アリの一言 

オキナワ、天皇制の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

メディアは前川前次官の警鐘を正面から受け止めよ

2017年06月27日 | 安倍政権とメディア

     

 前川喜平前文科省次官は23日日本記者クラブで2回目の記者会見を行い、「加計学園文書」の信ぴょう性をあらためて証言しましたが、同時に、「メディアと権力の関係」について警鐘を鳴らしました。
 加計問題同様、いやむしろそれ以上に重要な発言でしたが、詳しく報道されませんでした。接した限りの情報を集めて再録します。

<今回の問題で認識を新たにしたのは、国家権力とメディアの関係だ。(「出会い系バー」にかよっていたという)私に対する個人攻撃だと思われる記事が読売新聞に掲載された。不愉快な話で、背後に何があったのか。個人的には、官邸の関与があったと考えている。
 私に最初にインタビューを行ったのはNHKだが、その映像はなぜか放送されないままだ。
 報道番組を見ると、コメンテーターの中には官邸の擁護しかしないという方がいる。
 日本の国家権力とメディアの関係に非常に不安を覚える。国民の視点から問い直す必要性がある。メディア内で自浄作用が生じることも強く期待したい。
 第四の権力と言われるメディアまで(国に)私物化されると、日本の民主主義は死んでしまう。その入り口にわれわれは立っているのではないかという危機感を持っている。>

 報道(「週刊報道LIFE」)によれば、前川氏はさらに会見で、「読売」の記事が出る前に、加計問題の「キーパーソン」(前川氏)である和泉洋人首相補補佐官から「会って話す気はないか」と言ってきたことを明かしました。和泉氏が前川氏の会見を事前に抑えようとしてが前川氏がそれを拒否したため、「読売」の記事が出た、というのが前川氏が「官邸の関与があった」という根拠のようです。

 きわめて注目すべき発言です。事実、前川氏を個人攻撃した記事のほかにも、憲法「改正」案について「読売新聞を熟読してほしい」(5月9日の参院予算委員会)と安倍首相が言い放ったように、読売と安倍首相(国家権力)の癒着は目に余ります。
 前川氏に言われるまでもなく、メディアには自己検証と自浄作用が求められています。

 ところが、この前川会見に対するメディアの扱いはきわめて冷淡でした。

 読売新聞は2面3段で扱いましたが、メディア批判部分は(当然)まったく触れていません。NHKも一切無視しました。
 加計問題は概して大きく扱う朝日新聞が、この日の前川会見は社会面3段という小さな扱いで、メディア批判部分はNHKについて5行載せただけでした。
 共同通信はメディア批判部分を30数行配信しましたが、掲載した中国新聞や琉球新報はこの部分はいずれもベタ扱いでした。
 毎日新聞も第2社会面3段の目立たない扱いでした。ただ、毎日が前川氏の指摘に対するNHKのコメントを載せたのは注目されました。NHK広報は、「個別の番組編集や取材過程について回答は差し控える」とした上で、「NHKの独自取材によるものも含め随時伝えている」と述べたといいます。(新聞はいずれも広島版)

 読売、産経、NHKなどの安倍政権(国家権力)との癒着は顕著ですが、それはもちろんこれら右派メディアだけの問題ではありません。前川氏を個人攻撃した読売の記事が、前川氏の指摘通り「官邸の関与」によるものであれば、それは安倍政権の本質にかかわり、日本の民主主義、報道の自由・権利にとっても重大問題です。メディアは真相を追求して明らかにする必要があります。

 先に「総理記者会見」の実態について述べましたが(20日のブログ参照 http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20170620)、メディアが権力との関係で自己点検・検証し、抜本的に改革しなければならない問題は山積しています。

 「日本の民主主義が死んでしまう入り口に立っている」という前川氏の危機感に同感です。
 


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見過ごせない翁長知事「平和宣言」の重大な変化

2017年06月26日 | 沖縄・翁長知事

     

 「6・23沖縄慰霊の日」の「追悼式典」における翁長雄志知事の「平和宣言」に対し、琉球新報は社説(24日付)で、「米国との軍事一体化に前のめりで、憲法に抵触する集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を成立させた安倍晋三首相の『積極的平和主義』の対極にある」と絶賛しました(沖縄タイムスの同日の社説も手放しで評価)。

