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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

998) 私的岩手通史の旅 第83回(後三年合戦 第4幕)

2011年06月26日 | 私的岩手通史の旅
 東日本大震災以降、岩手、宮城、福島3県への「ふるさと納税」が急増し、震最後の3ヶ月で約3億4千万円に達しました。これは09年度の95倍で、10年度の大震災後分を加えれば約4億円になります。制度ができて久しいですが、初めて本格的に利用されているのではないでしょうか?寄付というと日本赤十字社経由がまず浮かびますが、こういう方法もあるのですね。


第83回 後三年合戦-第4幕-(秋田県横手市 平安の風わたる公園)

 1083(永保3)年の吉彦秀武の挙兵により始まった後三年合戦、清原真衡は兵を率いて、秀武のこもる出羽に向かいました。その後の流れを箇条書きにしますと・・・。

 「秀武は劣勢だったため清原清衡・家衡に加勢を乞い、両者は真衡が留守していた白鳥村の400余家を焼き払った。」
 「この年、陸奥守として再び奥州に着任した源義家は、陸奥支配を任せていた真衡を支援するが、真衡は急死してしまう。」
 「義家は事態収拾のため清衡・家衡を許し、真衡が治めていた奥六郡を折半して両者に分け与えた。」

 どれも後三年合戦での重要な出来事なのですが、肝心の史跡が見当たらないので、後三年合戦後半の舞台である秋田県横手市へ進みます。

 その横手市には「平安の風わたる公園」という後三年合戦の史跡公園があります。広場には義家・清衡・家衡・家衡を支援した清原武貞の4名のブロンズ像が建っており、その視線の先には東北の地図が描かれています。


(東北を見つめる四者のブロンズ像 -横手市 2010/07/13-)

 後三年合戦の後半は彼らを中心に動いていきますから、なかなか凝った造りです。ただ小説「炎立つ」に感情移入してしまった身からすれば、義家も甲冑姿にして欲しかったです。


(左から源義家・清原家衡・清原武衡・清原清経)

 この公園にも後三年合戦史跡がありますが、その前に後三年合戦後半最初の舞台である沼柵跡へ向かいます。


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2008/06/26の一品・・・お休みでした

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