井郡の支配に手をかけ、国務である納税や労役を拒否するに至りました。本社の命令を聞かない出先機関といった具合でしょうか。

 奥州市衣川区(旧衣川村)の旧衣川村中心部の西方1キロ程の丘には、そんな安倍頼良の祖父忠頼の代から頼良の子供である貞任(さだとう)までの4代が約80年住み続けたという「安倍舘」があったとされています。一見すると水田に接する普通の丘のようですが、北側(写真右手)は北股川が、南側(写真左手)は南股川が、手前(写真東側)は両川が合流しての衣川がそれぞれ流れており、西側(写真奥)は山岳が延々と続く天然の要害となっています。

 
(水田と農家の奥の小山が安倍舘跡です -奥州市衣川区衣川 2010/07/04-)

 故宮脇俊三氏は「平安鎌倉史紀行」の前九年合戦の項で、平泉駅前から乗ったタクシーの運転手から安倍舘跡の存在を聞き、立ち寄っています。その運転手から「この舘を義家(源義家)が攻撃した時、農家を壊して舘にのまわりに積み上げ、火をつけたそうです。ひどいことするもんですなぁ、義家って奴は」と言われています。

 氏は「東北地方を旅していると、京の朝廷側の史料によって培われた私達の歴史観に反撃を食らうことがよくある」と感じていますが、まったくもって同感です。

 朝廷(国府)領と接する地の居館、緊張の最先端でもあったことでしょう。



2010年02月08日の一品・・・638)盛岡散歩 盛岡三十三観音(第23・24番)
2009年02月08日の一品・・・448)岩手散歩 花巻市(江戸から500キロ)
2008年02月08日の一品・・・173)栃木散歩 鹿沼市(医王寺)

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