 これは翁長氏のこれまでの言動や「平和宣言」に盛り込まれた事実を無視した恣意的な「翁長賛美」と言わねばなりません。

 そもそも、翁長氏は「集団的自衛権の行使」にも「安保関連法(戦争法)」にも反対していません。日本共産党などが県議会で再三見解を求めても、翁長氏は「議論が十分ではない」など手続き上の問題は指摘しましたが、集団的自衛権や戦争法自体には反対せず、事実上容認してきました。

 「平和宣言」はどうでしょうか。翁長氏が「6・23平和宣言」を行うのは今回が3回目ですが、実はこの過程で重大な内容の変更が行われています。該当個所を比較してみましょう。

● 2015年6月23日の「平和宣言」…<沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。>

● 2016年6月23日の「平和宣言」…<沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。>

● 2017年6月23日の「平和宣言」…沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります。その上で、「日本の安全保障の問題は日本国民全体で負担してもらいたい」と訴え、日米地位協定の抜本的な見直しや米軍基地の整理縮小などによる、沖縄の過重な基地負担の軽減を強く求め続けています。>

 一目瞭然です。「国民全体で負担すべき(負うべき)」ものとして、16年には15年になかった言葉が挿入されました。「日米安全保障体制の負担」です。さらに今年は、新たな一文が付け加えられました。「沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります」。これはきわめて重大です。

 「日米安全保障体制」とは言うまでもなく日米安保条約による日本とアメリカの軍事同盟体制です。翁長氏の持論が日米安保条約(体制)賛成・擁護であることは周知の事実ですが、それが「慰霊の日」の「平和宣言」に盛り込まれたのです。しかも、翁長氏自身の考えとしてではなく「沖縄県」の「立場」として。沖縄戦の「慰霊の日」の「平和宣言」で沖縄県民が日本とアメリカの軍事同盟の「必要性、重要性」を「理解」しているという「宣言」が行われたのです。

 沖縄県民はけっして日米安保体制を「理解」などしていません。
 琉球新報と沖縄テレビ(OTV)が昨年行った県民調査(2016年6月4日付琉球新報)では、「日米安保条約」については、「平和友好条約に改めるべきだ」42.3%、「破棄すべきだ」19.2%、「維持すべきだ」12.0%という結果です。軍事同盟である日米安保には県民の61.5%が「ノー」と言っているのです。
 翁長氏の「平和宣言」はこうした県民の意思を無視し、自分の政治信条を「沖縄県」全体のものにすり替えたものです。

 さらに、翁長氏は「平和宣言」の中で、先日亡くなった大田昌秀元知事の名前を出し、その遺志を継承するかのように言いました。テレビのインタビューでも、「大田さんの思いが私の政治の中に入ってきている」(25日BS―TBS「週刊報道LIFE」)などとも述べています。

 しかし、米軍基地・平和に対する大田さんと翁長氏の姿勢には天と地ほどの違いがあります。大田さんは一貫して「沖縄からの米軍基地撤去」を主張し続けました。1995年の米軍による少女暴行事件に抗議する県民総決起集会でも「米軍基地撤去」を強調しました(写真右)。

 ところが、翁長氏は絶対に「米軍基地撤去」とは言いません。今年の「平和宣言」でも上記の抜粋の通り「米軍基地の整理縮小」です。それどころか、昨年、米軍属による女性殺害事件が起こり、抗議の県民大会で「海兵隊の撤去」が決議されたにもかかわらず、翁長氏は「平和宣言」であえて「撤去」を「削減」に変えたのです(昨年6月24日のブログ参照http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20160624)。この一事をとっても、翁長氏と大田さんの違いは歴然です。

 あれほど大田さんに敵対していた翁長氏が、手のひらを返したように「後継者」を装うのは、辺野古埋立の「承認撤回」をあくまでも回避し、批判が強まっている中で、少しでも支持を繋ぎ止めたいということでしょうか。

