幼少の頃「トマトは野菜か果物か」という議論があった記憶があります。CMの1節と思っていましたが、往時の米国での輸入関税の話だったと新聞で知りました。果物は非課税だが、トマトはデザートにならないので野菜扱いで関税10%だったそうです。もっとも私にとっては野菜だろうが果物だろうが、苦手な食材のひとつに変わりはありません。
第34回 東北38年戦争 21(奥州市前沢区 夏の胆沢の地)
789(延暦8)年に起こった「巣伏の戦い」で朝廷軍は大敗を喫しました。しかし桓武天皇は諦めず、翌年には再び胆沢遠征の準備が始まりました。いわゆる「第2回胆沢遠征」の開始です。
翌791(延暦10)年、桓武天皇は大供弟麻呂(おおとものおとまろ)を征夷大使に任命しました。「征夷」という言葉から、エミシを征することを明らかにしていますが、この時に任じられた副官のひとりが「坂上田村麻呂」です。歴史上名高い坂上田村麻呂がいよいよ表舞台に現われました。
ところが、ここからしばらくの間の記録は断片的で、巣伏の戦いのような「5W1H」がはっきりしていません。特に「Where(何処で)」が明らかでないのは、史跡彷徨の身としては困ったものです。
(初夏の胆沢平野 -奥州市前沢区岩の沢 2010/07/04-)
とにもかくにも再びエミシ征討の準備が始まり、坂上田村麻呂が登場したことで、胆沢の地は再び戦火に覆われることになるのです。
カメラを構えたのはこの辺りです
1年前の一品・・・「533)岩手散歩 紫陽花」
2年前の一品・・・「312)栃木散歩 宇都宮市(鬼怒橋)」
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第34回 東北38年戦争 21(奥州市前沢区 夏の胆沢の地)
789(延暦8)年に起こった「巣伏の戦い」で朝廷軍は大敗を喫しました。しかし桓武天皇は諦めず、翌年には再び胆沢遠征の準備が始まりました。いわゆる「第2回胆沢遠征」の開始です。
翌791(延暦10)年、桓武天皇は大供弟麻呂(おおとものおとまろ)を征夷大使に任命しました。「征夷」という言葉から、エミシを征することを明らかにしていますが、この時に任じられた副官のひとりが「坂上田村麻呂」です。歴史上名高い坂上田村麻呂がいよいよ表舞台に現われました。
ところが、ここからしばらくの間の記録は断片的で、巣伏の戦いのような「5W1H」がはっきりしていません。特に「Where(何処で)」が明らかでないのは、史跡彷徨の身としては困ったものです。
(初夏の胆沢平野 -奥州市前沢区岩の沢 2010/07/04-)
とにもかくにも再びエミシ征討の準備が始まり、坂上田村麻呂が登場したことで、胆沢の地は再び戦火に覆われることになるのです。
カメラを構えたのはこの辺りです
1年前の一品・・・「533)岩手散歩 紫陽花」
2年前の一品・・・「312)栃木散歩 宇都宮市(鬼怒橋)」
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