ノーベル文学賞が決まったハン・ガン氏の『別れを告げない』『すべての、白いものたち』などの翻訳がある斎藤真理子さん(64)(写真左)が、ハン・ガン文学について朝日新聞に寄稿した(以下抜粋)。
<この世の最も残酷な場所から響いてくる、あまりに親しみに満ちた声。血の通った、そして血を流しつづけている人類の小さな声。
ハン・ガンの小説にはそれが充満している。
日本による植民地支配、南北分断、朝鮮戦争、そして軍事独裁政権による人権弾圧。韓国の現代史は満身創痍である。
大事なのは、韓国においては長らく、追悼すら禁じられた時代があったことだ。光州民主化運動も済州島4・3事件も、追悼集会はおろか公に言及することもできず、映画や小説への作品化など、民主化前は絶対に不可能だった。無念の死、不条理な死は蓄積され、癒えない傷は癒えないまま、風化することすら許されなかった。
作家は決して国籍や出生地に縛られない。しかし現代のさまざまな「生きられなさ」を追ってきた作家が、生まれた土地に蓄積された無念の死、封じられた声へ接近したのは必然だったろう。それを韓国一国でなく人類の経験として書ききったところに、今回の授賞意義があると思う。
ハン・ガンの仕事の核は、これほど悲惨なことがあったと知らせることではない。最大の危機のときもこのようにして人の尊厳は存在しうるのだと示すことである。
各地で戦争が激化し、毎日遺体が運ばれてくるのに何を祝うのかとハン・ガンは言い、記者会見を固辞したそうだ。
ガザのジェノサイドは、今すぐにでもやめられるはずのものである。光州事件も済州島4・3事件もそうだったはずだ。無念さが、今日も現在進行形で反復されている。
ハン・ガンの意思表明に同意する人は多いだろう。と同時に、アジア人女性初の受賞を喜ぶ私たちの気持ちを作家が受け止めてくれていることも、間違いない。だから、おめでとうを言った後、それぞれのやり方で、この世の最も残酷な場所へ心を寄せたいと思う。静かに本を読みながら。>(17日付朝日新聞デジタル)
斎藤さんは、著書『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス、2022)で、「最近日本で、韓国文学の翻訳・出版が飛躍的に増えている」ことについてこう書いている。
<この現象は、読者の広範でエネルギッシュな支持に支えられたものだ。寄せられた感想を聞くうちに…不条理で凶暴で困惑に満ちた世の中を生きていくための具体的な支えとして大切に読んでくれる人が多いことに気づいた。…韓国で書かれた小説や詩を集中的に読む人々の出現は、ここに、今の日本が求めている何かが塊としてあるようだと思わせた。(中略)
韓国文学を一つの有用な視点として、自分の生きている世界を俯瞰し、社会や歴史について考える助けにしてもらえたらありがたい。…日本の歴史は、朝鮮半島の歴史と対照させて見るときに生々しい奥行きを持つ。この奥行きを意識することは、日本で生きる一人ひとりにとって、必ず役に立つときがある。>
朝鮮半島の歴史と対照させて日本の歴史を見る。それは日本人に最も欠けているとの1つだ。国家権力がそれを最も恐れ、教育から一貫して排除しているからだ。
生きている世界を俯瞰し、歴史を学び直すとき、ただ事実を知るだけでなく、どんな危機の時にも「人の尊厳は存在しうる」という視点を持ちたい。その視点を持って、ガザ、ウクライナ、世界の紛争地に対し、自分に何ができるか考えたい。