 翁長氏は安倍氏と「対極」どころか、日米安保体制=軍事同盟を擁護・維持する点で本質的になんら変わりはありません。
 琉球新報、沖縄タイムスには、翁長氏に関して、事実に基づいた冷静な報道・論説が求められます。


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「沖縄慰霊の日」・欺瞞に満ちた本土メディア

2017年06月24日 | 沖縄・メディア

     

 「6・23沖縄慰霊の日」の式典で、安倍首相は沖縄への「米軍基地の集中による大きな負担」は「到底是認できるものではない」などと言いました。沖縄の民意を踏みにじって辺野古新基地建設を強行している張本人が、よくも言ったものです。その厚顔無恥にはあらためて怒りが湧いてきますが、ここでは「6・23」をめぐる本土メディアの論説・論調の問題を考えます。

 23、24両日、「沖縄」の社説を掲載した全国紙は朝日、毎日、読売、産経の4紙でした。自民党・安倍政権の広報紙として辺野古新基地建設を鼓舞する読売、産経は、あえて取り上げません。
 問題は、沖縄に寄り添っているかのような姿勢を見せているメディアの欺瞞性です。

 「朝日」の社説(23日付)は、「遺骨」問題に特化させ、最後に「沖縄はいまも米軍基地の重い負担にあえぐ。沖縄戦を知り、考え、犠牲者に思いを致すことは、将来に向けて状況を変えて行くための土台となる」としながら、現在進行形の「重い負担」である辺野古新基地には一言も触れていません。

 「毎日」の社説(23日付)は、「過重な米軍基地負担は沖縄戦の痕跡だ」としながら、「政府が『反基地』の県民感情を直視する姿勢を示さなければ、対立は先鋭化するばかりだろう」と、政府に下駄を預ける一般論で終わっています。

 中国新聞の社説(23日付)は、辺野古や「土人」発言などの問題点を指摘したうえで、「政府は…丁寧に対話を重ねるべきだ。私たち国民も、『痛み』を共有する努力を忘れてはならない」といいます。「痛みの共有」とはどういうことでしょうか。

 NHKは23日夜の「ニュースウオッチ9」で、キャスターが「現地レポート」を踏まえ、「(沖縄と本土の)壁は高くなっている」とし、「私たちが沖縄を分かろうとすることが大切」とコメントしました。沖縄の何を「分かろう」というのでしょうか。

 報道ステーション(23日、写真右)は、「沖縄ヘイト」をとりあげ、「沖縄と本土には新たな溝ができている」とし、ゲストコメンテーターは「人(沖縄の人)のために行動することをやってみたい」などと述べました。「人のため」という発想は根本的に間違っていませんか?

 こうした論説・コメントには重要な共通点があります。「県民感情を直視する」「『痛み』を共有する」など聞こえのいい言葉を並べながら、目下の現実的な基地負担とりわけ辺野古新基地建設をどう考えるのか、どうするのかについては、具体的な主張が何もないことです。

 「6・23」にあたって、本土メディアは少なくとも次の2点を明確にすべきです。
 ①沖縄の基地負担が過重だというなら、辺野古新基地建設(普天間基地の県内移設)反対を明言すること。
 ②したがって普天間基地は、「無条件返還(どこにも移設しない)」か「県外(本土)移設」かしかなく、どちらを支持するのか明確にすること。

 しかし、沖縄に寄り添うようなポーズを示す本土メディアは、この2点を明確にしません。なぜでしょうか。報道ステーションのキャスターのコメントがそれを示唆しています。
 「沖縄の犠牲の上に、(本土は)安全保障の恩恵を受けている

 こう思っている(善意の)日本人は少なくないでしょう。これは言い換えれば、「日本の安全保障は日米安保体制によって守られており、それは沖縄の犠牲の上に成り立ち、本土はその恩恵を受けている」ということです。明確な日米安保条約(体制)肯定論です。

 日米安保肯定論の自体の問題は別途考えるとして、ここで言いたいのは、日米安保体制を肯定したうえで、沖縄の過重な基地負担に「反対」するなら、結論は「県外移設」しかないということです。ところが本土メディアは頑として「県外移設賛成」とは言いません。本土の多くの「国民」(読者=顧客)が反対だからです。本土メディアは、読者を失いたくないために、論理的必然の「県外移設」に背を向け、結果、抽象的な美辞麗句を並べた欺瞞・偽善に終始しているのです。
 それが、沖縄にとって、また日本にとって、どんなに犯罪的なことか、メディアは自覚すべきです。

 なお、私は日米安保体制反対・安保条約廃棄の立場から、「県外移設」ではなく「無条件撤去」を主張します。


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震災後の「外国人犯罪」の流言と「天皇ビデオ」

2017年06月22日 | 天皇制と人権・民主主義

     

 「人権と生活」(在日本朝鮮人人権協会発行)の最新号(44号)に「震災後の『外国人犯罪』の流言と現在」と題した興味深い論考が掲載されています。

 筆者は郭基煥氏(東北学院大教員)。関東大震災(1923年)では「朝鮮人が毒を井戸にもっている」などの流言が広がり、「自警団」(写真中)など「日本人の一般市民」によって少なくとも数千人の朝鮮人が虐殺されました。
 郭氏は「では、東日本大震災においてはどうだったのか。もちろん、流言によって特定集団に対する暴行が行われたという事実はどこからも聞こえてはこない。しかし、だからといって、あの時の状況は、1923年の状況とまったく異なっていたと言えるだろうか」という問題意識で、アンケート調査を実施しました(調査は無作為抽出の郵送で、仙台市=770票と東京新宿区=174票から、計944票の回答を回収。実施は2016年9月)。主な結果は次の通りです。

 ●「被災地で外国人が犯罪をしている」といううわさについて
      たくさん聞いた 1~2回聞いた まったく聞かなかった
  仙台市   32・2%    19・4%     47・8%
  新宿区   17・8%    22・4%     59・8%

 ● うわさを信じたか
      とても信じた やや信じた    あまり信じなかった まったく信じなかった
  仙台市   37・8%   48・4%     12・1%     0・8%
  新宿区   25・7%   60・0%     12・9%     1・4%

 ● 外国人のうちどのような人たちが犯罪をしていると信じたか(仙台市のみ。複数回答)
   中国系の人         63%
   朝鮮・韓国系の人      25%
   特にどの人とは考えなかった 26%

 ● 非常事態におけるイメージ
          信頼できる                 秩序正しい
     とても思う やや思う そうは思わない   とても思う やや思う そうは思わない
 日本人  12・3%  44・8%   13・1%    15・1%   51・7%   9.4%
 外国人  2・1%  19・5%    21・3%    2・1%   14・3%   29・2%

 驚くべき結果です。郭氏はこう結んでいます。

 <東日本大震災という危機にあって、日本人/東北人が美徳(「秩序正しい」などー引用者)をもっていることを強調する美名化の言説ーイデオロギーーは確かに共助の精神や復興への意志を効果的に鼓舞し、結集させたかもしれない。しかし、そのイデオロギーは、外国人犯罪の流言によってそのほころびを覆い隠すことで機能したのではないか
 そして、震災から六年が経過した今、考えなければならないのは、非常事態において噴出した日本(人)の美名化とアジア、特に中国(人)や韓国・朝鮮(人)の汚名化という相補的な言説が、社会が通常状態へと回復していく過程で、衰退するのではなく、むしろ、国政の舞台から日常生活にいたるあらゆる場面で何事かを語る際の定型的な認識枠組みとして定着してしまったのではないか、ということである。それが先鋭化したのが、日本人の「誇り」の元で朝鮮人・韓国人をののしるヘイトスピーチに他ならない。…1923年とは違う姿をまとった、同じ構造の何かが繰り返されたように思われる。

 郭氏は一言も触れていませんが、私はすぐに「天皇のビデオメッセージ」を思い出しました。
 「天皇のビデオメッセージ」といっても、「生前退位」を示唆した昨年8月8日のものではありません。天皇が初めてビデオメッセージをテレビで流したのは、実は東日本大震災から5日後の2011年3月16日でした(写真右)
 この中で天皇明仁は、「自衛隊、警察、消防、海上保安庁(この順番に自衛隊幹部は感激したー引用者)」などの救援活動の「労をねぎらい」、こう言いました。

 「海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時間を乗り越えることを衷心より願っています」

 明仁天皇の主観的意図がどうだったかは別にして、天皇のこの言葉こそ、「非常事態」における「日本人の美名化」の最たるものではないでしょうか。それが、無意識の中で、外国人(特に中国、朝鮮、韓国人)の「汚名化」と「相補的」な関係になっていることを銘記する必要があります。
 震災後のこの「天皇ビデオメッセージ」は、「日本国」に「象徴天皇制」があることの1つの意味を示したのではないでしょうか。   


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あの異常国会の後の首相会見がたった23分か

2017年06月20日 | 安倍政権とメディア

    

 厚顔無恥とはまさにこのこと。19日夕の安倍首相の記者会見です。

 強行採決以上の「中間報告」なる禁じ手を使っておいて「十分審議できなかった」とはよくも言えるもの。「反省している」と言いながら実は野党を「印象操作」と攻撃する開き直り。「政策とは関係ない議論」とは自らの「森友・加計疑惑」=行政の私物化を隠ぺいする口実…。挙げればきりがありません。

 そもそもこの男にまともな「反省」や議論を望むのが無理な話です。蓮舫氏は「総理のために開く会見は意味がない」(19日の記者会見)と言いました。しかしそうではありません。問題は、記者会見が「総理のため」のものになったことにあります。すなわち記者会見のあり方を抜本的に改める必要があるのです。

 首相会見が始まったのは午後6時ちょうど。はじめに安倍氏の発言が17分間。それから記者との質疑応答に入りましたが、6時40分にはきっかり終了。つまり、安倍氏の゛独演会”を除けば、実質的な記者会見はわずか23分しかなかったのです。

 最後まで内容が不明確なまま成立が強行された「共謀罪」法。内閣府と文科省の言い分が食い違い官邸主導で真相隠しが行われた加計学園疑惑。これだけをとっても異常な国会でした。「国会は死んだのかもしれない」(高村薫氏)と言われるゆえんです。

 その国会が閉会した直後の首相会見です。国会では明らかにならなかったことを記者が国民に代わって追及しなければなりません。テーマは山ほどあったはず。ところがその会見が実質23分。まったく話になりません。

 しかも「23分」の中身がまた問題です。はじめに幹事社から2人(毎日新聞、TBS)が大雑把な質問をし、その後は質問希望者が挙手をし、司会者が指名するのですが、これが曲者です。なぜなら、指名する司会は官邸(安倍政権)が行っているのですから。

 案の定、この日指名された記者4人のうち、ロイター(外交問題)を除けば、NHK(公文書管理)、日経(成長戦略)、社名を名乗らない男性(北方領土)はいずれも安倍氏にとって痛くもかゆくもない質問ばかり。安倍氏に宣伝の場を与えてやったようなものです。朝日新聞や東京新聞、ましてフリーの記者はまったく指名されませんでした。
 加計疑惑の文書をめぐってこのかん菅官房長官の記者会見で執拗に質問していた記者たちも、発言の機会は与えられませんでした。

 時間といい、運営方法といい、この首相会見は異常です。まさに「総理のための会見」として仕組まれたものです。
 今回だけではありません。首相会見はだいたい同じような時間・運営方法で行われています。こうしてテレビ中継する首相会見が「総理のための会見」になっていることが、安倍内閣の虚構の「高支持率」の1つの要因になっていると言っても過言ではないでしょう。
 
 これを抜本的に改める必要があります。
 時間については、質問希望者がいなくなるまで行うべきです。少なくとも1~2時間の質疑時間は確保すべきです。
 会見の司会(質問者の指名)は官邸(政権)ではなく、記者クラブが行うべきです。

 現在時間も運営も官邸主導になっているのは、会見自体が「官邸主催」になっているためだと思われます。それを抜本的に改め、会見は「記者クラブ主催」にすべきです。
 首相会見を「総理のための会見」ではなく、「国民のための会見」にするのは国民に対するメディアの責務です。
 日本新聞協会、新聞労連の姿勢と責任が問われます。


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